2012/03/08 - 2012/03/08
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旅人のくまさんさん
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織田信長軍に討ち取られた今川義元公の首実検が行われたとされる和光山・長福寺の紹介です。寺伝によれば、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの時、善空南立上人は今川勢が当地に着くと聞くや、住民の先導者となって率先酒食を提供し、その労を労ったとされます。
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桶狭間古墳公園の見学を終えた後、次は長福寺に向かうことにしました。この日、路傍などで咲いていた花の紹介です。最初は畑の脇で咲いていた薄いピンクの山茶花の花です。
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同じく、赤い山茶花の花です。花が少ないこの時期、一番目立つ花の一つです。椿の中まで、お茶とも近い植物です。
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ホームセンターで販売されていた鉢植えのギョリュウバイです。ネズモドキの別名を持ちます。ニュージーランドとオーストラリア南東部を原産とする、フトモモ科の常緑低木です。
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濃い赤色をしたギョリュウバイの花のアップ光景です。昔、茶の代わりに飲用したため、英語では『ティートゥリー(Tea tree)』と呼ばれています。
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同じく、ホームセンターで販売されていた梅の鉢植えです。薄いピンクの花が1、2分咲きになっていました。
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標識に従って歩きましたら、目標の池が目の前に見えてきました。長福寺はこの池の左手方面、東側に記されていました。
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池のコーナーにあった『長福寺入口』の標識です。桶狭間古戦場保存会の活動でしょうか、標識類も整備されていました。
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標識に従って歩いた通りの脇の池の光景です。護岸工事が施された池の周りに桜の木が植えられ、花見の場所になっていました。
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『瀬名陣所跡』の立札です。地元では、長くこの故事に因み、陣所跡を『セナ藪』『センノ藪』と呼んでいたことが記されています。
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『瀬名伊予守氏俊陣地跡』の文字が刻まれた、まだ新しい石碑です。『瀬名陣所跡』の立札と同じ場所にありました。
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イチオシ
『瀬名伊予守氏俊陣地跡』の光景です。今川義元公の本陣設営のため、武将の瀬名氏俊氏が先発隊として着陣した場所とされます。
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『西山浄土宗・和光山長福寺』の文字が刻まれた石碑です。参道らしい通路の入口にありました。西山浄土宗は、法然上人が今から約800年前に開宗された浄土宗の一派です。京都府長岡京市粟生の『光明寺』を本山とする宗派です。
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左手方面の『桶狭間古戦場址』と、手前方向の『戦評の松』の案内標識です。『戦評の松』とは、この大木の下で今川軍の瀬名氏俊氏が戦評を行ったとされます。初代は枯れて、現在は3代目とされます。
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『桶狭間古戦場由緒地跡・鞍流瀬川・浄土橋』の文字が刻まれた新しい石碑です。説明文では、この場所にあった川は激しい戦闘で真っ赤に染まったと記されていました。ただし、当時の橋は埋め立て工事により失われたことも記されています。
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路に覆い被さるように枝を伸ばした桜の樹の先に、山門が見えてきました。長福時まではあと少しの距離です。
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『和光山長福寺』の山門の光景です。天文七年(1538年)善空南立上人の開山とされます。このお寺の境内では、義元の首実検が行われたとされます。
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名古屋市教育委員会名での長福寺の説明立札です。『和光山天澤院』の寺名について記されています。現在は浄土宗のお寺です。因みに、義元公がの桶狭間での戦死後、12代の今川氏真公が義元墓所として天沢寺を建立しました。廃寺になりましたが、義正公の墓所は賤機山の麓にある臨済寺に引継がれています。
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正面に当たる右側には『両公影像奉安置所』、側面に当たる左側には『桶狭間合戦遺跡』の文字が刻まれた石碑です。『両公』とは、主君の今川義元公と、家老の松井宗信氏の両者のことです。
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和光山長福寺の本堂光景です。再建工事が完成して間もないようでした。境内の片隅に、その芳名者名簿を記した一覧がありました。
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山門の屋根飾りのアップ光景です。逆立ちした獅子のようです。少し破損していました。ポーズとしては、逆立ちしたシャチと似ていました。
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イチオシ
花が手向けられた『桶狭間合戦供養塔』の石塔光景です。この供養塔では、桶狭間の合戦で命を落とした双方の陣営の人達が供養されています。
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鐘楼の建物光景です。周りは再建された真新しい建物でしたが、鐘楼だけは昔の姿でした。立て替えるほどは傷んでいなかった造りだったからでしょう。
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鐘楼に吊下がっていた、少し小振りの梵鐘のアップ光景です。南無網陀仏の文字の左側には、昭和15年4月の文字が刻まれています。
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斜め前から眺めた本堂の建物光景です。本堂の右手前には、ソテツ(蘇鉄)の庭木がありました。お寺に付き物の植物です。戦国武将の織田信長も好んだようです。
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鐘楼の脇から眺めた境内の光景です。中央奥に見えるのが供養杉がある、今川義元公の首実検の場所とされる一角です。
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イチオシ
再建されたばかりの薬師堂の正面光景です。薬師堂の名前から推測しますと、薬師如来が祀られているようです。
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本堂の前から眺めた、庫裏らしい建物光景です。庫裏らしい建物も新しい造りでした。上空には送電線が走っていました。
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本殿の正面光景です。長福寺は鐘楼等の一部の建物を除いて、殆んどが再建されたばかりの新しい造りでした。
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右から読んで『和光山』の山号を記した扁額のアップ光景です。正確なことは分かりませんが、このお寺の縁起が臨済宗の禅宗と繋がりがあったことが暗示しているようです。
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正面やや左手は、唐風の造りの玄関光景です。やはり新しい造りでした。右手方面の建物は、庫裏に繋がるようです。
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