2023/03/03 - 2023/03/05
75位(同エリア91件中)
関連タグ
かるあみるくさん
- かるあみるくさんTOP
- 旅行記157冊
- クチコミ1137件
- Q&A回答12件
- 162,262アクセス
- フォロワー11人
この旅行記のスケジュール
2023/03/04
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
ちょっと昔、ちょうど2年前の話になりますが、2023年3月に亀山・伊賀を訪れた際の旅行記です。当時から頻繁に名古屋に行っていましたが、3月4日、5日は自由な時間があったため宿泊先だった東海市のホテルからレンタカーで伊勢湾岸道路を通り三重県の亀山へ向かいました。
飛行機オタでもあるので、ドライブイン跡地にあるロッキードアスカラーテLASA-60、民間企業敷地内にある元東亜航空のコンベア240を撮影した後亀山公園へ。亀山公園は亀山城跡にある公園で、三重県では唯一の城郭遺構である多聞櫓が残っています。明治以降姿を変えて残っていましたが、近年江戸時代の姿に復元されていました。その後学校用地などに転用された三の丸、二の丸跡を歩いてから城下町のあった部分へ。実のところ亀山は城下町としても宿場町としてもあまり遺構は残っていないのですが、それでもごくわずかに残る住宅や遺構、そして施設があったところに碑があったりするので往時の様子を想像することは出来ました。
旅行記内にも書きましたが伊勢湾岸道路で事故渋滞があり亀山到着が予想より遅れてしまったので予定よりもこの地区の観光を短くして伊賀に向かう事になったのがちょっと残念です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今は車で行く事が多い名古屋ですが、この頃は新幹線で行く事が多かったです。品川駅の東海道新幹線改札から旅行記スタートです。品川から名古屋くらいだと本当に新幹線であっという間なんですよね。半面便利なので直前にチケット購入だと窓際席がほとんど相手なく3列のど真ん中という事も多いです。この時も真ん中の座席でした。
品川駅 駅
-
仕事を少し早めに切り上げて名古屋に向かうつもりだったんですが、思いのほか仕事が多く職場を出発したのは結局ほぼ定時でした。飛行機だと定時退社で行ける場所って結構限られますが、東海道新幹線は本数も多く名古屋や大阪くらいまでならすぐなので定時でも問題ないです。
品川駅 駅
-
あっという間の名古屋到着。本当にしょっちゅう(月2ペース)名古屋に来ているからというのもあるんですが、旅行という感じではなくちょっと出かけてくるという感じで新幹線で来ることが出来てお手軽ですね。
名古屋駅 駅
-
在来線ホームに行くとキハ85系を使用した特急ひだが停車していました。この時点でほとんどHC85系への置き換えが済んでおりキハ85系はごくわずか。この2023年3月18日でキハ85系は引退したので残り僅かな期間で見る事が出来ました。駅のホームにはスマホで撮影している人も多くいました。
名古屋駅 駅
-
とりあえず金山に行くのですが、東海道線は混んでいるので中央線へやってきました。待っているとホームに入ってきた列車は315系でした。211系が多く走っていたイメージのある中央線の名古屋近郊ですがこれからイメージが変わっていきそうです。
中央線は名古屋止まりで折り返しになるので確実に座れるのが良いですね。名古屋駅 駅
-
乗った列車は中央線の普通列車瑞浪行き。結構遠くまで行く列車ですね。
というかJR東海の車輛でこのタイプのLCDついているというのがイマイチ違和感があるというか・・・。313系のイメージが強すぎるので・・・。
出発まで結構時間があり東海道線でも良かったのですがせっかく新車に座れたのでこれで向かいます。名古屋駅 駅
-
瑞浪行きに乗っていますが金山で下車。始発なので中央線に乗りましたが正直東海道線でも名鉄でも変わらないです(笑。
金山で下車したのはホテルのある太田川まで行ってしまうと時間的に夕食を取れる場所があるかわからなかったからです。名駅でも良かったんですがスーツケース持ってるので人が多いところで探すのもめんどくさかったんで金山に来ちゃいました。まあ名古屋近辺は土地勘あるので正直どうにかなります。カナヤマ55 グルメ・レストラン
-
カナヤマ55というラーメン屋に入りつけ麺を注文しました。大盛を頼んだけど思ったより少ないかなとか思ってしまいましたがスープはアツアツで麺はしっかり冷えていてとても美味しかったです。
お店の名称も55ですが、ゴーゴーカレーとのコラボもありました。カナヤマ55 グルメ・レストラン
-
食事を終えて金山駅に戻ってくるとストリートライブをやっている人がいました。だいたいストリートライブやっているとちょっと聞くことが多く、ここで聞いていた事は覚えているんですが旅行記作っている時点で2年近く経ってしまっているんでちょっと覚えていないです(´・ω・`)。
金山駅 (愛知県) 駅
-
金山から太田川駅までは15分程で到着しました。太田川来たのは結構久しぶりです。5年ぶりくらいかな。
太田川駅では受験生への応援ポスターがありました。ここから先は後期日程ですね。皆さん頑張ってください。太田川駅 駅
-
太田川駅から徒歩数分、というか駅舎を出てすぐ見えるABホテル東海太田川に今回宿を取っています。名古屋へは新幹線で来ることと車で来るのが半々くらいですが、新幹線で来るときは駅チカのホテルは便利です。
太田川駅前は飲み屋街というか飲み屋横丁みたいなのを新しく造っていて酔っ払いが多かったりするんですが今回は大丈夫でした。太田川駅 駅
-
すぐにチェックインできました。部屋はこんな感じです。
広いわけではないですが日中はほとんど出かけますし十分です。何より花粉症の時期は大浴場があるのが助かります。基本的にシャワーでも大丈夫なんですが花粉症の時期は浴槽に入りたいので・・・。ABホテル東海太田川 宿・ホテル
-
太田川駅は交通結節点で列車もほぼ止まるのでとても便利ですが、観光地というわけではないので景色はまあ普通の郊外の駅という感じです。
それでもさすがに名古屋郊外だけあって住宅街が広がっています。ABホテル東海太田川 宿・ホテル
-
あまり眠れないタイプなんですが移動が続いていた事もあって疲れていたのか熟睡できました。7時ちょっと過ぎになったので明るくなり上の写真の夜景とはずいぶんと違いますが、太田川はこんな感じの町並みです。
ABホテル東海太田川 宿・ホテル
-
朝食はホテル1階でバイキング形式になっています。そんなにメニュー数は多くないですが、無料なのでこれだけあるとうれしいですよね。
ABホテルも朝食はおいしいですしお風呂もあるしで好きなホテルです。ABホテル東海太田川 宿・ホテル
-
パンの種類がかなり多いバイキングでした。ABホテルってパンの種類多いのでうれしいです。やはり選ぶものが多いのはありがたいですね。
ABホテル東海太田川 宿・ホテル
-
なんか茶色が多いとりわけになってしまいましたが今朝の朝食はこんな感じ。ABホテルは料金も安価ですが無料朝食があるのでうれしいですよね。メニュー数は多くないですが無料でこれだけつけばいいと思います。
ABホテル東海太田川 宿・ホテル
-
右手の高層の建物が宿泊しているABホテル東海太田川になりますが、その北側には広場というか緑地帯というか遊歩道とも言えるような空間があります。ここはどんでん広場という名称がついている広場でイベントなどが行われる事もあるそうです。この日も日中はイベントをするようで準備をしていました。
-
どんでん広場の由来がわからず、というかどんでんというと阪神の岡田監督しか浮かばなかったんですが、広場の端には「大田町 黒口組 山車蔵」と書かれた建物がありました。たぶんお祭りの際にこの山車を使うとかそういうところからどんでんになったのかなとは思いました。ちなみに調べては見たものの由来はわかりませんでした。
-
今回ABホテル東海太田川に宿泊した理由の一つにホテルからすぐの場所にトヨタレンタカー太田川駅前店がある事。レンタカーを借りるためだけに鉄道移動とかだと時間がかかってしまいますが、ホテル出てすぐにレンタカー店に入る事が出来るのは大きなメリットですね。
-
西知多産業道路から伊勢湾岸道に入り三重方面へ向かっているのですが、東海インターから伊勢湾岸道に入ったあたりで大渋滞。名港中央インターの手前で車6台くらいが激しく事故していた影響で1車線規制になっていました。出発はほぼ予定通りだったんですが40分くらい計画よりも遅れて鈴鹿パーキングエリアに到着しました。
鈴鹿パーキングエリア 道の駅
-
鈴鹿パーキングエリアは上下集約型の為駐車場がわからなくならないようにこんなモニュメントがありました。大阪方面の駐車場って事ですね。
これって遠くから見ると「O」だけが見えて一瞬謎に感じました。鈴鹿パーキングエリア 道の駅
-
鈴鹿パーキングエリアの一角は情報展示コーナーになっていてピットスズカと呼ばれています。ここもF1らしい名称ですね。
ここではF1マシンが展示されていました。このマシンは常設展示ではなく、2023年2月13日から3月31日までの間ここで展示されていた様です。ごくわずかな期間だったみたいですが、他のマシンなどが展示されていた事もある様。
このマシンはフォーミュラ・エンジョイ「FE2」というものだそうです。鈴鹿パーキングエリア ピットスズカ 道の駅
-
名古屋方面の建物と大阪方面の間には「Suzuka」を示す「S」の文字がありました。
文字の形からそう感じるだけなんでしょうけど、NとOより存在感がありました。鈴鹿パーキングエリア 道の駅
-
こちらは名古屋方面の駐車場にあった「N」の文字。上の鈴鹿のSと合わせて磁石かと一瞬思ってしまいました。この写真はアメブロのアイコンにしました。別に私はイニシャルNじゃないですが、最近は名古屋にいる事も多いので・・・。
売店以外特にみるものもなかったので時間も遅れていますしすぐに出発しました。鈴鹿パーキングエリア 道の駅
-
新名神の亀山西JCTは変わったつくりで大阪方面に走っていて伊勢自動車道に入る場合JCTを一回通り越したあと2キロ程度先にあるUターン道を利用し反対方面に向かう必要があります。知識として知っていたので楽しんで使いましたが、知らない人は焦るかもなあ。トンネル出てすぐにJCTがあるのでスペースと工費の問題ですかね。ちなみに亀山ICも名阪国道へのアクセスもあるのでJCTと言っていいレベルの複雑さです。
さて亀山ICを降りてすぐ車を停車。別にルートインに泊まりに来たわけではなく、これは隣接するファミマの駐車場なのですがみたいものがあってここに来ました。 -
ファミマのとなりには軽飛行機が展示というか放置されています。この機体はロッキード・アスカラーテというアメリカとメキシコの合弁会社によってつくられたLASA-60という機体です。少数の41機製造され18機がメキシコ空軍に納入されているので残りの機体だと思います。日本で登録されていた時はJA3190という登録記号でした。これを管理していたドライブインあんぜん文化村は既に閉鎖していて朽ちてしまっている様です。
ちなみにファミマの横にあるので割と人はおり、私が最初来たときは人が周りにいたのですが、ファミマで買い物していたら誰もいませんでした。駐車場に軽飛行機があるので物珍しさに見に来る人は多そうですが長居する人は少なさそうです。あと家族連れがセスナ機と言っていましたがセスナ社の機体ではないです。まあ日本だと軽飛行機はだいたいセスナ機にされちゃいますけど・・・(´・ω・`) -
博物館などの展示ではないので場所は省略しますが(調べればすぐ出るんですけど)、日本で唯一残っているコンベア240が三重県にはありますのでこちらも撮影しに来ました。現在は所有者が軍用機調の塗装にしていますが、元々は東亜航空で使用されていた機体です。鉄道からも国道からも見えるので割と有名な機体だと思います。
上野ロッキードアスカラーテLASA-60とこのコンベア240は今回の旅で撮りたい機体だったので綺麗に撮影できてよかったです。 -
先ほどのコンベア機を撮影した後亀山公園へやってきました。車を停めた駐車場ですが、ここには江戸時代曲輪があり、曲輪の西側には関見櫓という櫓があったそうです。亀山城は明治の廃城令で他の城と同様解体され、ほぼ遺構が残っていない状態です。現在は亀山公園という市民公園になっています。
亀山公園 公園・植物園
-
駐車場から少し歩くと亀山神社が見えました。亀山神社はかつて真澂神社と呼ばれていましたが、明治時代に境内社を合祀してからは亀山神社と呼ばれているそうです。江戸時代中期に石川総慶が備中松山城から亀山城に移封し、亀山藩が立藩された際に城内に建てられた祠が興りの神社だそうです。
亀山神社 寺・神社・教会
-
亀山神社の鳥居の左手には立派な門がありました。亀山市指定有形文化財であることを示す標があり、見てみると江戸時代に南崎権現社の神官であった大久保家の門とされているそうです。明治になり亀山小学校の裏門として使用されていたものが、1955年に亀山神社内に移築されたそうです。
亀山神社 寺・神社・教会
-
移築された門なので先にあるものは本来あったものではない事はわかりますが、何やら立派な建物なので行ってみる事にしました。
門をくぐった奥にあったのは亀山演武場。1865年に心形刀流武芸形の道場として建てられたものです。1899年からこの位置にあり1985年に火災で焼失したものの、再建され現在でも道場として使用されているそうです。亀山神社 寺・神社・教会
-
亀山神社の社殿です。近隣にあった数多くの神社が合祀され明治期より現在の亀山神社となっているそうです。廃城令の際に一度城下町に移ったそうですが、1908年に旧亀山城内のこの地に戻ってきたそうです。雰囲気を見ると拝殿はその頃の建築かなと思います。
人はまったくおらず落ち着いた雰囲気で参拝出来ました。亀山神社 寺・神社・教会
-
亀山神社のすぐ隣にあるこちらが亀山城で現在唯一遺る多聞櫓です。一見再建でしかも近年に造られたような雰囲気が漂っていますが、三重県内でも唯一遺る城郭建築物です。この多聞櫓は1633年に造られた櫓を江戸時代末期に大幅改修したもので、明治以降姿は変わっていたそうですが2011年から13年に亀山市が復元工事を行い現在の姿になっているそうです。
亀山城跡 名所・史跡
-
多聞櫓の中では亀山城の解説が展示されていました。亀山城は鎌倉時代に館として始まり豊臣秀吉の時代に城郭の形が整いました。当初は天守もありましたが、1632年幕府に(現在の京都府の)丹波亀山城の破却を命じられた堀尾忠晴が間違えて(現在の三重県の)伊勢亀山藩を破却してしまったという信じられない話もあります。その後翌年に本丸北側に三層櫓を、天守台には多聞櫓を立てたそうです。
とうことでここにはかつて天守があった事になります。なかなかすごい話ですね。亀山城跡 名所・史跡
-
壁の構造の説明がありました。鉄筋コンクリートなどが無い時代にこうやって壁を造り要塞として強固なものを造り上げたわけなので当時の技術はすごいもんだなといつみても思います。平成の復元工事で板壁だったものを漆喰壁に戻し江戸時代の姿を復元しているので、この工法で壁を造ったのでしょうね。Wikiに復元工事前の姿の写真がありましたが、壁がかわるとずいぶんと雰囲気が異なっていました。
亀山城跡 名所・史跡
-
多聞櫓の反対側には小学校があります。先ほど神官を務めた大久保家の門というものがありましたが、1955年までこの亀山西小学校の裏門として利用されていたそうです。校舎も新しいのでその頃の面影はないんでしょうね。
城跡あるあるですが、本丸跡はこの亀山西小学校の用地として転用されているようです。他にも亀山市役所がこの右手にあり城跡の現在の利用方法としてよく見る形でした。 -
こちらは亀山公園の一部だと思いますが、亀山神社、亀山城多聞櫓前の公園はますみ児童公園と書かれていました。子供が楽しく遊びそうな遊具もあって確かに児童公園という雰囲気もあります。
ちなみに亀山公園自体、今回一人旅なので遊具のある方に行っていないですがかなり子供向けの遊具が多い公園の様です。
ここには下に乗せたC58の他に元藤田航空のセスナ170B、JA3015が展示されていたはずですが既にありませんでした。ストリートビューを見ると数年前には撤去されたみたいですね。亀山公園 公園・植物園
-
C58 359は変わらず展示されていました。周りのフェンスも新しく塗装も綺麗なのでおそらく公園を整備してその際に塗装などを行ったのだと思います。そしてその際にセスナ170Bは撤去、おそらく解体されたのだと思います。LASA-60、コンベア240は見る事が出来たのでまあよかったかな。
亀山公園 公園・植物園
-
ますみ児童公園からは二の丸跡にある亀山西小学校の裏を土塁沿いに進むことが出来る様になっていました。亀山城の遺構はほとんど残っておらず、城跡を見せるような事はあまりしてきていなかった様ですが、平成後期になってから亀山公園の再整備などを行い見学できる場所も増えているみたいです。
亀山公園 公園・植物園
-
土塁の上から眺めてみると下には池が見えました。公園池と呼ばれている亀山公園内の池ですが、位置的には元々は内堀だったんだと思います。
亀山公園は広く、この土塁や先ほどD51のあった広場よりもこの池の向かって左手側が中心みたいでそこには子供向けの遊具なども多くあるみたいです。亀山公園 公園・植物園
-
そのまま進んで行くと少し広い広場になっていました。この辺りは二の丸跡地になっていて亀山城跡の中で遺構などが比較的よく残っている場所だそうです。まあすぐ裏は小学校になっていますけどね。二の丸には城主が住む御殿があってそうで、これはその礎石ですかね・・・。
亀山公園 公園・植物園
-
下には二の丸を守るために作られた曲輪があり、そこに降りるための階段がありました。現在は階段だけがありますが、江戸時代にはここに埋門という門があったそうです。この階段は恐らく御殿へ直接向かうための道だったんだと思います。
亀山公園 公園・植物園
-
曲輪には2006年に土塀が復元されていてここまで降りてくることが出来ます。曲輪から城内を見上げてみると結構な角度ですね。この上が二の丸だったわけですが、実際にこうやって見上げると城がかなり強固な要塞だった事がわかります。
亀山公園 公園・植物園
-
亀山公園から城下町跡へと向かう事にします。城から降りるので結構な下り坂を下っていると頭上には天守台と多聞櫓がありました。すごい歴史を持っている多聞櫓ですが、かつての天守はどんな雰囲気だったのかとも気になります。
-
坂を下ってくるとすぐに池がありその手前には碑がありました。
この碑は江戸時代の元禄14年に父の仇である赤堀水之助を石井源蔵半蔵の兄弟が亀山城外の門で討ち取った事を記念する碑だそうです。昭和9年に建立された碑でした。
ちなみに元禄14年は浅野長矩の刀傷沙汰が起きた年で、この事件が既に広がった事もあり翌年(太陰暦で)のいわゆる赤穂浪士討ち入り事件につながったとも言われています。石井兄弟敵討ちの碑 名所・史跡
-
石井兄弟敵討ちの碑の後ろにも池がありこちらも先ほどの公園池と同様元々は内堀だと思います。ただそれにしては広いので何か他の用途があったのかは気になりますが・・・。
ちなみにこの周辺は新しく整備された感じがしたのでストリートビューで遡ってみると、上の写真の右側、池の縁を走っている道路は10年ほど前まで盛り土ではなく橋で池の縁を通過していたみたいです。石井兄弟敵討ちの碑 名所・史跡
-
路地を歩いていると大きな長屋門があり、土日は開放されているそうで中に入る事が出来ました。この長屋門は亀山藩主石川家の家老である加藤家の門で石川家が備中松山藩から亀山藩へ移封された時期に建築されています。明治期以降姿を変えていた様ですが、1990年に修理・復元工事が行われ江戸時代の姿へ戻っているそうです。
加藤家屋敷跡 名所・史跡
-
長屋門の中には屋敷の建築物が一部残っていました。とは言っても明治初期に母屋の一部を解体し縮小されている形で残っています。江戸時代の図面と現在の図面が並んでいましたが随分と縮小したなと感じました。
この加藤家屋敷は藩主御殿が焼失した際に仮御殿として利用された程大きな屋敷だったそうです。木の幹がすごい太さで歴史を感じますね。加藤家屋敷跡 名所・史跡
-
室内にも入る事が出来ました。縮小はしているものの格式は維持され、明治期の士族の生活を知る事が出来る貴重な遺構だそうです。さすがに家老の家なので縮小されているとはいえ中に入るとかなり広いなと感じました。
加藤家屋敷跡 名所・史跡
-
板の間もあるようで、ここでこの加藤家屋敷に関して説明もされていました。梁がとても太く、色も黒くなっていて歴史と風格を感じます。ライトが良い感じですね。
加藤家屋敷跡 名所・史跡
-
加藤家屋敷を出てみると隣に土壁に薬医門といういかにも歴史的な雰囲気を漂わせている区画が横にありました。土台の石を見てみるとかなり新しそうなのですが、自由に入れるみたいですし見に行ってみます。
-
中はこんな感じで公園、広場の様に整備されていました。ここは西丸歴史広場という広場で近年再整備されたみたいです。特に歴史的な場所ではないと思いますが、こういう広場があるのは良いですよね。奥の建物はコミュニティハウスの様で一緒に整備したのですかね。
-
ほとんど遺構は残っていないものの、門などがあった場所には碑?が建てられています。道を歩いていて見つけたこの碑の様に由来が書かれているのでわかりやすいのはいいですね。ここには青木門という門があり、大坂夏の陣の前に家康がこの地に宿泊し出立の際に付近に繁茂した青木をみて「おお青木」と言った事からこの地を青木と名付けた事に由来する様です。
-
亀山城下町は復るの街並みを残すところは少ないものの、歩いていると突然歴史を伝える公園みたいな場所があります。先ほどの加藤家屋敷跡の隣にあった西丸歴史公園からすぐの場所には西丸外堀跡というスペースがあり、堀を再現し築造技術を解説した看板が置かれていました。
-
この場所には江戸時代京口門という門があったそうで現在京口坂と呼ばれているようです。京口は名前の通り京都方面の入口、現在では細い路地(とはいえ交通量は多かったです)ですがここは旧東海道、ここにあった門から京都へと通じていたようです。
-
京口坂橋から下に流れる竜川を眺めてみました。上の写真を撮った場所からは想像できない程低い位置に川が流れていて、江戸時代はここは自然の堀だったんだと思います。下に舗装された道があり、車は通れないサイクリングロードに見えました。ただこの旅行記を書くときにグーグルマップ見てみるとどうも車も通れるみたいで・・・。
-
京口坂橋を渡りすぐの左手には旧佐野家住宅があります。ここは既に城内ではなく、城西側にあった野村集落の一番東側の家屋だそうです。中にあった解説を読むとこの旧佐野家自体は明治時代前期の建築の可能性が高いそうですが、江戸時代の資料から入母屋妻入でここの住宅は描かれており、これを模して建築された様です。
-
中は休憩所、と書かれていましたがゆっくり休憩するというよりは資料館の様な感じになっており、この旧佐野家住宅や野村集落について、そして亀山城下のスポットについての解説などがありました。
亀山城近辺全般に言えますが、人はおらず落ち着いた雰囲気で見学することが出来ました。 -
京口坂橋を渡った右手、旧佐野家住宅の反対側には照光寺というお寺がありました。観光スポットではないですが古くからこの地にある由緒あるお寺なのだと思います。京口坂橋自体の傾斜が結構あるので坂への道路も坂になっていて、見下ろす感じでお寺が見えました。
-
歩いて駐車場に戻る際にちょっと道を間違えてしまいました。左側の建物は亀山中学校の校舎だそうです。新しい校舎だと思いますが、城下町亀山の雰囲気に合うような校舎になっています。と言っても亀山は城下町、宿場町という雰囲気はほとんど残ってなかったです。隣の関宿の方が宿場町の雰囲気が残っているそうで時間があれば行こうかと思っていたのですが、時間も思ったより押しているので次は伊賀に向かいます。
この旅行記のタグ
関連タグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
亀山(三重) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2023年3月、三重の城下町、亀山と伊賀の旅
0
61