2011/08/11 - 2011/08/13
9392位(同エリア17043件中)
MIUMIUさん
- MIUMIUさんTOP
- 旅行記118冊
- クチコミ3件
- Q&A回答5件
- 90,700アクセス
- フォロワー24人
初めてのフランスは、先ず北部!と、計画を練り、真夏のフランスへ!
フランス、そしてパリが日本人にダントツ人気というのも納得できるなぁ!
と思える驚きの多い旅になりました。
=== 全日程 ===
2011年
◇8/5(金)
10:55 関空発 フィンランド航空
↓
15:10 ヘルシンキ バンター空港着
16:05 ヘルシンキ バンター空港発
↓
18:10 パリ シャルルドゴール空港着
【1】 https://4travel.jp/travelogue/11508390
◇8/6(土)
《 パリ街歩き① 》
シャンゼリゼ→コンコルド→バスティーユ→マレ地区
【2】 https://4travel.jp/travelogue/11508394
◇8/7(日)、8 (月)
《 ロワール地方→モンサンミシェル→オンフルール バスツアー 》
【3】 https://4travel.jp/travelogue/11508409
【4】 https://4travel.jp/travelogue/11508410
◇8/9(火)
《 ヴェルサイユとパリ街歩き② 》
ヴェルサイユ宮殿と庭園→パリ オペラ地区
【5】 https://4travel.jp/travelogue/11508413
【6】 https://4travel.jp/travelogue/11531480
◇8/10(水)
《 パリ街歩き③ 》
エッフェル塔→パシー地区→モンマルトルの丘→ルーブル美術館
【7】 https://4travel.jp/travelogue/11508415
◇8/11(木)
《 パリ街歩き④ 》
シテ島→パンテオン→サンジェルマン・デ・プレ→オルセー美術館→リュクサンブール公園→ムーランルージュ
【8】 https://4travel.jp/travelogue/11508417 ←今ここ
◇8/12(金)
12:20 パリ シャルルドゴール空港発
↓
16:15 ヘルシンキ バンター空港着
17:20 ヘルシンキ バンター空港発
↓
◇8/13(土)
8:55 関空着
2023.09.02 EDIT
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- タクシー 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【8/11】
あっという間に最終日となった。 9時前にホテル出発。
今日は4回目のパリ街歩きです。〆はムーランルージュ。
先ずはシテ島に向かいます! -
セーヌ川の岸辺にはこのように砂地が作られている場所があり、まるでビーチのよう!
日中は日光浴したり、砂遊びする子供たちで賑わうんだとか。
夏だけのお楽しみでしょうね! -
シテ島はセーヌ川の大きな中州で、
紀元前200年頃から集落ができ始めたということで、パリ発祥の地ともいえる。
セーヌ川右岸とは4本、左岸とは5本の橋で繋がっている。
パリ最古の橋、ポンヌフを渡ってシテ島に入ります。シテ島 旧市街・古い町並み
-
ポンヌフからの眺め。
ポン ヌフ 建造物
-
シテ島に入ってすぐ、アンリ4世の騎馬像がある。
元々の像はフランス革命で破壊されたので、1818年に再建された像だとか。 -
島の中心、東に向かって歩く。
-
ポンヌフをバックに。
-
アルレー通りに面して建つ、パレ・ド・ジュスティス。
島の三分の一を占める巨大な建物で、裁判所、検察局など複数の主要な司法機関が置かれている。
元々は王宮だった。
長い歴史の中で、何度も火災にあったり、血なまぐさい争いもあり、残酷な刑罰が言い渡された場所だという。裁判所 (パリ) 建造物
-
黄金の門と呼ばれる裁判所の鉄製の柵。芸術的に美しい。
-
サント・シャペル。 パレ・ド・ジュスティスの一部で、裁判所の隣にある。
ゴシック建築最盛期の傑作と言われる教会だ。サントシャペル 寺院・教会
-
ルイ14世が、コンスタンティノープル皇帝から大金をはたいて買った聖遺物を納める為に造らせた礼拝堂だという。
1248年に完成。 -
ちょっと変わったガーゴイル。
-
ファッサード。
上のほうにばら窓が見える。 -
セキュルティーチェックもあるが、ほんの少し待っただけで、ミュージアムパスで入場できた。
-
入ったらこんな感じ。
ん? なんか変! 祭壇がないし、天井低すぎるし(高さ7m)窓小さいし・・・
と思ったら、2階があるそうで。
ここは、王家の使用人達の為の礼拝堂だったとか。
二階を支える為に壁は分厚く、柱も多い。
それにしても天井が実に印象的な雰囲気だ。夜空に満天の星!?
東洋的な色合いのこの彩色は19世紀に施されたそうです。 -
サント・シャペル建造の後援者、ルイ9世の像。
-
狭い螺旋階段をのぼって2階にあがるとビックリ!
な、なんと、美しい!!! 一気に別世界・・・
壁がほとんどなく全て一面のステンドグラスに取り囲まれている!
とても幻想的な空間だ。
ここは王家専用の礼拝堂だったそうで、
15の縦長のステンドグラスは延べ面積600平方メートル。
「聖なる宝石」とも呼ばれているという。 -
主祭壇もステンドグラスに囲まれている。
天気も良いのでステンドグラスの色彩が見事に映えて美しい。
赤と青を基調にしたステンドグラスなので、
時間帯によって赤っぽく見えたり青っぽく見えたりするそうで、
この日はどちらかというと赤っぽいかな? -
超縦長のステンドグラスが一面に並んでいるこの光景、本当に圧倒されました。
ここで度々コンサートが開催されるんだとか!
カジュアルな服装でOKの気軽なコンサートだとか!
なんと素晴らしい!!
もう一度パリに来れたなら、絶対に予約するぞ!! -
色彩は統一されているが よく見るとやはりどれも絵柄が違っていて、
なんと、1134のストーリィが表現されているんだそうです。 -
後方の巨大なばら窓。
シャルトル大聖堂のばら窓も素晴らしかったが、これも素晴らしい!
とても深く印象に残っているばら窓だ。
ばら窓は高い位置にあるので近くで見れないのが残念です。 -
ばら窓の下にある扉を出て振り返ったところ。
ここがファサードの上部ということで、テラスに出られる。
つまりこの下が出入口です。 -
これまた緻密で見事なレリーフ。
-
日本語の解説も貼ってあった。
-
もと来た道を戻って歩く。
これは裁判所の黄金の門から撮った正面部分。
この前を通過して、反対側のコンシェルジュリーに向かう。
コンシェルジュリーもパレ・ド・ジュスティスの敷地の一部に位置し
セーヌ川沿いに建つ、3つのとんがり屋根が特徴的なゴシック様式の堅固な建物だ。
(なぜか外観の写真がない) -
「コンシェルジュリー」入場!
コンシェルジュリーとは、王室管理府、という意味だそうで、
現在は、主にフランス革命期の牢獄の様子を伝える資料館となっている。
入口が狭く目立たないのでちょっとわかりにくかった。
列が全くないのですぐに入れて拍子抜け。
入るとすぐに1800平方メートルもある薄暗い大広間がある。
「憲兵の間」だ。
コンシェルジュリーの歴史は古く、元々6世紀の王家として建てられ、
14世紀にフィリップ王が改築したものが今の建物。
その後、議会所、裁判所、牢獄など、時代と共に変化していき、
フランス革命時には、4000人以上の王族や貴族、革命反対派の政治犯達が多く収容された。
そして、ここで最期の日々を過ごしたのち、2780人ほどが断頭台へと送られた。
その頃、この建物は「ギロチンへの入り口」と呼ばれていたという。 -
元々は使用人や兵士の食堂だったが、
牢獄時代は男性の囚人用の収容所になっていたそうだ。 -
中央にある、急で狭い螺旋階段はとんがり屋根に繋がっていると思われる。
とんがり屋根は見張り塔なんだろうな。 -
シテ島の古い地図。
-
フランス革命期の様子を表した古い絵。
-
突きあたりには小さな売店がある。
帰り際に、細工のある珍しい絵葉書を買った。
売店中央にある鉄格子をくぐって進むと牢獄がある。 -
守衛(牢番)室。囚人を登録する場所の隣にある。
牢番たちは、警備、清掃、食事などを任されていた。
収容者は800人ほどいたので大変だったに違いない。
また、死刑執行の準備(所持品引き渡し、剃髪など)も行われていたという。 -
独房が再現されている。
これは、ピストリエの牢獄、と呼ばれる中流階級専用の牢獄だが
いくらかお金を払わないと入れない。
そして、その金額によって、家具付きだったり、いい食事付きだったりしたとか。 -
わら部屋、と呼ばれるわらが敷いてあるだけの真っ暗な部屋は、貧しい囚人用。
ネズミが走り回る劣悪な部屋に大勢詰め込まれていたという。
当然ながら病死も多かったとか。
囚人の人形が妙にリアルだ… -
ギロチンの刃。
-
マリーアントワネットは、処刑されるまでの70日間をここで監視されながら生きた。
この部屋は、再現された独房。
暗がりの中にじっと座る(動いたらコワイ)マリーアントワネットに遭遇。
俯いた横顔から、失望、悲しみ、諦め…などが読み取れる、うまくできた人形だ。 -
囚人(王侯貴族だけ?)の為の祈りの場。
-
1815年にマリーアントワネットの独房跡に造られた、マリーアントワネット記念礼拝堂。
白と黒だけの簡素なつくり。 -
MA(マリーアントワネット)のステンドグラス。
-
マリー・アントワネット最後の聖餐式など、最期の王妃の様子が描かれた絵画。
-
女たちの庭、と呼ばれる中庭。女性囚人の独房に囲まれている。
小さな水飲み場とわずかな植え込みだけのこの中庭は、散歩の場所でもあり
断頭台に連れていかれる二輪荷車(家畜の死体を運ぶ荷車を利用)を待つ為の場所でもあった。 -
資料室には様々な絵画や調度品、食器などが展示されていた。
これは、断頭台ですね。 -
マリ・ーアントワネットが裁判で弁明をしている場面。
この類の裁判は、根拠のない罪をでっちあげて死刑判決を下すという形ばかりの裁判だったという。
つまり、豪勢な生活をしていた王族貴族というだけで許せないんですね。
裁判にかけられた王族貴族たちは、死刑が決まっているのも知らず必死に訴えていたのだろう。 -
ここもマリー・アントワネットの独房を再現した部屋。
柵の間から撮影。
観光客向けによくもここまで・・・と思いながらも、背筋が寒くなった。 -
1792年8月、ルイ16世一家はチュィルリー宮殿からタンプル塔に投獄され、しばらくは家族で過ごす事ができたという。
この期間、まさか本当に処刑されるとは思っていなかったのかもしれない…と私は勝手に思っているのですが… この夫婦はそんな気がする…
1793年1月、先ずルイ16世が処刑され、アントワネットは子供達と引き離される。
(その後ルイ・シャルルはタンプル塔で死亡、長女マリー・テレーズは生き残った)
1793年8月、マリー・アントワネットはコンシェルジュリーに移送され
10月15日に死刑判決が下され、翌日16日にコンコルド広場の断頭台で死刑執行。
その後、マドレーヌ修道院の集団墓地に埋葬されたが、
1815年王政復古によって歴代の王の霊廟のあるバジリコ・サンドニ大聖堂に改葬されたという。(集団墓地を掘り起こしたなんて驚き!) -
多額のお金を払って最高の扱いの独房に入っていたのだと思うけど
憲兵の詰所が密接していて、このように低い衝立からいつも憲兵に監視されていたという。
孤独との闘い、そして好奇の視線にさらされ続ける屈辱的な日々を送るうちに、ついに悟りを開いたような境地に到達したのかもしれないですね。
ここはフランス革命以降も牢獄として利用されていたようで
1914年に廃止された後、一般公開されている。
私事だが、私がマリーアントワネットを知ったのは小2の誕生日の頃だった。
お祝いに隣のおばちゃんから『悲しみの王妃』という本をいただいたのだ。
初めて出会った外国の栄枯盛衰の物語(事実だが)に衝撃を受け、
何度も何度も読んだ。
アントワネットや宮殿の美しい挿絵が今も脳裏に焼き付いているが
最後の挿絵は、暗い独房で力なく座る白髪のアントワネットだった。
それ以降ずっとアントワネットには興味を持ち続けていたわけで…
ここに来て、本当にアントワネットが実在していたことを実感できました。 -
コンシェルジュリーを出て東に進むと駅名「CITE」のメトロの出入口がある。
これもギマール作のアールヌーヴォー調のアーチですが
モンマルトルのアベッス駅のものに比べると不完全な形です。 -
メトロ駅のそばには植物や鳥の市場が広がっている。
-
そこを抜けて、警視庁と市立病院の脇を進んでいくと、
ノートルダム大聖堂の西側正面に出た。
1163年から少しずつ建造され、全て完成したのは1320年頃。
ゴシック建築を代表する建物で、西洋最大のカトリック教会だ。
カペー王朝の最盛期の大聖堂で、フランス中世文化の美の結晶とも呼ばれている。
フランス革命時には石像が破壊されたりしたが、
1804年、ナポレオンが戴冠式を行い、ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』で大衆の注目を浴びた為、19世紀に大修理が行われた。
それ以降、白い貴婦人、と呼ばれ、パリ市民の誇りとなっている。
が、今年(2019年)4月15日に起きた大火災により、大聖堂の屋根と尖塔が崩落してしまった。
無事に元通りの状態に再建されるのか? と心配だけど
急がずじっくりと丁寧に再建していってほしいと願っています。
このノートルダム大聖堂の姿は過去のものとなってしまいましたが
再建の完成を願いながら、紹介することにします。ノートルダム大聖堂 寺院・教会
-
晴天だがちょっと暑い!
前の広場は多くの観光客で大賑わいで、楽し気な笑い声に満ちていた。 -
右の鐘楼が南塔、左が北塔。高さ69m。
一階部分の左入口は、聖母マリアのポルタイユ、中央が最後の審判のポルタイユ、
右が聖アンナのポルタイユ。
ファサードの彫刻からそう呼ばれている。 -
塔の下の端っこで、伝説の怪物たちが下界を見下ろしている。
この怪物の姿を見ると、「ノートルダムのせむし男」を思い出します。 -
中央ファサードを見上げたところ。
余談ですが・・・
ゴシックかロマネスクかを見分ける簡単な見分け方として
このような開口部が尖塔アーチならゴシック、
半円形アーチならロマネスク、だそうです。
ゴシック様式は、地上の神の実現を目指している為、神に近づく為に
高く、大きく、広く、を目指した空間が特徴。
ロマネスク様式は、自分の内面と向き合う為の空間づくりを目指していた為、
温かみのある空間が特徴。
・・・なんだそうです。 -
そんなに待たずに入場できた。
荘厳な聖堂内だが、やはり観光客が多いからかそんなに静かではない。
長い身廊の先に翼廊と聖歌隊席が見える。
幅40m、高さ33?、奥行き128?。 -
高い天井。 火災ではほとんど崩落してしまった。
-
正面の主祭壇。 祭壇と十字架は焼け残っていた。
-
南のばら窓。
-
北のばら窓。
-
ノートルダム大聖堂が元通りの姿に戻ることを、心より祈っています。
-
大聖堂の前の広場の植え込みに、驚くほどたくさんのスズメたちが集まっていて、
パンくずを差し出すと手に乗ってきたり…と随分人馴れしている。
私たちもやってみたら、スズメだけでなく、ハトも乗ってきた!(笑) -
5区に行く為、南にある小さな橋を渡る。 シテ島よ、さらば!
向こうに見える橋の先に、サン・ルイ島がある。 -
橋を渡って進んで行くと、サン・セヴラン教会がある。
6世紀からの歴史ある教会だが、時間の都合で中に入らず外観だけ眺めた。 -
サン・ミシェル界隈を更にまっすぐ進んでいく。
-
学生街カルチェ・ラタンに入ったら、重厚な建物のソルボンヌ大学がある。
-
1253年、神学者ソルボンヌが創設、という歴史ある大学だ。
多数の哲学者、文学者を輩出しているとか。
この像はソルボンヌでしょうか。
今もカルチェ・ラタンには多くの文教施設がある。ソルボンヌ大学 建造物
-
ヴィクトル・クザン通りに面して建つ、ソルボンヌ大学構内の礼拝堂、
サン・テティエンヌ・ヂュモン教会。
入ろうとしたら目の前で閉まってしまった。
12時から1、2時間ほどクローズするとのことで、入るのは諦めた。 -
17世紀後半のジェズイット様式とか。
ジェズイットって? と調べたら、プロテスタントに対抗してカトリックの布教を目指す修道会のことだそうです。 -
後ろ側。
一般人は大学の構内に入ることはできないそうです。 -
ソルボンヌ大学を右手に見ながら、少し上り坂の道を更に進むと…
-
「パンテオン」 に突き当たる。
このあたりは6区サン・ジェルマン・デ・プレ地区になり、
文化人や芸術家が多く集まる、知的な地域というイメージがあるそうで
貧しかったヘミングウェイや犯罪者でもあった詩人ベルレーヌ、最近では日本の作家、辻邦夫も住んでいたとか。
パンテオンは聖ジュヌヴィエーブの丘に位置し、上から見ると十字の形になっている。
元々、守護聖女ジュヌヴィエーヌを祀っていた教会だったが
18世紀にルイ15世の病の回復を祝って再建したのがこのパンテオンだそうです。
パンテオンはギリシャ語で、日本語で「万神殿」の意味とのこと。
大ドームとコリント式の円柱のある新古典主義建築の建物。
幅110m、奥行き84m、高さ83m。
周囲は広場になっている。パンテオン 建造物
-
正面上部には「フランスに尽くした人の為に」と書かれている。
今は、偉人たちの霊廟になっているので、そう書かれているんですね。 -
サイドにもコリント式の円柱がある。
-
入場。
-
十字の中心がここに当たる。
この真ん中にある円形のものはいったい何だろう??
天井から金色の玉がぶら下がっている。 -
と思ったら、かつてここで「フーコーの振り子」の実験が行われたのだとか。
現在もこの振り子が時刻を刻んでいるそうですが、よくわからなかった。 -
ドーム天井。
-
華美な彩色はなく、グレーとベージュ系で覆われている。
-
内部にもコリント様式の柱がある。
-
壁面には美しいフレスコ画が描かれている。
-
この象徴的な像の台座には「フランスは自由の国」という言葉が書かれているようです。
-
ここから地下の霊廟に向かいます。
-
ひんやり・・・
-
広い霊廟はいくつもの部屋に分かれており、多くの偉人たちが眠っている。
キュリー夫妻、ヴィクトル・ユーゴー、ゾラ、モネ、ルソー、マルローなど… -
様々な形の棺が並んでいる。
-
これも棺。
-
パンテオンの正面の内側を見上げたところ。
繊細なレリーフや柱頭の彫刻が見事! -
パンテオンの正面からリュクサンブール公園に向かって伸びている道は
常にソルボンヌ大学の学生たちで賑わっているという。
今は夏休みなので観光客が多いようです。
午後1時頃、この道路沿いのカフェに入った。 -
パンテオンのすぐ近くのこのカフェ、とても活気があっていい雰囲気だった。
-
パリで最後のランチタイム。
なんというボリューム! 若者向けだからかも?
妻はスモークサーモンとチーズたっぷりサラダ。 -
夫はチーズの乗ったパンとローストビーフがどっさりのサラダ。
-
学生街だから値段は結構リーズナブル。
お料理もクリームたっぷりのコーヒーもおいしくて
気持ちの良いランチタイムだった。 -
ランチ後、パンテオンを振り返りながら、リュクサンブール公園に向かう。
しんどかったらメトロに乗ろうと思っていたが、
リュクサンブール公園に入ってみたくなったので徒歩に変更。 -
1612年開園のリュクサンブール(リュクサンブルグ)公園は、約23ヘクタールもある広大な公園で、21ヘクタールが一般公開されている。
幾何学的なフランス式庭園と、自然な雰囲気の林があるイギリス式庭園が融合している。
元々は、ルイ13世の母親の居城、リュクサンブール宮殿の庭園だった。リュクサンブール公園 広場・公園
-
リュクサンブール宮は、現在はフランス国会上院として使用されていて
一部は美術館となっている。
公園は開放的な雰囲気で、広大な芝生を美しい花壇が取り囲んでいる。
一年中、四季折々の花々や植物を楽しむことができ、秋は紅葉も素晴らしいんだとか。 -
中央にある八角形の池で、おもちゃのヨットを走らせて遊ぶ子供達がたくさんいた。
笑い声が響く、とてものどかな光景。
この池の周りには歴代王妃の彫像が並んでいる。
何気なく入ってみたら、なんと、穏やかな癒される公園なんだ!としばし唖然。
安全な子供用の遊び場やマリオネット劇場もあり、
時々無料のコンサートやポニーに乗って楽しむイベントもあるという。
子供のいる家族にとっては気軽に来れる夢のような場所ですね。 -
たくさんのイスがあるので、ちょっとのんびり休憩タイム。
日光浴をしている人も多い。 -
本当はこの公園は通過するだけにしようと思っていたけれど
あまりにも美しく、あまりにも気持ちがいいのでついのんびりとしてしまった。 -
写真がないが、たくさんの彫像があり、自由の女神像もある。
もっと散策すればよかったのに… と今は思ってしまうが
奥の整然と並ぶ木々の下のベンチで夫はしばしうたた寝。。。 -
全く予定外で1時間以上?も寛いでしまったリュクサンブール公園をやっと出た。
まぁこういうのも旅の醍醐味かも?
メトロに乗らず、ここに来て本当に良かった!
北側に進むとサン・シュルピス広場があり、
中央に「4人の枢機卿の噴水」と呼ばれる立派な噴水がある。 -
1848年完成のルネッサンス様式の噴水。
噴水の下には今にも飛び出してきそうな迫力満点のライオン像が4体。 -
サン・シュルピス広場に沿って東側に建つ「サン・シュルピス教会」
『ダ・ヴィンチ・コード』の主要舞台となった教会として有名になった。
幅58m、奥行き120m、高さ34m、ノートルダム大聖堂より少しだけ小さいが
新古典様式のファッサードが印象的だ。
1646年にルイ13世の王妃の命により建築開始、1745年に完成した。
パリ屈指のネオクラシック様式の建物。
完成まで約100年もかかったので、2つの鐘楼の形が違ってしまったとか、
または、設計図にはなかったが後になって造られ、片方は造っている最中にフランス革命で中断してそのまんま…とか、真実は不明らしい。
完成後も何度か火災や落雷に見舞われ、その度に修復されている。
直近では2019年3月に正面入口付近で火災が発生、放火とみられているとか。
ノートルダム大聖堂の火災とは無関係と思いたい・・・サン シュルピス教会 寺院・教会
-
正面の入口付近とはこのあたりでしょうか。
-
身廊。 ゴシック様式とバロック様式がミックスした装飾がユニーク。
この教会の歴史上、最も有名な出来事は
ブリュメールのクーデターが起こる3日前に、ナポレオンの栄誉を称える祝宴が、700名もの人数で盛大に行われたという事だそうです。
ブリュメールのクーデターとは、1799年11月、ナポレオンが総裁政府を倒した軍事クーデターのことで、このクーデターをもってフランス革命が本当の意味で完結したという。
実際は1794年に終結してはいたが、惰性で続いていたブルジョワによる支配を、ブリュメールのクーデターで完結したということになるんだとか。
その後、勢いづいたナポレオンは1804年に自ら皇帝となり、
いわゆるナポレオン戦争へと突き進んでいった、というわけですね。 -
天井。 天井画はなく、すっきりシンプル。
-
入口を振り返ったところ。
-
入口の上、つまり後方のパイプオルガン。
この教会ではビクトルユーゴーを始め、何人かの著名人が結婚式を挙げているらしい。 -
説教台。
-
側廊。
-
主祭壇。
-
側廊上部には大きな窓が並んでいる。
-
また、この教会には18世紀に造られた子午線が記されたオベリスク(グノモンと呼ばれる日時計)があるが、どこにあるかわからなかった。
グリニッジが子午線という認識しかなかったけど、ここパリが子午線だったとは!
他にもドラクロワなどの芸術作品が多い。 -
入口前のスペース。
-
入口から見たサン・シュルピス広場。
向かい側に見える建物はパリ6区の区役所。 -
「サン・ジェルマン・デ・プレ教会」
サン・シュルピス教会から更に北に進むと、
サン・ジェルマン・デ・プレ地区の中心に入り、この教会がそびえ立っている。
パリ最古の教会で、543年に建造されたロマネスク様式の教会で
ベネディクト派の権威ある教会だった。サン ジェルマン デ プレ教会 寺院・教会
-
鐘楼の下にある入り口から入る。
-
幅21m、奥行き65m、高さ19m。
ロマネスク様式の身廊。 -
壁にはこのような絵がたくさん掲げられている。
-
主祭壇。 暗くてきれいに撮れていない…
-
シンプルなステンドグラス。
-
6世紀からの長い年月の間に繁栄と荒廃を繰り返しながらも存続し、
最終的に1821年より大修復が行われて現在の姿になっているという。 -
年末には教会前にクリスマスマーケットが立つそうです。
-
教会を出て、サンジェルマン大通りを西に向かってブラブラ歩き。
この辺りはウィンドーを見て歩くのが楽しい店が多い。
この店には凄い数のマトリョーシカ! -
かわいいお店ですね。
-
色とりどりのマカロン。
-
シュステンブール通り。
アトリエや小さな美術館やアンティークショップなどが並んでいる。 -
右側の建物は、かつてシュステンブール枢機卿の館だったという。
また、この辺りには、バルトックやドラクロワなど著名な芸術家が多く住んでいた。 -
セーヌ川河畔に出ると、ブキニスト(古本屋)がずらりと並んでいる。
このブキニスト自体が世界遺産というのにはビックリ!
ブキニストの歴史は17世紀というのにもビックリ!
学生の街カルチェ・ラタンの近くだから必然的に古本屋が増えていったのかも。古本市 (ブキニスト) その他の店舗
-
古本だけでなく絵葉書や絵画、レコードも。
今は観光客向けなんですね。 -
「カルーゼル橋」 対岸にはルーブル美術館。
-
このセーヌ河畔のブキニストは異常に高いので、本気で古本を探す人は避けたほうがいいとのこと。
この本の収納箱?が面白った。川沿いの塀にうまくひっかけてあり、
店じまいする時は屋根がうまいことパタンと閉まるようにできている。
19世紀頃からこの形式なんだとか。 -
セーヌ川越しに見るルーブル美術館、美しい!
-
5時頃、オルセー美術館に到着。
ルーブル美術館とはセーヌ川を挟んで斜め向かいに位置している。
パリ三大美術館のひとつ、ルーブル美術館に次ぐ人気の美術館。
元々1900年にパリ万博に合わせて建設されたオルセー駅の駅舎兼ホテルだったが
運営困難により39年でその役目を終え、その後、1986年にオルセー美術館となった。
館内に、駅舎時代のままの大時計やホームの跡があるのがユニーク。オルセー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
ミュージアムパスですぐに入れた。
ルーブル美術館とは違い、全面的に撮影禁止。(今はOkなのでしょうか?)
1848年から1914年までの作品が所蔵されているが
主に19世紀の印象派や後期印象派が中心で、ゴッホ、ルノワール、モネ、マネ、ミレー、シスレ、ゴーギャン、ルソー、スーラなど。
なじみ深いというか、好きな画家の作品が多いのでとても興味深かった。
どうしても見たい作品を中心に見て回ったが、やはりもっとゆっくり時間をかけないと完璧に満足はできないですね。
帰り際にモネのカレンダーを買って、2時間ちょっとで美術館を出た。 -
お次は、いよいよパリでのラストイベント、
予約しておいた『セーヌ川クルーズとムーランルージュ観覧ツアー』
約5時間のツアーだ。
集合場所は、パレ・ロワイヤル駅の近く、シティラマ社前。
シティラマ社すぐそばのスタバで簡単な夕食をとった。
集合時間は、夜8時。 -
8時過ぎにこのバスでツアー出発。
ガイドの男性が素晴らしかった!
日本語を含む5ヵ国語での解説がとても流暢で、最後に「何かご質問はありませんか?」だと。
にこやかな紳士で好感が持てた。 -
エッフェル塔のすぐ下の船着き場でバスを降り、
いよいよセーヌ川クルーズのナイトクルーズがスタートした。
途中で方向転換し、1時間でここに戻ってくるというルート。 -
満員の乗客はみんなとても楽しそう!
-
今までのパリでの日々を思い返しながらのクルーズ。
ラストデーにもってきたのは正解でした!
先ず、エッフェル塔に向かう時に渡った「イエナ橋」をくぐり、
いくつもの橋をくぐりながらゆっくりと進んだ。 -
「アレクサンドル3世橋」
1900年のパリ万博の時に造られた、8区と7区を繋ぐ橋だ。 -
アールヌーボー様式の街頭が美しく、欄干の装飾も豪華!
高さ17mm柱頭があり、その上には黄金のペガサスと女神の像がある。
パリで一番美しい橋、と言われるのもわかる。 -
この橋は「ポン・デザール橋」
1区と6区を繋ぐ歩行者専用の橋で、ナポレオンの命により造られた。
かつては南京錠だらけだったが、重すぎて橋の一部が崩壊した為、今はアクリル板が貼られているという。
鉄製の欄干だからか、南京錠をつけやすかったんでしょうね。 -
「ポン・ヌフ橋」 映画で有名になった橋。
シテ島をまたいでセーヌ川の両岸を繋ぐ橋。今日シテ島に行くときに渡った橋だ。
新しい橋という意味なのに、パリで最も古い橋というのは知らんかった。 -
河畔で休む人達や橋の上の人との手の振り合いって、旅ならでは…という感じでいいもんですね。
-
カルーゼル橋の向こうに、月が見えた。
いつのまにか夕暮れ空に・・・ -
ルーブル美術館。
-
パリとももうすぐお別れなんだなぁ…
-
あっという間に夜空になってきた。
-
エッフェル塔が近くなると、すっかり暗くなった。
-
素晴らしい!!
夜のエッフェル塔!! -
夜空を突き刺すような凛としたこの美しさ!!!
-
1時間のクルーズのクライマックス、うまいこと考えられたクルーズ!
で、この直後、いきなり点滅が始まり、周囲からオオーー!と感嘆の声!
間近に見上げるキラキラ輝くエッフェル塔、ダイヤモンドが散りばめられているように輝き続け、キレイ・・・としか言葉が出なかった。
(エッフェル塔がたまに点滅することを全然知らなかったので、ほんとに驚いた)
その美しさはうまく撮れなかったけど、目に焼き付いている。
右上の夜空に見事な満月がくっきり輝いていた。
エッフェル塔が明るすぎてきれいに撮れてないですが… -
その後、バスに乗り、一路モンマルトルへ。 まもなくムーランルージュに到着。
ムーランルージュはフランス革命100周年記念のパリ万博の年、1889年にオープン。 つまりエッフェル塔と同年だ。
ムーランルージュと言えば、ロートレックによる独特なポスターが有名ですね!
彼はトゥルーズの貴族ながら、1882年(18才)の頃からモンマルトルに住み、ムーランルージュに通いながら踊り子たちの姿や私生活を描き続けている。
虚弱体質で子供時代の足の骨折が原因で低身長となり、モンマルトルに住み始めると生活が乱れ、アル中にもなり、37才で亡くなった。
しかし当時から現在に至るまで、ロートレックのポスターは大人気だ。ムーラン ルージュ ナイトライフ
-
ムーランルージュの前の広場はものすごい人波でごったがえしていた。
店内に案内されると中規模の劇場のようなつくりで、客席は階段状になっている。
様々な国からの観光客で満員だった。
シャンパンを飲みながらのショーは、11時に始まり深夜1時半頃まであった。
マジックや曲芸、サーカスのような出し物、動物を登場させたり、観客を巻き込んで笑いを誘ったり、宝塚みたいなショーから露出度の激しいショーなども。
きらびやか、華やか、奇抜、ハイレベル、
ひとことでいうと「バラエティーに富んだ楽しい大人のショー」ですね! -
ショーは結構長いとは聞いていたが、終わったのはなんと深夜1時半過ぎ。
それぞれホテルまでバスで送ってくれるというサービスつき。
ホテルには2時頃到着。
二人とも疲れてぐったり!
無言で荷造りを終え、シャワーしたら即、爆睡!
パリの最後の夜、ゆっくりとホテルで感傷に浸る余裕はなかった。 -
【8/12】
朝9:00 ホテル出発。
乗合タクシーでシャルルドゴール空港へ。
10:20 空港に到着。シャルルドゴール空港 (CDG) 空港
-
12:20発 フィンランド航空でヘルシンキに向かう。
-
あまり混んでいない。
-
窓から撮った空港前の光景。
-
この機体に乗った。
ほぼ予定通りに離陸した。 -
16:15 ヘルシンキバンター空港着。
17:20 関空に向けて離陸。
美しく神秘的な夕焼け空に満月が浮かんでいた。 -
セーヌ川から見えた満月を思い出した。
キラキラ輝くエッフェル塔の横でしっとりと光っていたなぁ
昨夜のことなのに、夢の中のような感じ。 -
【8/13】
朝9:10 関空着。 晴れ。 覚悟はしていたが、物凄い蒸し暑さ!
無事に初の北フランスの旅は終了しました。
天気にも恵まれ、大きなアクシデントもなく、ほぼ予定通りに動けたかな。
特に、2日間のバスツアーを利用して、ロワール地方→モンサンミッシェル→ノルマンディー地方を巡ることができたのは良かった。添乗員さんも素晴らしかったし。
あと、ベルサイユ宮殿内の王妃の村里と、シテ島のコンシェルジュリーを実際にじっくりと見学し、マリー・アントワネットの短かった幸せな時代と、死へ向かう屈辱的な最期の日々を直接感じることができたのが、最も印象深い。
そしてそして、ルイ王朝時代やフランス革命について、まだまだ知らないことがたくさんあることを痛感した。
あと、芸術家に因んだ場所にもアチコチ行きたい所があるし…
やっぱりパリは広い! 見どころも多い! なので、もう一度行きたい!
そんなこんなで帰国後何年かは、まぁいつかは行けるだろうよ、と 何となく思っていたけれど、予想外に長期間となったコロナ禍のせいで、その夢は急に小さくしぼんでいってます。
果たして、どうなることやら・・・
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2011 パリを拠点に北フランスを巡る旅
-
パリを拠点に北フランスを巡る旅【1】初めてのパリ!オペラ座近くの元アパートに泊まる
2011/08/05~
パリ
-
パリを拠点に北フランスを巡る旅【2】パリ街歩きは副都心からスタート→シャンゼリゼ通り→コンコルド広場→マレ地...
2011/08/06~
パリ
-
パリを拠点に北フランスを巡る旅【3】バスツアー1日目 シャルトル大聖堂→ロワ-ル地方の城巡り→モンサンミッシ...
2011/08/07~
ロワールの古城周辺
-
パリを拠点に北フランスを巡る旅【4】バスツアー2日目 モンサンミッシェル→ノルマンディーのオンフル-ル→パリ...
2011/08/08~
モンサンミッシェル
-
パリを拠点に北フランスを巡る旅【5】ヴェルサイユ宮殿と庭園散策、王妃の村里はアントワネットが唯一リラックスで...
2011/08/09~
ヴェルサイユ
-
パリを拠点に北フランスを巡る旅【6】ファントムに敬意を表しながらオペラ座見学→マドレーヌ寺院
2011/08/09~
フランス
-
パリを拠点に北フランスを巡る旅【7】さすがのエッフェル塔→アートな丘モンマルトル→駆け足で廻ったルーブル
2011/08/10~
パリ
-
パリを拠点に北フランスを巡る旅【8】感動のシテ島→カルチェラタン→セーヌ川クルーズ→ムーランルージュ、翌日帰...
2011/08/11~
パリ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
パリ(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2011 パリを拠点に北フランスを巡る旅
0
170