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 鎌倉市扇ガ谷2にある浄光明寺(https://4travel.jp/travelogue/10485748)は13世紀半ばの創建の寺だとばかり思い込んでいたが、鎌倉市のホームページ(https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kids/jh/kjh_sa10.html)には「この寺は、文覚上人(もんがくしょうにん)が源頼朝の願いで建てた寺が前身と伝えられています。その後、1251年に(建長3年)北条長時が浄土、真言などのいくつかの宗派の寺として改めました。」と記載されている。更新日を見ると「2018年4月16日」とあり、新しいものだ。上述した私のブログを確認してみると、この件は記載されているがすっかり忘れてしまっていた。<br /> Webで浄光明寺客殿裏のこの庭園に関する記事やブログがないかと検索してみると、ブログ(http://koten-kagu.jp/2017/03/28/kamakura-102/)が見付かった。これまでに何度かNHKでTV放送されたことがあり、やぐらや崖の上にビャクシンの木を植えて庭の景色を演出していることは知っていたが、この裏庭にも「建物方と崖の間に」「結構大きな池」があるということだ。本堂から池ややぐら、ビャクシンの木々を眺める設定なのだ。<br /> 客殿裏にやぐらがあることは確認できる(https://4travel.jp/travelogue/10608461)が、池がある庭園(裏庭)があるのかは分からなかった。このやぐらは先代住職が著した「鎌倉のやぐら」(かまくら春秋社、1977年刊)の初版本の表紙を飾る写真にあるやぐらであるが、非公開であるからと断られてしまった(https://4travel.jp/travelogue/10726424)ことがある。<br /> やぐらと池のある庭園といえば、鎌倉・瑞泉寺(https://4travel.jp/travelogue/10448574、https://4travel.jp/travelogue/10564255)が余りに有名ではあるが、その創建は幕末と時代が下がる。浄光明寺客殿裏のこの庭園の造園は源頼朝が存命中(平安時代末から鎌倉時代初期)まで遡る可能性もある。また、佛行寺(https://4travel.jp/travelogue/10563197)の庭園も公開されているが、こうしたやぐらと池がセットになった庭園は鎌倉では瑞泉寺だけではないのである。佛行寺の創建は15世紀にまで下がるが、この寺には梶原景時・景季親子の伝説があり、駿河で討死した景季が死の証として送られてきた片腕が山に埋葬され、佛行寺裏山墓地に源太塚として残っており、また、景季の妻信夫(しのぶ)は嘆き悲しみ自害したと伝えられ、信夫の霊を慰めるため村人がこの寺を建てたとされる。この伝承も鎌倉時代初期のことである。<br /> 阿弥陀堂正面には樹齢750年を越えるイヌマキの木が聳えているが、この庭園(裏庭)にはビャクシンの木を植えているのだ。ビャクシンの木を植えて庭の景色を演出するやり方は頼朝没後(12世紀最後)に創建された大寺にも残っている。ビャクシンは壽福寺や時代が下がった建長寺や円覚寺のビャクシンが知られているが、こうした庭の崖にもビャクシンが植えられているのだ。<br /> 鎌倉でのやぐらの発生を頼朝没後の早い時期に想定すると、庭の崖にビャクシン、崖にやぐら、その前に池という一つの造園の一手法が炙り出されては来ないか?<br />(表紙写真は浄光明寺客殿裏庭のやぐら)

鎌倉・浄光明寺客殿の裏庭

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2011/10/01 - 2012/11/11

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市扇ガ谷2にある浄光明寺(https://4travel.jp/travelogue/10485748)は13世紀半ばの創建の寺だとばかり思い込んでいたが、鎌倉市のホームページ(https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kids/jh/kjh_sa10.html)には「この寺は、文覚上人(もんがくしょうにん)が源頼朝の願いで建てた寺が前身と伝えられています。その後、1251年に(建長3年)北条長時が浄土、真言などのいくつかの宗派の寺として改めました。」と記載されている。更新日を見ると「2018年4月16日」とあり、新しいものだ。上述した私のブログを確認してみると、この件は記載されているがすっかり忘れてしまっていた。
 Webで浄光明寺客殿裏のこの庭園に関する記事やブログがないかと検索してみると、ブログ(http://koten-kagu.jp/2017/03/28/kamakura-102/)が見付かった。これまでに何度かNHKでTV放送されたことがあり、やぐらや崖の上にビャクシンの木を植えて庭の景色を演出していることは知っていたが、この裏庭にも「建物方と崖の間に」「結構大きな池」があるということだ。本堂から池ややぐら、ビャクシンの木々を眺める設定なのだ。
 客殿裏にやぐらがあることは確認できる(https://4travel.jp/travelogue/10608461)が、池がある庭園(裏庭)があるのかは分からなかった。このやぐらは先代住職が著した「鎌倉のやぐら」(かまくら春秋社、1977年刊)の初版本の表紙を飾る写真にあるやぐらであるが、非公開であるからと断られてしまった(https://4travel.jp/travelogue/10726424)ことがある。
 やぐらと池のある庭園といえば、鎌倉・瑞泉寺(https://4travel.jp/travelogue/10448574https://4travel.jp/travelogue/10564255)が余りに有名ではあるが、その創建は幕末と時代が下がる。浄光明寺客殿裏のこの庭園の造園は源頼朝が存命中(平安時代末から鎌倉時代初期)まで遡る可能性もある。また、佛行寺(https://4travel.jp/travelogue/10563197)の庭園も公開されているが、こうしたやぐらと池がセットになった庭園は鎌倉では瑞泉寺だけではないのである。佛行寺の創建は15世紀にまで下がるが、この寺には梶原景時・景季親子の伝説があり、駿河で討死した景季が死の証として送られてきた片腕が山に埋葬され、佛行寺裏山墓地に源太塚として残っており、また、景季の妻信夫(しのぶ)は嘆き悲しみ自害したと伝えられ、信夫の霊を慰めるため村人がこの寺を建てたとされる。この伝承も鎌倉時代初期のことである。
 阿弥陀堂正面には樹齢750年を越えるイヌマキの木が聳えているが、この庭園(裏庭)にはビャクシンの木を植えているのだ。ビャクシンの木を植えて庭の景色を演出するやり方は頼朝没後(12世紀最後)に創建された大寺にも残っている。ビャクシンは壽福寺や時代が下がった建長寺や円覚寺のビャクシンが知られているが、こうした庭の崖にもビャクシンが植えられているのだ。
 鎌倉でのやぐらの発生を頼朝没後の早い時期に想定すると、庭の崖にビャクシン、崖にやぐら、その前に池という一つの造園の一手法が炙り出されては来ないか?
(表紙写真は浄光明寺客殿裏庭のやぐら)

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  • 浄光明寺客殿裏庭のやぐら。<br /><br />寺院に池は源頼朝によって平泉から鎌倉にもたらされた。創建時よりはかなり狭くはなっているが、永福寺跡に復元されている。

    浄光明寺客殿裏庭のやぐら。

    寺院に池は源頼朝によって平泉から鎌倉にもたらされた。創建時よりはかなり狭くはなっているが、永福寺跡に復元されている。

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