2001/07/26 - 2001/07/27
40位(同エリア408件中)
itaruさん
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サマルカンドと並んで古代ソグディアの中心都市として栄えてきたブハラ。
旧市街の配置は9世紀から大きく変わっていないという。中央アジアの古都の雰囲気を味わいながら、気ままに街歩きを楽しみます
日程
7月21日 関空→タシケント
7月22日 タシケント観光 タシケント→ウルゲンチ→ヒヴァ
7月23日 ヒヴァ観光 ヒヴァ→ウルゲンチ→タシケント
7月24日 タシケント→サマルカンド
7月25日 サマルカンド→シャフリサーブス→サマルカンド
7月26日 サマルカンド→ブハラ
7月27日 ブハラ→タシケント→関空(翌日着)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ウズベキスタン航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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サマルカンドから再び乗り合いタクシーに乗って3時間30分ほどでブハラに到着。旧市街にたどり着くと目の前にはディール・ディワン・ベキのマドラサが
ナディール ディヴァンベキ メドレセ 史跡・遺跡
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タジク語で池の周りという意味のラビ・ハウズ
ラビハウズ 滝・河川・湖
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夏は耐えがたい暑さの中、ホッとするような涼しげな空間。さてガイドブックに載っている宿にでも行こうか、と思っていると「うちに泊まらないか」と子どもたちが声をかけてくる。値段はガイドブックの宿より安いのだけれど、外国人登録はできないという。「大丈夫だよ」と彼は言うけれど、トラブルは避けたいので申し訳ないけど、とガイドブックの宿に向かう。もっとも、出国の際に外国人登録のチェックなんて、全くしていなかったのだけれども
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ブハラが帝政ロシアと清朝の中継貿易の地として栄えていた時、両替の場所として盛んに取引が行われていたターキ・サッラファーン
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アンバル通りを進むと、目に入ってくるのがマゴキ・アッタリ・モスク。現存するモスクとしてはブハラで最も古い(12世紀)モスクで、1934年にソ連の考古学者に「発見」されるまで、ほとんど地中に埋まっていた。装飾がなく、シンプルな外観は渋くて趣がある
マゴキ アッタリ モスク 寺院・教会
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昔は帽子を扱っていたというターキ・テルバック・フルシャーンの前を進み
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カラーン・ミナレットやミーリ・アラブのマドラサが見えてくる
ブハラ歴史地区 旧市街・古い町並み
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カラーン・ミナレットに向かう前に2つのマドラサへ
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まずは1417年に建てられウルグベク・マドラサへ。本来は正面からの写真を撮っておくべきなんだけど、なぜか中庭の写真しか撮ってなかった。取りあえず撮っておこうということがなかったフィルム写真時代。ケチってしまったといえば、それまでなんだけど
ウルグベク メドレセ (ブハラ) 史跡・遺跡
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ウルグベク・マドラサの向かいにあるのが200年ちょっと後に建てられたアブドゥルアジズ・ハーンのマドラサ。色鮮やかな正面ゲートには人の顔を模した太陽や鳥、花などが描かれている
アブドゥールアジス ハン メドレセ 史跡・遺跡
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ウズベキスタンって結構イスラムなのに宗教施設に具象的な絵が描かれていたりするな。まあブハラはタジク系の人が多いという。タジク人はイラン系でイランと言えばシーア派。現在のタジク人はスンナ派が主流とはいえ、イラン系の王朝の影響も受けていたのだろうか。シーア派は聖人崇拝とか、結構緩やかなところがあるし
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そんなことを思いつつ、宝石を扱っていたターキ・ザルガラーンを眺めたら
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ソ連時代も宗教施設としての存続を許されたミル・アラブ・マドラサは壮大なイーワーンと2つのドームの組み合わせが何とも美しい
ミル アラブ メドレセ 史跡・遺跡
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そしてブハラのシンボル、カラーン・ミナレット。1127年にカラーン・モスク付属のミナレットとして建築された高さ47mの塔
カラーン ミナレット 寺院・教会
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タジク語で大モスクを意味するカラーン・モスク
カラーン モスク 寺院・教会
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約1万人を収容できる巨大な金曜モスク。土産物屋でちょっとうるさいマドラサと違って静かな空間が心地よい
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ミナレットとミル・アラブ・マドラサの青いドームが青い空に映える
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アラブ人によりイスラム教がこの地に伝わってからモスクとしてあり続けた。現在のモスクは16世紀に建立されたもの
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カラーン・モスクの先にあるのは歴代のブハラの支配者の居城となった城塞アルク
アルク城 城・宮殿
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といっても、ここも入ってしまえば土産物屋が多いのだけれど
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アミール(王)の玉座の間
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雲一つない空、アルク城から眺めるブハラの旧市街
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これも何かの遺跡のあと?
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9世紀の終わりにブハラを占領して都としたサーマーン朝のイスマイール・サーマーニの霊廟。9~10世紀にかけて建設された中央アジア最古のイスラム建築は華美さはないけれどシンプルだけど洗練された美しさも感じられる
イスマイール サーマーニ廟 史跡・遺跡
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実は今回のAPSフィルムの使い捨てカメラで撮った写真はネガの劣化が激しかった。そのためプリント写真をスキャンしたものをアップしたけれど、お遊びでネガをスキャンしたものをアップしてみます。これは廟の近くにあった貯水池。古い写真感が結構出ているかな
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チャシュマ・アイユブは預言者ヨブが杖でたたいたら泉が湧き出したという言い伝えのある場所に建てられた霊廟
チャシュマ アイユブ 史跡・遺跡
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ということで一通り旧市街を巡ったのでカラーンモスクへ。サングラスを貸したらちょっと気取ってポーズするお姉ちゃん、と弟たち?かな
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次第に陽も傾いてきた
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夕陽に照らされるアブドゥルアジズ・ハーンのマドラサ
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夕方の礼拝を呼びかけるアザーンが響き渡る。中央アジアの旅もあと1日を残すだけ。夕暮れのカラーンモスクを前に名残惜しい気分が沸いてくる
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さて最終日はブハラから空路でタシケントに戻って最後の市内散策。喉渇いたなあと思いながら、歩いていると急激に疲れが。慌てて飲料を購入して一息つく。いやいや乾燥しているから油断していると熱中症になりかねない
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やてきたのがチョルス・バザール
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こちらもAPSの古びた写真で
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16世紀建築ののバラク・ハン・マドラサ。今は土産物屋でいっぱいのようだけど、当時は宗教施設として機能していた。見知らぬおじさんから、どうもイスラムの教えを書いたような(読めないので分からないけど)カード(というか紙切れ)を渡されたりしたし
バラク ハン メドレセ 史跡・遺跡
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この辺りは宗教関連の施設も多く
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タシケントの中ではイスラムを感じるところ
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ウズベキスタンの旅、最後にやってきたのがパフタコール・スタジアム。1997年10月11日、W杯初出場を目指す日本代表は中央アジアでのアウェー2連戦の初戦のカザフスタン戦の追加タイムに同点ゴールを決められドロー。1位韓国とは勝ち点7と広がり、1位通過の可能性がほぼなくなり加茂監督を電撃解任。岡田コーチを監督に昇格させ、背水の陣で挑んだのがこのスタジアム
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どうやら地元のチームの試合が近くあるらしく、スタジアムの入り口には看板が出ていたのだけれどウズベク語で書かれているので詳細は分からない。ただ、特に警備とか、なかったので中に入ってスタンドから誰もいないピッチを眺めることができた。ナショナルスタジアムだけど、想像していたのとは違って地方の陸上競技場といった感じだろうか。ただ、ここが日本のサッカーの一つの転換点になったかと思うと不思議な感覚にもとらわれる。感傷に浸った後はゆるりと空港に向かうとしましょう。駆け足だけど、なかなか充実した中央アジアの旅でした
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