2012/03/08 - 2012/03/08
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桶狭間の古戦場址とされる桶狭間古戦場公園の紹介です。1600年に起きた桶狭間の戦いが、縮小された地形でジオラマ展示されていました。人物像は、義元公・信長公銅像だけです。
- 交通手段
- 自家用車
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織田信長、今川義元の両雄の銅像制作に関する説明プレートです。作者は賛同者などが記されていました。平成22年(2010年)5月の建立です。
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桶狭間古戦場公園内にあった樹木の紹介です。『かくれみの』の名札があった木です。『カクレミノ(隠蓑)』はウコギ科カクレミノ属の常緑亜高木です。テングノウチワなどの別名を持ちます。
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名古屋市名で建てられていた、『桶狭間の戦い案内』のタイトルの図面と説明文です。無勢の信長軍が、10倍以上の2万5千の今川勢を破り、近世の幕を開いた画期的な歴史的出来事と紹介されていました。
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『桶狭間の戦い案内』の図面部分のズームアップ光景です。赤色が今川軍、青色が織田軍を表し、経過した場所や遭遇した地名などが記されていました。
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『有松桶狭間めぐり』のタイトルがあった観光案内地図です。十数カ所の観光スポットを結んだルートが記してありました。
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イチオシ
『桶狭間古戦場公園』の大きな石碑の光景です。合戦から450年目の平成22年(2010年)に整備された、名古屋市緑区の市立公園です。地元では、田楽坪とも呼ばれている地です。
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公園の中に仲良く並ぶ両雄の銅像です。左が槍を手にした織田信長公、右が弓を手にした今川義元公です。
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イチオシ
槍を手にした立姿の信長公と、弓を手にした義元公の像のズームアップ光景です。全体のバランスのため、台座の高さで調節してありました。
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織田信長公(1534〜1583年)の甲冑姿の立像です。右手に長槍を持っています。桶狭間の戦いの時の信長公は、27歳でした。台座の家紋は、『織田木瓜』でした。元々は尾張守護の斯波氏より拝領したものとされます。
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今川義元公(1519〜1560年)の甲冑姿の坐像です。手にしている弓は、『海道一の弓取り』と呼ばれたことに因むようです。台座にある家紋は、今川家の『足利二つ引両』の紋です。桶狭間の戦いの時の義元公は41歳でした。
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名古屋市が設置した、『桶狭間の戦い・ジオラマ解説板』のパネルの光景です。今川義元軍の進軍ルートが赤色、織田信長軍の進軍ルートが青色で記してありました。
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イチオシ
縮小モデルの桶狭間の戦い地形図です。中央やや右下の石標は、『丹下砦』です。信長が鳴海城を取り囲むように作った三つの砦の内の一つです。あとの二つは、善照寺砦と中嶋砦です。
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古戦場公園内のジオラマ展示の光景です。中央に流れる川は、天白川かその支流の扇川のようです。
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『桶狭間古戦場保存会』のタイトルがあった石碑の光景です。銅像の制作者が、日展会員の工藤潔氏、時代考証が小川信夫氏、題字揮毫が歴史家の梶野渡氏であることが紹介されていました。
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ジオラマ展示の中で、カラータイルが使われていた通路の光景です。東海道辺りを表示しているようでした。
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赤い色の大きめの石標は、『大高城』の表示です。桶狭間の戦い当時は今川方だった若き日の家康が、兵糧入れを成功させた城として有名です。背後の池は伊勢湾を表しているようです。
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中央やや右寄りの石標は、『鷲津砦』です。当時、今川方の手にあった『鳴海城』と『大高城』の間を割くために急造した砦の一つです。大高城からは直線距離では700メートルほどです。もう一つの砦が、鷲津砦から300メートルほどの『丸根砦』です。こちらも大高城からは800メートルほどの至近距離です。
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名古屋市教育委員会名で建てられた説明立札です。『桶狭間古戦場跡』のタイトルがありました。わずか三千余の軍勢で、2万5千の今川本体を急襲し、勝利をおさめたことなどが記されていました。立札の脇には、ジオラマ展示用の『大高道・東浦街道』の石碑がありました。
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『桶狭間古戦場公園』の石碑と、その周りの光景です。よく目立つ黒い石が使われていました。
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『桶狭間古戦場・田楽坪』の石碑と説明立札です。石碑には、陸軍大将・松井岩根書の落款がありました。桶狭間の戦いは、軍事訓練の教材として使われていたようです。松井石根(1878〜1948年)は、愛知県出身の陸軍大将、ポツダム宣言受諾後、『南京事件』の責任を問われて極東国際軍事裁判で死刑となりました。
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『桶狭間古戦場公園』のジオラマ展示の光景です。地形を縮小して表示し、あるいは、デフォルメして重要ポインを強調しているようでした。
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『桶狭間古戦場公園』の出入口付近の光景です。『桶狭間古戦場』や『桶狭間の戦い』の幟がありました。
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『今川本陣跡』と、『おけはざま山』の案内標識です。その下に地図も添えてありました。ジオラマ展示ではなく、史跡の現地案内でした。
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桶狭間古戦場公園の周りの現在の町名表示です。『桶狭間北3丁目』の表示でした。背後は、赤い花を咲かせた、山茶花の庭木のようです。
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『桶狭間古戦場公園』を後にして、実際の史跡がある場所を巡ることにしました。振り返って眺めた、古戦場公園の光景です。
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目指したのは、古戦場公園にあった案内図の『今川本陣跡』です。住宅街に石碑があるだけの場所でしたので、見落としたようです。予定を変更して、次は『長福寺』に向かうことにしました。
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中には踏み入れませんでしたが、懐深そうな自然林の光景です。あとで、地図を確認しましたら、長福寺の北側に位置する山林でした。
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桶狭間の戦いで、今川義元公の首実検が行われたと伝わる『長福寺』に向かう途中の光景です。山林のような場所の脇道の空の光景です。
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見晴らしが利く場所に出ました。広大な墓地と、その先に見えるお寺の光景です。どうやら、目的地の『長福寺』のようでした。
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目的地の『長福寺』の墓地のズームアップ光景です。長い歴史を感じさせる、古刹の墓地光景でした。
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