2018/06/15 - 2018/06/29
233位(同エリア448件中)
さいたまさん
戦場にかける橋の映画にも出て来たクウェー川の鉄橋や慰霊碑等を見て、泰緬鉄道について、歴史的背景をも含め、考え直してみました。
現在、カンチャナブリからミャンマーへ経路は、泰緬鉄道であった経路と新たにダーウェーに向かう道路及び鉄道建設予定の経路の2本の経路があります。
ダーウェー経済特区開発の計画が検討されていますので、併せて、見てきました。
あまりにも観光地化された現実に、驚きを感じるとともに、過酷な工事の実態と現実の姿に、大きなギャップを感じました。
一部の巨大な像は、テーマパークのようなそぐわない感じがしました。
日本のみを悪者にし、それを観光の目玉にしてる感じがします。
泰緬鉄道の建設の厳しさには、間違いないのですが、ある面のみを強調し、観光に利用する考え方には、違和感を感じています。
フランスの植民地カンボジアとの戦いで、敗戦の憂き目に会い、日本に助けを求め、日本の力を借りて、カンボジアを我が物にし、戦勝記念塔を建てたタイが、終戦直前に、枢軸国から連合国に変身した歴史を、思い出しています。
ビルマへの物資輸送という目的達成のため、急ぎ建設された泰緬鉄道の歴史的背景に思いを致すとき、その工事にあたった各国の捕虜、労働者への思いを新たにしました。霊安らかにと願うばかりです。
泰緬鉄道は、タイ側のノンブラドックからビルマ側のタンビザヤまでの間の延長141kmの鉄道を、1年3ケ月で完成させたとのことです。
当初、5年間かかるとされていた工事が、1年3ケ月で完成したことは、かなりの突貫工事であったことが、推測されます。
当初計画では、日量3,000トンの輸送量を考えていたそうですが、工事を急ぐ関係から日量1,000トンとして工事期間の短縮を第一の目標としたとのことです。
写真は、クウェー川の鉄橋の様子です。
橋脚の間の梁部が、丸みを帯びた梁部と角ばった梁部が、あります。
角ばった梁部は、連合国軍の空爆により破壊された部分を、戦後、日本の業者が修復した橋梁部です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自転車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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クウェー川の鉄橋の標識です。
RIVER KWAI BRIDGE とあります。
鉄橋の西側の木造施設に立てられています。 -
クウェー川と鉄橋の様子です。
川幅は、約150m程度です。 -
写真は、クウェー川の鉄橋の様子です。
橋脚の間の梁部が、丸みを帯びた梁部と角ばった梁部が、あります。
角ばった梁部は、連合国軍の空爆により破壊された部分を、戦後、日本の業者が修復した梁部です。 -
クウェー川の鉄橋の様子です。
観光地化されています。
欧米人、オーストラリア人が多い感じがします。
タイ人も、見られます。
橋の袂には、爆弾の弾殻が置かれています。 -
クウェー川の様子です。
鉄橋の上流側の様子です。 -
クウェー川の様子です。
クウェー川の河岸には、水上レストランがあります。
観光客が集まると、観光客のための施設ができます。 -
泰緬鉄道の一部は、現在もタイ国鉄により、運用されています。
写真は、鉄道が、国道を渡り、クウェー川方向に延びている状況を示しています。 -
クウェー川の袂のタイ国有鉄道の警告板です。
鉄橋を歩いて渡る場合は、注意してくださいとのタイ国有鉄道の注意書きがあります。
列車が近づいた際の責任は、とりませんとあります。 -
クウェー川の袂に置かれている、泰緬鉄道の銅製の記念碑です。
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クウェー川の袂に置かれている、泰緬鉄道の銅製の記念碑です。
両側の山岳地の間の谷地に、泰緬鉄道が建設されているのが解ります。 -
泰緬鉄道の西側(ビルマ側)の終点です。
タンビザヤ駅が終点です。415Kmとの数字が見えます。
タイ側から415kmの距離だということでしょう。
工事開始が、1942年10月1日とあります。
従前からのアンダマン海沿いの鉄道に合流します。 -
泰緬鉄道の西側(ビルマ側)の終点です。
泰緬鉄道のタイ側からの始発駅です。
ノンブラドック駅が始発点です。0.0Kmとの数字が見えます。
タイ側からの起点ですので、0.0kmだということでしょう。
工事開始が、1942年6月とあります。
バンコクまで64kmです。 -
クウェー川の鉄橋は、観光地化されています。
写真は、鉄橋を歩いて渡る欧米人です。 -
クウェー川の鉄橋の様子です。
線路の間及び両側を、歩いて渡れるようにしています。
この付近の、左右の橋間の梁部は、丸みを帯びています。
しばらく先の区間の梁部は、角ばっています。
東側から、西側を撮っています。 -
クウェー川の鉄橋の様子です。
東側から、西側を撮っています。
東側から、西側に向け、渡り始めたところです。
この付近の、左右の橋間の梁部は、丸みを帯びています。
しばらく先の区間の梁部は、角ばっています。
結構、頑丈な構造です。 -
クウェー川の鉄橋の様子です。
東側から、西側を撮っています。
東側から、西側に向け、50mほど、渡った所です。
この付近の、左右の橋間の梁部は、角ばっています。
この橋間の梁部ともう一つ先の橋間の梁部のみが角ばっていて、その他の橋間は、丸みを帯びた形になっています。
結構、頑丈な構造です。 -
クウェー川の鉄橋の様子です。
クウェー川を渡り、西側の河岸から、東側を撮っています。
この付近の、左右の橋間の梁部は、丸みを帯びています。 -
クウェー川の鉄橋の様子です。西側から、東側を撮っています。
この付近の床材は、鉄製です。
線路の間及び両側を、歩いて渡れるようにしています。
この付近の、左右の橋間の梁部も、丸みを帯びています。 -
クウェー川の鉄橋のさらに西側の様子です。西側から、東側を撮っています。
この付近の線路は、木製の枕木のみです。
線路の間は、歩いて渡れるようにしていますが、線路の両側は、歩いて渡れるようにはなっていません。
左右の橋間の梁部もありません。 -
クウェー川の鉄橋を過ぎて、さらに西側に進んだ場所の様子です。
西側から、東側を撮っています。
この付近の線路は、やはり、木製の枕木のみです。
線路の間は、やはり、歩いて渡れるようにしてありますが、線路の両側は、歩いて渡れるようにはなっていません。
左右の橋間の梁部もありません。 -
クウェー川の鉄橋を過ぎて、さらに西側に進んだ場所の線路の様子です。
ここの線路は、木製の枕木を補強してあります。
線路の間は、やはり、歩いて渡れるようにしてありますが、線路の両側は、歩いて渡れるようにはなっていません。
左右の橋間の梁部もありません。 -
クウェー川の鉄橋のかなり西側にある見張り小屋的な施設です。
標識に、RIVER KWAI BRIDGE とあります。
鉄橋のかなり西側に立てられています。 -
クウェー川の鉄橋のかなり西側にある見張り小屋的な施設です。
標識に、RIVER KWAI BRIDGE とあります。
鉄橋のかなり西側に立てられています。
屋根の下側に、各駅までの距離が記載されているのと、椅子がありますので
クウェー川の鉄橋の西側の駅かもしれません。
標識に、RIVER KWAI BRIDGE とあります。
鉄橋の東側に立てられています。 -
クウェー川の鉄橋のかなり西側にある施設です。
標識に、RIVER KWAI BRIDGE とあります。
鉄橋のかなり西側に立てられています。
線路の枕木は、砂で埋められています。
花が、植えられていますので、駅かもしれません。
左側に、立札が立てられています。 -
クウェー川の鉄橋を含む泰緬鉄道が、建設された状況について、見てみたいと思います。
日本が、蒋介石政府と争っていた際、英米からの蒋介石政府への軍事支援は、4方向のルートを経由していました。
香港等ルートと仏印~ハノイルートは、日本軍により、遮断されました。
大本営は、インド~ビルマのルートで、毎月10,000トンの軍事支援が蒋介石政府にわたっていたと、推定していました。 -
日本は、援蒋ルート(インド~ビルマルート)を遮断するため、タイからビルマに、進攻しました。
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援蒋ルートを経由する軍事支援物資は、ラングーンに陸揚げされた後、鉄道で、ラシオまで輸送されました。
その後、ビルマ公路を経て、中国の昆明まで、車両で搬入されました。 -
援蒋ルート(インド~ビルマルート)におけるビルマ公路は、山岳地を縫うように進む難所の連続でした。
ビルマ公路は、総延長1,154 kmで、険しい山岳地帯を貫いて延びていました。 -
日本軍は、3個師団を並列し、ビルマに進攻しました。
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日本軍が、ラシオを越え、ビルマ北部に進出し、その結果、ビルマ公路は、日本軍により、遮断されました。
しかし、英米軍は、ビルマ公路の陸上輸送に代え、ハンプ航路による航空輸送が、継続されました。
ハンプ航路による輸送量は、当初、月100トンという小規模のものでしたが、翌昭和18年(1943年)夏頃には、月3000~4000トン程度まで増強されました。
加えて、日本軍への空挺部隊の後方かく乱作戦とともに、レド公路の建設が開始されました。 -
従来、ラングーンに陸揚げした軍事支援物資を、ビルマ公路経由して、中国に輸送していましたが、日本軍のビルマ北部への進出により、輸送不可能となったため、新たに、レド公路の建設が開始されました。
レド公路は、インドのアッサムを基点としてビルマ北部の国境に近い都市、レドを起点として、アラカン山脈を越えて、フーコン谷地に入り、ミイトキーナ、バーモ、ナンカンを経て昆明に通じる経路で、山越えの難所の連続でした。 -
英米軍の圧倒的な航空戦力ののもと、地上戦力が劣勢な日本軍は、連合国軍の補給を絶ち、戦局を打開するため、インパール作戦を立案しました。
インパール作戦の最も大きな問題点は、補給でした。 -
日本軍のインパール作戦は、第31師団、第15師団及び第33師団をもって、チンドウイン川を渡河し、アラカン山脈を越え、インド領のインパール及びコヒマを奪取し、連合国軍の後方連絡線を遮断する目的でした。
しかし、補給所要の56万トンkmに対し、補給可能能力は、5.7万トンkm程度の1/10であり、大きな問題でした。 -
日本のビルマ方面軍は、英国海軍が海上優勢を保持してい状況から、危険な海上輸送を避け、陸上の補給幹線を整備するため、泰緬鉄道を建設することとしました。
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5本の青色の経路及び泰緬鉄道の経路は、英国軍のタイ進攻作戦の計画時の戦力の推進経路です。
泰緬鉄道の経路も、5本の経路に入っています。
日本軍の計画した補給幹線も、ほぼ同様でした。
泰緬鉄道の経路は、谷地沿いであり、ほぼ平坦のため、工事期間が短縮し得る利点を持っていました。
この他、マレー半島の最も狭いクラ地峡を通る鉄道も建設しました。
クラ地峡を通る鉄道も開通しましたが、クラ地峡通過後、海上輸送が必要となり、英国潜水艦の脅威があり、あまり利用されませんでした。 -
靖国神社の遊就館内の泰緬鉄道に関する展示資料です。
「イギリスの計画によるルート」とあり、4本の経路及び泰緬鉄道の経路が、英国軍のタイ進攻経路となっています。 -
実際に、建設された泰緬鉄道の経路です。
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靖国神社の遊就館内の泰緬鉄道に関する展示資料です。
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靖国神社の遊就館内の泰緬鉄道に関する展示資料です。
資料は、当時使用されていたC56型31号機関車の傍に置かれていて、泰緬鉄道に関して、解説しています。
赤色の路線区間は、タイ国鉄により、現在も、運行されている区間です。 -
現在、ナムトックまでの赤い路線区間は、タイ国鉄により、列車が運行されていますが、ほとんどが、観光目的のようです。
住民は、自動車による移動の方が便利だからです。
赤色の区間以外の区間の実際の線路は、英国により、撤去されていて、線路はありません。 -
靖国神社の遊就館内の泰緬鉄道に関する展示資料です。
線路は、湖により水没したり、線路が撤去されていたりしています。
当時使用されていたC56型31号機関車に関しても、解説しています。 -
靖国神社の遊就館内の泰緬鉄道に関する展示石碑です。
当時使用されていた機関車90両のうちの1両を、靖国神社に奉納する旨が記載されています。 -
靖国神社の遊就館内の泰緬鉄道に関する展示資料です。
当時使用されていたC56型31号機関車に関し、解説しています。 -
靖国神社の遊就館内に展示されている機関車です。
泰緬鉄道で、当時、使用されていたC56型31号機関車の正面です。 -
靖国神社の遊就館内に展示されている機関車です。
泰緬鉄道で、当時、使用されていたC56型31号機関車の側面です。 -
泰緬鉄道の線路は、現在も、タイ国内で利用されています。
カンチャナブリの市内の線路の様子です。 -
カンチャナブリ駅から終点のナムトック駅まで、観光客用の特別列車が運行されています。
外国人観光客用の列車の運行です。
ソフトドリンクのサービスや乗車証明書の発行等の準備があるとのことです。
泰緬鉄道も、観光用になっています。 -
クウェー川の鉄橋や泰緬鉄道の難所は、観光用の目玉に変わっています。
複雑な思いになります。 -
旅行会社の企画により、泰緬鉄道も、観光用に様変わりしています。
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列車の運行とは別個に、駅や鉄道周辺の施設は、朝から夕刻まで、開業しています。
観光は、大きな収入源のようです。 -
泰緬鉄道やクウェー川の鉄橋には、多くの観光客が訪れます。
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カンチャナブリやクウェー川の鉄橋付近には、戦争に関連する慰霊碑等が多く置かれています。
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泰緬鉄道に使用されていた機関車の前に、慰霊碑が置かれています。
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日本軍の鉄道建設にあたった軍属の有志が、慰霊の石碑を建てて、昔の労苦を偲んでします。
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泰緬鉄道に使用されていた機関車です。
クウェー川の鉄橋の東側に置かれています。 -
泰緬鉄道には、自動車を改造した車両も使用されていたようです。
損傷が、進んでいます。
悲しい感じになります。 -
インパール作戦における補給の厳しさと泰緬鉄道は、切っても切れない関係にありました。
多くの悲しい思いが詰まっているような感じです。
当時の労苦を思うと、その厳しさが、身に染みて感じられます。
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