2011/08/09 - 2011/08/09
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MIUMIUさん
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初めてのフランスは、先ず北部!と、計画を練り、真夏のフランスへ!
フランス、そしてパリが日本人にダントツ人気というのも納得できるなぁ!
と思える驚きの多い旅になりました。
=== 全日程 ===
2011年
◇8/5(金)
10:55 関空発 フィンランド航空
↓
15:10 ヘルシンキ バンター空港着
16:05 ヘルシンキ バンター空港発
↓
18:10 パリ シャルルドゴール空港着
【1】 https://4travel.jp/travelogue/11508390
◇8/6(土)
《 パリ街歩き① 》
シャンゼリゼ→コンコルド→バスティーユ→マレ地区
【2】 https://4travel.jp/travelogue/11508394
◇8/7(日)、8 (月)
《 ロワール地方→モンサンミシェル→オンフルール バスツアー 》
【3】 https://4travel.jp/travelogue/11508409
【4】 https://4travel.jp/travelogue/11508410
◇8/9(火)
《 ヴェルサイユとパリ街歩き② 》
ヴェルサイユ宮殿と庭園→パリ オペラ地区
【5】 https://4travel.jp/travelogue/11508413 ←今ここ
【6】 https://4travel.jp/travelogue/11531480
◇8/10(水)
《 パリ街歩き③ 》
エッフェル塔→パシー地区→モンマルトルの丘→ルーブル美術館
【7】 https://4travel.jp/travelogue/11508415
◇8/11(木)
《 パリ街歩き④ 》
シテ島→パンテオン→サンジェルマン・デ・プレ→オルセー美術館→リュクサンブール公園→ムーランルージュ
【8】 https://4travel.jp/travelogue/11508417
◇8/12(金)
12:20 パリ シャルルドゴール空港発
↓
16:15 ヘルシンキ バンター空港着
17:20 ヘルシンキ バンター空港発
↓
◇8/13(土)
8:55 関空着
2023.09.02 EDIT
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
【8/9】
7:50ホテル出発。
ベルサイユに向かう為、急行地下鉄PERに乗った。 -
30分程でヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅に到着。
-
ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅の外観。
ヴェルサイユ宮殿までは約600mある。 -
10分ほど歩くとヴェルサイユ宮殿が見えてきた。
正面ゲートを入ったら「正面中庭」。
やっぱ、広いなぁ~~! 宮殿の敷地だけで、63000平方メートルもある。
ヴェルサイユ宮殿は、
1662年、若き太陽王ルィ14世の「最も大きく最も豪華な宮殿を!」という強い思いから建設が開始され、
1682年に完成。
フランス絶対王政の象徴的建造物とも言われるバロック様式の宮殿。
元々、この場所には狩猟が大好きなルイ13世が造った狩猟小屋があったそうで
1660年代から1670年代にかけて、ルイ14世が敷地をどんどん拡張し、大宮殿に作り替えたのだ。
ルイ14世は、非常にこの土地とベルサイユ宮殿に愛着を持っており
1682年、政府と宮廷をパリのチュィルリー宮殿からこの地に移した。
そして、フランス革命で処刑されたルイ16世の代で、ベルサイユ宮殿の華やかな宮廷時代は幕を閉じた。ヴェルサイユ宮殿 城・宮殿
-
近づくにつれ、長蛇の列が見えてきた!!
-
でも私達は《museum pass》持ってるから並ばなくてもいいもんね~
きっと専用入口があるはずだし~(^^)v~楽勝♪
…と思ったら大間違いだった。
入城場所まで行って係員に尋ねたら、即!この列に並べ!とのこと。
ええ!なんで?!
…が、並んでいる人をよくよく見たら同じpass持っている人が多い。(**; -
そうか、、そうなんだ…
と、また最後尾までいっておとなしく並んだ。
少しの間にさっきより列が長くなっている。
そして、あっという間に私達の後ろにもドンドン列が伸びていった。
後で調べたら、混雑状況によりmuseum passの優先入場が中止になることもあるんだとか。 -
思ってたより列の進み方は速い。だんだん入場口に近づいてきた。
皆さん並びながらあちこちの写真を撮っている。
右側の建物は、王室礼拝堂。 -
「王の中庭」と呼ばれるこの広場を中心に左右対称の造り。
-
セキュリティーチェックにも時間がかかるが
9:30に入城。並んだ時間は30分ほど。思ったより早くてよかった。
人の流れに沿って一階の回廊を進んでいく。 -
先ずは、並んでいる時に外観が見えていた「王室礼拝堂」
宮殿の正面に向かって右側(北側)に位置する。
ここは王が毎朝ミサを行う為の礼拝堂だった、というよりも、
1770年5月16日、15才のルイ・オーギュストと14才のマリー・アントワネットが結婚式を挙げたチャペル、というほうが印象深いですよね。
ウィーンから26日間かけて到着したその日のうちの挙式だったという。 -
不可思議なオブジェ。この辺りから2階へ階段で上がる。
列の動きが遅いので、ゆっくり進む。 -
2階への階段から見下ろす。
-
2階。風景画が並ぶ部屋。
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-
黄金に輝く広間に入った。
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とにかく人が多く、ざわついている。
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2階から再度、王室礼拝堂を見ることができる。
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「メシア到来を告げる天使たち」と題された見事な天井画。
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パイプオルガン。
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巨大な天井画のある広間。
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天に吸い込まれていく感覚になる天井画。
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これまた大きな暖炉だ。
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大理石と金のコントラストが重厚。
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壁面のこの絵画も大きい! 天井の縁や額縁すべて豪華な金の装飾。
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大理石の色が美しい。
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深いグリーンの壁が美しい部屋。 壁紙ではなく、石のような?
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この部屋の天井画もまた素晴らしい。
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ルイ14世の石像がある部屋。
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「戦争の間」
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「戦争の間」天井画。
-
「戦争の間」天井画。
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ベルサイユ宮殿を造った太陽王、ルイ14世の肖像画。
-
絵画やタペストリーがホントに多いなぁ!
-
次の部屋はいよいよ鏡の回廊だ。
-
ヴェルサイユ宮殿と言えば、この「鏡の回廊(ギャラリー)」でしょうね!
回廊と名がついてはいるが、全長73mの巨大な大広間だ。
北翼棟と南翼棟を繋ぐ中間に位置している。
ルイ16世とマリーアントワネットの王室礼拝堂での結婚式の後は、ここで各国の大使から贈り物が捧げられ、数日後には仮面舞踏会が盛大に開かれたという。 -
たくさんのクルスタルの巨大シャンデリアには圧倒される。
床は地味な感じの木組みの床だ。 -
側面にズラリと並ぶ357枚の大きな鏡は見事としか言いようがない。
が、よく見るとかなり曇っているのが気になった。写真ではわかりにくいけれど…
観光客があまりにも多いので埃っぽくなるのかな。 -
ここで、あらゆる儀式や謁見、即位式などが行われ、
第一次大戦後の1919年、ヴェルサイユ条約の調印式も行われたという。
夜な夜な舞踏会が開かれていただけではないんですね。
因みに、当時はもっと多くの銀製品の調度品が飾られていたが、晩年のルイ14世がスペインとの王位継承争いの為の戦費を捻出する為に売却したとか。 -
鏡の回廊の南隣には「平和の間」
-
平和の間、天井画。
-
平和の間から鏡の回廊を望む。
-
マリー・アントワネットの寝室。
ルイ14世の妻もルイ15世の妻も使用したが、この内装はマリーアントワネットのもの。
ベッドの左にある家具は、宝石タンス。フランス革命でオークションで売られたが、後に国によって買い戻された。
しかし、ここで本当に公開出産が行われたんですねぇ…
公開出産は、子供のすり替えなどを防ぐ為の恒例行事だったというのも驚きだ。 -
ベッドの右側の鏡の上にある肖像画は、マリーアントワネットの母、マリア・テレジア。
夫婦仲は悪くはなかったといわれているが、初産は結婚7年後、21才の時だった。
ルイ16世になんらかの問題があったという記録もあるらしい。 -
延々と豪華な部屋が続く。
-
ナポレオンが妻に妃の冠を授けるシーンを描いた「ナポレオンの戴冠式」
ルーブル美術館にあるものとは別バージョンのもので、レプリカというわけではないそう。 -
戦闘が描かれている絵画もけっこうある。
-
階段室。
-
階段室途中。
-
大理石をふんだんに使った階段を降りる。
-
この階段を降りると、早くも宮殿内の見学は終わり。
2300室もの部屋があるが、わずか20室あまりしか一般公開されてないのか…
ちょっと物足りなかった。
が、さすが世界一豪華な宮殿と言われるだけの豪華絢爛さ! 圧巻だった。
この宮殿につぎ込んだ経費がいかに莫大なものか、ルイ14世がこの宮殿をいかに愛していたかは、よーく理解できました。
ただ、私的に残念だったのは、全体的に掃除が行き届いていなかったこと。
特に床が埃っぽく、小さなゴミがあちこちにあり、鏡面は全て曇っていたと思う。
観光客が多すぎるからなのかな。
数年前に見学したウィーンのシェーンブルン宮殿は、40室をじっくりと見学できたが、床も壁も調度品も見事に手入れされていて、気持ちよく歩けた。
掃除が行き届き、全てが磨きこまれていたと思う。
そういえば、ひと部屋に入れる人数を制限していたからざわついてもいなかった。
それと、シェーンブルン宮殿に比べて家具や調度品が少なかったような…?これは気のせいかもしれません。
フランス革命で掠奪されたり、壊されたり、移動したりしたのかな。
しかし、シェーンブルン宮殿はヴェルサイユ宮殿を参考に建てられたということだし、ルートヴィッヒ2世もヴェルサイユ宮殿を模したヘレンキームゼー城を建てたし(建てようとしていたし)
やはり、ヴェルサイユ宮殿は偉大な魅力をたたえた特別な宮殿なんですね。 -
庭園側の外に出たところ。
この広場は、18世紀後半に起こったフランス革命の発端の舞台だ。
フランス革命とは、絶対君主制に耐えかねたパリ市民による革命ですが、
1789年7月14日、弾圧城と呼ばれていたバスチューユ牢獄がパリ市民によって襲撃されたのが皮切り。
10月6日、ヴェルサイユ宮殿に多くの民衆がなだれ込み、王一家は一時は逃げたが、
結局、このバルコニーにルイ16世とマリーアントワネット達が姿を現した。
民衆の騒ぎは何とか静まったが、王一家はその日のうちにパリのチュールリー宮殿へ向かうしかなかなかったらしい。つまり、軟禁されたわけですね。
以後、王一家はヴェルサイユ宮殿には二度と戻ることはなかった。 -
庭園の散策には別料金が必要だとわかってビックリ! 1人6ユーロも?払った。
今はいくらになってるかな?
庭園の広さは、830ヘクタール。
宮殿から庭園に出てすぐの場所にある池は、彫刻で囲まれていいる。 -
ヴェルサイユ宮殿を背に、円形のラトナの泉(噴水)からまっすぐ続く大運河を望む景色。
この土地には元々近くに水源も河川もなかったので、ルイ14世は、10キロ以上離れたセーヌ川から水をひく為に古代ローマの技術を参考にした水道橋を造らせたとか!
そして巨大な貯水槽を造り、その水で華麗な噴水を吹き上げさせた、という。
あの時代にそんな大胆な発想を実現させたとは!
ルイ14世は宮殿だけでなく庭園にも、というか、庭園のほうに多くの費用をかけたのだ。
自分の権威を世間に知らしめるには充分だったのだろう。
やっぱりスゴイ人物! -
庭園内を移動する為の「プチ・トラン」というトラムに乗ることにした。
-
2キロほど離れたプチ・トリアノンに向かう。
他の移動手段として、レンタサイクルやレンタカーもあったが、歩いている人もいた。 -
延々と続く並木道・・・きれいに手入れされていて気持ちがいい。
ルイ14世は庭園は宮殿よりも重要だと考え、宮殿よりも多くの人員をつぎ込み、
森林や沼地を切り開いて、フランス全土から木材などを調達したという。
完成までには約40年かかっている。 -
ここで下車。
-
プチ・トリアノンは12時が開門なのでしばらく待つ。
-
プチ・トリアノンは、敷地の端っこあたりにあり
元々ルイ15世の愛妾ポンパドール夫人の発案で建設が始まった離宮だったが、
完成した1768年にポンパドール夫人は亡くなっていた。
そして、ルイ15世の最後の愛人デュバリー夫人のものになったが
ルイ15世が亡くなると、跡を継いだルイ16世がマリー・アントワネットにプレゼントした(欲しがっていたとか)という訳だ。
宮廷の窮屈な生活に嫌気がさしていたマリー・アントワネットは、この離宮で過ごすことが増えていったという。
そして庭園に、農村に見立てた集落(王妃の村里)を造らせ、
ここで田舎の雰囲気を楽しんでいたのだ。 -
12時になり、入場。
これが、プチ・トリアノン(小トリアノン宮殿)
正立方体の建物で、ロココ様式から新古典派様式への移行期における最高峰と言われている。小トリアノン宮殿 城・宮殿
-
中には王とマリー・アントワネットの少数の内輪の者しか入ることができず、
マリー・アントワネットがここに入り浸ることが増えていくにつれ、
宮廷内の殆どの貴族達から孤立していった。(そりゃそうだろうな)
外から見えなくできるしかけのある窓があったり、ビリヤードがあったり、
王妃の好みの色柄(ピンク系の花柄など)で統一されていた部屋やリラックスできそうな雰囲気の部屋があったように記憶しているが、なぜか写真がない…
撮影禁止だったんでしょうね。 -
プチ・トリアノン宮殿からイギリス式庭園をブラブラ進んでいくと、こんな立派な東屋がある。
大理石で造られており、中央には「愛のキューピット」の彫刻もあり、床は美しいタイル貼り。
こんな豪華な東屋は見たことない!
で、「愛の殿堂」というのだそうで…
まさに、ここでスウェーデン貴族のフェルゼンとの密会をしていたのだ。
フェルゼンは裕福でイケメンで人気者で、愛人がいながらも、マリーアントワネットを尊敬し深く愛していたと言われている。
そして、2人の愛は最後までプラトニックだった。 -
愛の殿堂から見えるプチ・トリアノン宮殿。
-
本物の田舎を歩いているような気分になってきた。
-
白鳥?
-
宮殿とラトナの泉付近はあんなに人が多かったのに、ここにはなんと私達以外誰もいない。
ここまで来る人は少ないのかな? -
水草が浮いている大きな池。
マリー・アントワネットは子供たちと一緒にこの池で水遊びをしていた。 -
カモたちがのんびり泳いでいる。
-
池の周りには田舎風の建物が点在している。
ホンモノの田舎というより、童話の中の田舎ですね。
これらの建物の中は宮殿と同じような内装に造られていたという。
(お姫さまは田舎の家の中を想像することができなかったとか?) -
水車小屋。
まさに童話絵本の挿絵のようなかわいらしさ! -
水車小屋の裏側。
これらの建物のうちいくつかは、悲しいかな、フランス革命中に酒場となったという。 -
マルルボローの塔。
あの塔から自分好みに造った田舎の景色を眺めていたのかな。 -
王妃の田舎家、と呼ばれる結構大きな建物。
マリー・アントワネットは、出産するまでは夜な夜な舞踏会を楽しみ、毎日ギャンブルなどで派手に遊んでいたというが、孤独から逃れたかっただけなのかも。
出産後は母親に徹しており、ヒマさえあれば子供たちとここに来て自然と戯れたり、ビリヤードをしたり、食事やティータイムを楽しんだという。
すぐ裏には料理保温小屋があるということで、
食事はやはり宮廷風だったということでしょうね。 -
別角度からの王妃の田舎家。 よく見たら渡り廊下で2軒が繋がっている。
外側は田舎家風で中は宮殿風とは、大工さんご苦労様!ですね。
この王妃の村里、3年ほど前にやっと完璧に修復作業が終わったんだとか。
修復に着手する前は、草ぼうぼうで結構荒れていたようですね。 -
畑がたくさんあり、実際に色んな作物が栽培されていて(ぶどう畑も)農作業している人も見かけた。
-
庭園を手入れしている人もいた。
この童話の中のような村里を造るには、約30億円以上かかったそうで
その頃、3年以上続いていた飢饉にあえぐ国民の苦しみなど、全く理解できるわけはなかっただろう。 -
池から小川が伸びていてこんな橋が架かっている。
どこからか、コケコッコーー! という鳴き声がたまに響くのが楽しい。 -
のどかだなぁ・・・
風も心地よく、そんなに暑くもなくサイコーの気持ち良さ! -
橋の下を見ると、魚がたくさん!
-
酪農小屋。 ミルク、チーズ、バターが作られていたのでしょう。
今はトイレになっていた。 -
現在、このような家の中はどうなっているんだろう? どの建物も入場できないのが残念。
老朽化しているので危険なのか? -
ここで子供たちと追いかけっこでもしていたのかな?
そう思うとなんだか切なくなった。 -
農場、と呼ばれるゾーン。
コケコッコーー! の発信元。 -
藁ぶき屋根に鳩がいっぱい!
-
牛が時々、モーーと鳴いていた。
他にもヤギや馬などの家畜もいたので、きちんと飼育されているのだろう。 -
出口に向かう道すがら、日本の松のように剪定された木々があった。
そろそろ王妃の空想世界から現実に戻ります。
気の向くままのんびりと散策できて、爽やかな気分になったような…
ヴェルサイユ宮殿とは全くの別世界を存分に味わえて大満足でした。
まさか、200年ほど前に、ここまで大規模で本格的な田舎の風景を造りあげていたとは、本当に驚きです。
余談ですが、
この村里の設計士はフランス革命でギロチン処刑されたそうで…
宮廷お抱え設計士ということで、王妃と運命を共にしたわけですね。
派手で華やかなイメージのマリー・アントワネットですが、本当はこのような田舎が最も落ち着く場所だったのかもしれません。
が、農民の本当の苦労など知る由もなく…に決まってますね。
夫のルイ16世と仲がよかったとはいえ、ルイ15世の寵姫デュバリー夫人と犬猿の仲となり、宮廷内はアントワネット派とデュバリー派に別れていたというし、美人で軽率な行動が多い…というのは、敵視されてもおかしくないし、
ここは精神を安定させる場所として大切な場所だったのでしょう。
1793年、コンコルド広場の断頭台に立ったマリー・アントワネットは
ウィーンでの幼少時代の日々と共に、ここでの楽しかった日々を思い出していたのではないかな…と思った。
またまた余談ですが、
フランス革命後、ここにマリーアントワネットの幽霊が出たという目撃談が広まったそうで「トリアノンの幽霊」として語り継がれているそうです。 -
余韻に浸りながらしばらく行くと・・・
-
このようなステキな場所に出ました。
-
フレンチパビリオンと呼ばれる小さな建物。
-
しばらく歩くと、グラントリアノン宮殿(大トリアノン宮殿)がある。
この離宮はルイ14世とその公妾との隠れ家として1687年に造られた。
時にはお気に入りの客を招き、堅苦しさを排除したパーティなどを開いたそうだ。大トリアノン宮殿 城・宮殿
-
グラントリアノン宮殿の庭園。
-
花壇には色とりどりの花が咲き乱れていて美しい。
-
グラントリアノンの列柱回廊。
-
サーモンピンク色の大理石が美しい。
大理石のトリアノン、とも呼ばれているという。 -
この内部にも入ったはずなのに、写真がない・・・
ここも撮影禁止だったのかなぁ…?
派手な明るい色が使われていて、宮殿内の豪華さ、重厚さとはまたひと味ちがう、
華やかさのある部屋が多かったように思う。 -
フランス革命でルイ16世の調度品は全て持ち出されたので
現在の調度品はナポレオン1世が使用していたものだとか。
ルイ16世の死後、様々な王族や皇族などが使用し
1810年から4年間、ナポレオン1世(主に妻)が住んでいたというのにはちょっとビックリ! -
優美な建物はイタリア風建築だそうで、美しい庭園はフランス式庭園です。
この大きな建物と広い庭園がなぜに隠れ家?
とも思うが、もぅここまでくるとさほど驚かなくなってくる… -
いきなり海!? …なワケないですね(^^;
グラントリアノンの近くの、小運河と呼ばれる運河の先端部分です。
大運河と十文字に交わる短めの運河です。
運河は舟遊び用に造られたとか。
今も観光用貸ボートに乗ることができる。
あまり水はきれいじゃないけど…
結構カモメが多く、うるさいくらい鳴いていた。 -
大運河と小運河の交わるあたりの芝生にてひと休み。
涼しくて風も気持ちいいので、広大な芝生では、ピクニックのように寛ぐ人達もたくさんいた。
この後、遠く背後に見えるヴェルサイユ宮殿に向かって、大運河沿いに歩いていった。 -
大運河沿いからアポロンの泉を通過し、広大な花壇の広がる庭園を通りぬけて、ヴェルサイユ宮殿に辿り着いた。
が、なぜか写真が残っていない。。。
で、この写真はどこで撮ったのかな?(^^; -
宮殿内の土産物店に入ったら、大混雑!!
品物をゆっくり見ることもままならず、というより、スリが喜びそうな?!
即、退散。
宮殿と黄金の門に別れを告げて駅に向かいます。 -
このユニークな門を出ると、ヴェルサイユ宮殿の敷地外になる。
-
-
駅に向かって歩いてると、急にお腹が空いてきた。
気がつけばもう2時をとっくに過ぎている。 -
大通り沿いにあるショッピングセンター?のような商店街。
この中にたくさんの人で賑わうサンドイッチの店があったので、ここでランチすることにした。
アイソのない女性店員が大ざっぱにドサドサと具を挟んでくれた固いフランスパンのサンドイッチは・・・
めっちゃおいしかったー!
ヴェルサイユだけでかなりの枚数になったので一旦ここで区切ります。
この日の後半は、パリのオペラ座見学など、オペラ地区街歩きです。
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