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八王子城の城下町には、武家屋敷のある中宿、刀剣鍛冶職人の居住区である鍛冶屋村に加え、滝山城下から移転した商業地区の八日市、横山、八幡といった三つの宿場があったとされます。

2018梅雨、東京と千葉の名城(4/9):八王子城(4):登山道、石垣、八王子城跡管理事務所

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2018/07/01 - 2018/07/01

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

八王子城の城下町には、武家屋敷のある中宿、刀剣鍛冶職人の居住区である鍛冶屋村に加え、滝山城下から移転した商業地区の八日市、横山、八幡といった三つの宿場があったとされます。

交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル

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  • 天正15年(1587年)頃とされる築城から、豊臣秀吉の小田原征伐の一環として行われた、天正18年(1590年)7月24日(旧暦6月23日)の八王子城合戦での落城までは、わずか数年でした。落城時には未完成であったとする説もあります。

    天正15年(1587年)頃とされる築城から、豊臣秀吉の小田原征伐の一環として行われた、天正18年(1590年)7月24日(旧暦6月23日)の八王子城合戦での落城までは、わずか数年でした。落城時には未完成であったとする説もあります。

  • 八王子城の登山道の一つ、『新道』の光景が続きます。登山道としての『新道』を作ったことが、八王子城跡の遺跡の一部の破壊につながったとする指摘もあります。天正18年(1590年)7月24日(旧暦6月23日)の八王子攻めには、前田利家、真田昌幸、上杉景勝等の、豊臣方の名立たる武将が加わりました。

    八王子城の登山道の一つ、『新道』の光景が続きます。登山道としての『新道』を作ったことが、八王子城跡の遺跡の一部の破壊につながったとする指摘もあります。天正18年(1590年)7月24日(旧暦6月23日)の八王子攻めには、前田利家、真田昌幸、上杉景勝等の、豊臣方の名立たる武将が加わりました。

  • 八王子城を攻めた豊臣側は、前夜の内に主力が東正面の大手口(元八王子町)と北側の絡め手(下恩方町)の2方向から侵攻し、力攻めにより早朝には要害地区まで守備隊を追いやりました。その後は激戦となりましたが、絡め手側別働隊の奇襲が成功し、その日の内に城は陥落しました。

    八王子城を攻めた豊臣側は、前夜の内に主力が東正面の大手口(元八王子町)と北側の絡め手(下恩方町)の2方向から侵攻し、力攻めにより早朝には要害地区まで守備隊を追いやりました。その後は激戦となりましたが、絡め手側別働隊の奇襲が成功し、その日の内に城は陥落しました。

  • 今は、まったく排水溝としては機能していなかった石組のズームアップ光景です。『新道』がこの状態ですから、『旧道』の状況がおおよそ想像がつきました。氏照正室の比左を初めとする城内の婦女子は自刃、あるいは御主殿の滝に身を投げ、滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられています。

    今は、まったく排水溝としては機能していなかった石組のズームアップ光景です。『新道』がこの状態ですから、『旧道』の状況がおおよそ想像がつきました。氏照正室の比左を初めとする城内の婦女子は自刃、あるいは御主殿の滝に身を投げ、滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられています。

  • 『新道』から見上げた山の上の方面の光景です。ここまで、ほかの登山客には出遭うことはありませんでした。唯一、固定カメラで粘り強く野鳥を狙っているらしい人を見ただけでした。

    『新道』から見上げた山の上の方面の光景です。ここまで、ほかの登山客には出遭うことはありませんでした。唯一、固定カメラで粘り強く野鳥を狙っているらしい人を見ただけでした。

  • 同じく、『新道』から見上げた山の上の方面の光景です。目標物らしいものや、道路標識類も目にしなくなりました。そろそろ、引き返しのタイミングになって来たようです。

    同じく、『新道』から見上げた山の上の方面の光景です。目標物らしいものや、道路標識類も目にしなくなりました。そろそろ、引き返しのタイミングになって来たようです。

  • 僅かに残された古い石垣の光景です。もし、積直されていないものなら、廃城となった1590年からでも430年近く経っています。発掘調査でも行われたのでしょうか、手前には土嚢が積まれていました。

    イチオシ

    僅かに残された古い石垣の光景です。もし、積直されていないものなら、廃城となった1590年からでも430年近く経っています。発掘調査でも行われたのでしょうか、手前には土嚢が積まれていました。

  • 見覚えのある標識があった場所に戻って来ました。『新道』と『旧道』の分かれ道の場所です。左側に曲がる道が『旧道』でした。『新道』と『旧道』は、また8合目で合流するようでした。

    イチオシ

    見覚えのある標識があった場所に戻って来ました。『新道』と『旧道』の分かれ道の場所です。左側に曲がる道が『旧道』でした。『新道』と『旧道』は、また8合目で合流するようでした。

  • 『新道』もかなり荒れたままでしたが、その『新道』と比べると、更に道が荒れているらしい『旧道』の光景です。この辺りでも草が覆い始め、狭い通りは、太い木の根がむき出しになっていました。

    『新道』もかなり荒れたままでしたが、その『新道』と比べると、更に道が荒れているらしい『旧道』の光景です。この辺りでも草が覆い始め、狭い通りは、太い木の根がむき出しになっていました。

  • 『新道』を横切る排水溝らしい石組の光景です。土砂で埋まったままで、メンテナンスは行われていないようでした。土砂を掘り上げたとしても、直ぐに埋まってしまいそうでした。

    『新道』を横切る排水溝らしい石組の光景です。土砂で埋まったままで、メンテナンスは行われていないようでした。土砂を掘り上げたとしても、直ぐに埋まってしまいそうでした。

  • 勝手に命名した、八王子神社の『一の鳥居』に戻って来ました。梅雨の晴れ間の非常に暑い日になりましたので、本丸まで無理して登らなかったのは正解だったようです。あとで出会った、現地のボランティアガイドさんも、『無理をすれば、今日の暑さは熱中症になりかねない』と話されていました。

    勝手に命名した、八王子神社の『一の鳥居』に戻って来ました。梅雨の晴れ間の非常に暑い日になりましたので、本丸まで無理して登らなかったのは正解だったようです。あとで出会った、現地のボランティアガイドさんも、『無理をすれば、今日の暑さは熱中症になりかねない』と話されていました。

  • 青い実が生っていたのは、『ムラサキマムシグサ(紫蝮草)』のようです。サトイモ科テンナンショウ属の植物です。『ウラシマソウ(浦島草)』によく似ています。『マムシグサ(蝮草) 』や『カントウマムシグサ(関東蝮草)』との見分けも必要なようです。

    青い実が生っていたのは、『ムラサキマムシグサ(紫蝮草)』のようです。サトイモ科テンナンショウ属の植物です。『ウラシマソウ(浦島草)』によく似ています。『マムシグサ(蝮草) 』や『カントウマムシグサ(関東蝮草)』との見分けも必要なようです。

  • 『ムラサキマムシグサ(紫蝮草)』の青い実のズームアップ光景です。この後、実は赤く熟するようです。茎(茎ではなく偽茎)の紫褐色の模様が、マムシ(蝮)の斑模様に似ていることが名前の由来とされます。

    『ムラサキマムシグサ(紫蝮草)』の青い実のズームアップ光景です。この後、実は赤く熟するようです。茎(茎ではなく偽茎)の紫褐色の模様が、マムシ(蝮)の斑模様に似ていることが名前の由来とされます。

  • 『八王子神社』は、スサノオの八柱の御子神を祀ります。太歳神(木曜星・総光天王)、大将軍(金曜星・魔王天王)、太陰神(土曜星・倶魔羅天王)、歳刑神(水曜星・得達神天王)、歳破神(土曜星・良侍天王)、歳殺神(火曜星・侍神相天王)、黄幡神(羅光星・宅神相天王)、豹尾神(計斗星・蛇毒気神天王)の八神です。<br />

    『八王子神社』は、スサノオの八柱の御子神を祀ります。太歳神(木曜星・総光天王)、大将軍(金曜星・魔王天王)、太陰神(土曜星・倶魔羅天王)、歳刑神(水曜星・得達神天王)、歳破神(土曜星・良侍天王)、歳殺神(火曜星・侍神相天王)、黄幡神(羅光星・宅神相天王)、豹尾神(計斗星・蛇毒気神天王)の八神です。

  • 麓の新緑光景が目を楽しませてくれました。落葉樹の新緑が、次第に色を濃くする時期になります。『目に青葉、山ホトトギス、初ガツオ』としても愛でられる新緑光景です。

    麓の新緑光景が目を楽しませてくれました。落葉樹の新緑が、次第に色を濃くする時期になります。『目に青葉、山ホトトギス、初ガツオ』としても愛でられる新緑光景です。

  • 麓の散策路から、振り返って眺めた八王子城址入口方面の光景です。先程潜った八王子神社の『一の鳥居』がまだ見えていました。『一の鳥居』の呼び名は、勝手に名付けたものです。中央付近の赤い看板は、『鳥獣保護区』の標識でした。

    麓の散策路から、振り返って眺めた八王子城址入口方面の光景です。先程潜った八王子神社の『一の鳥居』がまだ見えていました。『一の鳥居』の呼び名は、勝手に名付けたものです。中央付近の赤い看板は、『鳥獣保護区』の標識でした。

  • 八王子城跡にあった、カラーの人マンホール蓋の紹介です。背後に富士山とお城が見える中を川渡りをする人のデザインでした。北条三兄弟に因む、小田原市(小田原城:氏政)、八王子市(八王子城:氏照)、寄居町(鉢形城:氏邦)の三市町が行ったマンホール蓋の交換イベントに因むものでした。この蓋は、小田原市のものです。

    八王子城跡にあった、カラーの人マンホール蓋の紹介です。背後に富士山とお城が見える中を川渡りをする人のデザインでした。北条三兄弟に因む、小田原市(小田原城:氏政)、八王子市(八王子城:氏照)、寄居町(鉢形城:氏邦)の三市町が行ったマンホール蓋の交換イベントに因むものでした。この蓋は、小田原市のものです。

  • 『国史跡・八王子城跡」のタイトルがあった大きな図面入りの説明看板の光景です。左上の図面には『八王子城跡周辺広域陰陽図』、右上が『八王子城跡主要城跡周辺陰陽図』、右下の図面には、『八王子城跡主要城跡周辺鳥瞰図』のタイトルがありました。馴染みが薄い図面の名前でした。

    『国史跡・八王子城跡」のタイトルがあった大きな図面入りの説明看板の光景です。左上の図面には『八王子城跡周辺広域陰陽図』、右上が『八王子城跡主要城跡周辺陰陽図』、右下の図面には、『八王子城跡主要城跡周辺鳥瞰図』のタイトルがありました。馴染みが薄い図面の名前でした。

  • 『八王子城の概要』のタイトルがあった、タイル仕立ての説明看板の光景です。内容は次の5項目の、①八王子城の築城と落城、②城主・北条氏照、③北条氏略系図、④年表、?地名の由来、でした。最後の八王子の地名の由来は、氏照が八王子権現を祀り、八王子城と呼んだのが始まりと紹介されていました。

    『八王子城の概要』のタイトルがあった、タイル仕立ての説明看板の光景です。内容は次の5項目の、①八王子城の築城と落城、②城主・北条氏照、③北条氏略系図、④年表、?地名の由来、でした。最後の八王子の地名の由来は、氏照が八王子権現を祀り、八王子城と呼んだのが始まりと紹介されていました。

  • こちらも15枚のタイルに焼き付けられた『八王子城の縄張り』のタイトルがあった説明看板です。5項目の中見出しは、①八王子城の構造、?要害地区、③居館地区、④根小屋地区など、?調査と整備でした。

    こちらも15枚のタイルに焼き付けられた『八王子城の縄張り』のタイトルがあった説明看板です。5項目の中見出しは、①八王子城の構造、?要害地区、③居館地区、④根小屋地区など、?調査と整備でした。

  • 平成24年(2012年)10月にオープンした、『ガイダンス施設』より以前からあった施設です。現在は、ボランティアガイドの方達が詰めていました。『八王子城跡・会所』の表札が懸かっていました。

    平成24年(2012年)10月にオープンした、『ガイダンス施設』より以前からあった施設です。現在は、ボランティアガイドの方達が詰めていました。『八王子城跡・会所』の表札が懸かっていました。

  • 『史跡・八王子城跡」の文字が記された大きな標識と、その背後に見える。『八王子城跡・会所』の建物光景です。平成4年(1992年)に建設された施設で、正式名は、八王子城跡管理事務所のようでした。

    イチオシ

    『史跡・八王子城跡」の文字が記された大きな標識と、その背後に見える。『八王子城跡・会所』の建物光景です。平成4年(1992年)に建設された施設で、正式名は、八王子城跡管理事務所のようでした。

  • 『城山観世音菩薩』らしい大きな文字が刻まれた石標の光景です。本体が無くなったのか、今は金具の支えとして、随分と粗末に扱われていました。本当は、由緒を記した説明看板を横に建てておきたいところです。城址そのものが粗末に扱われていることを連想させてしまいます。

    『城山観世音菩薩』らしい大きな文字が刻まれた石標の光景です。本体が無くなったのか、今は金具の支えとして、随分と粗末に扱われていました。本当は、由緒を記した説明看板を横に建てておきたいところです。城址そのものが粗末に扱われていることを連想させてしまいます。

  • 濃い緑の常緑樹と、緑の色が次第に濃くなってきた落葉樹のコントラストが見所になっていた麓の光景です。常緑樹は、戦後に植樹されたとされるヒノキ(桧)当たりでしょうか。

    濃い緑の常緑樹と、緑の色が次第に濃くなってきた落葉樹のコントラストが見所になっていた麓の光景です。常緑樹は、戦後に植樹されたとされるヒノキ(桧)当たりでしょうか。

  • 通路脇の石垣の光景です。遺跡の石垣でないことは歴然としていましたが、積み方や使われた石材が参考になると思い撮影しました。古い石垣の石材を使っている可能性もありました。

    通路脇の石垣の光景です。遺跡の石垣でないことは歴然としていましたが、積み方や使われた石材が参考になると思い撮影しました。古い石垣の石材を使っている可能性もありました。

  • 大小さまざまな大きさの石が上手に組み合わされて、鏡石のようなものも表現された石垣です。表面が平らに揃えられた、打込み接ぎといったところです。

    大小さまざまな大きさの石が上手に組み合わされて、鏡石のようなものも表現された石垣です。表面が平らに揃えられた、打込み接ぎといったところです。

  • 八王子城の見学を終えて、バス駐車場に向かう途中の光景です。フェンスから顔を出して、薫り高い『クチナシ(梔子、巵子、支子)』の白い花が咲いていました。アカネ科クチナシ属の常緑低木です。

    八王子城の見学を終えて、バス駐車場に向かう途中の光景です。フェンスから顔を出して、薫り高い『クチナシ(梔子、巵子、支子)』の白い花が咲いていました。アカネ科クチナシ属の常緑低木です。

  • 継に顔を出していたのは、黄色い花の『キンシバイ(金糸梅)』です。オトギリソウ科オトギリソウ属の半落葉小低木です。中国原産で、江戸時代の宝暦10年(1760年)に渡来したといわれます。 雄蕊が長いようですから、同科同属の『ビョウヤナギ(未央柳、美容柳)』の方だったかも知れません。

    継に顔を出していたのは、黄色い花の『キンシバイ(金糸梅)』です。オトギリソウ科オトギリソウ属の半落葉小低木です。中国原産で、江戸時代の宝暦10年(1760年)に渡来したといわれます。 雄蕊が長いようですから、同科同属の『ビョウヤナギ(未央柳、美容柳)』の方だったかも知れません。

  • よく似た黄色い花のビヨウヤナギとキンシバイの見分け方です。ビヨウヤナギは、『雄しべが長く、多数あり、良く目立つ。雄しべの基部は五つの束になっている。葉は十字対生する』等の特徴です。キンシバイは、『雄しべは沢山あるが、5群に分かれている。葉は対生で葉柄はない』等が特徴です。これらの黄色の花は、ビヨウヤナギのようです。

    よく似た黄色い花のビヨウヤナギとキンシバイの見分け方です。ビヨウヤナギは、『雄しべが長く、多数あり、良く目立つ。雄しべの基部は五つの束になっている。葉は十字対生する』等の特徴です。キンシバイは、『雄しべは沢山あるが、5群に分かれている。葉は対生で葉柄はない』等が特徴です。これらの黄色の花は、ビヨウヤナギのようです。

  • こちらは薄紫の花です。ミヤマヨメナの日本産園芸品種の『ミヤコワスレ(都忘れ)』のようです。 ミヤコワスレの名は、鎌倉時代に承久の乱に敗れた第84代の順徳天皇が、北条家によって佐渡島に流された際、この花を見て心を慰め、都恋しさを忘れたとの伝承によります。鎌倉時代の北条家は執権北条家や鎌倉北条家と呼ばれ、戦国時代の北条家は後北条家と呼ばれます。

    こちらは薄紫の花です。ミヤマヨメナの日本産園芸品種の『ミヤコワスレ(都忘れ)』のようです。 ミヤコワスレの名は、鎌倉時代に承久の乱に敗れた第84代の順徳天皇が、北条家によって佐渡島に流された際、この花を見て心を慰め、都恋しさを忘れたとの伝承によります。鎌倉時代の北条家は執権北条家や鎌倉北条家と呼ばれ、戦国時代の北条家は後北条家と呼ばれます。

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