2018/09/12 - 2018/09/12
46位(同エリア7323件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記845冊
- クチコミ41216件
- Q&A回答431件
- 6,860,584アクセス
- フォロワー687人
この旅行記のスケジュール
2018/09/12
-
鎌倉駅着
-
鎌倉駅から町歩き
-
鎌倉駅から江ノ電で腰越駅へ
-
腰越駅から江の島駅まで歩き
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
毎年9月12日に行われる常栄寺のぼたもち供養は、四大法難の中でも最も大きな法難である龍ノ口法難を逃れた日蓮上人を祝うお祭り。はだか馬に乗せられ、江ノ島片瀬の龍ノ口の刑場に引かれていく日蓮上人におばあさんが差し上げたぼたもちを再現したというぼたもちもウリの一つ。餡子を使わず、ゴマをまぶして、甘い白蜜でびちょびちょになるくらいたっぶり浸したもの。甘甘ですけど、なんかおいしい。一個1000円はちょっと高いようですが、この日、ここでしか食べれないものだし、日蓮上人への思いも馳せながらいただくとこれもまた格別な味わいがあるでしょう。
ちなみに、龍ノ口法難。刑場では、いよいよ首を斬ろうと役人が刀をかまえるのですが、そのとたん、江ノ島の方角から不思議な光の玉が飛んできて、太刀が折れるなどの怪異現象が起きたため、これは処刑どころではない。「日蓮の首斬れません」という早馬が鎌倉に向かい、処刑は中止。日蓮は佐渡に流されることとなるのです。
昼に行われた常栄寺のぼたもち供養から、夕方は片瀬の龍口寺法難会へ。
龍口寺に向けて各町内から繰り出した集団は、うちわ太鼓に笛、鐘でとっても賑やか。リズミカルなお囃子風なんですが、それ以上にうちわ太鼓はドッカン、ドッカンすごい迫力。見守る観客も思わず大興奮。ここまで来るとねぶた祭りや阿波踊りの太鼓の感覚に近いかもしれません。
ところで、鎌倉を代表する仏教と言えば、北条氏も深く帰依した禅宗。しかし、鎌倉仏教ということになると、それは、栄西の臨済宗や道元の曹洞宗の禅宗もそうですが、むしろ、それ以外の日蓮の日蓮宗や法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗といった多彩な大衆仏教が強烈なイメージ。宗教というよりも世界の成り立ちを知るための学問として入ってきた仏教が為政者等限られた層の手を離れ、一気に大衆のものになったという大変革が重要です。
これらは、末法思想の高まりと併せて、最澄の開いた比叡山から生まれることになったのですが、日蓮宗はどういう位置づけなのか。誤解を恐れずに言うと、それは復古主義の考え方。その奉ずる法華経は聖徳太子の頃にはもう特別の存在だったし、最澄の天台宗も法華経を基本としています。しかし、日蓮と何が違うかというと、日蓮は、この法華経のみを仏の真の教えとし、末法に入ったからには他の教えは捨てなければならないと説く。つまり、末法の世になって仏の教えが理解できなくなった我々のために仏が残した教えこそが法華経であって、その他の教えはもう役に立たなくなってしまったというのです。まさに、法華経自身にそのことが明快に書かれていて、実に自信満々。加えて、法華経を象徴する蓮には花を咲かせながら実をつけるという特徴があるのですが、それになぞらえて、その正しさはあの世でもこの世でも現象利益となって現れるという、空海にも負けないぶっとんだ凄味が含まれます。日蓮の生き方がこれを証明するかのような激しいものだったことも他の宗派から一線を画しているのではないかと思います。
これに対して、空海の真言宗は密教という中国の新興仏教を導入したものだし、禅宗もそう。浄土宗や浄土真宗は、法然が「出あってしまった」と表現した弥勒菩薩を新たに信仰の対象とし、その加護によって悪人も含めた全ての衆生を救うとしたものであって、これも復古主義とは明らかに違います。
この辺りは空海と最澄の物語も重要。これも参考まで。
https://4travel.jp/travelogue/11008018
-
常栄寺のぼたもち供養までには、まだ時間があるので、例によって、まずは鎌倉市街の街歩きから始めます。
鎌倉駅に到着して、鶴岡八幡宮に向かう大通りに出ました。これも鎌倉街道の一部ですよね。鎌倉街道は、「いざ鎌倉」の際に関東の武士がはせ参じた道というのがイメージ。各地から鎌倉に向かう古道の総称です。
ただ、私としては、打倒鎌倉幕府の新田義貞が鎌倉を目指した小手指原から、久米川、分倍河原、関戸のルートが印象的。国分寺駅から歩いて行ける範囲にも鎌倉街道の面影を残す場所があって、鎌倉街道の匂いを辿るのであれば私的にはその辺りがお勧めです。 -
大通りから雪ノ下の細い路地に入ります。
大佛次郎茶亭は、大佛次郎が書斎兼もてなしの家として購入したもの。大佛次郎は、本名が野尻清彦なので、野尻邸として案内板がありました。閑静な住宅地に建つ長い塀で囲まれた雰囲気あるお屋敷。鞍馬天狗で有名ですが、遺作「天皇の世紀」では明治維新がいかなるものだったかを正面から解釈していて、これは並の作家ではない。それまでは司馬遼太郎の作品群で明治維新を理解していたつもりの私でしたが、これによって頭を思い切り殴られたような衝撃がありました。
外観を確認しただけですが、大佛次郎ファンであればたまらない思いに浸れる場所だと思います。 -
大佛次郎茶亭からすぐには、若宮大路幕府旧蹟。
石碑は、ここに1236年から1333年まで約100年の間、ここの鎌倉幕府が置かれていたことを示すもの。執権の北条氏が実権を握っていましたが、形式的にはお飾りの将軍がいましたから、その将軍の住まいでもあったのではないかと思います。 -
鶴岡八幡宮の南東部に移動して、これは正一位稲荷神社。鶴岡八幡宮の境内ではないし、鶴岡八幡宮とは関係ないでしょう。それとも、稲荷神社はお屋敷の中に祀られていたことも多いし、元はそういうことだったかも。鳥居以下、赤一色の構えですが、特に由緒書もなくてよくわかりません。
-
ここから、二階堂、十二所方面に向かいます。
このパン屋さんは、モン・ペシェ・ミニョン。ただ、ビゴの店といった方が分かりやすいかも。金沢街道沿いのロードサイドのお店は朝早くからやっていて、常連さんが次々やってくる。私もつられて入ってしまいました。 -
生クリームに果実系ジャムをたっぷり塗ったトーストをいただきまして、ちょっとリッチな朝食といった感じになりました。
-
さて、二階堂 金沢街道は、鶴岡八幡宮から報国寺方面に向かう道路。朝夷奈切通しを抜けて、金沢八景の瀬戸神社前まで続きます。昔の道跡なので、くねくね曲がっていて、車の通行量も多めなので少し歩きにくい。しかし、歴史の道だと思えば、それもまた一興でしょう。
-
ここで、すぐに滑川を渡る橋。
-
滑川は、鎌倉市街の東側を流れる川なんですが、朝比奈峠付近を源流とし、最後は由比ヶ浜と材木座海岸の間で太平洋に注ぎます。
この辺りだと草ぼうぼうの中を流れる小さな川。鎌倉にあっても本当に田舎っぽい風景が見られます。 -
橋を渡ってすぐに文覚上人屋敷跡の石碑です。
碑文は読みにくいですが、出家する前は遠藤盛遠という武士。源渡の妻、袈裟御前に恋し、誤って殺してしまい、出家することに。源頼朝との関係があったことも書かれていて、頼朝に平氏追悼の院宣をもたらしたということでも知られます。 -
さらに進んで、勝長寿院跡。枝道を入っていく分かりにくい場所です。
あまり聞かない名前ですが、勝長寿院というのは、源頼朝が鎌倉に建てた永福寺、鎌倉八幡宮寺と並ぶ三つの大寺の一つ。
頼朝の父、源義朝の菩提を弔うために建立したもので、義朝の首を埋葬したのだそう。石碑が建っているだけですが、石碑の背後には義朝の墓らしいものも残っていました。 -
金沢街道に戻ってきて、これはよねこベーカリー。米のパン屋とある小さなお店です。
-
看板商品は「ちくわパン」。三種類あって、海苔のちくわパンをいただきました。見た目はフランスパンみたいなんですが、実際はふんわり柔らか。小さなサプライズですね。タコ焼きソースみたいなアクセントも悪くないと思います。
-
金沢街道をしばらく歩いて、十二所神社に到着。もう鎌倉市街の外れ。鶴岡八幡宮から考えると、やっぱりけっこう遠いです。
-
この神社は、地元、十二所の鎮守社。熊野十二所権現社とも言われ、熊野神社と関係があるようです。北条政子が安産の祈願をしたともある由緒はまあまあかな。
少し高台にあって、古びた石灯籠と石段に歴史を感じます。社殿は小さめです。 -
十二所神社から引き返して、今度は報国寺。ここは、竹の寺として知られた美しい古刹。鎌倉観光ではまあまあ定番のお寺ですね。
この山門は寺を訪れるとまず現れる建物ですが、まだ新しい感じ。太い柱が豪壮ですが、形式は高麗門。一番格式の高い四脚門の形式ではありません。 -
建武元年(1334年)の創建で、足利尊氏の祖父、足利家時が開基とも伝わる臨済宗の寺。足利氏、上杉氏の菩提寺です。室町時代の永享の乱で敗れた鎌倉公方足利持氏の子義久が自刃したとも伝わります。
-
報国寺の本堂は、山門から続く参道を進んで石段を上がった正面。南北朝時代、宅間法眼作と伝わる本尊、釈迦如来坐像が安置されています。正面には繊細な龍の彫刻が見えますが、小さいのであまり見応えはないかも。やっぱり、裏の竹林に面した庭と一緒に見る眺めの方が美しいと思います。
-
ここから有料の竹林エリア。
-
イチオシ
ふかふかの地面からニョキッと太い竹が伸びています。
-
有料エリアの竹林を進んで、少しスペースのある場所に出たところにたたずむのが六地蔵。少し苔むした場所に並ぶ小さめの石像ですが、何か特別なものであるということでもなさそう。竹林のアクセントというくらいのものだと思います。
-
木下利玄の歌碑は、六地蔵の近くに建つ、それなりに立派な石碑。ちなみに、木下利玄は、明治から大正時代にかけて活躍した歌人。ちょっと読みにくいですが、碑文は「あるき来てものゝふ果てし岩穴のひやけきからにいにしへおもほゆ」 。先ほど触れた鎌倉公方足利持氏の子義久が自刃した史実を頭においた歌でしょう。
-
山の方にはやぐらもあって、お墓でしょうか。やっぱり鎌倉らしい眺めです。
-
ところで、永享の乱ですが、これは鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実の対立が発端。
-
イチオシ
室町幕府に反抗した持氏に対し、室町幕府6代将軍足利義教は持氏討伐を命じ、持氏は幽閉されるとともに、嫡子義久も自害に追い込まれます。
-
しかし、ことはこれで終わりではなく、持氏の遺児を奉じた結城合戦から、古河公方の成立と享徳の乱の始まりへと、関東全域を巻き込んだ戦乱が果てしなく続いていく。ただ、こうした関東の中世はあまり注目されない歴史。唯一、享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した太田道灌がそれなりに知られているくらいのことかと思います。
-
有料エリアから出て。
迦葉堂は本堂から竹林の入口と反対側。苔の遊歩道を進んだ先の大きな建物。正面ののぞき窓から中を見ると何やら像が見えましたが、たぶん迦葉の像。阿難(あなん)、迦葉(かしょう)と言えば、釈迦の十大弟子。その遺徳にあやかろうとする施設でしょう。 -
旧華頂宮邸は、報国寺の筋をさらに奥に進んだところ。
昭和4年、華頂博信侯爵邸として建てられた立派な邸宅。 -
門を入ると古典的なハーフティンバースタイルというなにか別荘みたいな洋風建物が現れます。
-
イチオシ
そして、裏に回ると広い芝生のバラ園があって、とっても優雅。
-
建物の内部には入れませんが、しっかり見応えがある施設です。
-
そこから、今度は杉本寺へ。こちらは、天平6年(734年)、行基が十一面観音を安置して創建したという鎌倉でも最古のお寺。
-
まず現れる仁王門は、本堂に続く石段の中ほど。切妻造で、茅葺の八脚門。江戸時代、18世紀半ばに建てられたものです。
-
左右には赤い仁王像を安置。傷みもなくはないですが、かつては鮮やかであったであろう衣装の彩色とかはそれなりに残っていて、今でも華やかな仁王像です。
-
通りから石段を上がっていきますが、中ほどの仁王門をくぐったところから本堂に上がる最後のところの苔の石段には風情があって見応えあり。ただ、苔がかなり生しているし、石段の石もすり減っているので、たぶん危険だからでしょうか。立ち入りは禁止で、下から眺めるだけになります。
-
ここで脇にあるのは大蔵弁財天。ちょっとしたスペースがあって、そこに祀られています。ここにお参りすると大きな蔵が建つという弁天。ただ、見た感じでは小さな祠だし、気が付かずに通り過ぎる観光客も多いのではないかと思います。
-
観音堂は、いわゆる本堂のこと。本尊の十一面観音立像を祀るので観音堂です。
内陣の方も拝観できるのですが、別途、チケットが必要。と言っても、そのチケットは拝観料を払った時に付いてくるので、実質は無料です。
十一面観音立像を見ることはできませんが、厨子の周囲には十二神将像。それが勇ましくて、意外に見応えがありました。 -
本堂に向かって右手奥に、供養塔と六地蔵というのもあります。
粗末な屋根の下に並んだお地蔵は、かつての杉本城で、南朝方の北畠顕家に攻められここで自害した斯波家長らの供養にと建てられたもののよう。しかし、周囲は荒れた感じだし、そのような意味を知らなければスルーしてしまうかもしれません。 -
再び金沢街道に戻って。
-
歌の橋は、鎌倉市街からだと杉本寺の少し手前。実際に川を渡る小さな橋に「うたのはし」と名前がありました。そして、そのたもとには石碑。
鎌倉十橋の一つ。謀叛を企てたと捕らわれた渋川刑部六郎兼守なる人物が無実を訴える十首の和歌を荏柄天神社に奉納。その和歌に将軍、源実朝が感銘を受け無罪放免となり、その恩返しとしてこの橋を作ったのだとか。確かに歌の橋という名にふさわしい逸話です。 -
少し移動して、今度は護良親王墓。
入口から見た姿は立派なんですが、 -
奥から上がっていく石段はこんなの上がれるかなあというような急階段。まっすぐ墓に向かう道ではあるのですが、上る人のことはあまり考えていないでしょう。
-
そして、散々上った先は柵で行き止まり。やっぱり寂しげな場所であることは否めません。
ところで、護良親王は、後醍醐天皇の皇子。建武の新政後、足利尊氏を警戒し画策しますが、父、後醍醐天皇との不仲もあって、足利尊氏に引き渡してしまう。結局、鎌倉の地で殺害されるという非業な最期。護良親王を祀った鎌倉宮は穏やかですが、この墓を見るとそうしたおどろおどろしさが少し残っているようにも感じます。 -
荏柄天神社の境内一番奥。
-
本殿を過ぎて左手の方に進むと高台にずんぐりした絵筆のモニュメント。菅原道真の文武の才能にあやかりたいといするものでしょうが、その経緯は意外なもの。河童の絵を描き続けた清水昆氏が愛用の絵筆を供養し、昭和46年に建てたかっぱ筆塚が起源ということ。「かっぱ筆塚・絵筆塚」という詳しい説明板がありました。
-
ここから鶴岡八幡の方に戻ります。
ベルグフェルドは、その途中。ビルインの小さなお店。 -
洋菓子とパン屋さんを兼ねていて、ショーケースの上にちょこっと置いてあるパンの方をいただきました。見た感じはとても美しかったんですが、まあ味の方は普通の範囲かな。長谷の方にも支店があるようです。
-
その隣りはアルトシュタット。手づくりハムやソーセージのお店です。
-
ただ、いただいたのはコロッケ。ジャガイモのホクホクした味がとってもいいですね。翌日、冷めたところでいただいても相変わらずのおいしさ。これも腕のいい職人さんが作ったという感じです。
-
中心部に帰ってきました。
湯浅物産館は、若宮大路にあるレトロなお土産物屋さん。お菓子やはんなりいなりといった食べ物に、敷物や箸など雑多な取扱い。 -
ただ、お店の中身ほか、もう一つの見どころは、昭和11年に建てられたこの建物。木造の建物の前に装飾を施した看板建築という建物の代表的なものだそうです。外壁がスクラッチタイル張りで、木造であることを感じさせない意匠です。
-
そろそろ常栄寺の方に向かいましょうか。でも、その途中。。
妙本寺の境内といっても、脇道のどん詰まりにあって別のお寺みたいな感じの場所にある蛇苦止堂は「じゃくしどう」です。 -
妙本寺は、北条氏と争い、敗れて滅びた比企一族の屋敷があった場所で、一族最期の地。比企一族は頼朝の乳母であった比企尼の一族。無念の最期だったと思われます。隣りに池がありましたが、一面浮草で真っ青。これも不気味な雰囲気。一族が身を投げた井戸の方にも怨念の話が伝わっています。鎌倉はこんなのがとっても多いですよね。
-
さて、常栄寺へ。
-
お祭りの感じはあるのですが、
-
境内はまだ閑散。
-
どうしたんでしょうねえ。
-
ただ、ここで例のぼたもちですよ~
-
イチオシ
餡子を使わず、ゴマをまぶして、甘い白蜜でびちょびちょになるくらいたっぶり浸したぼたもち。甘々ですが、なんか意外においしい。一個1000円はちょっと高いようですが、やっぱりこれを食べないと今日来た甲斐はありませんからね。
そして、もう一つの見どころ、まとい振りの奉納は夕方だそう。またそこまではどこかで時間つぶしが必要です。 -
ということで、お昼はMANNAさんへ。
感性豊かな女性シェフがやっている店という評判だったので訪ねてみましたが、看板が出ていなくて探すのに一苦労。意図的なものなんでしょうが、これはなんとかならないんでしょうか。本当に気が付きにくいお店です。 -
イチオシ
対して、店内は明るいオープンキッチン。シェフとお客さんのほどよい距離感を大事にしているのを感じます。
ランチは1400円。前菜のジャガイモのスープは、極めて薄味。ずんだ豆もしっかり入っていて、余計薄味を強調していて、あれっと思ったら。。単調な味わいになるところに、隠れていたチーズ片がこれを微妙にカバーします。健康に良くて、美容にもいい。そうした心配りもあるような気がしますが、一方では濃厚なジャガイモのスープもおいしいですからねえ。どっちにしても、工夫の一つ一つにシェフの思いを想像したりして、コミュニケーションの楽しめるお店だと思います。 -
お客さんは女性客を中心にほどほど。
-
思い思いに優雅な時間を楽しんでいるようでした。
-
ここから由比ヶ浜に近い大通り沿いに出て、こちらは麩帆。麩饅頭の専門店です。「麩饅頭だけって珍しいですね」と声をかけると「生麩もやってます」の答え。まあ、それって同じことなんですけど、麩にこだわる店であることは間違いありません。
-
イチオシ
麩饅頭の方は餡子の甘さはけっこう抑えめ。麩のつるんとした食感がいいんですが、正直言えばインパクトがあるというほどではなかったかなと思います。
-
通りを歩くと、これは主馬盛久の頚座という史跡。
馬や馬具の管理をする役職であった平家の御家人、平盛久が処刑をされんとする時、刀が折れ散るなどの奇跡が起き、それを免れたとされる史跡。一見おどろおどろしい風に見えましたが、内容はおめでたいものですね。
法難を逃れた日蓮の話とも似ているような感じですが、許されただけではなく、こちらは所領を安堵されたということまでついています。 -
吉屋信子記念館は、春と秋の一般公開ですが、それ以外だと、国の登録有形文化財として登録された主屋と門及び塀のうち、門及び塀は見ることができます。牛ピンクの土塀ですが、下半分はスライスした木を張り付ける意匠。庭の深い緑との相性が素晴らしい。当然、主人である吉屋信子の意向も踏まえたものだったと思いますが、この素晴らしいセンスには脱帽です。
-
長楽寺跡碑は、鎌倉文学館の敷地内。本館に向かう参道沿いです。
-
石碑が建っているだけのところですが、ここにあったのが長楽寺。頼朝の妻、政子によって頼朝の供養のため建てられた寺です。しかし、鎌倉幕府が亡んだ時、焼失。ただ、地名としては残っているようです。
-
長谷子ども会館という名前からは想像もしていなかったバリバリの特徴的な洋館。旧諸戸邸です。
-
イチオシ
建物は、明治41年に福島浪蔵氏邸として建ち、大正10年に諸戸清六氏の所有となったもの。大きさはさほどでもありませんが、バルコニーの柱にバルコニーをいただくギリシア建築の様式はいくら新しもの好きの鎌倉であっても、かなり目立っていたことは想像に難くない。それを思うとちょっと愉快にもなる建築です。
-
ほどなく、甘縄神明社の参道に出てきました。
-
参道を少し入ると足達盛長邸跡。石碑が建っているだけの場所ですが、ここに流人時代から頼朝を支え続けた安達盛長の屋敷がありました。頼朝の乳母、比企尼の娘を妻にした盛長ですが、比企一族が滅ぼされた後も北条氏とともに幕府を支え続ける。権謀術数の渦巻く鎌倉で天寿を全うしたのは、やはりやり手でもあったのでしょう。碑文の解説からもそのようなニュアンスが伝わってきます。
-
この辺りでちょっと異彩を放つのは加賀谷邸。塀に囲まれた建物ですが、塀の向こうににょきっと顔を出していて、その青緑の縁取りのデザインとともに、ちょっと奇抜な印象を与えます。建てられたのは大正14年。大正モダンの匂いも少ししていますが、それは内部も見ないと分からないような気もします。外観だけで感じるしかありませんが。。
-
そして、旧川端康成邸は、甘縄神明社の参道に入る手前を左に入った路地のドン詰まり。晩年、川端康成がくらしていたという家です。けっこう分かりにくくて、近所の人に場所を尋ねてやっと探し当てました。
しかし、公開はされていないようで、財団法人川端康成記念会という表札でそれとわかるくらい。想像力を働かせて当時を偲ぶしかありません。 -
ここから長谷の方に移動して。
のり真安齊商店は、長谷の中心部からすぐ。大正13年、関東大震災で倒壊した農水産加工物問屋卸商店を建て替えたもの。鎌倉市警官重要建築物に指定された建物です。
お店はまだ現役のよう。表の戸はあちこち開いたまま。乾物の段ボール箱が棚につんであるのが見えています。商売がしやすいように工夫したものなんでしょうが、この開放感はかなり独特です。 -
桑ヶ谷療養所跡は、鎌倉時代の診療所跡。長谷市街の端っこに石碑が建っていました。
石碑にはかなり詳しい解説があって、700年前の永仁年間、当時の執権北条時宗が忍性上人に命じて貧民救済の目的でこの療養所を開かせたとありました。時宗は元寇に対処した優秀な執権として知られますが、なかなかいろんなことをやっています。 -
さらに山の方に入ったところ。少し不便な場所ですが、これは鎌倉能舞台。
能の定期公演をやっているようです。一方で、能楽博物館として、舞台、能面、能装束等を展示公開しているということでしたが、やっぱり中には入れないし、これはどうにもなりません。 -
再び、長谷の中心部に戻ってきて。
白日堂は、長谷のメインストリート沿い。鎌倉彫のお店ですがお土産物ではなくて、本格的な鎌倉彫の老舗。一般の観光客からすると気後れして、ちょっと入り辛いかもしれません。 -
店内は古めかしくて、手をかけた工芸品的な商品が品よく並んでいます。女将さんが出てきて少し話をしましたが、あんまり話は好きではないように感じました。しかし、自分で鎌倉彫の作業なんかもする人なんだそう。別のところでそう聞きました。
-
収玄寺もその並び。
お寺なんですが、門の感じとかどこかのお屋敷みたいな雰囲気もあるなと思ったら、もともとは、鎌倉の武士、四条金吾頼基なる人物の邸宅だったのだとか。 -
四条頼基は、龍口の法難の際は日蓮に随行し殉死の覚悟をもって臨んだ聖人四代檀越の一人なのだそうです。整った本堂の手前に建つ四条金吾邸と大書された石碑もどこか誇らしげでした。
-
さて、ここでまた常栄寺に戻って、待つことしばし。
あー、やってきましね。 -
いよいよ、まとい振りの奉納ですか。
-
この一団は池上本門寺からやってきて、夕方の龍口寺法難会に向かう。
-
その途中に、ここに寄って、まとい振りを奉納するんだそうです。
-
本堂で
-
お参りを済ませると
-
始まりましたよ~
-
にぎやかな笛や太鼓のお囃子が場を盛り上げて、
-
それ、それー。
-
若い衆が
-
イチオシ
まといを勢いよく操ります。
-
正面で振ったり、背中に回して背後で振ったり。
くるくる回るまといは、法難を逃れた日蓮上人を力いっぱい祝っています。
ただ、今日は平日にしても、観光客が意外に少ないのにはあれっという感じですけどね。
これでぼたもち供養は終了。夕方の龍口寺法難会に向かいましょう。 -
江ノ電で江の島に向かいますが、やっぱりまだ時間があるので、腰越で途中下車。
腰越あたりを少し散策します。腰越海水浴場は、江ノ電腰越駅から海側に出たところ。小動岬の西側で、もう江の島の方もそれなりに近い感じ。海に面した堤防の道から見える砂浜が切れ目なくつながっています。全体が湾のような地形なので、これなら安全かなと思います。 -
そこから小動岬へ。腰越漁港というちょっと小さくてごちゃごちゃした漁港の背後の山といった感じ。眺め的に言えば、あまりよくはないかもしれません。
岬には、旧腰越村の鎮守であった小動神社。幕末には台場が設置されて沿岸の警備にあたっていたようです。ここからだと江の島の方も見渡せます。小動神社は、江の電腰越駅から海側に出たところ。こんもりした小動岬の上に建つ旧腰越村の鎮守です。 -
源平合戦の際に、頼朝の仕えた佐々木盛綱が自らのルーツであった近江国の八王子宮を勧請したのが始まり。新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願したとも伝わります。参道は緩い坂道。本堂前のこま犬がほおかぶりをしていましたが、なにか意味があるのか。ちょっと気になりました。
-
浄泉寺は、戻る感じ。国道沿いの入口に赤い立派な山門があって、それが目印です。
-
境内は、松や蘇鉄が美しい。
こちらは、新田義貞の稲村ケ崎越えにも関係した真言宗の古刹。新田義貞が鎌倉攻めの途中、小動神社に奉納した剣を浄泉寺が保存していたということもあるようです。 -
踏切を超えて、満福寺へ。
-
こちらは義経ゆかりの寺として、腰越では一番の名所です。
-
硯の池は、その満福寺の境内。ちょっとした岩の崖下にある狭い場所に設けられた池。
-
義経が有名な腰越状を書く際、弁慶がここから水を汲んだというんですね。
頼朝からここで足止めされて、つらい心情だった主従の姿に思いを馳せました。 -
この辺りには、龍口寺輪番八ヶ寺とも呼ばれる日蓮宗のお寺がいくつかあって、それらもチェックしてみましょう。
本成寺は、山門から本堂に向かう周囲はお墓だらけという感じ。 -
イマイチ荒れていて、ひなびた雰囲気は否めません。
-
勧行寺は、腰越市街の山手側。塀も何もなくて、通りから回り込むと本堂が建っているというあっけないほど簡素な構え。
この寺を見て云々は特にないように思います。 -
妙典寺は、さらに奥。比較的見晴らしのいい場所に形のいい本堂が建っています。日蓮宗。本堂の前に大黒の像があって、それが少し目を引きました。
-
続いては、東漸寺。龍口寺輪番八ヶ寺の中では山門・塀から本堂、境内の植え込みなんかも含めて、比較的リッチな感じがする寺。
-
龍口寺の地の護持のため法華経寺から派遣された日東という僧が開山ですが、その後中興の祖が出たようです。
-
本龍寺は、さらに奥。
入口には門の代わりの石柱が建って、本堂に続く参道には蓮の鉢が並んで、参詣者の心を和ませます。
龍口寺輪番八ヶ寺ではありませんが、日蓮上人の直弟子である日朗聖人の弟子、妙音坊日行上人が開山。旅館のような庫裏の建物も特徴的です。 -
本行寺は、住宅地に建つ鉄筋コンクリート造りの寺で、二階が本堂で、地下は駐車場。正直言えば、風情とかは感じられません。観光スポットの寺でないのは明らか。日蓮宗の寺なので滝口寺と関係あるのかもしれませんが、それもよく分かりません。
-
ここから、江の島までは歩くことにしまして。。
片瀬東浜海水浴場は、江の島の東側。すぐ目の前に江の島が見えるという絶好のロケーションです。アクセスもいいので来客数は日本でも有数。日本の水浴場88選。
シーズンを過ぎていましたが、砂浜を歩く人たちがたくさんいました。江の島観光のついでにちょこっと寄れるのもいいところだと思います。 -
江の島弁天橋 龍燈は、橋を渡って対岸の江ノ島に向かう途中。見晴らしのいい遊歩道の左右に建つ中国風のモニュメント。先端は屋根の付いた灯籠ですが、下のずんぐりとした土台には波の上に陣取る大胆な龍の彫刻。江の島を竜宮城にでも見立てたものでしょうが、正直、この中国風には違和感がなくもないモニュメントです。
-
境川は、相模原市から町田市、大和市を抜けて江ノ島で相模湾にそそぐ川。武蔵国と相模国の国境とされたことから境川です。
小田急片瀬江ノ島駅から江の島へ向かう際にこの川を越えて行きますが、さほど大きくもないし普通の川。眺めがどうということでもないように思います。 -
藤沢市観光センターは、小田急片瀬江ノ島駅からすぐ。片瀬橋のたもとにあるガラス張りのおしゃれな建物です。江の島に向かう前に観光情報をゲットするには便利な場所。ただ、江ノ電江ノ島駅から江の島に向かう際には少し脇に入った場所になるので、気が付かない人も多いかも。そこがちょっと残念です。
-
片瀬漁港は、江の島大橋の西側。向かいに江の島を望む場所。江の島に渡る前にちょっと寄ってみましたが、夕方だったので、辺りは閑散としていました。漁船が何隻か係留されていましたが、規模は本当に小さいもの。たぶん水揚げされる魚は地元で消費されるだけのものだと思います。
-
片瀬西浜海水浴場は、江の島大橋の西側。片瀬漁港を過ぎた先の砂浜です。
季節は過ぎていましたが、海の家に使われたであろう鉄骨の構造物が残っていて、その長さがなかなかの圧巻。大勢の人が利用する海水浴場であることが窺われました。東浜に比べると海は外洋の感じがして、より雄大です。 -
藤沢市片瀬江の島観光案内所は、小田急片瀬江ノ島駅から境川にかかる橋を渡ってすぐ。江の島に向かう途中なので、江の島の観光情報はここでゲットするべき。
-
江の島に行っても観光情報はあるだろうと思ってしまいますが、江の島には意外に適当な案内所はない。早く江の島に渡りたいという気持ちはあってもそこは抑える方がいいでしょう。
-
商店街を抜けて、滝口寺の方に向かいます。だんだん日も暮れてきましたよ~
-
江の島弁財天道標は、江ノ電江ノ島駅から江の島に向かう商店街の中ほどで一つみつけました。ほっそりと建つ石造りの道標は、杉山検校が江島神社に参詣する人のために寄進したもの。藤沢市内には12基あるようです。藤沢市の指定文化財です。
-
玉屋本店は、明治45年創業の老舗の羊羹屋さん。一口羊羹もありましたが、やっぱり羊羹はちゃんと一本のを食べないと味は分かりませんよね。
-
羊羹は羊羹なんですが、極端な言い方をすると、お菓子というよりなにか食品といった感じ。口に入れた時に自然なボリューム感があって、しっかりお腹に入るといった羊羹。いい意味でも飽きが来ない羊羹です。
-
ところで、江ノ電江の島駅周辺にも意外に寺が多くて、どれもなかなか大きな寺。常立寺もその一つです。
龍口には罪人の処刑場があり、常立寺は埋葬地。元寇、文永の役の際、元への服従を求めるためにやってきた杜世忠ら元の国使も処刑された後、この地に葬られました。
寺の境内に隣接して伝元使塚。これは杜世忠ら元の国使の供養のために作られたもの。藤沢市教育委員会の立派な説明板が建っていて、歴史の一端を紹介しています。こちらは常立寺とは入口が別なので、お間違えなく。 -
本蓮寺は、常立寺から住宅地の方へ歩いて10分足らず。ここも日蓮宗の寺で、龍口寺輪番八ヶ寺の一つです。
-
創建は推古天皇3年(595年)ですが、源頼朝が源立寿寺として再建。日蓮が龍ノ口法難の後にここで休息をとったとも伝わります。
境内には入れませんが、立派な山門からはよく手入れされた本堂周辺の様子はよく分かる。この山門に続く一直線の石畳の参道もあって、ちょっと大寺の風格も匂います。 -
最後に密蔵寺。こちらは、女優、小暮実千代が植えた愛染かつらで知られる真言宗の寺。相模国準四国八十八箇所の十七番札所でもあります。
少し日が暮れてから行ったので大丈夫かなあと心配しましたが、境内は明るく灯がともされていて、まったく問題なし。山門から本堂周辺もきれいに整備されていて、気持ちよく参詣できました。 -
最後少し腹に入れておきましょうか。
晴れる屋は、江ノ電江ノ島駅近くのラーメン屋さん。龍口寺法難会のお祭りで行って、祭りが始まる前にここで腹ごしらえしました。 -
ラーメンはちぢれ麺の濃い味、ワイルド系。なので、お客さんは若い男性ばかり。なので、女性には入りにくいかなとは思います。
-
さてさて、龍口寺の法難会の方ですが、露店がたくさん出ているし、一気に人が集まりました。これは大変な混雑ですよ~
昼間の常栄寺のぼたもち供養と比べるとうってかわって、まるで静と動といった感じです。 -
町内毎に集団となって、ドンドン、ピーヒャラ。
-
うちわ太鼓なんですが、全員で叩くと腹にまでこたえるような大音量。辺りに響き渡って、どうかすると阿波踊りの大太鼓集団の迫力を思い出してしまうくらいのすさまじさですね。
-
観客にもその熱気がそのまま伝わってきて、のんびり見ているという感じにはならない。こっちも体が自然とリズムを取ってしまいます。
-
ドンドン、ドンドン。
-
ドドドドドー。
-
ぼたもち供養の方はまといが一つだったのですが、
-
イチオシ
こっちはそれぞれが競い合い感じになるのでどうしてもやっちゃいますよね。
-
晴れの舞台。観客も大勢だし、力が入るのは当然です。
-
ソレソレ。
-
イチオシ
ソーレー。
日蓮上人は助かったぞー。やったー、やったー。ありがたやー。って感じでしょうか。
この後はまだ境内に入っていったりするんでしょうが、朝からだいぶ時間も経ちましたし、ここまで見ればもう十分。この辺で、もう帰ることにしましょうか。
お疲れ様でした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- らぼさん 2019/04/01 10:31:14
- 鎌倉散策
- こんにちは
ご訪問・投票ありがとうございました。
鎌倉駅周辺はかなり裏路地まで歩いてお気に入りのお店もたくさんあるのですが少々飽きてきてしばらく行ってませんでした。一寸足を延ばせば面白そうなところがいっぱいあるのですね、参考にさせていただきます。
牡丹餅1箱1000円ですよね、お祭りじゃなくても買えるのかなぁ‥
ランチのお店もよさそう、夏の18切符旅の候補に入れておきます。
・・・らぼ・・・
- たびたびさん からの返信 2019/04/01 10:52:07
- RE: 鎌倉散策
- ぼたもちは近くの和菓子屋さん「大くに」で作っているのですが、祭りの日限定です。祭りの日も時間が遅くなると売り切れとなることが多いと思いますので、ご注意を。
たびたび
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
140