2019/02/10 - 2019/02/10
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しにあの旅人さん
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「神社に呼ばれる」神社に引き寄せられることです。訪れる予定ではない神社の前を通りかかると、神社が「おいで」と言ってくるらしい。
私には分かりません。呼ばれるのはいつも妻です。
行ってみると、まさにこれが探していた神社!
女は男より霊感があります。まして妻は九州生まれ、卑弥呼の血を引いているのです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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-
赤まるがこの日行ったところです。
まず稲荷台1号古墳と、前回準備不足で行けなかった上総国国府跡の候補地、郡本(こおりもと)遺跡群を目指します。 -
上総国国分尼寺展示館のパンフレットに、この近くの史跡の案内図がありました。ここにある稲荷台1号古墳と、近くを通る古道跡を見てみたい。
-
稲荷台1号古墳。この地で発掘された古墳の三分の一の複製です。オリジナルは直径28メートルの円墳です。銀象嵌の文字が刻まれた鉄剣が出土したことで有名です。5世紀半ばから後半に作られたもので、かつてこのあたりが上総国の中心であったことが分かります。国府もこのあたりではなかったかと。
案内図では近くに古道跡があることになっていますが、まわりはびっしり住宅地、残念ながら見つけられませんでした。 -
郡本遺跡群。上総国国府候補地の一つです。
千葉県市原市郡本2丁目2−46。
番地をたよりに行ってきました。なんにもありません。住宅に囲まれた畑と空き地です。古道跡と連続空振りっぽいです。
☆☆☆
ヤマトタケルを祀る押沼神社を訪ねます。「今日はついていないね」などと二人でぶつくさ言いながら県道21号線を東に向かうと、
「神社だ!」と突然妻。
左側に鳥居が見えたのだそうです。これが今日1回目、妻が「神社に呼ばれました。 -
立派な鳥居がありました。
-
府中日吉神社。
市原市能満589-2。
予備知識なし。さっそくググります。
天武2年(674年)創建。
ご祭神は、太山咋命(おおやまくいのみこと、山の神様)。
なんとこのあたりは、上総国国府候補地の一つでした。
神社が「うちも候補地なんだよ」と妻を呼んでくれたようです。 -
狛犬ではなく、狛猿。
-
日吉神社は日枝神社と同系統です。猿が神様のお使いなのです。
-
呼んでいただいて有り難うございます。
妻はぴーんときたらしい。私は何も感じませんでしたが。
いすみの諏訪神社で、妻の「神社だ!」で急ブレーキ、行ってみたらヤマトタケルゆかりの神社でした。2回目です。
呼ばれた妻の一言。
☆☆☆
一言たって、突然のインタビュー。なんと言っていいか。被災者に「大変ですね、今のお気持ちは?」って聞く人いるけれど、「大変なんです」っきゃ言うことないでしょう、普通。
だから「はい呼ばれました」 -
県道沿いに鳥居の頭を発見。
-
押沼神社。
市原市 押沼236番地 -
ご祭神、
日本武尊(やまとたけるのみこと)
明治6年の火災により、本殿、拝殿、社記などが全焼し、創建年代、由緒などは不明。現在の社殿は明治6年の再建だそうです。
☆☆☆
押沼神社を出て、菊間八幡神社に向かう途中、道を間違えました。ナビが立ち直って別ルートで案内してくれます。京成千葉線ちはら台を過ぎてしばらくすると、
「神社だ!」もちろん妻。もう逆らいません。車をUターンさせ、言うとおりに車をもっていきます。 -
大宮神社。
-
ご祭神は、大宮姫命(おおみやひめのみこと、旅館などの接客業の神様)
あれ、ヤマトタケルはいないよ?
ところが、 -
御霊(ごりょう)神社
-
祭神 日本武尊
末社ですが、たしかにヤマトタケルが祀られていました。
「主役じゃないけれど、来てくれないかな」とタケルくんが妻を呼んだのです。
そもそも道を間違えたところから、タケルくんの引力です。本来ここは通らないはずです。
恐るべし妻の霊力。というか、妻のタケル君への愛。 -
市原市草刈1335
神社パンフレットによれば、近くの草刈遺跡より見つかった資料から、1300年以上前からこの地に現在の大宮神社が鎮座していたことが判明しました。 -
このあたりが草刈という古い地名だそうです。
☆☆☆
神社の由緒をググって調べていたら、五井の大宮神社も出てきました。それには、なんと、日本武尊が東征の折の創建となっています。
これも行くことにしました。
「主役じゃないけれど来てくれたから、お礼にもうひとつ教えてあげるね」だって。
タケル君はさびしがりやです。
☆☆☆ -
菊間八幡神社。
-
市原市菊間3166番地
-
ご祭神、
日本武尊(やまとたけるのみこと)
大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、仁徳天皇)
武甕槌尊(たけみかずちのみこと)
社伝によれば「天武天皇の御宇白鳳2年(651年)、久久麻国造(久久間は今の菊間)が日本武尊・武甕槌尊の2柱を奉斎」とあります。久久麻国は律令制以前このあたりにあった国です。その後上総国菊間郡となります。
古事記は712年、日本書紀の成立は720年です。それ以前に日本武尊の名が知られていたという現存の歴史文献はありません。常陸国風土記など数カ国の風土記にその名が見えるようですが、成立は8世紀初めです。651年では久久麻国造(くくまのくにのみやつこ)はまだ日本武尊の名を知らないはずです。
散逸した上総国風土記あるいは下総国風土記に、菊間神社創建の記載があり、それを社伝が採用したかもしれませんが、今となっては知るよしもありません。ただ、天武天皇の時代、651年というのは古代としてはかなり新しい時代なので、必ずしも単なる伝説とはいいきれないと思います。なにかその根拠になる伝承があったのかもしれません。
「治承4年(1181年)源頼朝公が東国鎮護祈願のため鎌倉の若宮殿より大鷦鷯尊の御分霊を奉還し・・・」と社伝にあります。このころまでに大きな神社であったことは間違いないようです。 -
立派な本殿です。
児童公園と公民館に隣接していました。公園型、公民館型神社です。どこかへの近道なのでしょうか、お参りしないで境内を通り過ぎていく近所の方もいました。 -
大銀杏。目通り10メートルくらいでしょうか。
-
木彫りの狛犬さんに見送られて神社をあとにします。
「カワイ-、カワイ-、カワイ-、」
By 妻 -
大宮神社。
-
市原市五井1597
内房線五井の駅近く、1キロ、徒歩10分です。 -
ご祭神、
国常立命(くにのとこたちのみこと、日本の国土の出現を表す神様)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
大己貴命(おおなむちのみこと) -
「社伝によると、(中略)鎮座は景行天皇の御代、日本武尊が御東征された折りの御創建と伝えられます」
草刈の大宮神社で、タケルが妻に教えてくれたとおりです。
「治承4年(1180年)源頼朝が当社に参詣し、奉幣祈願をしたという記録がある」となっています。鎌倉時代には確実に創建されていたことになります。 -
梅が咲いていました。
-
白幡神社の近くまでやってきました。
この神社ほどアクセスに苦労した神社はありません。
ナビはこの坂を登れと言います。
車は四駆ですが、とても登れる坂ではありません。左は崖、ガードレールなし。
。 -
Uターンもできず、この集落に入り込んでしまいました。
困ったときの妻頼みです。
☆☆☆
細いクネクネ道をニッチもサッチもいかず、バックでも戻るなんてとんでもない。進むしかなく、本当にそれしか方法がなく進むと個人のお宅に入って行きました。アセアセ、蒼くなったり、赤くなったり、ヒヤリなのか、カッと熱いのか。「不法侵入」の言葉がピーンと頭を押しつぶす。誰にも見られないうちにUターンしてとぼけちゃえと思うんだけど。
「家の人にお断りしろ!」
「はいはい」神社に呼ばれる女は軽いのかしらね、亭主の小間使いです。平身低頭して、お庭でUターンさせていただき、元来た道に戻りました。
途中対向車があったら、ドラマ第二幕でしたが、神の助けで無事外に出ることができました。神様有り難うございます。
☆☆☆
幸い日曜日でしたので、近くの農協もお休み。車をここに止めさせていただいて、あとは歩きます。 -
この坂を歩いて登ってきました。右は崖ですよ。車で上れるはずがない。
それをナビは行けという。 -
やっと鳥居にたどり着きました。
-
白幡神社。
-
千葉市緑区刈田子町399番地
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丘の上のこじんまりとしたお社です。
-
ご祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
源頼朝(みなもとよりとも)
源頼家(みなもとよりいえ)
創建年代、由緒不明。
白幡神社ですから、源頼朝は分かりますが、頼家がなぜご祭神なのでしょう。市原では頼朝と日本武尊の結びつきが深いようです。 -
山深い感じですが、実は神社が鎮座する丘の麓まで新しい住宅地が迫っていました。
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例によって細い道をクネクネと八剣神社にやってきました。ナビがそう言います。
ところが拝殿正面に行ってみると、 -
立派な道路に面した参道があるではないですか。
うちの車のナビは、なにか、私たちに恨みがあるんですかね。ちょくちょくナビを無視して勝手な道を行くから、怒って仕返しかな。 -
お参りやり直し。
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住宅街にありますが、太い木立に囲まれた静かな神社でした。
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ご祭神は
日本武尊(やまとたけるのみこと)
大日霊貴尊(おほひるめのみこと、天照大神の別称))
大己貴尊(おおなむちのみこと、大国主命の別称)
創建年代は不明ですが、享保元年(1716年)の社殿再建記録があるそうです。 -
扁額が現代アートぽいですね。
千葉市中央区南生実(おゆみ)町880番地
千葉県神社庁による御由緒。
「日本武尊が御東征の折、相模国三浦より御渡海なされ、争乱を平定し、東国を二カ国に分割して南を上総、北を下総とし永く国境とせよと命じられた。人々は御徳恩に浴し深く敬ってこの神を国家守護神と仰ぎ、東国鎮護征夷神八劔神社とし、天神社を併せ祀って崇敬した。大正2年4月神饌幣帛料供進社に指定される。元小弓村の総鎮守だった」
歴史文献に基づかなくても、ヤマトタケルがこの地の人々に崇敬されていたことが分かります。 -
立派なお社です。
「生実」という町に妻はちょっと期待していたようです。というのも、なにかで登山家の野口健さんが「おゆみ野」に住んでいると知ったかららしい。妻は野口さんのファンです。彼女のタケル君のイメージは、佐藤健か野口健かなんだって。「タケちゃん」とは口が裂けても言ってくれるな、だそう。 -
本殿右のツルッとした感じの木はサルスベリでしょうか。
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今日最後の神社にやってきました。
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三つ目の大宮神社です。やはりしめ縄が低い。
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千葉市若葉区高根町624
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夕方近く、太陽が斜めで、いい陰がではじめました。
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社殿が柵で囲まれているのは珍しい。
どこか御陵を思わせます。 -
ご祭神、
國常立命(くにのとこたちのみこと、日本神話で天地開闢のときに出現した神様)
面足命(おもだるのみこと、イケメンの神様)
惶根命(あやかしこね、美女の神様)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
菅原道眞公(すがわらみちざねこう)
面足命(おもだるのみこと)は我が家の近くの神社でも祀られています。おもたる様で親しまれています。イケメンの神様です。惶根命(あやかしこね、美女の神様)は初めてお会いしました。面足命とペアで生まれてきた神様だそうです。
由緒不明。創建年代も不明ですが、「中興寛永4年(1627年)卯月26日社殿再建」の棟札があるそうで、それ以前の創建は間違いありません。 -
手水の鉢に鳥の羽が浮いていました。鳥の水飲み場のようです。鳥も安心する落ち着いた神社なのです。
☆☆☆
神宮さんのブログで、木の葉や鳥の羽が入るのは不潔なのでふたをすると言う文を拝見したことがあります。参拝人が絶えない神社ではたしかに不潔ですが、私たちがお参りするような人影のない神社では、澄んだ水に浮かぶ落ち葉や羽もなにやら風情が感じられるものです。
☆☆☆ -
小高い塚の上にありました。
社殿を囲む、御陵を思わせる柵といい、もしかしたら古墳の上に立てられた神社かもしれません。 -
また大きなネコがいました。神社にはネコが似合います。
これで上總国のヤマトタケルの神社巡りを終わります。
千葉県神社庁によれば、市原市には223社の神社があります。隣接する千葉市若葉区、緑区、中央区合計で96社。 -
そのなかの、ヤマトタケルを祀る神社18社、ゆかりの神社2社をお参りしました。高根町の大宮神社以外のすべての神社が、上総国国府周辺の、短径6キロ長径15キロほどの長方形の狭い地域に固まっています。
つまり古代、上総国のもっとも開けた地域に鎮座することになります。
これはどういうことなのか、なにか理由があることなのでしょうか。
内房、外房のヤマトタケルゆかりの神社は、かなりの距離にわたり点々と続いていました。なにかが動いたあとのようです。それは古代の房総の開拓者たちの足跡ではないかと、私たちは想像しました。
「七十路夫婦 ヤマトタケルを旅する 日本書紀編その十二、終章・なぜ房総か」
https://4travel.jp/travelogue/11457464
上総の神社は、つながりのある点ではありません。例えるならば、池の水面に何かが落ちて、波紋が広がります。その波紋は広くはなく、すぐに止まってしまいました。それがなんであるか、分かりません。
あれこれ考えてゆきたい宿題ができました。
次回からは下総国市川を中心とするヤマトタケルを祀る神社を訪れます。日本書紀が語るヤマトタケルの房総の旅路からはもっと離れます。
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