2012/05/20 - 2012/05/20
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大須商店街散策の続きです。織田信秀公墓所の紹介です。織田信秀公は、天下統一の織田信長の父です。(ウィキペディア)
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- 私鉄
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織田信秀公墓所の入口光景です。表通りの大須そゆ天街を歩いていても、見逃してしまいそうな狭い入口です。ここから石段を下ります。
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織田信秀公墓所の光景です。場所の広さが限られたためでしょうか、箱庭のような造りになっています。大須商店街の一角とは思えない、不思議な空間です。
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『尾國白雪眞天』の文字が刻まれた古い石碑です。『尾國』は、『尾張の国』の意味でしょうか、現在も祀られている白雪稲荷の『白雪咤枳尼真天』を指しているようです。
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三方が瓦を重ねた石塀に囲まれた織田信秀公の墓碑です。万松寺のお墓は、戦後事業の一環として、名古屋市東部の平和公園に移転しました。
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蓮座の上で座禅を組んだ仏様です。お釈迦様の頭と同じ、螺髪(らほつ)の頭をされています。禅定印と呼ばれる印相です。
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仏座像のお顔のアップ光景です。仏陀像でしょうか、如来像であることは間違いないようです。ややふっくらとした顔立ちです。
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台座の部分に『文政八年酉九月』の文字が刻まれた古い灯篭です。文政8年は1825年、9月には岩倉具視が誕生しています。シーボルト来日の前年です。
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破れてしまった『重軽地蔵尊』の文字が入った提灯です。格子戸の先には小さな地蔵尊が座していました。地蔵信仰は広く、長く、像にも多くのバリエーションがあります。
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『不動明王』の文字が刻まれた古い石灯篭です。蝋燭で煤けた跡が残っていました。台座がしっかりとコンクリートで固めてありました。
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胸の前で手を合わせた姿の立像です。仏像ではないようですが、前には線香立てが置かれていました。素人の彫刻のような、不思議な魅力を持った像です。私の推測では、滝に打たれる修行僧です。
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織田信秀公墓所の右手に並んだ秋葉山の祭神、秋葉山三尺坊大権現を祀る小さな社です。かつて、万松寺が戦禍に遭って消失したことと関係しているのでしょうか。
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風化が激しい小さな仏像です。ぼんやりと頭の飾り、手に持った長い品、着物の長い裾等が班別できます。その後ろの石には、『観海院』らしい文字がありました。『観海院』は、ネット検索してみましたが、万松寺に結び付く有力な情報は見つかりませでした。
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織田信秀公墓所の上の段の方の光景です。右手が秋葉山、左手が織田信秀公墓所です。織田信秀公のお墓は、名古屋市東部の平和公園に移されたようですから、石碑だけの廟所かも知れません。
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『百度石』の文字が刻まれた石碑です。これも、第二次大戦で消失する前の万松寺の境内にあったものでしょうか。歴史を感じさせてくれます。
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側面に大正5年11月の文字が刻まれた線香立てです。やがて100年が経ちますが、周りの石碑や石灯篭などと比べますと、新しく見えます。
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昭和11年2月の文字が刻まれた、石屋根付きの線香立てです。木新車の名前も刻まれていました。戦火を潜り抜けた物言わぬ証人です。
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同じ線香立てを、角度を変えて撮影した光景です。寄進者の名前は、黒宮徳次郎と刻まれていました。町名も刻まれていましたが、こちらは判読できません。
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年代がかった線香立ての光景です。第二次大戦の戦禍を受けた際、僅かに残った万松寺の名残の一つように見えます。
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織田信秀公墓所の入口は石段を下りますが、ここからは石段を登って、周りのグランドレベルと同じ高さになるようです。右が秋葉山への石段、左が織田信秀公墓所への石段です。
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壁に張ったツタの青葉の光景です。織田信秀公の墓碑に向かって、右手の石壁の光景です。右奥には、秋葉山が祀ってあります。秋葉山の祭神、秋葉山三尺坊大権現は、火災守護神として有名です。
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織田信秀公墓所の脇の石垣に開いた、抜け道のような不思議な光景です。何か謂れがあるようですが、まだ調べていはいません。
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織田信秀公墓所への出入口は、この1箇所だけです。『織田家』の文字が記された黄色の提灯の下を潜って万松寺の境内に戻りました。
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織田信秀公墓所の参拝のあと、もう一度万松寺の境内の紹介です。年間行事の『春期不動大祭』の御祈祷などのポスターがありました。身代わり不動様による厄除けです。
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大須商店街に面した万松寺の光景です。『十一面観音』の文字が記された提灯が並んでいました。万松寺は、曹洞宗の大本山総持寺の末寺であり、ご本尊は『十一面観世音菩薩』とされます。
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同じく、大須商店街に面した万松寺の光景です。こちらには、『身代不動明王』の文字が記された提灯が並んでいました。春季と秋季の大祭のほかに、毎月28日が『身代わり不動縁日』とされているようです。
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白雪稲荷の『白雪咤枳尼真天(はくせつだきにしんてん)』の文字が記された長い提灯が並んだ光景です。年中見かける光景です。
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『萬松不動明王』の文字が刻まれた石碑です。『身代不動尊』と呼ばれる不動尊は、本殿の中にある不動堂に祀られているようです。平成24年は、5月28日が春季大祭、9月28日が秋季大祭です。
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名古屋市教育委員会名での『万松寺(ばんしょうじ)』の説明看板です。名古屋城築城の際、加藤清正がこのお寺を宿舎とした故事などが紹介されていました。
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中部読売新聞社選定による、『東海の観光と史跡認定地』の石碑です。中部読売新聞社は1974年に創刊されましたが、1988年に読売新聞本社に吸収合併され、現在の名称は読売新聞の中部支社です。
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これで、万松寺の紹介はお終いです。元々は万松寺の寺領だった大須商店街は、名古屋では外国人観光客が多く集まる場所として賑わっています。
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