2012/06/14 - 2014/06/14
566位(同エリア1805件中)
万歩計さん
この旅行記のスケジュール
2012/06/14
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バスでの移動
バスでホテルを出発。ペトロパブロフスク要塞へ。
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バスでの移動
バスで血の上の救世主教会へ
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バスでの移動
バスでネフスキー通りを車窓観光しながら運河クルーズ乗船場へ
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運河クルーズ
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バスでの移動
下船してバスでデカブリスト広場へ
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バスでの移動
バスでロシア美術館へ
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バスでの移動
夕食後空港へ
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飛行機での移動
サンクトペテルブルク空港から空路仁川空港経由で帰国
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2012年6月14日(木)
サンクトペテルブルク市内観光(ペトロパブロフスク要塞、血の上の救世主教会、昼食(ビーフストロガノフ)、ネヴァ川クルーズ、青銅の騎士像、ロシア美術館)→サンクトペテルブルク空港から仁川へ(機中泊)
サンクトペテルブルクはヨーロッパへの窓口として18世紀初頭に建設された街です。ヨーロッパへの憧れとロシア文化が融合した豪華絢爛な宮殿や可愛らしい色合いの街並みはとても魅力的です。最終日はこの美しい街を歩いたり、車窓や船の上から眺めました。またロシア文学に縁のあるスポットもいくつか見ることが出来ました。
白夜がようやく暮れそうな深夜、実質6日間のロシアの旅を終え帰国の途につきました。
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【旅程】
6/08:関空→仁川経由→モスクワ(泊)
6/09:モスクワ市内観光(泊)
6/10:モスクワ→セルギエフ・ポサード→スーズダリ(泊)
6/11:スーズダリ→ウラジーミル→モスクワ→サンクトペテルブルク(泊)
6/12:サンクトペテルブルク市内観光(泊)
6/13:エカテリーナ宮殿→ピョートル大帝夏の離宮→サンクトペテルブルク(泊)
★6/14:サンクトペテルブルク市内観光→帰途に(機中泊)
6/15:→仁川経由→関空
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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最終日。今日は終日サンクトペテルブルクを市内観光して、夜半に空路帰国の途につきます。
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最初にペトロパヴロフスク要塞に行きます。要塞はネヴァ川の河口に浮かぶ「うさぎ島」と呼ばれる小さな島にあります。
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島のほぼ中央にペトロパヴロフスク聖堂があります。天をつらぬくようにそびえる針のような尖塔が印象的でした。
ペトロパヴロフスク聖堂 寺院・教会
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ペトロパヴロフスク聖堂
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ペトロパヴロフスク要塞
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ロシアとヨーロッパをつなぐ戦略的な要衝として1703年5月16日に要塞の建設が始まりました。この日がサンクトペテルブルグ誕生の日とされています。
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しかし実際に軍事要塞として使用された期間は短く、18世紀末からは政治犯の監獄として使用されました。ドストエフシキーやレーニンも一時ここに投獄させられたそうです。
ペトロパヴロフスク要塞 建造物
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ペトロパヴロフスク要塞
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ネヴァ川側は高い壁になってました。
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ネヴァ川越しに一昨日行ったエルミタージュ美術館と聖イサク聖堂をズームで撮りました。
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ペトロパブロフスク要塞を後にします。
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ネヴァ川にかかるトロイツキー橋から要塞の全景が綺麗に見えました。
トロイツキー橋 建造物
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イチオシ
血の上の救世主教会にやってきました。
ロシアの後進性を改革しようと農奴解放令を発したアレクサンドル3世が暗殺され場所に建てられたことからこの名前が付いたそうです。ハリストス復活大聖堂 (血の上の救世主教会) 寺院・教会
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教会の入口に当時の宮廷衣装を着た人たちが観光客の写真に応えていました。
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教会内はモザイクタイルのイコン画で埋め尽くされています。
ハリストス復活大聖堂 (血の上の救世主教会) 寺院・教会
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血の上の救世主教会
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血の上の救世主教会
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血の上の救世主教会
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血の上の救世主教会
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血の上の救世主教会
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天井のドームには珍しい少年時代のキリストの顔が描かれていました。
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血の上の救世主教会
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外観はモスクワの聖ワシリー寺院に似てロシアムード満点です。
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壁面からネギ坊主に施された飾りは、童話に出てくるお菓子の国のお城のようでした。
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血の上の救世主教会
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バスで市内を車窓観光しています。
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運河クルーズの小舟が行き交います。後で乗ります。
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運河沿い
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代表的な通りネフスキー大通りだったと思います。
ネフスキー大通り 散歩・街歩き
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帝政ロシア時代を彷彿とさせる美しい建物が建ち並んでいます。
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レストランで昼食。ビーフストロガノフでした。これで聞いたことのあるロシア郷土料理を一通り頂きました。
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運河クルーズのために宮殿広場近くでバスを降りました。
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ニコライ1世の騎馬像。通りすがりに撮ったので肝心の部分が欠けていました。
ニコライI世の馬上像 モニュメント・記念碑
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巨大なイサク聖堂もこの場所からだったら全景が見えます。
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モイカ川の船着き場からクルーズ船に乗り込みます。
運河巡り船 船系
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こんな感じの小さなボート。
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モイカとは「洗濯」の意味。つまり洗濯川。昔この川で洗濯をしたのでしょう。
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川の両側には18~19世紀の建物が並んでいます。
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文学カフェやプーシキンの家などの説明がありましたが、それがどの建物だったか??
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運河沿いの風景
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運河沿いの風景
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運河沿いの風景
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モイカ川からネヴァ川に通じる運河に入ってきました。右側はバレエを鑑賞したエルミタージュ劇場です。
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建物をつなぐ渡り廊下の橋をくぐります。
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橋の上の人たちが手を振ります。
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広いネヴァ川にでました。波が高いです。
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イチオシ
ペトロパブロフスク要塞。この場所から見ると要塞であることがわかります。
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トロイツキー橋に向かっています。
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トロイツキー橋
トロイツキー橋 建造物
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イチオシ
橋をくぐった先に巡洋艦オーロラ号が係留されていました。
1917年10月25日、オローラは外洋への航海命令に抗命し逆に冬の宮殿に向けて砲撃を開始しました。これを合図にロシア革命の火蓋は切られました。巡洋艦オーロラ 観光名所
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Uターンします。
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夏の庭園。
夏の庭園 広場・公園
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現地ガイドのリューヴァさん。地元の大学の日本語講師です。
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クルーズ船を下りてデカブリスト広場に向かっています。
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この広場からイサク聖堂が綺麗に見えます。
デカブリスト広場(元老院広場) 広場・公園
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デカブリスト広場の中央に建つ青銅の騎士像。
台座に「ピョートル1世へ、エカテリーナ2世より、1782年」と刻まれています。
青銅の騎士像 モニュメント・記念碑
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最後の訪問先ロシア美術館に向かっています。
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カザン聖堂
列柱が力強く弧を描いています。カザン大聖堂 寺院・教会
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ロシア美術館をゆっくり見学しましたが何故か写真は残っていません。有名なレーピンの「ヴォルガの船曳き」の絵は出張中でした。
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夕食を終え空港に向かっています。途中にレーニンの銅像がありました。
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これも社会主義時代の名残のモニュメント。
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イチオシ
日付が変わろうとする頃にプルコヴォ空港を離陸しました。白夜がようやく暮れそうです。ダスリ ダーニャ(さようなら)!
翌日にインチョン空港を経由して夕刻に無事関空に到着しました。
これでロシア旅行記は終わりです。長らく見て頂きありがとうございました。プルコヴォ国際空港 (LED) 空港
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この旅行記へのコメント (2)
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- ポテのお散歩さん 2023/03/09 17:11:35
- 美しいロシア
- 万歩計さん こんにちは。
今から たった10年ほど前にロシアを訪れられたのですね。
どの街も美しいし、文化も豊かで、目に見えるもの 耳に聞こえるもの
全てが素晴らしくて 眩いばかりなのに、悲しく見えるのは
どうしてでしょうね。
こんなに豊かな感性を持った国なのに、破滅的な道に歩むのが不思議です。
もっと世界の国々と友好関係を保てば、人々も憧れを持って訪れるし
外貨も集められるし、貿易の面でも優位に立つ資源があるのに
残念でなりません。
中国にもロシアにも、歴史や文化に対しても憧れや尊敬を持って訪れたい
国なのですが、今の時代はそれが出来ないのが残念です。
万歩計さんのコメントにも、ロシアの文化に触れて感動されているお気持ちが
伝わって来ます。
ロシアが抱えている問題を知らないので、こんな考えになるのかも知れませんね。
冬の寒さが厳しい国ならではの問題があるのでしょうね。
日本で生活しているから、平和ボケして 見えない事があるのでしょうね。
一度でいいから、ロシアに行ってみたかったです。
素敵な旅行記を拝見させて頂き、ありがとうございました(*^-^*)
ポテ
- 万歩計さん からの返信 2023/03/09 23:01:43
- Re: 美しいロシア
- ポテさん、こんばんわ。
ロシアシリーズを読んでいただいき、最後に素晴らしいコメントを頂き有難うございました。
ロシアに行ったのはソ連解体の20年後でした。解体後の混乱から徐々に立ち直り、この頃が西側との関係が最もよかった時期でした。西側資本によるモノが溢れ、町も人も生き生きしていました。「ロシアは豊かになった。このまま努力すれば西側とも上手くやっていける」と感じたのを覚えています。
しかしその3年後のクリミア侵攻で西側との関係は一気に悪化し、ウクライナ侵攻で地球の将来までも危ぶまれる事態になりました。本当にやり切れない。
ロシアの大部分は不毛の酷寒の地。ここで生きていくためには強い指導者が必要だったんでしょう。権力者は富を独占し、残りは農奴となって長く虐げられてきました。かっての皇帝、貴族、大地主が、現在のプーチン、オリガルヒ(新興財閥)です。権力者にとって最も恐れるのは虐げられた民衆の反乱です。そのために常に外部に敵を作り、不満の矛先をかわしてきた。ロシアの歴史は戦争の歴史です。これは中国も北朝鮮も同じと思います。NATOの拡大によりロシアが脅かされている、というのは権力者の自己保身のための詭弁です。残念なのは殆どのロシア国民の大多数が農奴から共産党支配という長い歴史で、自らの力で自由を勝ち取った経験がないということです。
勝手な見方でだらだらと書きました。地球に平和が戻りますように。
万歩計
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