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山陰の名城巡りの米子城の紹介です。江戸時代初期には伯耆国一国を支配した中村氏による米子藩の藩庁となり、その後、鳥取藩の支城となったお城です。2017年4月に続日本百名城の169番に選ばれました。

2018春、山陰の名城巡り(12/24):3月19日(2):米子城(2):本丸跡、本丸の礎石群、鉄御門跡、冠木御門跡、本丸からの眺望、港光景

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2018/03/18 - 2018/03/19

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山陰の名城巡りの米子城の紹介です。江戸時代初期には伯耆国一国を支配した中村氏による米子藩の藩庁となり、その後、鳥取藩の支城となったお城です。2017年4月に続日本百名城の169番に選ばれました。

交通手段
観光バス 新幹線

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  • 中央手前に見えるのは、『鉄御門跡(くろがねごもんあと)』の文字が記された標識です。本丸跡には、大天守や四重櫓、二重櫓、多聞櫓、鉄御門(くろがねごもん)などが置かれていました。

    中央手前に見えるのは、『鉄御門跡(くろがねごもんあと)』の文字が記された標識です。本丸跡には、大天守や四重櫓、二重櫓、多聞櫓、鉄御門(くろがねごもん)などが置かれていました。

  • 上から見下ろした、本丸の虎口跡の光景です。『鉄御門(くろがねごもん)』が置かれていた場所付近になるようです。

    イチオシ

    上から見下ろした、本丸の虎口跡の光景です。『鉄御門(くろがねごもん)』が置かれていた場所付近になるようです。

  • 『冠木御門跡』付近の石垣光景です。本丸内の門跡で、中に入ると大・小天守台が配置されていた時の礎石を見ることができます。

    『冠木御門跡』付近の石垣光景です。本丸内の門跡で、中に入ると大・小天守台が配置されていた時の礎石を見ることができます。

  • 本丸跡から見下ろした、米子市街の光景です。傘を差した三人の方が立っている場所は、『四重櫓』の跡当たりになるようです。石垣は米須場内で最も高く、幕末に改修の手が加えられたとされます。

    イチオシ

    本丸跡から見下ろした、米子市街の光景です。傘を差した三人の方が立っている場所は、『四重櫓』の跡当たりになるようです。石垣は米須場内で最も高く、幕末に改修の手が加えられたとされます。

  • 右奥に見える三角屋根の建物は、本丸エリアに立つ休憩所の東屋です。

    右奥に見える三角屋根の建物は、本丸エリアに立つ休憩所の東屋です。

  • 本丸跡に残る礎石の光景です。明治維新後の明治3年(1872年)、米子城山が米子駐在の大四大隊の士族らに無償で払い下げられました。しかし、明治8年(1875年)、士族らは土地と建物の買い取りを米子町に要請しましたが、不成立となり、切り売りされることになりました。<br />

    イチオシ

    本丸跡に残る礎石の光景です。明治維新後の明治3年(1872年)、米子城山が米子駐在の大四大隊の士族らに無償で払い下げられました。しかし、明治8年(1875年)、士族らは土地と建物の買い取りを米子町に要請しましたが、不成立となり、切り売りされることになりました。

  • 同じく、本丸跡に残る礎石の光景です。明治12年(1879年:一説に明治9年あるいは明治13年)、当時の金30円で古物商の山本新助に売られ、石垣を残して取り壊されました。その後、城跡一帯は坂口氏の手に渡りました。昭和8年(1933年)、坂口平兵衛 (2代)から米子市に寄付され増した。現在は湊山公園として整備されています。

    同じく、本丸跡に残る礎石の光景です。明治12年(1879年:一説に明治9年あるいは明治13年)、当時の金30円で古物商の山本新助に売られ、石垣を残して取り壊されました。その後、城跡一帯は坂口氏の手に渡りました。昭和8年(1933年)、坂口平兵衛 (2代)から米子市に寄付され増した。現在は湊山公園として整備されています。

  • 本丸跡に設置された三角点標石の光景です。側面の読み取り難い文字は、『点』の旧字体の『點』のようです。頂部に中心点を示すプラスの刻みがありました。三角点(さんかくてん)とは、三角測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる点のことです。標高については、別途、水準点も基準となります。

    本丸跡に設置された三角点標石の光景です。側面の読み取り難い文字は、『点』の旧字体の『點』のようです。頂部に中心点を示すプラスの刻みがありました。三角点(さんかくてん)とは、三角測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる点のことです。標高については、別途、水準点も基準となります。

  • 本丸跡から眺めた港方面の光景です。雨で霞んでいましたが、島や港らしい護岸などが見えました。城域の周囲に廻した堀には、海水を引き入れていたようです。『中海』と呼ばれる海域のようです。

    本丸跡から眺めた港方面の光景です。雨で霞んでいましたが、島や港らしい護岸などが見えました。城域の周囲に廻した堀には、海水を引き入れていたようです。『中海』と呼ばれる海域のようです。

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