カルス旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今回の旅行の3つの目的地『カヤキョイ』『アフラット』ときて、最後は『アニ遺跡』。<br />幾度となく写真を見てはため息をついた、長年の憧れの地です。<br /><br />カルスから遺跡までのバスは『Gazi Ahmet Muhtar Paşa Atl』のそばのカフェ横から出ています。<br />『10時発』だと教えられましたが、日曜日は11時発でした(シーズンのオン・オフによっても違うかも)。<br />料金は片道9リラですが、乗車時に往復分のチケットを買わされます。<br /><br />私はツアーが苦手なのでこのバスを利用しましたが、どのみち同じバスで帰ってこないといけないので、時間に制約があり、ツアーで行っても大差ないかもしれません。<br /><br />ちなみにツアーは、なんちゃらという湖にも立ち寄り、<br />『HOTEL KENT ANI』では70リラ、『KONAK HOTEL』では50リラ。<br />料金が違う理由はよくわかりません。ランチとかかな? …もしやボッタ…<br /><br /><br />アニ遺跡:アルメニアとの国境アフリアン川に面する都市遺跡。10世紀頃に最盛期を迎えたが、その後、地震や侵略により衰退した。<br />2016年、ユネスコ世界遺産に登録。<br /><br /><br />【旅程】<br />□4月14日      機内泊<br />□4月15日      バス泊<br />□4月16日   フェティエ泊<br />□4月17日   フェティエ泊<br />□4月18日      バス泊<br />□4月19日     コンヤ泊<br />□4月20日     コンヤ泊<br />□4月21日     コンヤ泊<br />□4月22日    ギョレメ泊<br />□4月23日    ギョレメ泊<br />□4月24日    ギョレメ泊<br />□4月25日    ギョレメ泊<br />□4月26日    カイセリ泊<br />□4月27日    カイセリ泊<br />□4月28日      列車泊<br />□4月29日    タトワン泊<br />□4月30日    タトワン泊<br />□5月01日    タトワン泊<br />□5月02日   エルズルム泊<br />□5月03日   エルズルム泊<br />□5月04日     カルス泊<br />■5月05日     カルス泊<br />□5月06日     カルス泊<br />□5月07日 イスタンブール泊    <br />□5月08日 イスタンブール泊<br />□5月09日      機内泊<br />□5月10日       帰国<br /><br /><br />【為替レート】<br />1リラ≒20円

2019春14 トルコ(カルス・アニ遺跡)

12いいね!

2019/04/14 - 2019/05/10

8位(同エリア17件中)

旅行記グループ ’19 トルコ

2

74

小心者

小心者さん

今回の旅行の3つの目的地『カヤキョイ』『アフラット』ときて、最後は『アニ遺跡』。
幾度となく写真を見てはため息をついた、長年の憧れの地です。

カルスから遺跡までのバスは『Gazi Ahmet Muhtar Paşa Atl』のそばのカフェ横から出ています。
『10時発』だと教えられましたが、日曜日は11時発でした(シーズンのオン・オフによっても違うかも)。
料金は片道9リラですが、乗車時に往復分のチケットを買わされます。

私はツアーが苦手なのでこのバスを利用しましたが、どのみち同じバスで帰ってこないといけないので、時間に制約があり、ツアーで行っても大差ないかもしれません。

ちなみにツアーは、なんちゃらという湖にも立ち寄り、
『HOTEL KENT ANI』では70リラ、『KONAK HOTEL』では50リラ。
料金が違う理由はよくわかりません。ランチとかかな? …もしやボッタ…


アニ遺跡:アルメニアとの国境アフリアン川に面する都市遺跡。10世紀頃に最盛期を迎えたが、その後、地震や侵略により衰退した。
2016年、ユネスコ世界遺産に登録。


【旅程】
□4月14日      機内泊
□4月15日      バス泊
□4月16日   フェティエ泊
□4月17日   フェティエ泊
□4月18日      バス泊
□4月19日     コンヤ泊
□4月20日     コンヤ泊
□4月21日     コンヤ泊
□4月22日    ギョレメ泊
□4月23日    ギョレメ泊
□4月24日    ギョレメ泊
□4月25日    ギョレメ泊
□4月26日    カイセリ泊
□4月27日    カイセリ泊
□4月28日      列車泊
□4月29日    タトワン泊
□4月30日    タトワン泊
□5月01日    タトワン泊
□5月02日   エルズルム泊
□5月03日   エルズルム泊
□5月04日     カルス泊
■5月05日     カルス泊
□5月06日     カルス泊
□5月07日 イスタンブール泊    
□5月08日 イスタンブール泊
□5月09日      機内泊
□5月10日       帰国


【為替レート】
1リラ≒20円

同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
航空会社
エティハド航空
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • カルスから南東に45キロ、アニ遺跡に到着。<br />バスを降りる際に『14時半までに戻るよう』念を押される。<br /><br />…たった2時間しかない。<br /><br />気が済むまで歩き回りたければタクシーやレンタカーを利用するしかなさそう。

    カルスから南東に45キロ、アニ遺跡に到着。
    バスを降りる際に『14時半までに戻るよう』念を押される。

    …たった2時間しかない。

    気が済むまで歩き回りたければタクシーやレンタカーを利用するしかなさそう。

  • 入場料10リラを支払い、ライオンのレリーフのある門から遺跡へ。<br /><br />イタチではないらしい。

    入場料10リラを支払い、ライオンのレリーフのある門から遺跡へ。

    イタチではないらしい。

  • トルコの端っこ。<br />長年あこがれ続けたこの地についに立つことができた。

    トルコの端っこ。
    長年あこがれ続けたこの地についに立つことができた。

  • 街を囲んでいた『CITY-WALLS』。<br />長さは4.5キロに及び、7つのゲートがあったという。<br /><br />もうこれだけで感無量。

    街を囲んでいた『CITY-WALLS』。
    長さは4.5キロに及び、7つのゲートがあったという。

    もうこれだけで感無量。

  • CITY-WALLに設けられた半円形のドーム。<br />この風情がたまらない。

    CITY-WALLに設けられた半円形のドーム。
    この風情がたまらない。

  • 川や柵によって隔てられるトルコ側とアルメニア側。<br />あれを超えたらおそらく狙撃される。

    川や柵によって隔てられるトルコ側とアルメニア側。
    あれを超えたらおそらく狙撃される。

  • 訪れる日を今日にするか明日にするかでずいぶん迷ったが、

    訪れる日を今日にするか明日にするかでずいぶん迷ったが、

  • 天気が良くて暖かかったので、今日で正解だったと思う。<br />悪天候だと本当に寒いので。

    天気が良くて暖かかったので、今日で正解だったと思う。
    悪天候だと本当に寒いので。

  • 美しいアーチと壁の一部が残る。<br />元はどんな建物だったのだろう。

    美しいアーチと壁の一部が残る。
    元はどんな建物だったのだろう。

  • 手前の草むらに小動物(極小)。リスかな?<br /><br />崖の上から撮っているのだが、乗り出していると、近くにいた若者がすかさずやって来て腕を支えてくれた。<br />この国の人にとって、見知らぬ老人を介助するのはごく当たり前のことらしい。<br />若者が男前だったので「ぽぅっ」となっている私は、心が穢れすぎだ。<br />蹴り落とされても文句は言えない。

    手前の草むらに小動物(極小)。リスかな?

    崖の上から撮っているのだが、乗り出していると、近くにいた若者がすかさずやって来て腕を支えてくれた。
    この国の人にとって、見知らぬ老人を介助するのはごく当たり前のことらしい。
    若者が男前だったので「ぽぅっ」となっている私は、心が穢れすぎだ。
    蹴り落とされても文句は言えない。

  • 岩肌には多くの岩窟住居が見られる。<br />あの辺りはアルメニア領になるのかな?<br />洞窟教会もあるのだとか。

    岩肌には多くの岩窟住居が見られる。
    あの辺りはアルメニア領になるのかな?
    洞窟教会もあるのだとか。

  • 北西の角に建つ『SELJUK PALACE』<br /><br />ここは中も外もあまりにきれいに修復されていたので、さっと見学。<br />内部は『古さを装った新しい建物』のよう。

    北西の角に建つ『SELJUK PALACE』

    ここは中も外もあまりにきれいに修復されていたので、さっと見学。
    内部は『古さを装った新しい建物』のよう。

  • 草地には多くの羊が放牧されていてのどかな雰囲気。<br />この雄大な景色も一見の価値がある。<br /><br />それにしても、よくこんな場所に街を築いたなぁ。

    草地には多くの羊が放牧されていてのどかな雰囲気。
    この雄大な景色も一見の価値がある。

    それにしても、よくこんな場所に街を築いたなぁ。

  •  『KING GAGIK&#39;S CHURCH』 <br />(ガギク王の 聖グリゴール聖堂)<br /><br />

    『KING GAGIK'S CHURCH』
    (ガギク王の 聖グリゴール聖堂)

  • 10世紀初めに建てられたロトゥンダ(円形の建築物)。

    10世紀初めに建てられたロトゥンダ(円形の建築物)。

  • 中心には四つ葉のクローバーの形をした聖堂。<br />柱が立つ土台はおそらくその四弁のうちの一つだろう。<br /><br />無造作に転がる円柱の土台には美しい彫刻が残る。

    中心には四つ葉のクローバーの形をした聖堂。
    柱が立つ土台はおそらくその四弁のうちの一つだろう。

    無造作に転がる円柱の土台には美しい彫刻が残る。

  • その周りを廊下が取り巻き、

    その周りを廊下が取り巻き、

  • 聖堂と廊下を円形の外壁がぐるりと囲んでいた。<br />(説明ヘタクソすぎ)

    聖堂と廊下を円形の外壁がぐるりと囲んでいた。
    (説明ヘタクソすぎ)

  • 他の遺構に比べて崩壊が激しいことから、建築構造に問題があった可能性が指摘されている。

    他の遺構に比べて崩壊が激しいことから、建築構造に問題があった可能性が指摘されている。

  • 野良牛? <br />

    野良牛? 

  • 『ABUGHAMRENTS CHURCH』<br />(アブガムル家の 聖グリゴール聖堂)<br /><br />

    『ABUGHAMRENTS CHURCH』
    (アブガムル家の 聖グリゴール聖堂)

  • 980年頃に建てられた小さな教会。<br />赤、黒、茶色がかった滑らかな石で造られている。

    980年頃に建てられた小さな教会。
    赤、黒、茶色がかった滑らかな石で造られている。

  • 内部。<br />天井には12個の窓があり、そこから入る光で明るい。

    内部。
    天井には12個の窓があり、そこから入る光で明るい。

  • ぽつんと佇む小さな聖堂は『アニ遺跡』のシンボリック的な存在。<br /><br />かつて見た写真では屋根が草生していたが、現在はきれいなものだ。<br /><br />

    ぽつんと佇む小さな聖堂は『アニ遺跡』のシンボリック的な存在。

    かつて見た写真では屋根が草生していたが、現在はきれいなものだ。

  • 『12世紀の住宅跡』

    『12世紀の住宅跡』

  • 住居跡の壁の上に立ち、丘の上の城塞をのぞむ。<br />時間があれば行ってみたかったなー。<br />あそこは間違いなく「たまらん」と思うんだがなー。<br /><br />バスに置いていかれる覚悟がつかない。<br />意外と何とかなりそうな気もするんだが…

    住居跡の壁の上に立ち、丘の上の城塞をのぞむ。
    時間があれば行ってみたかったなー。
    あそこは間違いなく「たまらん」と思うんだがなー。

    バスに置いていかれる覚悟がつかない。
    意外と何とかなりそうな気もするんだが…

  • 反対側にはモスクの塔。<br /><br />そろそろ方向感覚が狂ってきた。<br />『歩き方』に載っていた地図(極小かつ超アバウト)は持っているのだが、これで理解できる人間がいるとは思えない…(やんわりディスる)

    反対側にはモスクの塔。

    そろそろ方向感覚が狂ってきた。
    『歩き方』に載っていた地図(極小かつ超アバウト)は持っているのだが、これで理解できる人間がいるとは思えない…(やんわりディスる)

  • 『THE MOSQUE OF MANUCHIR』<br />(マヌッチ・モスク)<br /><br />1072年築。<br />アナトリアに建てられた最初のモスクとされている。

    『THE MOSQUE OF MANUCHIR』
    (マヌッチ・モスク)

    1072年築。
    アナトリアに建てられた最初のモスクとされている。

  • 元々は住居または宮殿として建てられたが、のちにモスクに転用され、ミナレットが付け足された。

    元々は住居または宮殿として建てられたが、のちにモスクに転用され、ミナレットが付け足された。

  • 六角形のミナレット部分はほぼオリジナルらしい。<br />天辺は垂直に切れていて、現在は保護のための屋根が設けられている。

    六角形のミナレット部分はほぼオリジナルらしい。
    天辺は垂直に切れていて、現在は保護のための屋根が設けられている。

  • 赤と黒の滑らかな凝灰岩で造られた内部。<br />元々がモスクではなかったため、鳥の巣はあるがミフラーブがない。<br /><br />ここは人気の撮影スポットらしく、人口密度が高い。

    赤と黒の滑らかな凝灰岩で造られた内部。
    元々がモスクではなかったため、鳥の巣はあるがミフラーブがない。

    ここは人気の撮影スポットらしく、人口密度が高い。

  • モスク内部にある4つの窓の一つから。<br /><br />高低差のある場所に建っているため、こちら(東)側は高さがある。

    モスク内部にある4つの窓の一つから。

    高低差のある場所に建っているため、こちら(東)側は高さがある。

  • 国境のアフリアン(Akhurian)川に架かる『SILK ROAD BRIDGE』。<br /><br />9世紀に造られたとされるこの石橋は、かつてシルクロードとアナトリアを繋いでいた。<br />二階建ての橋の下部はキャラバン、上部は歩行者と兵士が行き来した。<br />石造りの橋は完全に破壊され、両サイドの大きな足場だけが残っている。<br /><br />※これらの情報は、翌日に頂いたパンフレットで知った(´・_・`)

    国境のアフリアン(Akhurian)川に架かる『SILK ROAD BRIDGE』。

    9世紀に造られたとされるこの石橋は、かつてシルクロードとアナトリアを繋いでいた。
    二階建ての橋の下部はキャラバン、上部は歩行者と兵士が行き来した。
    石造りの橋は完全に破壊され、両サイドの大きな足場だけが残っている。

    ※これらの情報は、翌日に頂いたパンフレットで知った(´・_・`)

  • 写真左上に小さく見えるのは『マリア修道院』。<br /><br />あのような辺境(?)にある遺構こそ見たくてたまらないのだが、いかんせん時間と体力が足りず、断念せざるを得ない。

    写真左上に小さく見えるのは『マリア修道院』。

    あのような辺境(?)にある遺構こそ見たくてたまらないのだが、いかんせん時間と体力が足りず、断念せざるを得ない。

  • 大きく蛇行するアフリアン川。

    大きく蛇行するアフリアン川。

  • 『CATHEDRAL(Fethiye mosque)』<br />(カテドラル)<br /><br />アニで最大かつ最も重要な建物とされている。<br /><br />すさまじく修復中。

    『CATHEDRAL(Fethiye mosque)』
    (カテドラル)

    アニで最大かつ最も重要な建物とされている。

    すさまじく修復中。

  • 外形は完全な長方形。<br /><br />足場が写らないように撮るのはほぼ不可能な状態。

    外形は完全な長方形。

    足場が写らないように撮るのはほぼ不可能な状態。

  • Smbat2世の命令によって990年に建設が開始され、その後継者であるガギク・バグラトゥニ王の妻カトラニデによって1010年までに完成した。<br /><br />

    Smbat2世の命令によって990年に建設が開始され、その後継者であるガギク・バグラトゥニ王の妻カトラニデによって1010年までに完成した。

  • 設計したのは偉大な建築家Trdat。<br />コンスタンチノープルのアヤソフィア大聖堂のドームを修復したことでも知られる。

    設計したのは偉大な建築家Trdat。
    コンスタンチノープルのアヤソフィア大聖堂のドームを修復したことでも知られる。

  • セルジューク朝のトルコ人Sultan Alparslanがアニを征服した後、モスクに転用、『フェティエ・ジャーミー(勝利のモスク)』と改名された。<br />しかしその後の1124年、ダヴィデ王(ジョージア)によってキリスト聖堂に戻された。<br /><br />

    セルジューク朝のトルコ人Sultan Alparslanがアニを征服した後、モスクに転用、『フェティエ・ジャーミー(勝利のモスク)』と改名された。
    しかしその後の1124年、ダヴィデ王(ジョージア)によってキリスト聖堂に戻された。

  • 玄武岩で出来た柱の土台部分。<br /><br />尚、写ってないが、内部も修復中でとっ散らかっている。

    玄武岩で出来た柱の土台部分。

    尚、写ってないが、内部も修復中でとっ散らかっている。

  • 柱は大きな『束ね柱』で、非常に存在感がある。

    柱は大きな『束ね柱』で、非常に存在感がある。

  • 1319年の大地震で抜け落ちたという中央ドームの屋根。

    1319年の大地震で抜け落ちたという中央ドームの屋根。

  • 修復でここも塞がれちゃうのかな…

    修復でここも塞がれちゃうのかな…

  • 『手つかずな部分』を探して彷徨う。<br /><br />

    『手つかずな部分』を探して彷徨う。

  • 後世に残すために修復は仕方ないのだろうけれど、勝手ながら「あまりにもきれいにはしないで」というのが正直な気持ちだ。

    後世に残すために修復は仕方ないのだろうけれど、勝手ながら「あまりにもきれいにはしないで」というのが正直な気持ちだ。

  • 坂道を下りて、次なる場所へ。<br /><br />しかし方向音痴が炸裂して混乱の極み。<br />地図、難解すぎて草www

    坂道を下りて、次なる場所へ。

    しかし方向音痴が炸裂して混乱の極み。
    地図、難解すぎて草www

  • 『TIGRAN HONENTS CHURCH』<br />(ティグラン・ホネンツの 聖グリゴール聖堂)<br /><br />アニで最も保存状態のよい建物。<br />

    『TIGRAN HONENTS CHURCH』
    (ティグラン・ホネンツの 聖グリゴール聖堂)

    アニで最も保存状態のよい建物。

  • 東の端、アフリアン川の20mの断崖の上に建つ。

    東の端、アフリアン川の20mの断崖の上に建つ。

  • ティグラン・ホネンツという名の裕福な商人によって寄進された。<br /> 1215年の完成。<br /><br /><br />

    ティグラン・ホネンツという名の裕福な商人によって寄進された。
    1215年の完成。


  • キリスト磔刑を描いたフレスコ画。<br /><br /><br /><br />

    キリスト磔刑を描いたフレスコ画。



  • かつてあった屋根が崩れ落ち、白日のもとに晒されている。

    かつてあった屋根が崩れ落ち、白日のもとに晒されている。

  • 内部に入り、その美しさに目を見張る。<br /><br />

    内部に入り、その美しさに目を見張る。

  • この教会は『CHURCH WITH FRESCOES』(フレスコ画の教会)という別称を持つ。<br /><br />

    この教会は『CHURCH WITH FRESCOES』(フレスコ画の教会)という別称を持つ。

  • その名の通り、壁はカラフルなフレスコ画で覆われている。<br /><br />『キリストの生涯』と『聖グレゴリオの生涯』を描いたものなのだそうだ。<br /><br />

    その名の通り、壁はカラフルなフレスコ画で覆われている。

    『キリストの生涯』と『聖グレゴリオの生涯』を描いたものなのだそうだ。

  • 以前に写真で見た際はもっと色鮮やかだった気がするが…<br />

    以前に写真で見た際はもっと色鮮やかだった気がするが…

  • 天井部分。

    天井部分。

  • ここもドームの窓から光が射しこんで明るい。<br /><br />この教会にはぜひ足を運んで欲しい。<br /><br />

    ここもドームの窓から光が射しこんで明るい。

    この教会にはぜひ足を運んで欲しい。

  • 『TIGRAN HONENTS CHURCH』を後に。<br /><br />元の道に戻るのが意外と大変。<br />途中の草むらでのんびり休む人たちが羨ましくてならない。<br />ここは絶対に弁当持参で来るべき場所だ。

    『TIGRAN HONENTS CHURCH』を後に。

    元の道に戻るのが意外と大変。
    途中の草むらでのんびり休む人たちが羨ましくてならない。
    ここは絶対に弁当持参で来るべき場所だ。

  • 『KUCUK HAMMAM』<br />(小さなハマム)

    『KUCUK HAMMAM』
    (小さなハマム)

  • 「小さな」というからには「大きな」もあるはずだが…

    「小さな」というからには「大きな」もあるはずだが…

  • 『CHURCH OF THE HOLY SAVIOUR』<br /><br />1291年と1342年に復元されたが、1930年の嵐により東半分が崩壊。<br />元の建物はほぼ円形だったという。

    『CHURCH OF THE HOLY SAVIOUR』

    1291年と1342年に復元されたが、1930年の嵐により東半分が崩壊。
    元の建物はほぼ円形だったという。

  • アニ遺跡を象徴する非常に美しい遺構だが、裏も表も足場に覆われしまっている。<br /><br /><br />私が『アニ遺跡』を『死ぬまでに行きたい場所』の一つに加えたのは、この遺構の写真に心を奪われたから。<br />(もちろんその写真に足場はなかった)

    アニ遺跡を象徴する非常に美しい遺構だが、裏も表も足場に覆われしまっている。


    私が『アニ遺跡』を『死ぬまでに行きたい場所』の一つに加えたのは、この遺構の写真に心を奪われたから。
    (もちろんその写真に足場はなかった)

  • 7つあったという門の一つだろうか。<br /><br />彼女たちは確か同じバスの人たちだ。<br />焦り気味だったが、ちょっと一安心。<br /><br />…しかし2分後には見失い、ますます焦る。

    7つあったという門の一つだろうか。

    彼女たちは確か同じバスの人たちだ。
    焦り気味だったが、ちょっと一安心。

    …しかし2分後には見失い、ますます焦る。

  • 『CITY-WALLS』遠景。<br /><br />この辺りから本格的に時間の余裕がなくなり、かなりの急ぎ足に。<br />人より行動がのろいので時間が圧倒的に足りない。<br />あちこちで無駄足を踏みまくった自分を吊るし首にしてやりたい。<br />(ついでに地図も)

    『CITY-WALLS』遠景。

    この辺りから本格的に時間の余裕がなくなり、かなりの急ぎ足に。
    人より行動がのろいので時間が圧倒的に足りない。
    あちこちで無駄足を踏みまくった自分を吊るし首にしてやりたい。
    (ついでに地図も)

  • 先に見えるのは『MOSQUE OF ABU&#39;L MUAMMARAN』<br />(エブル・ムハメダン・モスク)<br /><br />11世紀後半に建てられ、先述の『マヌッチ・モスク』によく似たモスクだったが、ミナレットはより高く、より幅広だった。<br />長方形の1階建てのモスクとミナレットは、20世紀の初めに崩壊。<br />ミナレットの大きな断片を除いて、このモスクにはほとんど何も残っていない。<br />(パンフレットより)

    先に見えるのは『MOSQUE OF ABU'L MUAMMARAN』
    (エブル・ムハメダン・モスク)

    11世紀後半に建てられ、先述の『マヌッチ・モスク』によく似たモスクだったが、ミナレットはより高く、より幅広だった。
    長方形の1階建てのモスクとミナレットは、20世紀の初めに崩壊。
    ミナレットの大きな断片を除いて、このモスクにはほとんど何も残っていない。
    (パンフレットより)

  • この辺りはちょうど街の中心部に当たり、通りに沿って遺構が残る。<br /><br />時間が欲しい!<br />

    この辺りはちょうど街の中心部に当たり、通りに沿って遺構が残る。

    時間が欲しい!

  • 振り返って 未練の一枚。<br /><br />焦るあまり、このモスクに近づけなかったことは最大の後悔。<br />こう見えて意外と距離があるのだ。<br /><br />あの屋根のようなものは倒壊した八角形(六角形?)のミナレットの残骸。

    振り返って 未練の一枚。

    焦るあまり、このモスクに近づけなかったことは最大の後悔。
    こう見えて意外と距離があるのだ。

    あの屋根のようなものは倒壊した八角形(六角形?)のミナレットの残骸。

  • 『SURP ARAKELOTS(聖使徒聖堂)』<br /><br />1031年に寄進された聖堂。<br />ゲートの装飾はイスラム建築の様式を反映している。<br />

    『SURP ARAKELOTS(聖使徒聖堂)』

    1031年に寄進された聖堂。
    ゲートの装飾はイスラム建築の様式を反映している。

  • ここも修復中で中には入れない。<br /><br />…まぁ、入ってる余裕もないんだが。

    ここも修復中で中には入れない。

    …まぁ、入ってる余裕もないんだが。

  • もう小走り。<br /><br />

    もう小走り。

  • こういう遺構の一つ一つを間近でじっくり見たかったなぁ。

    こういう遺構の一つ一つを間近でじっくり見たかったなぁ。

  • 私にとって 2時間はあまりにも短かった。

    私にとって 2時間はあまりにも短かった。

  • タイムアップでゲートへと向かう。<br />この辺りの市壁は非常にしっかり修復されている。<br /><br />バスに戻るとほぼ一番乗りで、<br />「まだ10分は見学できたのにぃぃ!!」<br />と、悔しさのあまり地団太を踏んだ。<br /><br /><br />滅びの美を堪能できるアニ遺跡。<br />願わくは、弁当持参でもう一度訪れて、思う存分歩き回りたい。<br />修復されすぎる前に…

    タイムアップでゲートへと向かう。
    この辺りの市壁は非常にしっかり修復されている。

    バスに戻るとほぼ一番乗りで、
    「まだ10分は見学できたのにぃぃ!!」
    と、悔しさのあまり地団太を踏んだ。


    滅びの美を堪能できるアニ遺跡。
    願わくは、弁当持参でもう一度訪れて、思う存分歩き回りたい。
    修復されすぎる前に…

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 鯨の味噌汁さん 2019/10/22 02:41:32
    なんか物語の中の風景
    ここは…ワシも行きたかったよー。
    アルメニア教会って、色が独特なんだよね。
    それが国境の草原にぽつんとある。
    なんかドラクエの中みたいな風景だなぁ。

    >バスに置いていかれる覚悟がつかない。
>意外と何とかなりそうな気もするんだが…

    この風景に身を置いてしまうと、気持ちはわかる!
    遺跡の近くにホテルがあるならやっちゃうかなぁ。

    結局さ、ひとり旅って、自分のワガママをどこまで許せるか、なんだろなー。

    とはいえホイホイやっていいのは若いうちで、60にもなって「バスに取り残されて雨の中10キロ歩く」なんてことやると、風邪引いちゃったテヘペロ、どころで済まなくなるから難しいよねぇ。

    あと、「どこまで近づいたら国境警備兵に狙撃されるか」なんて「ひとり肝試し」もやめとこうね。命がけも大概にしないと!


    小心者

    小心者さん からの返信 2019/10/22 20:44:45
    Re: なんか物語の中の風景
    コメントをありがとうございます!

    アルメニアの古い石造りの教会って本当に美しいですよね。
    鯨の味噌汁さんのホルビラップ修道院とアララト山のコンボ、めちゃくちゃいいですね。
    あそこは私も行きたかったです。

    >ひとり旅って、自分のワガママをどこまで許せるか

    そのとおりですね。
    私は人よりも体力も判断力も低いくせに、そのあたりを加減する能力が欠けているらしいです。
    遺跡までの道もその周辺も『The 荒野』という感じで、ヒッチハイクに失敗したら野宿確定です。
    あの辺りは夜は相当冷えるでしょうから、しめやかに人生が終了しそうです。

    しかしながら廃墟の魅力には勝てなくて、ついあんなことやこんなことや…
    いつか廃虚の地縛霊になりそうな予感がしますよ!

    狙撃されるのも一興ですが、連行されるのは勘弁してもらいたいところです。
    今後は、若い人と同じような行動は慎み、シニアらしい一人旅を心掛けたいです。なるべく。


    ところで! ご夫婦でインドに行ってらしたのですね!
    続きもめっちゃ楽しみにしています。あ、あと、
    マラカス靴は私も3足ほど持っていますが、高値では売れませんよ!
    いいかげん新しい靴を買いましょう(主に私)。

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