1993/11/24 - 1993/12/07
16位(同エリア111件中)
itaruさん
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入社3年目での初の海外出張はドイツのベルリンへ。実はこの街にはちょっと当時は思い入れがあった。大学2年の時の初海外はモスクワ2泊東欧1泊後のフリー旅行。最初は東欧の街はベルリンを選択していたのだけれども、東ベルリンの宿が取れなかった。そうこうしているうちにベルリンの壁は崩壊、東西ドイツも統一して……。目まぐるしく変わっていくドイツ最大の都市。この目で実際に見てみたいと思っていたところで、まさかのベルリン出張というのは驚きだったなあ。ベルリンで仕事を終えた後は半分仕事、半分遊びで旧東ドイツの田舎、ターレとヴェルニゲローデを巡り、という今では考えられない緩いものでした。最後にデュッセルドルフでもう一仕事という出張でした
11月24日 BA1008、988便 成田→ロンドン、ロンドン→ベルリン
11月29日 ベルリン~ターレ
11月30日 ターレ~ヴェルニゲローデ~ブロッケン山~ヴェルニゲローデ
12月1日 ヴェルニゲローデ~ブラウンシュバイク~デュッセルドルフ
12月6日 BA937、1007便 デュッセルドルフ→ロンドン、ロンドン→成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ブリティッシュエアウェイズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大学2年以来のドイツは英国航空でロンドン経由。この時の入国は緩くてびっくりだった。入国のスタンプを押すこともなく、赤いパスポートを確認するだけって感じ。冷戦が終わり、テロの心配もそれほどでもない。今考えると、そういう意味では一番旅行がしやすかった時期だったのかも。で、仕事は一日中ってことはなく、午前か午後にはある程度時間がある日も多かったのでベルリンを街歩き。宿は旧西ベルリンだったので、まずは戦争の傷跡が残るヴィルヘルム皇帝記念教会へ
ヴィルヘルム皇帝記念教会 寺院・教会
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11月だけれども早くも積もった雪を踏みしめながら進むと
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その先に立派な門が見えてくる
6月17日通り 散歩・街歩き
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ブランデンブルク門。ここは1989年11月9日に崩壊するまで東西ドイツを隔てていたベルリンの壁を象徴していた。壁が崩壊してからわずか4年だった頃。何か感傷的になる自分がいたなあ
ブランデンブルク門 建造物
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ということで東ベルリンへ。無個性なソ連的な鉄筋コンクリートの建物が目立つ東ベルリンの中で一際目立っていたのがこれ、テレビ塔
テレビ塔 建造物
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26日は少し曇り模様。ベルサイユ宮殿を手本にしたというシャルロッテンブルク宮殿から
シャルロッテンブルク宮殿 城・宮殿
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由緒ありそうな教会を眺めながら
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雪の残る(西)ベルリンの街を歩き
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再びブランデンブルグ門へ
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この日は仕事が比較的遅くからだったのでベルリン大聖堂から
ベルリン大聖堂 寺院・教会
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是非訪れたいと思っていたペルガモン博物館へ。イシュタール門をはじめ、古代バビロニアの遺跡の壮大さ。何とも見ごたえのある博物館に圧倒される
ペルガモン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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翌27日は午前中から仕事。少しだけ静かな雪景色のベルリンをそぞろ歩き。そして時間のできた28日の夜はオペラ「タンホイザー」を鑑賞
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翌日、ベルリンから鉄道で4時間ほど。仕事に個人的趣味も兼ねて訪れたのがハルツ山地北東部の田舎町ターレ
観光案内所 (ターレ) その他の観光・遊ぶ
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ベルリンから列車を乗り継いでやってきたのは
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雪深い山間の小さな町
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ボーデ谷という険しい谷間に位置するこの町は人口16000人(当時)ほど
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人を寄せ付けない険しい岩山、絶壁、うっそうとした森に囲まれたこの地は
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自然の神秘に満ちている。中世から変わらぬ谷間を流れるボーデ川
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そして厳しい自然環境は「魔女伝説」など不思議な話を生み出した
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かつては簡単に足を踏み入れることができなかったけれど、今ではリフトやケーブルカー(ゴンドラ)が敷設されて冬でも容易に山にアクセスすることができる
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とはいえ、雪の降っているこの時期は観光客なんて滅多にくるわけもなく、人影は……。最近の旅行記を見ると冬はゴンドラは営業してなかったと書いてある。確かに動かしても…、人はこないし、商売にならないよね。当然のことながら夏の間は観光客で賑わうワルプルギスホールや山上劇場も開いていない
ハルツ山上劇場 劇場・ホール・ショー
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雪に隠れて分かりにくいけれど、ここは険しい岩山。絶壁や深い谷底という地形は中世の人たちの想像をかきたてる。不気味な風の音や雷鳴が響けば「悪魔がきた」とか「魔女たちが集まって悪だくみをしている」なんて考えたんだろう
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昼間でも薄暗い森は危険に満ちていた。山賊もいただろうし、危険な野生動物に襲われる危険もあっただろう。突然、村人が姿を消した、なんてこともあっただろうし
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ゲーテの戯曲「ファウスト」には年に1度、悪魔の下に魔女たちが集まり、1年の間にどんな悪事をしたか報告しながら、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをしたという「ワルプルギスの夜」の一幕がある。ファウストの舞台はブロッケン山だけれども、ここターレも「ワルプルギスの夜」の言い伝えが残っている
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かなり雪が積もっているので、自由に歩き回るってわけにはいかなくて。ゴンドラ駅の周辺にHexentanzplatz(魔女の踊り場)という有名な岩場があるはず! この辺りだっけと写真を撮ったけど、残念ながら今一つ良く分からない
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真っ白な雪に包まれた森。この時期にやってくる観光客なんて……、滅多にいないか
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案内板にはTIERPARK(動物園)、HEXENTANZPLATZ(魔女の踊り場)の文字も
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シーズン中なら魔女に関する展示をはじめ、民族衣装やハルツ山地に関する絵を飾っているはずのワルプルギスホールのドアも「春になったらいらっしゃい」ってことで固く閉ざされたまま
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実り多き……、とは言えないけれども、山頂に長居することもできないので早々に撤収。この日の宿はB&B的な民宿です。東西ドイツが統一されて間もないころで、旧東ドイツのハルツ地方には大きなホテルはなく、家族経営の宿や民宿が主流だった。宿泊代も旧西側に比べれば安く、この民宿は1泊朝食付きで30マルク(約2000円)くらいだった
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翌日は厚く垂れこめていた雲もなく
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どうやら気持ちのいい1日になりそう。ターレの駅からローカル列車に乗り
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やってきたのはヴェルニゲローデ。ここには狭軌の鉄道、ハルツ山地縦断鉄道の発着地。ちょっと小柄だけど力強い走りを見せるこのSLに乗車します
ハルツ狭軌鉄道 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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ブロッケン山の山頂に向けて蒸気機関車が白い煙をあげながらマッチ箱のような客車を引っ張り進みます。山頂への旅は2時間ほど
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前日と打って変わって快晴で
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山頂は一面の銀世界が広がっている
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ふと見上げると魔女の標識! そう、ブロッケン山はゲーテのファウストの中で描かれた「ワルプルギスの夜」の舞台
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飲めや歌え、悪魔と魔女たちの饗宴がここで夜明かし開かれた
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夏ならハイキングするのもいい。冬でもクロスカントリースキーで周囲を散策する人もいるらしいけど。そういえば、雲がないので「ブロッケンの妖怪」には出会えなかった
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山頂には観測所やレーダーが設置されている。冷戦時代は東西ドイツ国境に位置したブロッケン山は東ドイツにとって、極めて軍事上重要な地域だった。だから、ベルリンの壁が崩壊するまで西側の旅行者が立ち入れなかった
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イチオシ
ブロッケン山への鉄道が再開したのはwikiによると1993年2月のこと
ブロッケン山頂 国立公園
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92~93年版の地球の歩き方「ベルリンとドイツ(東)」にはこの列車の記載がない。ヴェルニゲローデと南のノルトハウゼンをつなぐ狭軌のハルツ山地縦断鉄道が載っているだけ
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この列車を知ったのは会社のベルリン駐在の先輩が「こんな鉄道があるらしい」と教えてくれたから
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おかげでハルツ山地の自然美をたっぷり堪能することができた、感謝です
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ブロッケン山へのミニSLの旅を終えてヴェルニゲローデへ戻ってきたら
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旧東ドイツ時代に町全体が文化財保護の対象となった美しい街並みを巡りましょう
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町の中心部、マルクト広場の前にはまるでおとぎ話に出てくるようなかわいらしい形の市庁舎。知らなければとても市庁舎だなんて気づかない
市庁舎 (ヴェルニゲローデ) 建造物
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整然と並んだ格子組の木造の家々。ホント、グリム童話とかでイメージするヨーロッパの街並みという感じで楽しくなる。写真真ん中、細かな木彫りの彫刻が施されている家はKrumemelsches Haus(クルメルシェスハウス)
ブライテ通り 散歩・街歩き
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小さな子供が骸骨の傍らに横たわり、膝の上に砂時計を置いている。いかにもキリスト教的なモチーフは「人間は死すべき運命にある」ことを表しているんだとか
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町を歩くと一階より二階部分がせり出している家も多いことに気づく。その昔、ハルツ地方では一階部分の面積に応じて税金の額が決まっていたことにちなんでいる
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そのほか、家全体が道路側に傾いているSciefes Haus(シーフェスハウス)など
シーフェス ハウス 建造物
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Fachwerkhauser(ファッハベルクホイザー)と呼ばれる保護指定された珍しい格子組の家々が
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そこかしこにあり、雪で白く化粧した街歩きを楽しませてくれる
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Das Kleinste Haus(小さな家)は家の幅4m、雨どいまでの高さ4.2m。両隣の家と同じ2階建てなのにこの小ささ。童話の世界の小人が住んでた?わけないか
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ホント中世そのまま、色彩豊かな町です
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観光がメーンのようなハルツ山地巡り(少しだけど仕事もしてます……)。最後は町を見下ろす山の上に築かれたヴェルニゲローデ城へ
ヴェルニゲローデ城(博物館) 城・宮殿
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街中から雪の積もった坂道を歩きヴェルニゲローデ城へ
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黒い尖塔の童話に出てくるお城のイメージにぴったり
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12世紀に城砦として築かれ15世紀に伯爵の居城となったヴェルニゲローデ城。度重なる戦争を経て現在のような姿になったのは1858年のこと
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城内は当時の伯爵ら貴族たちの華やかな暮らしなどを展示した博物館
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城から眺めるヴェルニゲローデの町も白く雪化粧に染まっている
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この後はデュッセルドルフに向かうだけ。なんだけど、地図を見ていたら気になる地名が目に入った。当時、好きだった田中芳樹の「銀河英雄伝説」の中の登場人物ブラウンシュバイク(公爵)。歩き方には何も情報のない街だったけれど、俄然興味がわいてきて。どうやら、デュッセルドルフに向かう途中で通過するみたい。デュッセルドルフにはこの日のうちに入ればいいから、ちょっとだけ寄ってみよう、と途中下車。観光案内所で地図をもらって、短いけど街歩き。KUNSTVEREIN BRAUNSCHWEIGって、ブラウンシュバイク芸術協会でいいのかな?
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もう12月、ドイツの冬は日が落ちるのも早い。とにかく基礎知識が何もないのだから、とりあえず街の中心へ。歴史を感じさせる市庁舎がライトに照らされている
市庁舎 (ブラウンシュヴァイク) 建造物
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当時はクリスマスマーケットのこと、知らなかったけど数多くの店が広場を埋め尽くして賑やか。どんな街、観るべきものあるのかな? いえいえ、赴のある街でした
大聖堂 (ブラウンシュヴァイク) 寺院・教会
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で、夜遅くにデュッセルドルフ入り。基本、デュッセルドルフでは仕事中心でしたがヨハネス教会や
ヨハネス教会 寺院・教会
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ケーニヒスアレー
ケーニヒスアレー 散歩・街歩き
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市庁舎や
市庁舎 (デュッセルドルフ) 建造物
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ライン川沿いを歩いたり
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午前中の予定が空いていた日にはボンが近いってことで、少しばかり早起きしてベートーベンの家まで半日日帰りを強行したり
ベートーベンの家 博物館・美術館・ギャラリー
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そうそうボンのマルクト広場もクリスマスマーケットで賑わっていたな
マルクト広場(ボン) 広場・公園
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ただボンなんてに遠出してしまったので、デュッセルドルフの街はあまり見ていない。それでも、ライン川沿いのこの街は美しい並木道や公園が多く
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思っていたより住みやすそう。また久々にドイツに行ってみようかな
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旅行記グループ
仕事で海外
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初めての海外出張はドイツ ベルリンからデュッセルドルフまで=1993年11、12月
1993/11/24~
ヴェルニゲローデ
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アメリカ大陸経由のUA利用でノルウェーまで、1994年冬の長期出張①(初の北アメリカ&オランダ)
1994/01/27~
アムステルダム
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アメリカ大陸経由のUA利用でノルウェーまで、1994年冬の長期出張②(オスロで盗難&マイアミで休暇)
1994/02/02~
その他の都市
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2004年、アメリカを南から西、東へと4度の出張であちこち駆け回る
2004/03/01~
フロリダ州
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タクシーのおじいちゃんの言葉、「Occupationで日本に行ったよ」に驚いた2007年米国出張
2007/05/17~
ボストン
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トロントへ直行するよりバファロー経由の方が安い! ならナイアガラの滝に寄ろう=2008年北米出張
2008/06/27~
ナイアガラ・フォールズ
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2010年北米出張はバンクーバー、出張ついでにウィスラーでスキーも
2010/01/19~
バンクーバー
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