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山陰の名所巡りです。

2018梅雨、島根の名所(8/15):6月25日(4):出雲大社(4):御本殿、素鵞社、彰古館

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2018/06/24 - 2018/06/25

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旅人のくまさん

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交通手段
観光バス 新幹線

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  • 北側から眺めた『御本殿』の建物光景です。現在の御本殿は延享元年(1744年)に造営されたもので、昭和27年(1952年)に国宝に指定されました。御本殿の高さは24メートルに及び『大社造』と呼ばれる日本最古の神社建築様式を今に伝えるものです。

    北側から眺めた『御本殿』の建物光景です。現在の御本殿は延享元年(1744年)に造営されたもので、昭和27年(1952年)に国宝に指定されました。御本殿の高さは24メートルに及び『大社造』と呼ばれる日本最古の神社建築様式を今に伝えるものです。

  • 『御本殿』などがある、玉垣で囲われたエリアの北側に位置する社の光景です。『素鵞社(そがのやしろ)』と呼ばれる、『スサノオノミコト(須佐之男命)』を祀った社です。二段に積まれた石垣の上に建てられていました。

    イチオシ

    『御本殿』などがある、玉垣で囲われたエリアの北側に位置する社の光景です。『素鵞社(そがのやしろ)』と呼ばれる、『スサノオノミコト(須佐之男命)』を祀った社です。二段に積まれた石垣の上に建てられていました。

  • 同じく、『素鵞社(そがのやしろ)』と呼ばれる、『スサノオノミコト(須佐之男命)』を祀った社の光景です。1667年頃(寛文年間)に創建されたと推定されている、国の重要文化財の建物です。『大社造り』の社殿です。

    同じく、『素鵞社(そがのやしろ)』と呼ばれる、『スサノオノミコト(須佐之男命)』を祀った社の光景です。1667年頃(寛文年間)に創建されたと推定されている、国の重要文化財の建物です。『大社造り』の社殿です。

  • 『素鵞社(そがのやしろ)』を中央に、右が『文庫』の建物、左が『彰古館』の建物が位置します。その『彰古館』の建物が木々の間から見えてきました。

    『素鵞社(そがのやしろ)』を中央に、右が『文庫』の建物、左が『彰古館』の建物が位置します。その『彰古館』の建物が木々の間から見えてきました。

  • 南東側から眺めた、『彰古館』の建物光景です。1階には大黒様が大量に飾ってありますが、出雲大社の神が大国主であり、大国(おおくに)が大黒(だいこく)とも読めるため、大黒様が日本で広まったとされます。『大黒天(だいこくてん)』は、元々は、ヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたものです。『大暗黒天』とも呼ばれます。

    南東側から眺めた、『彰古館』の建物光景です。1階には大黒様が大量に飾ってありますが、出雲大社の神が大国主であり、大国(おおくに)が大黒(だいこく)とも読めるため、大黒様が日本で広まったとされます。『大黒天(だいこくてん)』は、元々は、ヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたものです。『大暗黒天』とも呼ばれます。

  • 玉垣の西北角付近の光景です。『玉垣(たまがき)』は、神社や神域の周囲に廻らされる垣のことです。左側に見える、一際大きな建物が『御本殿』です。出雲大社では、御本殿の周囲の垣を『玉垣』、更にその外周の垣を『瑞垣(みずがき)』とも呼ぶようです。

    玉垣の西北角付近の光景です。『玉垣(たまがき)』は、神社や神域の周囲に廻らされる垣のことです。左側に見える、一際大きな建物が『御本殿』です。出雲大社では、御本殿の周囲の垣を『玉垣』、更にその外周の垣を『瑞垣(みずがき)』とも呼ぶようです。

  • 御祭神の大国主命は、西向きに祀られており、この場所からのお参りが正面になると説明されていました。末尾には、、出雲大社の礼拝は『二拝四拍手一拝』と紹介されていました。

    御祭神の大国主命は、西向きに祀られており、この場所からのお参りが正面になると説明されていました。末尾には、、出雲大社の礼拝は『二拝四拍手一拝』と紹介されていました。

  • 上の説明文は、先ほど粗油買いした内容、下の樹面が中心部分の平面図です。『御本殿』を取り囲んだ部分が『玉垣』、その周りの境内社を含めて取り囲んだ部分を『瑞垣』と表示してありました。

    上の説明文は、先ほど粗油買いした内容、下の樹面が中心部分の平面図です。『御本殿』を取り囲んだ部分が『玉垣』、その周りの境内社を含めて取り囲んだ部分を『瑞垣』と表示してありました。

  • イチオシ

  • 大きな注連縄が飾られた、拝殿の正面光景です。4トン以上の重さがあると現地ガイドさんからお聞きしました。ネット情報では、長さ13.5メートル、直径6メートル、重さ5トンとの紹介もありました。

    大きな注連縄が飾られた、拝殿の正面光景です。4トン以上の重さがあると現地ガイドさんからお聞きしました。ネット情報では、長さ13.5メートル、直径6メートル、重さ5トンとの紹介もありました。

  • 拝殿の扁額のズームアップ光景です。

    拝殿の扁額のズームアップ光景です。

  • 大きな注連縄が飾られた、千家の出入口光景です。

    イチオシ

    大きな注連縄が飾られた、千家の出入口光景です。

  • 神社ではなく、お寺の建物と見紛う造りの『祖霊社』の建物光景です。唐屋根の玄関に注連縄が張られていることで、神社の建物であることが巻九人できました。

    神社ではなく、お寺の建物と見紛う造りの『祖霊社』の建物光景です。唐屋根の玄関に注連縄が張られていることで、神社の建物であることが巻九人できました。

  • 『祖霊社』の文字が記された白い標識の光景です。その左に説明パネルも置かれていました。明治時代に神仏分離が行われた時、それまで仏教が管理していた『葬送』を神社が行う場所として設けられた施設です。

    『祖霊社』の文字が記された白い標識の光景です。その左に説明パネルも置かれていました。明治時代に神仏分離が行われた時、それまで仏教が管理していた『葬送』を神社が行う場所として設けられた施設です。

  • 『祖霊社』正面の石柱と、その先に見える本堂光景です。明治8年(1875年)に出雲大社宮司の『千家尊福(せんげたかとみ)』により建てられました。創建時は、手水舎付近にありましたが、明治19年(1886年)に現在の地に移ったとされます。

    『祖霊社』正面の石柱と、その先に見える本堂光景です。明治8年(1875年)に出雲大社宮司の『千家尊福(せんげたかとみ)』により建てられました。創建時は、手水舎付近にありましたが、明治19年(1886年)に現在の地に移ったとされます。

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