2018/07/01 - 2018/07/01
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旅人のくまさんさん
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東京と千葉の名城巡りです。八王子城を見学した後、東京駅に戻り、千葉県にある佐倉城を目指すことにしました。土井氏に始まり、松平、堀田、大久保、戸田氏や稲葉氏など、江戸幕府の要職を務めた藩主の居城でした。
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル
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八王子城址の見学の後、次の桜城に向かう途中の光景です。紫色の『ガクアジサイ(額紫陽花)』の花の光景です。見頃になっていました。
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同じく、フェンスから顔を出して咲いていた、両性花と装飾花も同じような紫色をした、『ガクアジサイ(額紫陽花)』の光景です。
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名前が分からなかった花ですが、とりあえず撮影しておきました。『アカツメクサ(赤詰草)』に似た花の姿でしたが、葉の形などが違っていましたから、別種のようです。
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紫色の花を咲かせていた『ナス(茄子、茄、那須)』です。インド東部が原産と推測されている、ナス科ナス属の有用植物です。日本でも1000年以上に亘り栽培されています。日本のような温帯では一年生植物ですが、熱帯では多年生植物となります。 日本でも多くの品種が栽培され、南方ほど長実または大長実で、北方ほど小実品種となるようです。
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八王子城跡の最寄りのバス停光景です。予め調べておきましたが、1時間に1本、土曜・休日だけの運行です。平日ですと、少し離れた八王子霊園入口辺りが最寄り駅になるようです。
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JR佐倉駅に到着しました。現在時刻は15時40分少し前、八王子城を13時20分発のバスで出発しましたから、乗換時間を含めて、2時間少しかかりました。東京駅までがざっと1時間、東京駅から佐倉駅までが同じく1時間余りといったところでした。
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JR佐倉駅構内から眺めた、北方面の光景になるようです。駅前の光景が見下ろせました。東京駅からは、千葉駅での乗換えになりましたが、帰りも、千葉駅での乗り換えになるようでした。
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JR佐倉駅前にあった駅周辺の案内図の光景です。手元の地図は、百名城巡りのスタンプ帳の小さな略図だけでしたから、大いに参考になりました。懐中電灯や磁石は家に置いて出かけてきました。
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駅周辺の案内図のズームアップ光景です。JR佐倉駅は、地図の中央下部、目指す佐倉城が左上に記してありました。緑色で記された部分です。ざっと、2キロ強、3キロ弱の距離になるようです。往きは歩いて20分以上、30分以内と見積もりました。
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イチオシ
JR佐倉駅の駅舎光景です。この駅で、帰りの乗車券を買い求めました。乗車券が東京駅経由名古屋まで、東京から名古屋までが新幹線のひかりの自由席特急券です。佐倉駅は、総武本線を所属線としていて、成田線を含めた2路線が乗り入れています。
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JR佐倉駅から北に歩いて到達した河川の光景です。遠くに見える橋を渡るより、少し遠回りになりますが、東に戻って、大きな橋を渡った方が確実のようでした。一級河川の高崎川になるようです。
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橋の袂の欄干に取り付けてあった、『城南橋』のプレートです。大雑把な方角ですが、この橋を渡って、北西方面に歩けば、百名城スタンプ帳に記してあった佐倉城にたどり着けそうでした。
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『城南橋』の南側の袂付近の光景です。城南橋は、千葉県中央部を流れる利根川(印旛沼)水系の一級河川、高崎川に架かる橋です。高崎川は下流で鹿島川と合流し、印旛沼に注ぎます。 鹿島川と高碕川が佐倉城の外堀の役割を果たしていました。
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イチオシ
彫刻通りと呼ばれる街路に設置されていたブロンズ作品の紹介です。この作品は、助川武史(1940~2002年)制作の『笛を吹く少女』です。佐倉市には、文武芸術を奨励した佐倉藩の伝統が、江戸時代から現在まで受け継がれているとのネット情報もありました。画家では、明治初期の洋画家の先駆者の『浅井忠(1856~1907年)』が佐倉藩士の子に生まれ、近代金工の二人の巨匠、香取秀真(1874~1954年)と津田信夫(1875~1946年)も佐倉藩所縁の人です。
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イチオシ
台座に記されていたブロンズ像の題名は、『風のいたずら』でした。1978年制作の川村栄さんの作品です。川村栄さんのプロフィールについては、まだ詳しい情報を掴んでいません。僅かな情報としては、船橋市天沼弁天池公園の『希望(1983設置)』も川村栄さんの作品でした。また、『塑像家』と紹介したネット情報もありました。
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歩道の緑樹帯で咲いていた『ガクアジサイ(額紫陽花)』の光景です。中央に見える両性花も咲き終え、周囲の装飾花も少し草臥れてきたようでした。ガクアジサイが咲き終える時には、装飾花が下を向きます。
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『曹洞宗・医王山・周徳禅院』の文字が刻まれた石標があった寺院の入口付近の光景です。その手前に、厄除地蔵尊や水子地蔵尊供養の白い看板もありました。佐倉市の有形文化財の『木造薬師如来像及び両脇侍立像』を擁する古刹です。昭和53年(1978年)10月に指定されました。
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表通りから眺めた、『曹洞宗・医王山・周徳禅院』の建物光景です。薬師堂は3間四方程の草葺きで、昭和4年(1929年)火事により全焼しましたが、御本尊の薬師如来像と両脇侍の三尊像は、坂下にある別当寺の周徳院に運ばれ無事でした。この医王山周徳院は、薬師坂を下って子育て地蔵を右に曲がり約200メートルほどの場所とされます。
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風にそよぐ、『ネムノキ(合歓木)』の花の光景です。ネムノキは、マメ科ネムノキ属の落葉高木です。美智子妃作詞の『ネムノキの子守歌(山本正美作曲)』で一躍有名になった植物です。その歌詞の1番は、『そっとゆすった その枝に 遠い昔の
夜の調べ ねんねの ねむの木 子守歌』です。妃殿下が聖心女子学院高等科在学中の作詞です。 -
佐倉城址に向かう途中、出来れば武家屋敷跡にも立ち寄りたいところでしたが、詳しい地図を用意していませんでしたから、結局、武家屋敷の方は見学できませんでした。この建物は民家でした。
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右向きの矢印で表示されていた、JR佐倉駅から歩いて1.1キロの場所までやって来ました。左向きの矢印の佐倉城方面の国立歴史民俗博物館までは、1.4キロの場所です。半分近く歩いて来ました。
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距離感と、歩いた時間からいって、そろそろ北側方面になる右手に曲がるころ合いのようでした。道案内標識や、分かれ道を探しながら歩きました。三角屋根の建物はお寺のようでした。
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侍屋敷があるらしい方角にあった、木々が生い茂った一角の光景です。ネットで確認したところ、関東地方では最大級の武家屋敷群で、『武家屋敷通りには5棟の屋敷が現存し、そのうち旧河原家、旧但馬家、旧武居家の3棟が一般に公開されている』と紹介されていました。当時の武士の意外にも質素な暮らしぶりを窺うことができるようです。
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入口に紫陽花の花が咲いていた、『ひよどり坂』の登り口付近の光景です。この坂を登ったところが武家屋敷です。江戸時代の武家屋敷は、ほとんど藩が所有し、藩士に貸し与えました。藩士は職務や禄高に見合った住居に住んでいて、藩士の身分の変化や藩の転封によって、転居する機会が多かったようです。佐倉藩の江戸後期は移動は少なかったかもしれません。
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右手方面に見えていた案内標識のズームアップ光景です。右方向の矢印が出発してきたJR佐倉駅方面、その反対側が、今向かっている『国立歴史民俗博物館』方面、奥向きの表示札が、ひよどり坂経由の武家屋敷方面でした。
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右側から張り出した、鬱蒼とした木々の光景です。坂道を登った先に、鉄筋コンクリート造りのビルが見えていました。佐倉市立体育館の建物でした。
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同じ場所から、振り返って眺めたJR佐倉駅がある南側方面の光景です。時々振り返ったりして景色を頭に入れておかないと、帰りに道を迷った時に大変です。
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佐倉市立体育館駐車場の北角に建つ、成徳書院と集成学校の碑です。その碑文の一つです。右から読んで、『集成学校』の四文字でした。佐倉藩では約230年前の寛政2年(1790年)に、肥前国長崎の医師で蘭方に通じていた樋口保貞等を招き、寛政4年(1792年)に『佐倉学問所』を創立しました。当初は『温古堂』の名称でしたが、天保7年(1836年)から『成徳書院』となりました。
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三方に向けて表示があった道案内標識の光景です。左向きの矢印が、今向かっている佐倉城址の主要部がある『国立歴史民俗博物館』の方角、その反対側が、武家屋敷や麻賀多(まかた)神社方面、手前向きの矢印がJR佐倉駅方面でした。少し時間が厳しそうでしたから、武家屋敷には立ち寄らず、先に佐倉城址方面に向かいました。
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成徳書院と集成学校の碑が建っていた、佐倉市立体育館とその駐車場付近の光景です。JR佐倉駅からは、この駐車場の先の坂道を登って来ました。JR佐倉駅は、概ね、この場所から南側方面になります。
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