2019/03/09 - 2019/03/09
4087位(同エリア7080件中)
ドクターキムルさん
- ドクターキムルさんTOP
- 旅行記7517冊
- クチコミ134件
- Q&A回答247件
- 6,203,339アクセス
- フォロワー38人
鎌倉市長谷1の由比ガ浜通りの古木の下には石碑と庚申塔が並んでいる。盛久頸座である。
主馬盛久(しゅめもりひさ)は、平盛久のことで、平家の一族の家人である。壇ノ浦の戦い(元暦2年(1185年))で、平家が滅亡した後、盛久は京都に潜伏し、たびたび清水寺に参り、日頃信仰していた千手観音に千日参詣をしていたが、下女の密告で京都守護の北条時政に捕えられてしまった。その後、盛久は鎌倉へ送られ、この地で首を斬られることになった。しかし、盛久の首をはねる役の者の太刀が根元より折れ、さらに光ものが出現するなどの怪奇が起こった。このため処刑は中止となり、盛久の罪は許された上、紀伊に所領まで与えられた(『平家物語』)。この話は観音霊験譚の一種であろう。また、謡曲「盛久」の本にもなっている。
現在、この場所には、鎌倉同人會が大正8年(1919年)に建てた「盛久頸座」碑と、鎌倉町青年団が昭和10年(1935年)に建てた「主馬盛久之頸坐」碑の二つの石碑がある。石碑の大きさほどの違いではないが、碑名の「頸座」と「頸坐」の違いは見落とされがちだ。
庚申塔は2列に並べられている。何と狭い庚申塚なのだろう。
(表紙写真は盛久頸座)
PR
-
盛久頸座。
-
盛久頸座。「盛久頸座」碑(大正8年(1919年)銘)と「謡曲「盛久」と由比ヶ浜」看板がある。
「盛久頸座
もりひさくびのざ
平家物語の文治二年六
月廿八日幕府命じて
平家の家人主馬八郎左衛
門盛久を由比が濱に斬
らしめんとせしが不思
議の示現ありて之を赦
したまふとあるが此地
なりと云ふ
大正八年六月 鎌倉同人會」。 -
盛久頸座並びの「庚申塚」、徳本碑、「主馬盛久之頸坐」碑。裏に庚申塔が並ぶ。
-
庚申塚に建つ「主馬盛久之頸坐」碑(昭和10年(1935年)銘。鎌倉町青年団が建立)。
「主馬盛久之頸座
盛久ハ主馬入道盛圀ノ子ニシテ平家累代ノ家人ナリ、然ルニ平家滅亡ノ後京都ニ潜ミ年来ノ宿願トテ清水寺ニ参詣ノ帰途北條時政人ヲシテ召捕ヘシメ鎌倉ニ護送シ文治二年六月 此地ニ於テ斬罪ニ処セラレントセシニ奇瑞アリ宥免セラレ剰ヘ頼朝其所帯安堵ノ下文ヲ給ヒシトイフ
昭和十年三月 鎌倉町青年團建」。 -
庚申塚と古木。
-
「庚申塚」(文化14年(1817年)銘)。
-
念仏供養塔(石仏)(享保5年(1720年)銘)。
-
庚申供養塔。
-
庚申供養塔。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ドクターキムルさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
9