2012/03/08 - 2012/03/08
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旅人のくまさんさん
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桶狭間の古戦場址の高徳寺と、その場所からは少し離れた桶狭間古戦場公園の紹介です。桶狭間の古戦場址は、名古屋市・緑区と豊明市にまたがる区域に残されています。
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今川義元公の本陣跡とお墓が残る、高徳院本堂の光景です。軒下に吊下がった金属製の飾りです。風鐸の1種でしょうか、雪洞ではないようです。愛知県豊明市栄町に位置します。弘仁元年(810年)開創とされ、長く高野山上にありましたが、明治27年(1894年)、諦応が本尊および寺名をこの地に移したとされる、高野山真言宗のお寺です。
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同じく、高徳院本堂の建物の軒下光景です。吊り下げタイプの灯篭かも知れません。高徳院は、豊明市が、今川義元公の本陣跡とする説の根拠地とされます。
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イチオシ
高徳院本堂の横から眺めた境内の光景です。毎年6月に豊明市で行なわれる桶狭間古戦場まつりは、この高徳院の山頂駐車所で開催されます。
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高徳院の本堂脇にあった、ズラリと並んだ地蔵尊の光景です。傾斜地の竹林を切り開いて作られたようでした。
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イチオシ
高徳院の本堂脇にあった地蔵様のズームアップ光景です。4〜5列に並んでいました。
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自然林が残る、高徳院の境内光景です。この辺りは竹林が目立っていました。地面には、枯葉が厚く積もっていました。
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同じく、自然林が残る高徳院の境内光景です。高徳院は、かなり広い境内を盛ったお寺でした。毎年6月頃に開催されている、豊明市の『桶狭間古戦場まつり』の主会場は、高徳院境内の駐車場付近で行われています。
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自然林が残る高徳院の境内光景の紹介が続きます。この散策中、どなたとも出会いませんでした。
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振り返って眺めた、境内の中の山道の光景です。前方には、舗装された開けた場所が見えてきました。
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『桶狭間古戦場・資料館』と『高徳院・霊宝館』の文字が記された石碑ですが、どちらも『閉館中』の赤文字がありました。
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高徳院境内にあった案内標識です。『境内・本堂方面』、『雲上楠会堂ホール』と『桶狭間古戦場・史料館』の三方向が表示されていました。
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案内標識があった周りの光景です。先に紹介した、閉鎖中の二つの会館の石碑もこの場所にありました。
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閉鎖中と表示されていた、『桶狭間古戦場・史料館』と、『高徳院・霊宝館』の建物の内、『桶狭間古戦場・史料館』ようです。銅葺屋根のシックな造りの外観でした。
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閉鎖中の『桶狭間古戦場・史料館』の建物全景です。豊明市の『桶狭間古戦場まつり』は、この広場の周りに幕を張って会場造りが行え割れるようです。
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『桶狭間古戦場・史料館』の玄関光景です。現在閉館中の表示がありました。平成2年の竣工のようですから、ちょうどバブル景気が弾けた頃の建設です。
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舗装された駐車場や広場の先には、小型のブルドーザーが置かれていました。今でも小規模な開発工事が行われているようです。
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高徳院境内の見晴らしの良い場所から眺めた、豊明市街の光景です。所々に高木の姿がありましたが、住宅地の光景でした。
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高徳院境内の駐車場光景です。この場所に駐車して見学しました。その駐車場から眺めた高徳院内の建物光景です。斎場のようでした。
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駐車場からは、最上階だけが見えていた、斎場らしい高徳院内の建物光景です。
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駐車場から最上階だけが見えていた建物のズームアップ光景です、1階の駐車場を含めて4階建ての建物でした。
(追記)従来の名称は『豊明愛昇殿』でしたが、現在は『高徳院愛昇殿』の名前で運営されています。 -
ここからは場所を替わって、名古屋市緑区の桶狭間北部土地区画整理事業が行われた区域にある桶狭間古戦場公園の紹介です。区画整理に伴い、この付近にあった石碑などがこの公園に移設されたようです。
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名古屋市による『桶狭間古墳公園』の説明看板です。『桶狭間古戦場保存会』の湖湯緑により、公園が整備されたことが記してありました。
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『桶狭間古戦場保存会』の文責による説明看板です。説明内容は次の、①今川義元公の『馬繋ぎのねずの木』の縁起、②『駿公墓碣』の発掘経緯、③桶狭間の合戦の地の『田楽坪』の三つです。
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『桶狭間古戦場保存会』の文責による説明看板に記された、①今川義元公の『馬繋ぎのねずの木』の縁起の、枯れたねずの木とされるものです。ねずの木は、ヒノキ科ビャクシン属に属する針葉樹で、ネズミサシの別名を持ちます。
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『今川義元公馬繋杜松』の文字が刻まれた石碑です。『杜松』は、ねずの木のことです。かなり古い石碑のように見受けます。
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苔生した『駿公墓碣』の文字が刻まれた古い石碑です。②『駿公墓碣』の発掘経緯に記されたように、昭和28年に偶然発掘された石碑とされます。
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イチオシ
『今川義元戦死之地』の文字が刻まれた石碑です。それほど古くはないように見受けます。区画整理に伴い、この公園に集められたもの之一つでしょう。
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最初の部分が、梵字で記された木札です。梵字は、梵語(サンスクリット語)を表記するためのインドで使用されているブラーフミー文字の漢訳とされます。
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『今川義元公』の文字が刻まれた石碑です。『禄文謹書』の落款があります。この石碑にも花が手向けられていました。
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区画整理工事により、石碑類が纏められた公園の一角です。どの場所から移築されたかは、記されていませんでした。
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