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八王子城の縄張りは、北浅川と南浅川に囲まれた東西約3キロ、南北2~3キロの範囲に及び、山の尾根や谷など複雑な地形を利用していました。山頂の本丸、松木曲輪や小宮曲輪などを配置した要害地区、御主殿がある居館地区、麓の根小屋地区等で構成されていました。

2018梅雨、東京と千葉の名城(3/9):八王子城(3):小田原北条氏の支城、八王子城跡模型

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2018/07/01 - 2018/07/01

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

八王子城の縄張りは、北浅川と南浅川に囲まれた東西約3キロ、南北2~3キロの範囲に及び、山の尾根や谷など複雑な地形を利用していました。山頂の本丸、松木曲輪や小宮曲輪などを配置した要害地区、御主殿がある居館地区、麓の根小屋地区等で構成されていました。

交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル

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  • 八王子城の『屋外地形模型』が置かれた広場が前方に見えてきました。東屋(あずまや)風の吹き抜けの建物の中に、その模型が置かれているようでした。

    八王子城の『屋外地形模型』が置かれた広場が前方に見えてきました。東屋(あずまや)風の吹き抜けの建物の中に、その模型が置かれているようでした。

  • 東屋(あずまや)風の吹き抜けの建物の中に置かれていた、八王子城の『屋外地形模型』の光景です。山裾から山頂に向けて、八王子城の数々の施設が置かれた場所が記されていました。標高445メートル(比高約240メートル)の深澤山(現在の城山)に築城された中世山城です。

    イチオシ

    東屋(あずまや)風の吹き抜けの建物の中に置かれていた、八王子城の『屋外地形模型』の光景です。山裾から山頂に向けて、八王子城の数々の施設が置かれた場所が記されていました。標高445メートル(比高約240メートル)の深澤山(現在の城山)に築城された中世山城です。

  • 山頂付近の八王子城の施設のズームアップ光景です。『本丸』を守る位置に、『小宮曲輪』、『松木曲輪』と『無名の曲輪』が置かれていました。『八王子神社』は、『小宮曲輪』と『松木曲輪』の中間に位置する、『本丸』の正面に位置していました。

    山頂付近の八王子城の施設のズームアップ光景です。『本丸』を守る位置に、『小宮曲輪』、『松木曲輪』と『無名の曲輪』が置かれていました。『八王子神社』は、『小宮曲輪』と『松木曲輪』の中間に位置する、『本丸』の正面に位置していました。

  • 山裾に近い中腹の八王子城の施設のズームアップ光景です。手前が『御主殿』を中心とする施設群、その少し上に見えるのが、『金子曲輪』の表示でした。『御主殿』の入口には『大手門』、周りを固める『アシダ曲輪』も記されていました。

    山裾に近い中腹の八王子城の施設のズームアップ光景です。手前が『御主殿』を中心とする施設群、その少し上に見えるのが、『金子曲輪』の表示でした。『御主殿』の入口には『大手門』、周りを固める『アシダ曲輪』も記されていました。

  • 山裾付近の八王子城の施設のズームアップ光景です。詳細は記されていませんでしたが、武家屋敷を主体とした区域のようでした、その間を縫うように流れるのが、『城山川』です。

    山裾付近の八王子城の施設のズームアップ光景です。詳細は記されていませんでしたが、武家屋敷を主体とした区域のようでした、その間を縫うように流れるのが、『城山川』です。

  • 八王子城の『屋外地形模型』の横に置かれていた、説明プレートの光景です。いくつかに分割して紹介します。最初に紹介するのは1から8番の部分です。①現在地、?大手の門跡、③古道、④曳橋、⑤虎口、?御主殿跡、⑦御主殿の滝と⑧アシダ曲輪でした。いずれも模型に付された番号と対応していました。

    八王子城の『屋外地形模型』の横に置かれていた、説明プレートの光景です。いくつかに分割して紹介します。最初に紹介するのは1から8番の部分です。①現在地、?大手の門跡、③古道、④曳橋、⑤虎口、?御主殿跡、⑦御主殿の滝と⑧アシダ曲輪でした。いずれも模型に付された番号と対応していました。

  • 次は、9番から19番までです。⑨金子曲輪、⑩柵問跡、⑪山王台、⑫高丸、⑬小宮曲輪、⑭松木曲輪、⑮八王子神社、⑯本丸、⑰坎井(かんせい:井戸)、⑱無名の曲輪、⑲馬冷(こまび)やし、⑳詰の城

    次は、9番から19番までです。⑨金子曲輪、⑩柵問跡、⑪山王台、⑫高丸、⑬小宮曲輪、⑭松木曲輪、⑮八王子神社、⑯本丸、⑰坎井(かんせい:井戸)、⑱無名の曲輪、⑲馬冷(こまび)やし、⑳詰の城

  • 最後は21番から29番までです。?堀切、?富士見台、?北条氏照と家臣墓、?宗関寺、?城山川、?太鼓曲輪、?小田野城跡、?搦手口、?八王子市立城山小学校

    最後は21番から29番までです。?堀切、?富士見台、?北条氏照と家臣墓、?宗関寺、?城山川、?太鼓曲輪、?小田野城跡、?搦手口、?八王子市立城山小学校

  • 次の説明パネルには、三項目に分けて八王子城が紹介されていました。①北条氏照と八王子築城:滝山城から八丈事情へ移ったいきさつなどので津名です。?八王子城の落城:氏照臥小田原に詰めていた間に、八王子城は落城しました。③八王子城の構造:東西約2キロ、南北約1キロの強大な縄張りを持つ山城でした。

    次の説明パネルには、三項目に分けて八王子城が紹介されていました。①北条氏照と八王子築城:滝山城から八丈事情へ移ったいきさつなどので津名です。?八王子城の落城:氏照臥小田原に詰めていた間に、八王子城は落城しました。③八王子城の構造:東西約2キロ、南北約1キロの強大な縄張りを持つ山城でした。

  • 三項目に分けて紹介されていた八王子城の巨大な縄張りの平面図です。その中心施設は次の四つです。①居館地区:御主殿などです。?御霊屋地区:太鼓曲輪などです。③要害地区:本丸などです。④根小屋地区:武家屋敷や寺院と想定されています。

    三項目に分けて紹介されていた八王子城の巨大な縄張りの平面図です。その中心施設は次の四つです。①居館地区:御主殿などです。?御霊屋地区:太鼓曲輪などです。③要害地区:本丸などです。④根小屋地区:武家屋敷や寺院と想定されています。

  • 八王子城の『屋外地形模型』が置かれた広場の脇にセットされていたイスとテーブルです。夏場には、パラソルがなければ暑くて使用できそうにありません。

    八王子城の『屋外地形模型』が置かれた広場の脇にセットされていたイスとテーブルです。夏場には、パラソルがなければ暑くて使用できそうにありません。

  • 同じく、八王子城の『屋外地形模型』が置かれた広場の周りの光景です。周りを緑の木々が囲んでいました。この辺りは、武家屋敷や寺院があったと想定されている、根小屋地区になるようです。あるいは、その隣接部分かも知れません。

    同じく、八王子城の『屋外地形模型』が置かれた広場の周りの光景です。周りを緑の木々が囲んでいました。この辺りは、武家屋敷や寺院があったと想定されている、根小屋地区になるようです。あるいは、その隣接部分かも知れません。

  • 三方向が記された道案内標識の光景です。右向きの矢印が、出発地点のガイダンス施設と駐車場、奥向きの矢印が、先ほど見学した屋外地形模型がある場所です。これから向かうのは、左向きの矢印の金子曲輪と本丸方向です。

    三方向が記された道案内標識の光景です。右向きの矢印が、出発地点のガイダンス施設と駐車場、奥向きの矢印が、先ほど見学した屋外地形模型がある場所です。これから向かうのは、左向きの矢印の金子曲輪と本丸方向です。

  • 前方に鳥居が見えてきました。八王子城本丸の入り口方面のようでした。通り道の右手には、沢か堀切のような地形が続いていました。

    前方に鳥居が見えてきました。八王子城本丸の入り口方面のようでした。通り道の右手には、沢か堀切のような地形が続いていました。

  • 沢か堀切のような地形のズームアップ光景です。どうやら堀切ではなく、今も水が流れる沢のようでした。

    沢か堀切のような地形のズームアップ光景です。どうやら堀切ではなく、今も水が流れる沢のようでした。

  • 同じく、沢か堀切のような地形のズームアップ光景です。行止まりの箇所に小さな滝があり、左手には石垣が見えていました。

    同じく、沢か堀切のような地形のズームアップ光景です。行止まりの箇所に小さな滝があり、左手には石垣が見えていました。

  • 前方に見えてきた鳥居や標識類の光景です。『八王子城本丸方面』に向かう登山道の入口でした。

    前方に見えてきた鳥居や標識類の光景です。『八王子城本丸方面』に向かう登山道の入口でした。

  • 4~5段の石段の先に建っていた木造の鳥居の光景です。確認はできませんでしが、八王子神社の『一の鳥居』当たりになるようでした。

    イチオシ

    4~5段の石段の先に建っていた木造の鳥居の光景です。確認はできませんでしが、八王子神社の『一の鳥居』当たりになるようでした。

  • 『八王子城本丸方面』の文字が記された、まだ新しい木製の標識と、『八王子城跡自然公園』の表示があった鳥居型の看板の光景です。この看板には、『頂上まで40分』と『八王子観光協会・八王子神社』の文字も記されていました。

    『八王子城本丸方面』の文字が記された、まだ新しい木製の標識と、『八王子城跡自然公園』の表示があった鳥居型の看板の光景です。この看板には、『頂上まで40分』と『八王子観光協会・八王子神社』の文字も記されていました。

  • 八王子神社の『一の鳥居』らしい場所から眺めた参道の光景です。ウィキペディアからの引用です。『居館地区など、重機が入り易い区域の発掘調査や復元作業は進んでいるが、城山要害部については一部を除いてはほとんど行われておらず、樹木の伐採も行われていない』と厳しい評価がされていました。

    八王子神社の『一の鳥居』らしい場所から眺めた参道の光景です。ウィキペディアからの引用です。『居館地区など、重機が入り易い区域の発掘調査や復元作業は進んでいるが、城山要害部については一部を除いてはほとんど行われておらず、樹木の伐採も行われていない』と厳しい評価がされていました。

  • ウィキペディアでは、『僅かに残された石垣は土砂崩れや樹木が根こそぎ倒れたことによって失われつつあり、崩落により通行不能となった水平道もある。自然や人の往来による遺構の破壊の他、林道の整備や、登城道(新道)の整備によって、部分的に失われた遺構も多い』と、更に厳しい指摘もありました。

    ウィキペディアでは、『僅かに残された石垣は土砂崩れや樹木が根こそぎ倒れたことによって失われつつあり、崩落により通行不能となった水平道もある。自然や人の往来による遺構の破壊の他、林道の整備や、登城道(新道)の整備によって、部分的に失われた遺構も多い』と、更に厳しい指摘もありました。

  • 道路を横切る石の列は、『新道』付設の時に設けられた排水溝のようでしたが、現在は全くと言ってよい程、機能していませんでした。大雨の時の雨量や、流れ出る方向が予測を外れたのかも知れません。『昭和20年(1945年)頃は、山頂付近を除く城山一帯が戦時中の木材伐採のため禿山となっていた』ことが今も影響している可能性もあるようです。

    イチオシ

    道路を横切る石の列は、『新道』付設の時に設けられた排水溝のようでしたが、現在は全くと言ってよい程、機能していませんでした。大雨の時の雨量や、流れ出る方向が予測を外れたのかも知れません。『昭和20年(1945年)頃は、山頂付近を除く城山一帯が戦時中の木材伐採のため禿山となっていた』ことが今も影響している可能性もあるようです。

  • 右側の低い標識に、『右が『旧道』、左が『新道』の表示がありました。『旧道』は道が荒れているようでしたから、『新道』方向を選びました。左側の高い方の標識には、左向きの矢印で、『金子曲輪・本丸』の表示がありました。

    右側の低い標識に、『右が『旧道』、左が『新道』の表示がありました。『旧道』は道が荒れているようでしたから、『新道』方向を選びました。左側の高い方の標識には、左向きの矢印で、『金子曲輪・本丸』の表示がありました。

  • 振り返って眺めた、八王子神社の『一の鳥居』方面の光景です。まだ僅かに登っただけでした。スイスイと歩ける道ではありませんでした。

    振り返って眺めた、八王子神社の『一の鳥居』方面の光景です。まだ僅かに登っただけでした。スイスイと歩ける道ではありませんでした。

  • 大雨が降っても、雨水の通過場所となっていない場所は、地道がそれほど荒れずに残されていました。それでも、大きな敷石が置かれたことで、地道が原型を残しているように見えました。

    大雨が降っても、雨水の通過場所となっていない場所は、地道がそれほど荒れずに残されていました。それでも、大きな敷石が置かれたことで、地道が原型を残しているように見えました。

  • 『新道』が造られたことで、雨水の通り道になったのでしょうか、地道の土が流されて、大きな木の根が洗い出され、トラップのようになっていました。右手前方に赤い屋根の建物が見えてきた場所です。

    『新道』が造られたことで、雨水の通り道になったのでしょうか、地道の土が流されて、大きな木の根が洗い出され、トラップのようになっていました。右手前方に赤い屋根の建物が見えてきた場所です。

  • 順番から言えば、この鳥居が八王子神社の『二の鳥居』当たりになるようでした。『一の鳥居』は木製でしたが、kotirahaコンクリート製かも知れない石造の鳥居でした。ネット情報では、『八王子神社または御岳神社の鳥居』として、『どちらのか分かりません』とも記されていました

    順番から言えば、この鳥居が八王子神社の『二の鳥居』当たりになるようでした。『一の鳥居』は木製でしたが、kotirahaコンクリート製かも知れない石造の鳥居でした。ネット情報では、『八王子神社または御岳神社の鳥居』として、『どちらのか分かりません』とも記されていました

  • 『新道』から見下ろす場所にあった赤い屋根の建物光景です。ガイダンス施設内にあった、『フィールド・インフォーメーション』の案内には記されていない施設のようでした。ネット情報では、『観音堂』と紹介され、『夜になると沢山の武士やその奥方と思われる女性が次々に現れる有名な心霊スポット』とも紹介されていました。

    『新道』から見下ろす場所にあった赤い屋根の建物光景です。ガイダンス施設内にあった、『フィールド・インフォーメーション』の案内には記されていない施設のようでした。ネット情報では、『観音堂』と紹介され、『夜になると沢山の武士やその奥方と思われる女性が次々に現れる有名な心霊スポット』とも紹介されていました。

  • 大雨で、道路の土が流された跡があった『新道』の光景です。修復を諦めたのか、修復しても追いつかないような状況に見えました。排水溝を設けていない造りに問題があるのかも知れません。

    大雨で、道路の土が流された跡があった『新道』の光景です。修復を諦めたのか、修復しても追いつかないような状況に見えました。排水溝を設けていない造りに問題があるのかも知れません。

  • 大雨で土が流されたらしく、歩き難くなっていた、『新道』の石段光景です。補強にセメントも使われていたようですが、大雨には敵わなかったようです。『旧道』はもっと酷い状況になっていることが想像されました。

    大雨で土が流されたらしく、歩き難くなっていた、『新道』の石段光景です。補強にセメントも使われていたようですが、大雨には敵わなかったようです。『旧道』はもっと酷い状況になっていることが想像されました。

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