2001/07/21 - 2001/07/23
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itaruさん
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文明の交差点、シルクロードに位置する中央アジアの国々。訪問したいなあと思いつつ、ルートやビザの問題もあって、なかなか足を踏み入れることができなかった。その中央アジアの国、ウズベキスタンのキャリアが日本に乗り入れたのが2001年の春。成田の発着枠の問題もあって、就航したのは関空だったけれど、直行便というのはありがたい。ヒヴァ、サマルカンド、ブハラ……、東西の文明が交差した諸都市を巡ってみよう。早速、ウズベキスタン行きの航空券を購入。初の中央アジアの旅に向かうことに
日程
7月21日 関空→タシケント
7月22日 タシケント観光 タシケント→ウルゲンチ→ヒヴァ
7月23日 ヒヴァ観光 ヒヴァ→ウルゲンチ→タシケント
7月24日 タシケント→サマルカンド
7月25日 サマルカンド→シャフリサーブス→サマルカンド
7月26日 サマルカンド→ブハラ
7月27日 ブハラ→タシケント→関空(翌日着)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ウズベキスタン航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今では懐かしき紙のチケット。裏にサマルカンドのレギスタン広場の写真が旅情をかきたてる。そういえば就航したてのウズベキスタン航空のグランドハンドリングをしていたのは確かJALと合併前の日本エアシステムだったかと
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就航間もないということで機内にはそこそこ空席もあり、ストレスなくタシケントに到着。入管も特に問題なく通過し到着ロビーへ。VISA手配のため、最初の1泊とホテル送迎を手配済み。迎えに来ていたドライバーともにホテルへ
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到着したのは夕方。陽が沈むには時間がある。軽くタシケント巡り
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ソ連時代に様変わりしたタシケントの中でロシア革命以前の趣を残す旧市街。モスクやマドラサが中、目立つのが金曜モスクでもあるハズラティ・イマーム・モスク
ハズラティ イマーム モスク 寺院・教会
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青いドームが印象的
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宗教が弾圧されたソ連時代から信仰の自由が保障されるようになり、マドラサなどの修復も盛ん。クカルダシュ・マドラサもその一つ
クカルダシュ メドレセ 建造物
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で、夕方のチャールス・バザールをふらつきつつ、地下鉄に乗って宿へ
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2日目、ウルゲンチへは午後の飛行機で移動。それまでは市内を散策
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旧市街とはまるで趣が異なる新市街。しかし、暑い。40度近い、いや超えてるかも。乾燥しているから気づかぬうちに脱水症状になりかねない?
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カリモフ大統領(当時)が民族と国家を象徴する英雄として復権を果たしたティムール。その英雄を記念したティムール博物館
ティムール博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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博物館にも青いドーム
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ティムール広場のティムール像。しかし、あまりの暑さのためか履いていたスニカーの接着剤が劣化し、靴底がいまにもはがれそうに。ちょうどタシケントで日本語を勉強している学生に話しかけられたので相談すると、路上の靴屋を教えてもらい応急修理。靴底を縫い合わせるという力技には驚いたけれど、以後は問題なく旅を続けられることに
ティムール広場 広場・公園
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で、タシケントで最も活気にあふれているブロードウェイ(サユルガーフ通り)を散策した後は
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国内線でウルゲンチへ
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2時間弱のフライトでウルゲンチに到着
ウルゲンチ空港 (UGC) 空港
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タクシーとバスを乗り継いでウルゲンチ空港からヒヴァへ。と、ここでうっかりタクシーに「歩き方」を置き忘れてしまうミス。たまたま、旅行人ノートも持っていたので助かった。ヒヴァのイチャンカラ内のB&Bザファルベクにチェックイン
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宿に荷物を下ろしたら早速観光開始。宿に近いバクチャ・ダルヴァサ門(北門)から城壁の外へ
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北門からアタ・タルヴァサ(西門)方面へ城壁沿いをぶらり
イチャンカラの城壁 史跡・遺跡
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1920年に一度赤軍に壊され、1970年に再建されたアタ・ダルヴァサ門(西門)。ここでイチャン・カラの共通入場券やカメラチケットを購入
オタ ダルヴァザ門 (西門) 史跡・遺跡
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伝統的なオアシス都市の景観が保存されているヒヴァ。その姿を伝える旧市街は城壁に囲まれたイチャン・カラ(内城)。16世紀にヒヴァ・ハーン国の都が置かれた時とその規模はほとんど同じだという
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アタ門から東西を結ぶパフラヴァーン・マフムード通り。手前が現在はホテルになっているムハンマド・アミン・ハンのマドラサ。1851~55年にかけて同名のハーンによって建設された当時の街で最大のマドラサ。奥にある太めの円錐形の塔がカルタ・ミナル。中央アジア最大のミナレットを目指したものの、ハーンが戦死したために26mの高さで建設が中断されたもの
ムハンマド アミン ハン メドレセ 史跡・遺跡
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目抜き通りだけにマドラサやミナレット、多くの見どころが集まっている
パフラヴァーン マフムード通り 散歩・街歩き
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古い城塞という意味のキョフナ・アルクは17世紀に建てられた古い宮殿。青を基調としたタイルが美しい。ここは公式な謁見の場だったキルニッシュハナ
キョフナ アルク 城・宮殿
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1871年に建設されたムハンマド・ラヒム・ハーンのマドラサ
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1908~10年にかけて建設されたイスラーム・ホジャのマドラサはヒヴァ最後の大建築。ミナレットの高さは44.8mでヒヴァ一番。これは是非登らなければ
イスラーム ホジャ メドレセとミナレット 建造物
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階段を登りきると目の前に広がる絶景が。青いドームが特徴的なのはパフラヴァン・マフムド廟
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眼下に広がるイチャン・カラの街並み
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パフラヴァーン・マフムード通りに戻って土産物や飲み物を売る露店のきょうだい?
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ボクシングのポーズ?
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ソフトクリーム美味しい?
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お土産の飾りのついた帽子でハイポーズ
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皆で一緒に
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ヒヴァの関係する偉人?と子供たち
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で、しばらく歩いていると池で子供たちが水遊び
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気づいて寄ってきてハイポーズ
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写真撮るとはしゃぐ。え~と、水着なしでいいのかな
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色鮮やかなカルタ・ミナル。完成していたらどんな風景が目の前にあったのだろう
カルタ ミナル 建造物
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で、再びイスラーム・ホッジャのマドラサを通って
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タシュ・ダルヴァザ門(南門)へ
タシュ ダルヴァザ門 (南門) 建造物
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タシュ・ダルヴァザからしばし歩いて振り返ってみる。右に見えるのはドゥシャン・カラの城壁の跡?
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で、散策する間に現地の家族に呼び止められて
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一緒に記念写真。まだ観光客もそれほど多くなかったからか、気軽に声をかけられた。スマホで写真という時代でもなかったから、写真送ってとも言われたなあ
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で、アラクリ・ハーンのマドラサから再びイチャンカラに戻り
アラクリ ハン メドレセ 寺院・教会
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奴隷の反乱で殺されたというシールガーズィ・ハーンのマドラサに寄り
シールガーズィ ハーンのマドラサ 寺院・教会
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ラクダのシルエットに旅情を感じつつ
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パフラヴァン・マフムド廟を眺めつつ
パフラヴァン マフムド廟 寺院・教会
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少しばかり城壁を散歩
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城壁越しのカルタ・ミナル
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そういえば、ウズベキスタンの通貨ソムは少額の紙幣しかなくて、ちょっと両替しただけで札束がいっぱい。200ソムも日本円にしたら20円にもならない
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1990年にユネスコの世界遺産に登録されたヒヴァ
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有名ではなくても味のあるマドラサがそこかしこ
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クトゥルッグ・ムラド・イナクのマドラサを経て
クトゥル ムラド イナック メドレセ 史跡・遺跡
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タシュハウリ宮殿へ
タシュ ハウリ宮殿 城・宮殿
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19世紀前半に建てられた新しい宮殿
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青いタイルの装飾が色鮮やか
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ちょっとバザールを覘いたけど、時間が悪かったのか活気は今一つ
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目抜き通りを行き来するたびにカルタ・ミナルが目に入ってくる
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子どもたちはいつも人懐っこい
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仲のいい兄弟かな
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ヒヴァ観光の時間も残り少なくなってきた
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アタ門から数分の西洋建築を取り入れたヌルッラー・バイ宮殿に寄ったら
ヌルラッバイ宮殿 城・宮殿
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ジュマ(金曜)モスクのミナレットの前で記念の1枚を撮ったら
ジュマ モスクとミナレット 寺院・教会
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さあウルゲンチ空港からタシケントに戻りましょう。と思ったら機材トラブル。どうやら車輪に不具合があったようで2時間ほど待ちぼうけ。まあ、これも旅の一部。焦っても仕方ない
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