2019/02/13 - 2019/02/13
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しにあの旅人さん
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下総国にはヤマトタケルを祀る神社が14社あります。
日本書紀は、ヤマトタケルは上総から陸奥国に入ったと言っているので、蝦夷への往路は、下総を通っていません。
しかし東征の帰路は「常陸を経て甲斐国に至り・・・」とあり、より詳細には筑波を経て甲斐国酒折(現在の甲府駅と石和温泉駅の中間くらい)に至るルートと思われます。ですから途中まったくエピソードはありませんが、現在の国道20号相当のコースを通るために、下総国、武蔵国を通過する可能性はあります。
古事記は、蝦夷の平定後足柄山に至ることになっています。出発地は日本書紀と同じ筑波。するとやはり下総、武蔵を通過する可能性はあります。現在の国道246号あたりのコースです。
下総国にヤマトタケルゆかりの神社ができる根拠はあることになります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
-
黒丸がこの日訪れたところ。
まず下総の国府あとに行ってみます。現在の市川市、国府台(こうのだい)にあります。地名からして、国府あとっぽい。国府台公園です。国分寺跡、国分尼寺跡もあります。
市原の上総国国分尼寺跡記念館のようなものを期待して出かけました。 -
国府台公園のなかに野球場があり、その三塁側外の巨木です。
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その根元にある総社跡の石碑、この近くに国府の建物があったと言われております。
国府の役人は国中の神社を全部お参りするのが仕事でしたが、その支店のようなものを一カ所に集めて総社としました。ここをお参りすれば、全部に行ったことになるというわけです。平たく言えば、手抜きです。 -
国衙(こくが)、国府の中心の建物は、この野球場にあったというのが定説だそうです。しかしまだ遺構は発見されていません。
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すぐ近くの国分寺跡。広場にこの石碑があるだけです。
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国分尼寺跡。
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一応「国分尼寺跡公園」となっています。
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しかし、この石碑以外なにもなし。
市原の上総国分尼寺展示館のようなものを期待していましたが、期待外れ。国府跡が野球場なので、「空振り!」
この日は市川の北と東側をまわることにして、まず松戸。いままでの神社参りとがらっと変わって、町なかを走ります。 -
高龗(たかお)神社。
千葉県松戸市六高台1丁 -
境内の碑文によれば、この地域は明治新政府が、維新により録を失った武士の失業対策として開墾させたものだそうです。神社の創建は明治3年(1871年)。それ以降この開拓地の氏神様でした。
ご祭神は、
龍蛇神。出雲大社から勧請されました。開拓地の氏神様らしく、雨乞い、治水の神様です。
しかし千葉県神社庁によれば、ご祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)となっています。
創建が新しい神社ですので、私たちのヤマトタケルの古代の旅との関係はないと思います。
御朱印をいただこうと思ったのですが、月曜日と水曜日は定休日と社務所に書いてありました。神社の定休日というのは初めてです。 -
松戸神社にやってきました。高龗神社から町並みが途切れることはありません。都会の神社巡りです。
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松戸市松戸1457。
松戸市のど真ん中です。常磐線松戸駅の近く。 -
ご祭神は、
日本武尊(やまとたけるのみこと) -
「御東征砌(みぎり)後の常陸国より武蔵国の平定に向かわれる時の御陣営跡にご功績讃えて祠をおまつりしたと伝えられる」とあります。
平定? 日本書紀、古事記の作者が聞いたら、「え?!」ここではいくさはおろか、何のコメントもありません。
千葉県神社庁によると「景行天皇の御代40年、日本武尊が東征の際に、従者と、この地で待ち合わせたところに祠を祀ったとされる故事から、『待つところ』が転じ、『まつさと』→『まつど』→『松戸』と称される由縁になったと伝わる」
なるほど。
同じく千葉県神社庁によると寛永3年(1626年)社殿創建となっています。それほど古い神社ではありません。
古代との関係は希薄です。
町中の神社ですので、飲み屋の女将さんという感じの女性などもお参りしていて、いままでの田舎の神社とはまったく雰囲気がちがいます。
江戸川を渡って東京都葛飾区に入ります。かつて、葛飾郡は下総に属しました。武蔵国に編入になったのは江戸時代初期だそうです。墨田区、江東区、江戸川区も旧葛飾郡です。 -
葛西神社にやってきました。
東京都葛飾区東金町6-10-5。 -
堂々たる社殿です。
東京都神社庁より。
「創建は後鳥羽天皇の元暦二年(1185年)、領主葛西清重の篤信により葛西三十三郷の総鎮守として下総国香取神宮の分霊をお祀りしました。この地は葛西御厨の神域にあり、21年ごとに香取神宮造営の賦役を務めた関係から郷内の守護神として信仰されました」 -
境内碑文です。読みにくいですが、ご祭神は
経津主尊(ふつぬしのみこと、香取神宮から勧請した神様です)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
徳川家康公(とくがわいえやすこう、家康に御朱印十国をもらったそうです)
経津主尊と徳川家康が祀られる理由は分かりましたが、日本武尊は不明です。創建時の祭神は経津主尊と分かっているので、後日祀られた神様でしょう。
足立区に入ります。旧葛飾郡ではありませんが、近いのでまあ、いいじゃないかということで。 -
鷲神社にやってきました。
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足立区島根4-25-1
ご祭神は、東京都神社庁によると、
日本武尊(やまとたけるのみこと)[子育てわし大明神]
誉田別命(ほんだわけのみこと)[安産福徳の神]
国常立命(くにとこたちのみこと)[国土主宰の神]
神様の御利益が強調さています。 -
境内にある足立区教育委員会の説明によると、
「古代に日本武尊が海岸線の近くにあったこの場所に着いたので、浮島明神として祭祀し、文保2年(1318年)武蔵国足立郡島根村の鎮守として再興され、大鷲神社と唱えたという」
神社の由緒書きより客観的です。古代に日本武尊がこの地を訪れたという伝承に基づき祭祀の場所が作られ、後年1318年現在の神社が創建されたということです。
記紀の記述を根拠に、「ここにも来たに違いない」という伝承が生まれたのでしょう。 -
大鷲(おおとり)神社です。
-
足立区花畑7-15-1。
東京都神社庁によると、
「創建は、日本武尊の御東征に対する報恩感謝のしるしとして祠を奉斎したと言われているが不詳」
ご祭神は、
日本武尊(やまとたけるのみこと) -
足立区教育委員会の案内板によると、新羅三郎戦勝祈願の伝承があるそうです。新羅三郎が奥州に出陣したのは寛治元年(1087年)です。
「応徳(1048年)の頃から毎年11月の酉の日に例祭が行われ大変な賑わいを呈し・・・」とあります。
東京都神社庁はこれを、
「応永年間(1394~1428年)より十一月酉の日に例祭を斎行、門前市をなし、人びとは「とりのまち」と称し、今の「酉の市」の起源となる」
としています。
いずれにしても現在に至る酉の市で有名な神社です。
鷲神社、大鷲神社、大鳥神社はヤマトタケルの白鳥伝説に基づき、日本武尊を祭神とする神社です。この花畑大鷲神社の場合は、日本武尊東征の帰路立ち寄ることは可能な道筋にあるので、そうした伝承に基づくものでしょう。 -
町中の由緒ある神社らしく、実に堂々とした社殿でした。
-
この鳥居は、
-
天保14年(1843年)奉納と刻まれていました。
安政大地震は1855年ですから、この鳥居は、安政、関東大震災の2度の地震に耐えたことになります。
前回までの神社は緑豊かな自然の中にありました。我々の先祖は自然に密着して暮らし、自分たちの都合のよい、暑すぎず、寒すぎず、適当に降って適当に乾いてという理想の天候を求めて、神様に祈ったに違いありません。防ぐ術もなかった時代、災害に直結する割合も高かったでしょう。
水害を経験した後、日照りの時の雨乞い、先祖たちの祈りはどれほどの思いだったことでしょう。初詣や、七五三くらいしか神社で祈らない現代人の我々には想像もできません。
自然を慰撫し崇敬する祈りの形が変化したのは、時代が下り、農業や漁業に生きる人々以外の人口が増加してからなのは当然です。
今回お参りした神社はみな町なかにあり、商店街も賑やかでした。開拓の神様は商いの神様に変わったのですね。
「都」から来た男は安房、上総では路を拓く神でしたが、ここではその男はまたその土地にない珍しい物を運び入れる神でもあったわけです。「今晩止めてくれ、お礼は・・・」と。
そこからトリの市が始まったと考えるのはどうですかね。
By 妻 -
またネコがいました。神社ではだれにも意地悪されないので、ネコも安心なのでしょうか。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ishigantouさん 2020/07/13 22:42:43
- 国府台在住です
- こんにちわ、ishigantouと言います。
国府台にはもう一つ、松戸街道沿いに‘国府神社’と言う日本武尊がご祭神の神社があります。日本武尊が江戸川を渡ろうとして、コウノトリが道案内をしてくれ、それでこの地を‘鴻の台’と名付けた言い伝えのある神社です。日本武尊はあちらこちらで土地の名前を付けてますが、僕は後付けと思っていますが・・
- しにあの旅人さん からの返信 2020/07/16 13:55:53
- Re: 国府台在住です
- コメントありがとうございます。
この神社のことは知りませんでした。ヤマトタケル下総伝説の一つですね。ヤマトタケルは東征のとき軍勢を連れていないと、記紀にはっきり書いてあるのですが、この神社のような伝説があちこちにあります。この種の伝説は不思議なことに下総に多く、上総にはありません。
昨年初めのブログですが、そのあともヤマトタケルの追っかけをやっております。とても面白い。
文章が多くて、観光ブログらしからぬ代物ですが、お付き合いいただいてありがとうございます。
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