2020/02/01 - 2020/02/01
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ドクターキムルさん
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源頼朝の墓がある源頼朝法華堂跡やその東に隣接する一段低い平地には北条義時法華堂跡、その山頂付近の山麓には江戸時代に造られた島津忠久墓、幕末に造られた大江広元墓、大正10年(1921年)に移設された毛利季光墓があり(https://4travel.jp/travelogue/11595621)、国指定史跡になっている。
しかし、島津忠久墓、大江広元墓、毛利季光墓は横穴墓を再利用したものであり、その東の山頂付近の山麓にも2基の横穴墓(https://4travel.jp/travelogue/11595345)がある。
鎌倉ではやぐらが造られた始めたのは12世紀に入ってからとされ、私は頼朝が亡くなって壽福寺が創建された直後ではないかと考えている(https://4travel.jp/travelogue/11463185)が、鎌倉のやぐらは頼朝後のことであることは周知のことだ。では源頼朝法華堂が建つ山の山麓にやぐらを造れる人がいたであろうか?否である。したがって、大江広元墓参道の鳥居脇にある三浦一族の墓がある横穴もやぐらではなく、古代の横穴墓を再利用したものと考えるべきである。
そう考えるとこの狭い区域にある横穴墓の数は上記の6基とさらに下方にある横穴(https://4travel.jp/travelogue/11543539)を含めると計7基かとも考えられる。
しかし、大江広元墓参道に立つ石灯籠4基のうち、石段を上った北条義時法華堂跡と同じ面にある石灯籠1基は大江広元のものではなく、四男の毛利季光のものである。大正10年(1921年)に毛利季光墓が移設された際に、父・広元の石灯籠1基を四男・季光の石灯籠に置き換えたものであろう。
この石灯籠の奥には穴が開いており、その上に生えている大欅の木の根が覆っている。しかし、この穴は横穴墓の跡のようにも見える。もし、これが横穴墓であったとすれば、三浦一族の横穴墓と同一の高さに掘られており、横穴墓群らしい。
この大欅の木の根下の横穴が横穴墓だとすると、この狭い区域にある横穴墓の数は8基となる。勿論、見つかっていないものや参道建設などで破壊されて無くなってしまったものもあるかも知れない。
(表紙写真は大江広元墓参道の横穴)
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