2020/02/23 - 2020/02/23
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織田信長生誕の地の勝幡城跡の紹介です。旧街道にあった『道標』には、『右奈(な)ごや道』、『左つしま道』の表示がありました。石の道標が建てられた場所が、高須海道と清須海道が交差する辻でした。
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『真宗大谷派・無量山・福応寺』の参道光景です。寺伝によれば、元亀3年(1572年)に祐西により開創されました。祐西は、最初は信長に仕えていましたが、対立する石山本願寺の顕如上人(1543~1592年)の側となり、一寺を建立して『福寿坊』と号していました。その後、明暦3年(1657年)に現在の寺号になったようです。
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『真宗大谷派・無量山・福応寺』の文字が刻まれた、まだ新しい石標の光景です。愛西市勝幡町塩畑に位置するお寺です。祐西らが弟子となった顕如上人は、戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧で、浄土真宗本願寺派第11世宗主です。真宗大谷派第11代門首で、石山本願寺住職でした。『石山本願寺(いしやまほんがんじ)』は、戦国時代初期から安土桃山時代にかけて、摂津国東成郡生玉荘大坂にあった浄土真宗の寺院です。戦国の当時は『大坂本願寺』や『大坂城』と呼ばれていました。後世、『石山本願寺』と呼ばれました。
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イチオシ
『無量山・福応寺』の山門と、先ほど紹介した石標などの光景です。蓮如上人は、弘治3年(1557年)4月17日、六角定頼の猶子(実父は公卿の三条公頼公)の如春尼と結婚しました。如春尼の実の姉は、武田信玄の正室・三条夫人ですから、信玄と顕如は義兄弟に当たります。 永禄2年(1559年)、正親町天皇の綸旨により本願寺は門跡となりました。門跡は、皇族・公家が住職を務める特定の寺院です。
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蓮如上人は、宗教者でしたが武装した僧侶や信徒とともに、織田信長と戦いました。信長が神仏の冒涜を繰り返したとして、全国の本願寺門徒に信長打倒を呼びかけ、軍事的にも経済的にも圧倒的に有利な織田軍相手に、調略を巡らせて信長包囲網を築き、10年以上に亘って激しい攻防を繰り広げたことで知られます。写真は、山門越しに眺めた本堂光景です。
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『無量山・福応寺』の本堂光景です。元亀元年(1570年)に本願寺と織田氏は、野田城・福島城の戦いが起きました。一連の抗争は石山合戦と呼ばれます。顕如は自ら石山本願寺に篭城し、地方の門徒組織を動員して長島一向一揆などを起して、信長に対抗しました。 雑賀衆などとも協力しました。しかし、元亀4年(1573年)4月には、武田信玄の死を契機に包囲網は破綻しました。
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『無量山・福応寺』の鐘楼光景です。本瓦を葺いた、重たそうで大きな造りの屋根を支えるにしては、少し細いようにも見えた四方転びの4本の柱です。大地震の際には、少し気になりそうです。近年の大地震でも、屋根が重た過ぎて壊れた文化財の門や鐘楼を報道で目にしました。
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鐘楼に吊るされた梵鐘の光景です。立派な造りの鐘楼にしては、やや小振りな梵鐘のようです。梵鐘は中央に吊り下げられていますから、地震の揺れに対しては『慣性の法則』でそのままの位置を保とうとして、建物の揺れを抑える『制振装置』の効果があります。また、張り出した屋根は『やじろべえ』的なバランスをとる効果がありますが、重た過ぎては構造物自他への負担が大きそうにも思えました。
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平成時代での本堂等の修復工事の際、不要となった鬼瓦の展示光景です。この後に紹介する説明パネルには、『本堂等修復落成記念・大正初期落成時鬼瓦』の表示がありました。その展示品の前にも、5頭の屋根飾りの獅子や、軒丸瓦なども展示されていました。
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先程の鬼瓦に掲示してあった説明パネルのズームアップ光景です。平成22年(2011年)7月に竣工した際、大正初期に落成した時の鬼瓦が、記念品として展示されたことが紹介されていました。大正初期と言えば1910年代になりますから、今から100年以上前のことになります。
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『ニホンズイセン(日本水仙)』
分類:ヒガンバナ科スイセン属の球根植物
分布:地中海沿岸が原産で、日本には中国経由で渡来。
特徴:花期は12月~翌年2月。
その他:全草、特に球根に毒があり、食べると危険です。 -
『ニホンズイセン(日本水仙)』
分類:ヒガンバナ科スイセン属の球根植物
分布:地中海沿岸が原産で、日本には中国経由で渡来。
特徴:花期は12月~翌年2月。
その他:全草、特に球根に毒があり、食べると危険です。 -
『オタフクナンテン(お多福南天)』
分類:メギ科ナンテン属の常緑低木。
分布:日本の暖地及び中国を原産地とするナンテンの園芸品種。
特徴:ほぼ通年にわたって赤い葉が美しい植物です。
その他:ナンテンと異なり、花は咲かず、実も生りません。 -
『カンアヤメ(寒菖蒲)』
分類:アヤメ科アヤメ属の多年草。
分布:地中海東部の沿岸域に分布。
特徴:岩場や丘陵、森林の開けた場所などに自生しています。
その他:花期は1月~3月、常緑性です。 -
見学を終えて、振り返って眺めた、『無量山・福応寺』の山門光景です。信長が生まれた勝幡城から判断しますと、信長が敵対した石山本願寺系統のお寺とは、激しい争いがあったようです。本能寺の変後、信長に代わって畿内の実権を握った羽柴秀吉と早急に和睦すると、秀吉は本願寺とその門徒が持つ経済力や技術力を利用して、石山本願寺の寺内町をもとに大坂城と城下町大坂を整備しました。
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『無量山・福応寺』の近くの街道に面した街並み光景です。歴史を感じさせる本瓦葺きの屋根と塀です。その塀の黒い部分は下見板張りで、僅かばかりの上の部分が漆喰塗でした。
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『パンジー』
分類:スミレ科スミレ属の園芸品種。
分布:北ヨーロッパ原産。
特徴:小輪から大輪まであり、花期が長い草花です。
その他:小形の花は、ビオラとの区別が曖昧になりました。 -
『ハボタン(葉牡丹)』
分類:アブラナ科アブラナ属の多年草。
分布:斑入りなどが珍重されたのは、江戸中期以降のようです。
特徴:キャベツ、またはケールが品種改良されたようです。
その他:周りの白い小花は、ノースポール当たりのようです。 -
『ヒイラギナンテン(柊南天)』
分類:メギ科メギ属の常緑低木。
分布:中国南部、台湾、ヒマラヤ原産。
特徴:小葉は硬く、ヒイラギの葉に似て鋸歯は棘となります。
その他:秋に青い実を付けます。 -
旧街道らしい街並み光景です。白い漆喰塗の壁と黒っぽい板張り壁の光景です。高須海道と清須海道が交差する近くになるようです。古い街並み光景を留めた街道脇の光景でした。
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『ハクバイ(白梅)』
品種:不明(一重咲)
分類:バラ科サクラ属の落葉高木。
特徴:『実梅』のようです。
その他:咲き終えた花もたくさんありました。 -
『ハクバイ(白梅)』
品種:不明(一重咲)
分類:バラ科サクラ属の落葉高木。
特徴:『実梅』のようです。
その他:ズームアップした白梅の花です。 -
イチオシ
古い道標の南面の光景です。『右奈(な)ごや』らしい文字が刻まれていました。『や』の次の文字がよく分かりませんでしたが、この後紹介する解説板では『道』と解読されていました。高須海道と清須海道が交差する辻に建てられてた道標です。道標は、江戸時代のころに設置されたものが多く、設置される場所は、街道の分岐点(追分)などの路傍が多く、町中の表通りの交叉路や山中、峠に設置されることもありました。(ウィキペディア)
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イチオシ
道標の東面の光景です。『左つしま』の表示がありました。近代以前の道標の多くは公に設置されたものは少なく、大抵はその土地の有力者によって寄進されたものが多く、裏面に寄進者の名や設置年月が刻まれていることが多いとされます。材質は花崗岩が多かったようです。(ウィキペディア)この石標も花崗岩のようでした。
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道標の『西面』の紹介です。刻まれている文字は、この後紹介しる説明看板によれば、『天保六年未六月吉日』と『勝幡取持・かご連』の文字のようでした。西暦では1835年、歴史年表で見ますと、前島密や土方歳三が生まれた年になります。天保年間は、文政の後、弘化の前で、1831年から1845年までの期間になります。
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道標の『北面』の紹介です。『つしま・美濃屋興左衛門、なごや・杉屋佐助』の文字が刻まれているようです。この道標を建てた、スポンサーの名前でしょう。美濃屋は、岐阜に縁がありそうな屋号です。もう一方の『杉屋佐助』の初代は、名古屋中御園町(尾張藩御用蔵の並ぶ堀川納屋橋下流辺り)の米穀問屋に奉公した後、別家を許され杉屋を名乗る大店となり杉屋の基礎を作ったとされます。大正7年(1918年)8月の米騒動を機に廃業されたようです。
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タイトルはありませんでしたが、『道標』を中心としたかつての街道の復元図です。『右なごや道』方面は、一里塚跡を通る東方面に向かう高須海道、『左つしま道』は、南西方面に高札場跡を通って小津湊に向かう道が記されていました。こちらも高須海道ですから、道標の場所が、高須海道から北東方面に向かう清州街道が分岐する場所になるようです。
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道標に記載された文字の解読などに薬だった説明パネルの光景です。高須海道は、名古屋城と美濃国高須とを結ぶ街道でした。高須藩松平家は、尾張徳川家に継嗣がいない場合に、相続人を出していました。小藩ながら幕末には、会津藩主松平容保や第一四代尾張藩主徳川慶勝、桑名藩主松平定敬などを輩出しています。清州海道は、名古屋城築城により、その主な役割を失いました。
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道標があった道を東に進み、三叉路に到達しました。この道を左に進めば、『三宅川方面になるようでした。次の散策目標は、かつての勝幡城の北端付近です。三宅川と日光川に挟まれた三角州地帯です。
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橋の袂で留まって、道路標識の確認です。写真中央の白い標識には、『稲沢市』の表示がありました。その先の青色の標識には、121号線の左右の矢印の右方面が『一宮』、左方面の矢印が『津島』、直進が『海津』の表示でした。
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『三宅川』の表示があった橋の袂の光景です。お城に因むような名前の東城橋のようでした。勝幡城址の北端は、もう1本下流に架かる那古良(なこら)橋の方になるようでした。
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