2018/07/01 - 2018/07/01
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旅人のくまさんさん
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八王子城は、北条氏の本城である小田原城の支城であり、関東の西に位置する軍事上の拠点でした。標高445メートル(比高約240メートル)の深澤山(現在の城山)に築城された、中世の山城です。
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天正18年(1590年)7月24日(旧暦6月23日)、豊臣軍の攻撃を受け、炎上する館のCG光景です。1万5千人に攻められ、城を守ったのは僅かの将兵でした。領内から動員された農民と婦女子を加えた約3000人が立て籠ったとされます。 八王子城主の氏照以下の家臣は、小田原本城に駆けつけていました。
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『秀吉の軍勢に包囲された小田原城』のタイトルがあったビデオ画面の光景です。小田原城の最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭です。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロの土塁と空堀で取り囲み、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいました。天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして、数十万の大軍で総攻撃しました。
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『北条氏照、氏政の墓(小田原市)』のタイトルがあったビデオ画面の光景です。北条氏照は、後北条氏第三代当主の北条氏康の三男、氏政は第4代当主でした。氏政は、永禄2年(1559年)に父の氏康が隠居して家督を譲られ、第4代当主となりましたが、氏康の存命中は氏康・氏政の両頭体制が続きました。
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『お茶に使われた白磁茶碗』のタイトルがあったビデオ画面の光景です。中世における白磁茶碗は、極めて貴重な品とされたに違いありません。八王子城からの出土品は、郷土資料館に収蔵されているようでした。あっという間の落城でしたから、このような貴重な品の出土があったようです。
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『ベネチアレースガラス』のタイトルがあったビデオ画面の光景です。『レースガラス』は、特殊な技法で製作されたガラスのことで、ベネチアのみで生産されたものと考えられています。ベネチアガラスは、大坂城や仙台城でも出土していますが、レースガラスは現在のところ八王子城跡で出土しているのみとされます。
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ビデオ紹介の最後の場面は、現在の八王子城址の御主殿跡の虎口に再建された、冠木門の場面です。石垣や石畳は当時のものをそのまま利用され、できるだけ忠実に復元されたようです。御主殿入口の冠木門は当時の門をイメージして復元されました。現在の冠木門は、老朽化のため平成22年(2010年)に再建されたものです。
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八王子城のビデオ紹介を見終わったところで、ガイダンス施設の紹介です。このパネルには、『国史跡の八王子城にようこそ』のあいさつ文がありました。右上に本丸までの案内図、その下にガイダンス施設とその周りの平面図がありました。
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ガイダンス施設内の展示スペースの光景です。先程のあいさつ文があった説明パネルには、『八王子城の今と昔』等の表示がありました。その先に見えている施設が、ビデオでの紹介がされていた『ガイダンス・シアター』です。
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中央付近に見えているのは、ガイダンス施設内にあった受付の光景です。ここに、百名城スタンプが置かれていました。
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『フィールド・インフォーメーション』のタイトルがあった観光案内図の光景です。後で反省したことですが、エントランス広場の模型を見た後、金子曲輪方面に向かいましたが、御主殿跡方面もあまり変わらない距離にあるようでした。
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『国史跡の八王子城にようこそ』のあいさつ文がったパネルに記してあった、『休憩・レクチャースペース』の光景です。70名以上が利用できると紹介されていました。帰りのバスの待ち時間に、昼食の場所に利用させていただきました。
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ビデオでも紹介しましたが、館内に北条氏の時代の歴史解説がありましたから、合わせて紹介します。この説明プレートには、『北条氏照とうつりゆく戦国』のタイトルがありました。氏照は、北条氏第三代当主で、氏照はその三男で、八王子城主でした。写真は、北条早雲に始まる、後北条氏の五代の当主です。
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八王子城の主人公、氏照の紹介パネルです。『武将・氏照』のタイトルがありました。氏照の陣の配置が巧みで、北条氏の中でも特筆される戦上手だったことが紹介されていました。八王子城の前には、滝川城主でしたが、永禄11年(1568年)11月の武田信玄の攻めにも耐え抜いたことも紹介されていました。
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八王子城の主人公、氏照の紹介パネルが続きます。こちらには『外交官・氏照』のタイトルがありました。北条氏の外交面でも活躍した氏照の紹介でした。粘り強い交渉で上杉謙信と交渉し、永禄12年(1569年)、越(越後)相(相模)同盟の締結に大きな役割を果たしたことが紹介されていました。
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次の北条氏照紹介のパネルには、『滝山城から八王子城へ』のタイトルでした。豊臣秀吉の攻めに備え、天正14年(1586年)末頃、氏照は滝山城から八王子城ヘ移ったことが紹介されていました。永禄2~3年(1559~1560年)頃、氏照は大石氏を継いで滝川城に入城し、活躍していました。しかし、信長の台頭と、武田氏の滅亡、そして本能寺での信長の死など、関東を取り巻く情勢もそれらの出来事で大きく変化したことで、八王子城を築き、滝川城から移ったことが紹介されていました。
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次の氏照紹介のパネルには、氏照が八王子城に移ってからの、『御主殿の建物』のタイトルがありました。発掘調査で分かった建物規模は、御主殿の9間*15間の建物の基礎跡、会所の6間*11間の基礎跡と、その周りの小規模な建物と紹介されていました。重複した部分などがないことから、同時代の建物ばかりで、複合遺跡ではないことも確認されているようです。小規模な建物の発掘調査はまだ完了していないようです。
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氏照が八王子城に移ってからの次の紹介パネルには、『攻め入る豊臣軍』のタイトルがありました。天正18年(1590年)、碓氷峠を超えて、上野から北武蔵へと攻め込んできた前田利家と上杉景勝等の北国勢が八王子城を取り囲み、6月23日の早朝に攻め込みました。多勢の攻めに無勢の守りのため、半日ほどで落城しましたが、必死の抵抗で、攻め手にも多くの死者が出たことが紹介されていました。
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氏照が八王子城に移ってからの最後の紹介パネルには、『落城・炎上した御主殿』のタイトルがありました。発掘調査により、猛火に包まれた御主殿跡や、7万点にも上る遺物が見つかりました。陶磁器類の主なものは、国産では瀬戸、美濃や常滑の陶器類、外国製品では、ベネチアンのレースガラスや中国産の白磁、青花の磁器も見付かっています。
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『北条五代勢力拡大の推移』のタイトルがあった、ビジュアル説明画面です。右下のボタンを押せば、北条五代のそれぞれの勢力図が画面表示されるようでした。北条五代の男兄弟の名前も全部記されていました。
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氏照の兄・氏政(第3代当主)が、岩槻衆に宛てた指令所の写しとその解読分です。解読文の本文は、『右、陣庭の取り様、肝要に候。大方陸奥守(北条氏照)の陣取の模様に取るべし。なお様子は、前々より致しき樽様、肝要に候。大田幕の内には中元ども二十名の歩走、陣とらせもっともに候か。各々相談すべく候』と、氏照を見習うよう、四人の陣屋奉行に指示した文書です。
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氏照から上杉謙信への贈答品礼状です。『御一義のため、刀一、御意掛けられ候。まことに本望の至り、珍重に存じ候。よって太刀一腰進覧しご祝儀ばかり表し候。御意得べく候。 恐々謹言』の礼状でした。永禄12年(1569年)、越相(越後と相模)同盟が結ばれた時の礼状のようです。左上の肖像は、上杉謙信公です。
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滝川城(左下)と八王子城(右下)の城郭の違いを、高低差などで模擬した展示です。滝川城は標高140メートルの丘陵に、多摩川との比高差40メートルの平坦な城郭、一方、八王子城は標高460メートルの深澤山に、200メートル下の山裾を切り盛りして築いた連郭式の城です。少人数でも守備できる実践的な造りとされます。
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発掘調査時の4枚の写真です。左上から時計回りに、『会所』、『主殿全景』、『会所前景(北方上空から)』、『庭園』のタイトルがありました。
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5種類の出土品の展示です。『御主殿跡』からの出土品のようでした。左側の三つが、復元された色絵皿(二枚)と破片(上)、右側の二つは、蓋を開けていませんので、よく分かりませんでした。
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八王子の『八』をモチーフにした、八角形の屋根を持つガイダンス施設の建物光景です。八王子市が管理する施設です。入場料は無料でした。往きには、ここで百名城スタンプを押し、帰りには食事場所として休憩所のテーブルを利用させて頂きました。
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ここから八王子城址の現地見学です。ちらほらと、ほかの見学者の姿がありました。最初に向かったのは、八王子城全体の縮尺モデルが置かれた『屋外模型広場』です。
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八王子城全体の縮尺モデルが置かれた広場に向かう途中にあった道案内看板の光景です。右向きの矢印が、先ほど見学した『ガイダンス施設』、左向きの矢印が、今向かっている『屋外模型広場』でした。
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『屋外模型広場』に向かう途中の光景です。一段低くなった場所が広い駐車場になっていました。乗用車ばかりで、観光バスの姿はなかったようです。
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同じく、『屋外模型広場』に向かう途中の光景です。駐車場の光景です。散策途中や、ガイダンス施設では、人の姿はあまり見ませんでしたが、その割には結構駐車していました。
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鬱蒼とした木立の中の散策路の光景です。この光景も、『屋外模型広場』に向かう途中になります。通路の先に、広場らしいものが見えてきたようです。
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