2020/02/23 - 2020/02/23
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旅人のくまさんさん
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織田信長生誕の勝幡城跡の紹介です。勝幡城の城域は、愛西市・稲沢市に広がりますが、かつてのお城の中心部は、現在の稲沢市平和町城西(現在の城之内)付近と推定されています。稲沢市指定史跡です。
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『ハクバイ(白梅)』
品種:不明(八重咲)
分類:バラ科サクラ属の落葉高木
特徴:花を観賞する『花梅』か、『実梅』か微妙な梅です。
その他:五分咲ほどの花の光景です。 -
『ハクバイ(白梅)』
品種:不明(八重咲)
分類:バラ科サクラ属の落葉高木
特徴:花を観賞する『花梅』か、『実梅』か微妙な梅です。
その他:ズームアップした五分咲ほどの花の光景です。 -
白梅が咲いていた近くの光景です。撮影をしている場所の背後が、『三宅川』になります。この辺り一帯が、水位ゼロメートルから、マイナスメートルの地帯になるようです。
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『ホトケノザ(仏の座)』
分類:シソ科オドリコソウ属の一年草または越年草。
分布:アジア、ヨーロッパ、北アフリカなどに広く分布。
特徴:道端や田畑の畦などによく見られる野草です。
その他:俗に『サンガイグサ(三階草)』とも呼ばれます。 -
勝幡城跡の光景です。永正年間(1504~1521年)頃、清洲三奉行の一家『織田弾正忠家』当主の織田信定(その父・良信の説もあります)が、尾張国の海西郡を手中に治めた際、大中臣安長の屋敷跡に勝幡城を築城したといわれています『清洲三奉行』とは、清洲織田氏(大和守家)に仕える奉行三家の因幡守家、藤左衛門家と信長の祖先の弾正忠家です。
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頑丈な鉄柵で囲われた堀と、柵に掲示してあった『勝幡城跡』の幟の光景です。尾張国守護代家は『清洲織田氏(大和守家)』と『岩倉織田氏(伊勢守家)』でしたが、『清洲三奉行家』は、『清洲織田氏(大和守家)』に仕える立場でした。
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イチオシ
現在の日光川の流域が抱える問題などの紹介です。愛知県下最大の二級河川である日光川流域は、約300平方キロメートルにおよび、9市2町1村と約100万人の人々が生活を営んでいます。流域の南半分は、いわゆる『海抜ゼロメートル地帯』と呼ばれ、河川への排水は全てポンプ排水を余儀なくされています。三宅川とその下流の目比川も、日光川流域に含まれます。
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場所を移動して撮影した、『黒田排水機場』の光景です。日光川流域の下流地域は、名古屋市街地に近く交通の便も良いため、近年急速に都市化が進み、これに加えて昭和30年代から昭和40年代に急速に進んだ地盤沈下により、排水をますます難しくさせました。その区域は、名古屋市、一宮市、津島市、江南市、稲沢市、愛西市、清須市、弥富市、あま市、大治町、蟹江町、飛島村に及びます。
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『黒田排水機場』の文字が記された表札のズームアップ光景です。日光川本流には、愛知県が管理する日光川排水機場や日光川河口排水機場のほか、日光川水閘門、蟹江川排水機場や、筏川排水機場などもあります。蟹江川は日光川の支流、筏川は、日光川の西近くを流れる二級河川です。日光川と同じく、流域の3分の2程度が海抜ゼロメートル地帯であり、自然排水はほぼ不可能な河川です。
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『黒田排水機場』の周りの水路の光景です。日光川は感潮河川ですから、干潮時には河川水位より外潮位が低くなることが多く、河川水を自然排水することが出来ますが、満潮時には河川水位より外潮位が高くなることが多いため、水閘門を閉めて海水の逆流を防いでいます。先に紹介した、日光川水閘門です。昭和34年(1959年)9月26日の伊勢湾台風被害を踏まえ、昭和37年(1962年)に完成しました。
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伊勢湾台風では、飛島村付近の海岸部の堤防が数十箇所にわたり寸断されました。このため、日光川河口部650mを締め切り、高潮災害に対処するための建設されたのが、日光川水閘門です。水閘門を閉めた際、台風などの豪雨に襲われますと、川の水位が上昇し、堤防を越水する危険な状況が想定されます。このため日光川では河口部に排水機場を設置し、伊勢湾に強制的に排水しています。
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愛知県では、常時24時間体制で日光川内水位及び外潮位を監視し、内水位よりも外潮位が高い場合には水門を閉め、外潮位が低い場合には水門を開けることにより日光川の内水位を低下させています。写真は、勝幡城跡に隣接する工場敷地に展示された、機関車です。
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日光川水閘門は、建設後50年近くが経過し、本体の老朽化の進行や地盤沈下の影響による高潮に対する必要な高さ不足や流下能力不足などが懸念され、さらには東海地震、東南海・南海地震などの大規模地震の際には損傷により機能が損なわれ、地震後来襲する津波を防護できない可能性があることから改築が必要となり、『新日光川水閘門計画』が立案されました。
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愛知県では、平成19年度(2007年度)に国の補助事業である『大規模河川管理施設機能確保事業』の採択を受け、平成21年度(2009年度)に工事着手し、平成29年(2017年)3月17日に完成、同年3月19日より供用を開始しました。新たな日光川水閘門の位置は、現水閘門の下流側200mの位置となりました。水門数4門、径間長20m、閘門幅15m、閘門長76mの規模です。
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日光川旧水閘門は、水門8門と閘門1門で構成されていました。新たな水閘門の安定した運用を確認した後、撤去を行う予定とされます。中央右よりに見える青い標識には『三宅川』の表示がありました。この後は、勝幡城の旧城下町らしい区域の散策です。
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『ホトケノザ(仏の座)』
分類:シソ科オドリコソウ属の一年草または越年草。
分布:アジア、ヨーロッパ、北アフリカなどに広く分布。
特徴:道端や田畑の畦などによく見られる野草です。
その他:俗に『サンガイグサ(三階草)』とも呼ばれます。 -
勝幡地区の街道筋らしい道筋の光景です。推測ですが、かつての『勝幡城』時代の城下町になるようです。この街道沿いに、古い神社やお寺も残っているようでした。
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塀の横にあった表示には、『目比川(むくいがわ)決壊・浸水位・昭和51年9月9日』の文字と、浸水位を示す青い横筋の表示す。台風17号の前に発生した集中豪雨の被害だったようです。勝幡小学区ほぼ全域が床上浸水しました。
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小さいながらも、見事な造りの本瓦で葺かれた屋根と、その下の木彫が施された
木組みの光景です。獅子の屋根飾りも載せられていました。ただし、四方の柱は、かなり腐朽が進んでいました。 -
イチオシ
玉石を使った石垣の上の乗せられていた小さな社の全景です。屋根を支える四方の柱は傷んでいましたから、台座の柱が長く延ばされて、その太めの台座の木で支柱が支えられていました。
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小さな堂宇の中のお地蔵さんのズームアップ光景です。地元で大切にされているらしく、真新しい生花が供えてありました。白や黄色の菊の花です。赤い花はカーネーションでしたその花立には、『南無地蔵菩薩』の文字がありました『南無(なむ、なも)』は、敬意、尊敬、崇敬をあらわすサンスクリット語の間投詞『ナモ』の音写とされます。仏教用語の場合は、『帰依する』の意味で使われます。平たく言えば、『信じます』の意味です。
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地蔵堂に向かって、右脇にあった小さな社の光景です。真新しい注連縄が張ってありました。祀られている御神体は判断が付きませんでしたが、『氏神様』の社かもしてません。『氏神(うじがみ)』は、日本の同じ地域(集落)に住む人々が、共同で祀る神道の神様のことです。
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『勝幡稲荷社』とその朱塗りの鳥居の光景です。写真紹介は出来ませんでしたが、『一の鳥居』は、少し離れた場所にあるようでした。この写真の鳥居は、『二の鳥居』と『三の鳥居』になるようでした。
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イチオシ
正面から眺めた、『勝幡稲荷社』の赤鳥居の光景です。手前が、『二の鳥居』、その先が『三の鳥居』になるようです。周囲が住宅化していましたので、『鎮守の杜』の光景はありませんでした。
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稲荷社の社殿に向かって右手の狐さんの光景です。球を咥えていました。『稲荷社』は、『稲荷神社』とも呼ばれる、『稲荷神』を祀る神社です。『稲荷神(いなりのかみ、いなりしん)』は、稲を象徴する穀霊神で農耕神です。日本で最も数が多い神社とされます。元は古代社会において、渡来民の秦氏が賀茂氏から祭祀を継いだ氏神的な稲荷信仰とされ、秦氏の勢力拡大によって信仰も広まっていきました。
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稲荷社の社殿に向かって左手の狐さんの光景です。巻物を咥えていました。『稲荷社』は、『稲成り』の意味だったものが、稲を荷なう神像の姿から、後に『稲荷』の字が当てられたとされます。本来の『田の神』の祭場は、『狐塚(キツネを神として祀った塚・キツネの棲家の穴)』だったと推測され、キツネとの繋がりの所以です。
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正面から眺めた、勝幡稲荷社の社殿光景です。正面からはあまり目立ちませんでしたが、側面からは、かなり傷んでしまったことが分かる建物でした。『稲荷神』は、穀物・農業の神ですが、現在では商工業を含め、産業全体の神として信仰されています。
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旧街道を挟んで、『勝幡稲荷社』の向かい側にあった『西連寺』の参道光景です。山門に向かって伸びていました。山門に向かって、真直ぐ伸びた石畳の表参道の光景です。現在は真宗大谷派の『蓮池山西連寺』ですが、かつては天台宗のお寺で、旧佐屋町落合にあったとされます。
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『蓮池山西連寺』の参道脇の右手にあった石灯篭の光景です。『竿(さお)』と呼ばれる、最も長い柱の部分に『蓮池山』の山号が刻まれていました。四角形を基調とした造りの石灯篭ですが、『竿(さお)』の部分は円筒形でした。
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参道脇の左手にあった石灯篭の光景です。同じデザインのセットになった石灯篭でした。寺伝によれば、『蓮池山西蓮寺』は、天正10年(1582年)に浄空による創建とされます。こちらの竿の文字も『蓮池山』でした。
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