2019/03/14 - 2019/03/14
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しにあの旅人さん
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下総国のヤマトタケルゆかりの神社巡り最終回です。市川からだいぶ離れた熱田神社2社、さらに離れて利根川沿い、布佐と安食の2社です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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地図右端、熱田2社から始めます。
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熱田神社。
すぐ近くにもう1社同じ名前の神社があります。
アクセスは難しくありません。 -
八千代市佐山4921。
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林の中の神社です。
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ご祭神は、
日本武尊(やまとたけるのみこと)
倉稲魂神(うかのみたまのかみ、穀物の神様。女神とされていますが、厳密には分からないそうです)
市杵島姫神(いちきしまのひめ、宗像三女神の一柱。水の神)
「応永元年(1394年)9月9日、日本武尊を奉祀す」と千葉県神社庁にあります。現在の社殿は明治37年(1905年)の物だそうです。
残念ながら拝殿、本殿とも伝統的な神社の形式を保っておりません。 -
境内の八千代市教育委員会の案内板によれば、近くに佐山貝塚があり、縄文時代後期(約3000年前)の遺跡だそうです。この神社も、古代のなんらかの祭祀の場所に創られた可能性があり、実際の創建は由緒が語る14世紀末より遡る可能性があると思います。
千葉県には、南房総市大貫の熱田神社、このあと訪れる平戸の熱田神社、と、ヤマトタケルを祀る熱田神社が3社あります。ヤマトタケルと関わりの深い名古屋の熱田神宮との関連でしょうか。
大貫の熱田神社は、下記をご覧下さい。
「ヤマトタケルを旅する 日本書紀編その四、房総陸の路-熱田神社、下立松原神社」
https://4travel.jp/travelogue/11428536 -
こうした石像が何体か奉納されていました。
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七福神のようですが。
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七福神ではなくてエビス大黒みたいです。市杵島姫サンは宗像三女神、海の神様だから、エビス様、うかのみたまの命様は、食物・稲の神様だから、大黒様なんじゃないですかね。豊漁豊作商売繁盛祈願。
By妻。 -
熱田神社。
八千代市平戸288番地。 -
ご祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと) -
創建年代、由緒不明。
残念ながら、本殿は屋根以外神社の形式をとどめておりません。 -
本殿の前にあります。おそらく拝殿だったのでしょうが、その面影はありません。
まわりは農地が主ですが、住宅が迫っておりました。
新興住宅地っていうやつは! こぎれいでオール電化かなんか知らないけれど、快適そうな住宅がぎっしり迫っていました。こういう所の住民はまだ自分たちに精一杯なんでしょうね。いつか産土神様を大切にするゆとりができるといいのですが。 -
ぽつんと離れて、利根川沿いの2社です。
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大鷲神社。
千葉県印旛郡栄町安食3620番地。
ご祭神、
天乃日鷲命(あめのひわしのみこと、安房国を開拓した忌部氏の祖神)
大巳貴命(おおあなまうちのみこと、大国主命(おおくにぬしのみこと)と同じ神様)
小名彦命(すくなひこなのみこと、大国主命と国造りをしたこびとの神様)
日本武尊(やまとたけるのみこと) -
本殿、見事な細工です。
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1831年の建立だそうです。
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境内の案内板です。
ヤマトタケルが東征のおり下総を通ったという伝承はあちこちの神社にありました。繰り返しますが、ヤマトタケル東征を物語る基本文献である、日本書紀、古事記には、そうした記述は一切ありません。帰路に通過した可能性はありますが、具体的なエピソードは書いてありません。
それでも、ヤマトタケルがうちの村に来た、神社に立ち寄った、という伝承があるのは、それだけ民衆の間に人気があったと言うことです。なんなのでしょうか、このタケルの人気のミナモトは。
ミナモトで思いつきました、上総、下総でおらが村に来た伝説が多いのは、ミナモト頼朝です。あと、もっと北になるでしょうが、将門伝説もありますね。古代東国民間伝承の三大スターです。義経はもっと北です。
この神社の御利益のひとつは子授けだそうです。で、こういうのがありました。大きさ日本一だそうです。 -
ノーコメント。
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旅行ブログらしいこともたまには書きます。
車載ナビもグーグルマップも、神社東の細い道に連れて行こうとしました。最近は、これに盲目的に従うと、細い道を通らされてえらい目に遭うことが分かりました。そこでグーグルを航空写真に切り替えて、近くをよく調べます。すると、ありましたね、神社西に広いパーキングらしきものが。目印はその前の「居酒屋えっちゃん」
で、その居酒屋さんをナビに入れて行ってみました。 -
立派なパーキングです。
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この鳥居をくぐって登る階段がすごかった。
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極端な前傾姿勢をとらないと登れません。そのため手すりがこんなに低くなっています。ちょうどいい高さです。これがないと、両手を階段について登ることになります。
これを作った人は実践的です。これ大切です。「整備しました。でも役に立たない」ってこと多いですからね。 -
神社の南側に普通の階段もあります。ただしこちらには駐車場がありません。右のお社にくだんのナニがお祀りされています。
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神社の北側にも駐車場はありました。
以上、めずらしく、役に立つ情報でした。
この神社は安食にあります。あじきと読みます。言われたらたしかに! そう読むよね、と思いますが、一度で読める人は少ないんじゃないかな。大分に「安心院」あじむという所があります。何か関係があるのかな。
地名といい、祀られているものといい、縄文を感じさせますね。御朱印をいただきました。宮司さんは言葉の端々にかすかな方言をにおわせる、素朴なお人柄とお見受けしました。御朱印も丁寧に時間をかけて書いていただいて、「墨を散らして汚してしまいました」と恐縮されて、この神社の印象をよくしました。
だけど祀られているモノがものだけに、宮司さんがヘラヘラしていたら、ただのエロになっちゃうもんなあ。彼の姿勢は正しいのです。
階段の手すりもそうだけど、誠心誠意の神社でした。
でもお正月とかに、着飾った乙女は初詣でをどういう顔でするのかなあ。
By 妻. -
竹内神社にやってきました。
我孫子市布佐1220。
この神社には駐車場がないのは分かっていたので、近くのシマムラに車をとめました。シマムラさん、ちゃんとこのあとのイタリア旅行用の下着などをいっぱい買いましたからね、無断駐車ではありません、念のため。
靴下です。By 妻 -
参道です。右の青いフェンスは布佐中学校。
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一の鳥居です。
めずらしく外国人がお参りしていました。右の後ろ姿です。こんな田舎のローカルな神社までくるとは、「むむ、お主なかなかやるな」という感じです。ヤマトタケルの有名な研究者だったりして。いるのですよ、外国にも。
布佐中学の英語の先生だろ?。夢こわしてスミマセン。
By 冷静な妻 -
拝殿。
ご祭神
天迦具土命(かぐつちのみこと、火の神)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
武内宿彌命(たけのうちのすくねのみこと、古代の謎の人物)
武内宿彌命が竹内神社の社名の由来ですね。たぶん。
なんだか分からない組み合わせです。強いていうと、天迦具土命とヤマトタケルは父親に愛されなかったんだよね。火の神様はうまれたことでお母さんを死なせてしまって、それでお父さんに殺されちゃうの。カワイソー。この子のせいじゃないのに。
ヤマトタケルはお父さんの命令を過激に実行して、お父さんに恐れられ、捨てられるようにあちこちに征かされるの。おばちゃんに「パパはボクのこと死ねと思ってるんだ」とグチるの。カワイソーでしょう?
By 妻。
出典・古事記。「おばちゃん」とは倭姫命なり。気安く呼ぶなつーの。なんの話かと思った。
By 夫 -
本殿。
境内の案内板によれば、文禄2年(1593年)の創建です。 -
日露戦争祈念碑というのはあちこちの神社にありましたが、旅順陥落祈念碑というのは初めてです。
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この神社は布佐小学校、中学校に隣接していて、境内から校庭に入れました。きっとこの学校も昔はこの神社の境内だったようです。日本に神社という個人の所有ではない土地があったことが、学校を設置しやすくし、識字率ほぼ100%の国にしたのではないでしょうか。
この竹内神社は、白樺派の文人などの避暑地、我孫子にあり、利根川の向かい側には民俗学の柳田国男の布川があって、この神社にも幾多の文化人が力添えをしたようです。かつては文化人たちに安らぎをもたらした神社だったのですよね。階段から参道にわずかにその名残を感じました。
By 妻、
階段を降りて、竹内神社をあとにします。
2018年秋から房総のヤマトタケルゆかりの神社を巡ってきました。これが最後の階段です。
内房、外房のヤマトタケルを祀る神社は、線状になにかが動いたような跡がありました。古代の房総の路を開拓したパイオニアを祀った神社であると私たちは想像しました。
「ヤマトタケルを旅する 日本書紀編その十二、終章・なぜ房総か」
https://4travel.jp/travelogue/11457464
上総、下総の神社を回って、なにか共通するものがないかと、いろいろ考えてきました
結論からいうと、残念ながらありません。
念のため、古代の官道を神社マップに重ねてみました -
古代の駅の推定位置は「房総古代駅研究史」(雨宮健太郎)より。
(pdfなのでURLを明示できません。引用元は「房総古代駅研究史」雨宮健太郎でググって下さい)
緑に白点が神社です。黒●は古代の駅。場所が特定されていないケースがほとんどなので、かなり広い範囲でかまわないと思います。読み方が分かりません。
地図の範囲から出てしまいますが、天羽駅から内房海岸沿いに北上して、島穴、河曲から島取経由で香取神宮に向かうのが、古代東海道の本道です。
河曲、浮島から現市川周辺の井上、茜津方向に伸びているのは支線で、府中の武蔵国国府に向かいます。この時代今の東京都内は湿地帯で、まともに通れるところではありませんでした。歴史が下がって平安以降はこの経路が東海道の本道になります。
ご覧のように多くのヤマトタケルゆかりの神社が古代の官道沿線にあります。
しかし肝心かなめの古代東海道本道の河曲―香取神宮の間にはなにもありません。
内房、外房のように、ヤマトタケルが古代東海道を旅した古代人の伝承に基づくと考えるには無理があります。
また、ヤマトタケルが東征の帰路に通ったと解釈した民間伝承が元にあるとするにも、この河曲―香取神宮間の空白が困るのです。
要するに、上総、下総のヤマトタケルを祀る神社には、すべてに共通する特徴がありません。
なんとも締まらない結論で、ヤマトタケルの安房、上総、下総の旅を終わります。
長いことお付き合いいただき有り難うございました。未練な妻は、「神社は時の流れの中で消えたのよ」と申しております。それはそれで素人の私たちには手も足も出ません。
残念ですがこれが結論でした。
でも私たちは楽しかったです。
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