2019/02/03 - 2019/02/03
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しにあの旅人さん
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市原のヤマトタケル由来の神社を巡りました。途中まったく予想していなかった素晴らしい神社に出会いました。
私たちは数々の神社をお参りするうち、何となくこんな風に分類できるのではないかと思ってきました。今回はそれも含めて。
1.境内が地域の住民と密着している公園、公民館型
2.幼稚園の隣にあったり、または幼稚園児が利用している幼稚園型
3.文字通り山頂に孤高を保つ山頂型
4.もうひとつ、大きな町の有名神社の「どうだ、神社だぞ!」型
この4通りです。そのうち違う型が登場するかもしれませんが。
下記のホームページにお世話になりました。県単位、ご祭神単位で神社を検索できる大変優れたサイトです。
八百万の神
https://yaokami.jp/
いつものように千葉県神社庁のホームページも活用させていただきました。
http://www.jinjacho.or.jp/jinja.html
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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-
この日の予定です。
-
まず訪れたのは、石神神社。
養老川、小湊鉄道上総三叉駅に近い、田んぼのなかの住宅地でした。
公園公民館型の神社です。公民館はありませんが、ベンチや遊具などがありました。
内房線五井から三つ目の駅ですから、千葉市や東京都内通勤圏です。かつては村の鎮守様でしたでしょう。今は住宅に囲まれて居心地が悪そうです。 -
ご祭神、倭建命(やまとたけるのみこと)
創建時代、由緒不明です。
市原市相川神舞98 -
雷神社 (いかずちじんじゃ)
-
小高い塚の上にあります。石神神社から車で5分です、
市原市分目(わんめ)266。
田んぼのなかの住宅地ですが、道が細い。この後も市原では細い道に悩まされました。住宅地といっても古い集落がそのまま住宅地になったようです。
神社前に広場があって、地域の集まりなどに使われているのかな。一種の公園公民館型でしょう。 -
本殿。
ご祭神、
別雷神(わけいかずちのかみ)
少彦名命(すくなひこなのかみ)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
木花之開耶比賣命(このはなさくやひめ)
創建時代、由緒不明です。この4柱の神様の組み合わせもよく分からない。 -
特徴的だったのは、低いしめ縄。妻は152センチですが、紙垂(しで)が肩まで届きます。
-
祠が境内にありました。
-
こちらの方が古そうです。元宮かもしれません。ヤマトタケルの記憶かな・・・
☆☆☆
次は小鷹神社。今日の旅のハイライトです。
車載のナビではこの神社はでてこないので、番地を入力して案内してもらいます。 -
雷神社から県道144号線を姉ヶ崎方向に向かっていたら、いきなり進行方向右に鳥居がありました。「小鷹神社」と標識もある。右方向ですが、県道からはまだかなり距離があるはず。とりあえずナビのいうとおり進みます。200メートルほどで右折。
-
丘を登り切ると、広い駐車場があり、両部鳥居に迎えられました。
-
想像していなかった立派な神社がありました。
こういう本格的な神社でもナビにでてこないのは不思議です。 -
小鷹(こたか)神社
ご祭神、
日本武尊(やまとたけるのみこと)
市原市不入斗(いりやまず)189番地 -
境内の由緒書です。磨き込まれた立派な御影石でした。ポリバケツが写るくらいです。
「当地不入斗区字本宮台と称する現在地に日本武尊を祭神として奉祀村社たり俚伝によれば同所創草鈴木太良大夫氏が所有地に奉祀 同家が祭主で守護神と伝へられる人皇第八十一代安徳天皇の御代寿永元年(皇紀一八四二年・西暦一一八二年)改めて当地に鎮祀 社殿を建立村の鎮守産土神として崇敬造営される」
鈴木太良大夫(「すずき・たろうだゆう」と読むのでしょう)が創建した神社でした。1182年この地に改めて鎮祀とあるので、それ以前に創建され、この年にこの地に遷座ということでしょう。同じ場所に建て替えの可能性もあります。
現在の社殿は明治32年(1899年)建立となっています。
この神社に隣接して、片又木遺跡があります。鎌倉時代の大規模な居館跡が発見されたそうです。1182年の鎮祀を裏付けるものです。
鈴木太良大夫がいかなる人物が分かりません。この地を開拓した、地つきの豪族でしょう。「鈴木」という姓ですが、橘樹神社を創建したと思われる穂積氏の流れを汲む姓といわれております。橘樹神社の祭神は弟橘姫、創建したのは社伝では日本武尊となっています。
「七十路夫婦 ヤマトタケルを旅する 日本書紀編その十、橘樹神社」
https://4travel.jp/travelogue/11452018
をご覧下さい。
鈴木氏が古くから橘樹神社と関わりがあり、自分の神社の祭神として日本武尊を祀るのは、十分想像できると思います。 -
改めて県道から順にお参りします。
この鳥居をくぐると、 -
山路の参道を登ります。
振り返ると下に鳥居が見えます。 -
竹藪と巨木の中、参道が続きます。
-
やがて石段となります。コンクリート製です。近年のものです。
-
山路の参道を登り切ると、二の鳥居。奥に小さく拝殿が見えます。雷神社で見たのと同じ低いしめ縄です。ここまで200mくらい。
-
拝殿より。かつてこの直線の参道で流鏑馬が行われたことがあるそうです。170mくらいあります。
-
狛犬に守られた、木漏れ日の拝殿。
-
拝殿、幣殿、本殿と、完璧に神社の形式が整っています。
☆☆☆
私たちは、何がよくて神社巡りをしているのだろう。
ただ夢中でヤマトタケルを追いかけて、次から次へと神社を巡っているうち、好きな神社、感動した神社、いろいろ出会いました。
何を好み、何に心を打たれたのか考えると、私たちはまず静かなところが好きです。静かでありさすれば、そこが人里離れてたどり着くのが困難であっても、いやその方が価値があるように思えます。そしてそこが清らかであることも大切です。清らかとは人間社会の雑多なものがないこと、紙くずやプラスティックごみは大嫌いです。同じ朽ちたものでも、竹製木製の物には抵抗少ないですね。
そして静かで清潔な境内にほうきの跡があったりしたら、そこを掃除した人の心にふれたようで、本当にいらっしゃるのか、いらっしゃらないのか分からないながら、その何事かに頭を下げる謙虚な心になるのです。
「なにごとの おはしますかはしらねども かたじけなさに 涙こぼるる」(西行法師)
そういう気持ちにしていただけた小鷹神社でした。
☆☆☆ -
ご神木。
-
樹齢400年。
-
鳥居をくぐり、一礼して、神社をあとにします。
清々しいひとときでした。 -
次は姉崎神社。
市原市姉崎2278番地。
初詣の余韻か、お参りする人があとをたちませんでした -
ご祭神、
志那斗辧命(しなとべのみこと、風の神)
天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
大雀命(おおささきのみこと、仁徳天皇)
塞神三柱命(さえのみはしらのかみ)
社伝では景行天皇10年、走水で弟橘姫を失った日本武尊が、姫を偲んで、志那斗辧命をご祭神としてこの地に創建したとなっているそうです。
歴史文献としては、901年成立の日本三代実録の元慶元年(877年)の項が初出だそうです。927年成立の延喜式神名帳に記載があり、歴史のある神社であります。
姉崎神社には7000坪の境内に松が1本もないそうです。また氏子区域内の家庭では正月に門松を立てません。
志那斗辧命(しなとべのみこと)は女神で、夫は次に行く島穴神社の志那都比古尊(しなつひこのみこと)。夫神はどこかに出かけて一向に帰る気配がなく、妻神はいつ帰るとも分からぬ夫を待ちわび、待ち焦がれていたそうです。で、待つのがいや、「待つ」が「松」になって、境内と、氏子の家では、松が禁忌となった。 -
島穴神社にやってきました。
市原市分目266番地。
式内社です。
社伝では、姉崎神社とほぼ同じ創建由緒です。ただしご祭神を志那都比古尊(しなつひこのみこと 風の神) とし、歴史文献初出も同じ877年です。
姉埼神社祭神の志那斗辧命(しなとべのみこと)の夫神です。出張で家に寄りつかない夫というところです。出張なのか、仕事なのか、浮気なのか、分かったものではありません。ギリシャ神話ぽくて、ざっと調べましたが、分かりません。
妻の神社のほうが夫の神社より大きいのは、さすが日本。女ならでは夜の明けぬ国なんでしょうか。 -
拝殿。こちらも初詣のお参りの人がおりました。
-
ご祭神は、
志那都比古尊(しなつひこのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
倭比売尊(やまとひめのみこと、日本武尊の伯母) -
立派な拝殿、本殿です。
-
この神社も、市原の多くの神社同様、車のアクセスがよくありません。田んぼのあぜ道のような細い道です。落輪しかけました。
古い地域であるということですね。
古代の東海道は、相模の走水駅から船で浦賀水道を渡り、天羽駅か大前駅に上陸します。この件は、下記をご覧ください。
「ヤマトタケルを旅する 日本書紀編その一、房総海の路序章-走水」
https://4travel.jp/travelogue/11418839
その後上総の国府、今の市原市に向かいます。
途中に島穴駅がありました。
島穴駅はおおむねこの神社のあたりといわれております。もしかするとそのころからあまり変わっていないのかもしれません。 -
鷲(わし)神社にやってきました。
市原市今津朝山426番地1。
ご祭神
天日鷲命(あめのひわしのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
境内由緒書きによれば、創建は垂仁天皇88年(西暦59年)、つまり不明ということです。
天日鷲命は木綿や麻を作る神様です。その命により「天富命(あめのとみのみこと)が阿波の忌部一族(四国の豪族)を率いて、東国房総今津朝山に下り、(中略)良質の麻の産するところと知り、(中略)天日鷲命を守護神として奉祀した」
南総安房神社に伝わる、忌部氏の安房開拓の伝説と同系統です。天日鷲命は忌部氏の祖神です。
その開拓伝説がこの地に飛び火しているのは理解できますが、それとヤマトタケルがどう結びつくのか、不明です。 -
本殿を後方より。拝殿に較べて、異様に背の高い本殿です。
-
住宅や工場に囲まれていました。
公園型神社です。境内は公園になっていました。 -
こんな張り紙がありました。公園に毒蜘蛛が出たそうです。
-
白幡神社。
市原市 君塚五丁目24番地15。 -
住宅地の中で、典型的公園型神社でした。
-
ご祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)
創建は不明ですが、千葉県神社庁によると、
「「君塚村誌」に「日本武尊御東征の際、御休憩の塚に御杖を立てさせ置かれしより武の塚神と尊称し、村落を武の郷と称す。治承4年源頼朝公東上の砌御休憩の際、日本武尊の垂跡なりと御聞ありて白旗一旒を納めして御祈願あり、随従の武者上指の矢一筋宛納められしと。該矢の根ならん異形錆腐鉄数十ヶは文政9子年正月の火災にて類焼す。会々ここにて千葉介常胤の使者と会い喜び見ん塚なりとのことより武の塚を喜見塚と称す。尚白旗永存せしを以て何時となく白幡神社と崇敬したり」と記す。」
ヤマトタケルより頼朝伝説の神社です。
いつの時代かは分かりませんが、このあたりまでヤマトタケルの伝説が生きていたのです。
内房、外房と違って、このあたりにヤマトタケルが来たという、日本書紀の裏付けはありません。それには無関係に、ヤマトタケルの伝説は一人歩きをしていたのです。
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