2012/05/20 - 2012/05/20
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大須商店街の散策です。最初は萬松寺です。萬松寺のHPから、お寺の主な歴史を紹介します。(ウィキペディア、萬松寺のHP)
○1540年(天文9年):織田信秀(信長の父)建立。
○1610年(慶長15年):現在地に移転。
○1912年(大正元年):寺領の山林の大部分を開放、大須商店街が誕生。
○1945年(昭和20年)3月12日:名古屋大空襲で寺が焼失。
同じく、同寺のHPから、主な出来事を紹介します。
○信秀の葬儀の際に信長が位牌に抹香を投げつけた事件は、大須に移る前の萬松寺が舞台である。
○徳川家康は6歳で証人(人質)として今川義元の元に送られる途中で信秀に引き渡され、この寺で9歳まで過ごしたと伝わる。
○明治年間、シャム国(現在のタイ)から日本に分骨された仏舎利が覚王山日泰寺に運ばれた際には、萬松寺から行列が出発した。
- 交通手段
- 私鉄
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大須商店街のアーケード光景です。大須商店街は、元々は万松寺の所有地だった場所が、地元に解放されたものとされます。万松寺は、慶長15年(1610年)、名古屋城築城に際して、徳川家康の命により現在の地に移転しました。当時の寺域は、2万2千3百余坪の広さがあったとされます。
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横から眺めた万松寺の拝殿の光景です。背後に立派な本殿が建ちましたが、下町の風情を伝えるお寺として、この光景はそのまま残されたようです。
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不動明王の赤い提灯です。不動明王(ふどうみょうおう)は、密教の根本尊である大日如来の化身とされます。あるいは、その内証(内心の決意)を表現した姿とも解釈されています。
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万松寺では、身代不動と呼ばれますが、そのいきさつは、『元亀元年(1570年)、織田信長公が越前の朝倉城を攻めた帰り道、琵琶湖の北方で、杉谷善住坊に狙い撃ちされたが、二発の命中弾は、信長公の懐ろの干餅に当り、かすり傷だけで、落命をまぬがれた』ことが不動明王の御利益として、加藤清正が命名したと伝わります。
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狛犬の横にあった小さな地蔵尊の光景です。立派な蓮座の上での瞑想の姿です。背後には奇石が配置されていました。
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手前のスペースでは、バラの苗木の展示販売がされていました。貸しスペースのようです。その奥が、万松寺の供養などの受付です。
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清めの水の光景です。象の鼻から水が勢いよく出ていました。普通は水に関係する龍の造りが多いようです。他ではあまり見かけません。
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一対になった狛犬です。口を開けて睨みをきかした阿形の狛犬です。左足の下に玉を持った雄の狛犬です。
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一対になった狛犬のもう一方です。ウン形の狛犬です。右足の下には子供の獅子がいるようです。雌の狛犬です。
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灰で一杯になった線香立ての光景です。その先には、風除けのアクリル板で囲われた蝋燭立がセットで置かれていました。
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拝殿脇の柱に懸けてあった木製の大きな『数珠』です。飾りのようです。数珠は仏を念ずる時に用いる珠との意味から、『念珠(ねんじゅ)』とも呼ばれます。文字を入れ替えて、『珠数』と表記される場合もあります。
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光背を持った仏座像です。螺髪の頭をしています。釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来と弥勒如来の仏像の見分け方は、少し難しそうです。螺髪も印相も共通しています。もし薬壺が手にあれば薬師如来、あとは脇侍等で判断できるかもしれません。
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仏陀の座像らしい仏像のお顔のアップ光景です。穏やかで、高貴なお顔です。造られて、まだ間がない仏像のようです
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万松寺の背後に控えるビルの光景です。江戸時代の万松寺は広大な敷地を有していたようですが、境内を大須商店街に開放したため、今は随分と狭くなったようです。万松寺の公式HPには、この建物が、平成6年(1994年)4月建設の本堂と記されていました。
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側面から眺めた背後の本堂ビルの光景です。現地に置いてあったパンフレットには『万松寺納骨堂・瑞雲閣』の名前が記されていましたが、こちらは2011年3月の建設です。
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万松寺本堂の玄関光景です。唐風の造りです。パンフレットに記された納骨堂・瑞雲閣は、このビルの4階に施設されています。
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以前は別の場所にあった御深井(おふけ)観音の立像です。現在は建物の脇にひっそりと建っています。蓮座の上に建ち、左手に蓮の花を持たれています。
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御深井観音菩薩のお顔のアップ光景です。万松寺のHPには、『徳川春姫様(尾張徳川家初代・義直公の御夫人)守護仏として名古屋城の北御深井の里に祀られていたのでこの名がある。のち春姫様の菩提所、萬松寺に移された』と解説されていました。
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御深井観音菩薩の脇にあったミニチュアの祠です。2体の小さな像が祀られていました。綺麗な衣に包まれていました。
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万松寺の中から眺めた大須商店街の通りの光景です。この前の通りを左手に少し行けば、大須アメ横のビルがあります。
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『亀岳林』の扁額が懸かった拝殿です。戦災後の仮の建物のように見えますが、本堂は既にビルとして建設されました。その建設コンセプトは、『近隣商店街も耐火・高層建築に変貌するであろうと推量されるため、周囲の都市景観とマッチした構造の本堂が建立された』と説明されていました。
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『亀岳林』の文字が記された扁額のアップ光景ですです。山主敬筆の落款がありましたが、山主の名前は記されていませんでした。
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民家風の造りの玄関ですが、ここに『曹洞宗・萬松寺』や『東洋医療・不老閣』などの表札が懸かっていました。
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萬松寺の一角にある、『白雪稲荷』です。『白雪咤枳尼真天(はくせつだきにしんてん)』が祀られています。
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同じく、萬松寺の一角にある、『白雪稲荷』の光景です。創建された萬松寺の地に、千年も前から住んでいた白狐が白雪様の狐族となって祀られたのが起源とされます。
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『身代不動明王』の文字が記された提灯のアップ光景です。不動明王の加護で、辛くも難を逃れた信長公に因み、加藤清正が『身代不動』の命名をしたと伝わります。
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『白雪稲荷』の白い狐です。稲荷神社は、朱い鳥居と神使の白い狐がシンボルとなっている神社です。京都市伏見区にある伏見稲荷大社が、日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社とされます。
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『白雪稲荷』の白い狐は、四頭います。稲荷神には神酒、赤飯の他に狐の好物といわれる油揚げが供えられます。ここから油揚げを使った料理を稲荷と呼ぶようになったとされます。稲荷神は、稲荷大神や稲荷大明神とも呼ばれます。
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少しほっそりとした体つきの三頭目です。こちらにもその足元には、油揚げが供えてありました。稲荷神は、伏見稲荷大社から勧請され、全国の稲荷神社などで祀られる食物神、農業神、殖産興業神、商業神、屋敷神です。
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最後に紹介する四頭目は、ほっそりとした体付きの狐の対になった一頭です。同じように、『願』文字が記された前掛けをしていました。稲荷信仰は、かつて朝鮮半島から帰化人が多く渡来した時にもたらされた信仰とする説が有力なようです。
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