渡辺崋山の田原から岡崎・刈谷・鳴海と常滑、犬山祭りまで四日間の旅(二日目)~岡崎の探索は自転車を使って南部郊外まで。その後、刈谷は野田新町の小さな歴史、鳴海では桶狭間の戦いの跡をちらり拝見です~
2018/04/06 - 2018/04/06
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一日目は渡辺崋山の田原から伊良湖を探索して、今日は二日目。どちらかというと、三日目、四日目に向けてのつなぎの日といった位置付けでしょうか。岡崎の周辺から刈谷の端っこ、野田新町を経由して、鳴海を散策するマイナーなスポットを巡る旅です。
ところで、三河から尾張へのかつての大動脈は旧東海道ですが、それは今の名鉄本線にほぼ重なります。岡崎、鳴海は、ともにその旧東海道の宿場町。これに対して、刈谷は知立から分かれた刈谷街道で旧東海道と結ばれるという関係。しかし、それでは刈谷が辺境かというとそうではなくて、境川、逢妻川に面していて知多半島から外洋につながる水上交通の要衝なんですね。家康の母、於大の方の出身であり、松平家の長年のライバルであった水野家もこの水上交通を押さえていたことが大きな力の源泉です。ロケーションは街道で考えるだけではなくて、水運でも理解しないと間違えるというのは関東平野などでも同じです。
徳川家康の故郷、岡崎は、織田氏の勢力拡大の兆しはあったものの、基本的には今川氏の勢力下。家康が人質となった境遇も含めて、一族は今川氏の拡大政策の先兵として困難な働きを強いられる悲哀を味わってきたというのが大筋での理解でしょう。
そういう意味での岡崎観光を考えると、岡崎城に松平氏の菩提寺で桶狭間の戦いで逃げ帰った家康が自害をしようとしたという大樹寺、松平家の産土神六所神社くらいでまずはOK。いずれにしても、5万石の城下町だししれているというのがこれまでの認識でした。
ただ、今回は、レンタサイクルを活用して、範囲をぐっと広げてみました。少し視野を広げて岡崎の地を感じれたかなと思います。
岡崎の後は、東海道本線で野田新町、名鉄本線に戻って、行きそびれていた鳴海の周辺も確認。三河から尾張の間のごちゃごちゃした地域を少しづつピースを埋めるように探索する旅の始まりです。
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早朝から、ホテルのレンタサイクルを使って、岡崎市南部、郊外の方に向かいます。
まずは、上地八幡宮。レンタサイクルでしたが、それでもけっこう遠いですね。
岡崎観光きらり百選となっていて、頼朝や義経の異母兄弟で蒲冠者(かばのかじゃ)と言われた源範頼の創建。 -
平家追討に向かう際、この近くの豪族の家で宿泊。屋敷の八幡社に武運長久を願い、平家を追討。その後、三河守護となり、感謝の意味を込めてここに八幡宮を建てたのだそうです。
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拝殿から本殿はきちんとした建物が配されていて、それなりに歴史と格式を感じます。
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イチオシ
この時期、境内の桜の木は満開。清楚な色合いの花を咲かせていました。
唸り石というのも名物です。 -
イチオシ
続いては、南公園。小高い丘の上で、遠目からでも観覧車とか遊園地みたいな景色が見えています。
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ただ、園内は割とゆったり。
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裏側には大きなため池があって、公園内は変化のある散策路となっています。
遊園地のエリアは景色のアクセントになっていて、ちょっと面白い。意外にゆったり楽しめる公園です。 -
こちらの犬頭神社も、岡崎観光きらり百選。
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地元の部落の神社というには、境内も広いし、燈籠、こま犬を配した本殿も立派です。
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池のほとりに犬頭物語というのが紹介されていて、上和田城主宇都宮泰藤を大蛇から守った犬の話。犬の吠えた意味に気が付かない泰藤は誤って、犬の首をはねてしまうという悲劇になるのですが、最後はそれに気が付き、塚を作って弔った。その塚が池の島にはあるのだそうです。
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大久保氏一族発跡地の碑は、上和田公民館の入口です。これも、岡崎観光文化百選。
大久保一族と言えば、「天下の御意見番」の大久保彦左衛門とかが有名ですが、家康の家臣の中では最古参の家来。出世を望まず、ひたすら徳川家への忠義を尽くすということを誇りとしていたイメージ。三河武士の一つの典型だと思います。 -
真宮遺跡は、矢作川東岸の段丘上にあって、縄文時代から鎌倉時代までの複合遺跡。
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周囲は石垣で囲われていて、その上部の公園のような広場が遺跡です。
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イチオシ
住居の礎石が規則正しく並んでいて、それはたぶん大きさからいっても鎌倉時代のもの。
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長い間、人がここで暮らしたというのもそれはたぶんここが安全だったから。地盤のしっかりした土地なのだと思います。
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ここから、岡崎市街中心部に戻りつつ。。
御菓子処 河西屋。ここは、まだまだ岡崎市街でもまったく観光地ではないエリア。 -
いわゆる地元密着の和菓子屋さんですね。
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あかまい大福をいただきました。赤米のお餅がきれいでしたが、何んと餡子はずんだ。赤いお餅から緑の餡子が見えてきて、これは大きなサプライズですね。味もずんだの香りがしっかりしていて、ハイレベル。もっと知られていいお店かなと思います。
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東岡崎駅の近くまで帰ってきて、これは龍海院。
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イチオシ
広々とした境内にむくりの屋根のずんぐり個性的な本堂が建っています。
こちらは、徳川家によっては吉祥があっためでたい寺。徳川家康の祖父にあたる松平清康が創建したのですが、それは、清康が20歳の時、左手に「是の字」を握る夢を見たから。天下を取るという夢だったということです。
そう見ると、山門から筋塀とかはけっこうな格式を感じさせるものなんですが、やっぱり境内にいかめしさというものはない。穏やかな雰囲気がある寺と紹介する方が実態にはあっていると思います。 -
今度は岡崎城公園へ。一帯は岡崎の桜まつりの期間中でしたが、今年は花が早くて、もうすっかり葉桜になっていました。ただ、それでも堤防の道から河川敷の広場にはたくさんの露店が出ていて、夕方から夜になると雰囲気が出るのかなあという感じ。この辺りは視界の広い場所だし、いずれにしても花見には最適です。
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少し進んで、これは五万石藤。けっこうな広さに藤棚がきちんとしつらえてあって、これなら誰でも見やすいですね。
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イチオシ
城の入口付近にあった藤7本をこちらに移したもの。岡崎は家康の時代からずっと五万石なので、五万石藤。徳川家康にもあやかるおめでたい名前です。
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ここから松應寺に向かいます。
途中の三州菓子工房 中田屋は、かりんとうの専門店。岡崎市街にいくつか看板が出ていて、それに気が付いて訪ねてみました。 -
かなりの種類のかりんとう。それぞれ試食をしながら品定めができるのは、ありがたいですね。きんぴらかりんとうとかごぼうの香りがすごくて、ちょっと笑ってしまいそう。
岡崎なので八丁味噌のかりんとうをお土産にしました。 -
さて、これが松應寺。徳川家康の父、松平広忠の菩提寺です。
岡崎のメジャースポットとしては、唯一、まだ見ていなかったところなんですよね。 -
ところで、松平広忠は岡崎城主でしたが、城中で家臣に刺殺されるという非業な最期を遂げ、ここに埋葬されます。
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松平家にとっては大事件ですから、家康に影を落とした可能性がありますが、結果から見ると、反面教師となって、家来を統率するうえで家康の厚みのある人格形成につながった理解していいかもしれません。
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本堂の裏にお墓がありましたが、
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イチオシ
ただ、土塀で囲まれた形式は形式として、土塀はもう崩れかけたようになってしまって、修復もされていない。
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家康の父の墓なのに、こんな扱いしかされていないことに少し違和感を感じました。
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五万石 藤見屋は、岡崎市街中心部、本町通り沿いの老舗の和菓子屋さんです。ここでも五万石ですか。家康の時代は5万石ですが、結局、江戸時代、本多家の時代でも5万石のままなんですね。ただ、城の際まで船がついて隆盛を誇ったというのが自慢。
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お店には「 五万石」という看板商品があって、帆かけ舟の形をした小さなおせんべい。女将さんがいろいろ教えてくれて、さすが老舗。歴史を語れるお店です。
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イチオシ
ここからは、例によって市街のマイナースポットとB級グルメのチェックです。
岡崎信用金庫資料館は、旧岡崎銀行本店。赤レンガと地元産御影石を組み合わせた本格的ルネッサンス様式を取り入れた大正6年築の建物です。 -
拝見したのは「岡崎俯瞰図屏風展」。岡崎は5万石といえば5万石ですが、先ほども触れた通り、城のすぐそばまで船が出入りできたという交通の便のよさがあって賑わった街。屏風を眺めながら、その華やかななりし、岡崎の歴史に思いを馳せました。
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備前屋と言えば、岡崎を代表するお菓子屋さんですが、たぶん、この伝馬通にあるのが備前屋の本店。白い漆喰が美しい立派な店舗です。
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いただいたのは、八丁味噌煎餅。
八丁味噌といえば岡崎の名物ですし、ビジュアル的にもとても美しい。食べ始めは、味噌とかあまり感じないし、見た目と違ってぼんやり系の味わいだったのですが、食べ進むにつれて味わいが深くなるような感じ。評価を急いてはいけません。 -
マルヤスは、伝馬通から少し脇に入ったところにある地元のパン屋さん。
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ふかふかのフレンチトーストをいただきました。見た目通りのけっこうなボリューム。朝飯にいただきましたが、これなら十分満足。お得感もあるパン屋さんです。
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葵園も、伝馬通り沿い。公園の入口にあって、お店はまだ新しい感じですね。
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軽い感じのお菓子が多くて、私はマンガチックな包装の竹っちょ味噌巻をいただきました。竹千代が竹っちょですか。いいですね。けっこうお味噌のクセがあるんですが、ただ、知らないとこの個性的な味が味噌だとは分からないかもしれません。
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西洋菓子 ベルンは、ドイツ菓子のお店。ショーウインドーにはかわいらしい人形が並んで、雰囲気がありますね。
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半熟チーズというのが売出し中のようで、それをいただきました。ただ、薄味の優しい味わいはいいのですが、小さいのでちょっと満足感には欠けるかな。一方で、店内には卵のサンドイッチなんかも置いていて、それもけっこう気になりました。
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イチオシ
永田屋本店は、松坂牛の専門店。お店の構えも老舗風で立派だし、ちょっと敷居が高そうだなあと思ったのですが、
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入ってみると手軽なコロッケなんかも置いてある。
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メンチカツをいただいてみました。肉がギュッと詰まった感じですが、特別おいしいかというとそこまででもないような。意外に庶民的な味わいでした。
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小野玉川堂も伝馬通り沿い。
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薯蕷饅頭があったので、迷わずそれをいただきました。ネッチョリした皮にストレートの甘さの餡子の組み合わせ。薯蕷饅頭は饅頭の王様ですが、その薯蕷饅頭の素晴らしさをよく分かっての仕上がり。それでも、粘りや甘さにちょこっと隠しきれない個性があって、それがまたいい。若いご主人でしたが、気持ちよくいただきました。
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ここから、今度は岡崎天満宮。ここも岡崎観光きらり百選です。
市街中心部からは少し外れ。最後、鳥居までけっこうな坂道を登ります。 -
社殿は正面破風の豪華なデザインの瓦が見どころ。波立った川か滝を泳ぎ上る鯉の姿が活き活きと表現されていて、きちんと並んだ梅の紋瓦も丁寧です。
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少し移動して。
築山御前の墓は、八柱神社の敷地内。寂しげな山の斜面にありました。 -
今川家から家康の正妻となって輿入れ。今川義元の姪とも言われ、家康は今川家の人質だったこともあるわけですから、家康を下に見たのはある意味やむを得なかったことかもしれません。
しかし、今川義元は亡き後ですが、武田氏と内通したとして、嫡男であった息子の信康とともに、信長から非を指摘され、結果、成敗されてしまう。家康にとっては、耐えがたきを耐えた最大の事件。悪女とも言われますが、墓はそこまでぞんざいに扱われた感はない。普通の扱いはされているように感じました。 -
そして、最後は旧本多忠次邸へ。
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この建物は、旧岡崎藩主本多家の末裔にあたる本多忠次が、昭和7年、世田谷に建てた邸宅を移築したものです。
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サンルームも備えた洒落た洋館ですが、外から見た印象から期待していた割に内部は意外にインパクトなし。
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昭和初期に建てたことや、失礼ながら本多忠次のセンスもイマイチだったような気がします。
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一方で、展示は岡崎城主だった本多家の関係がちょろりと。
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しかし、本多家と言えば、徳川四天王の一人で桑名10万石のイメージが強かったので、
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岡崎5万石というのは尻すぼみの感がなくもないかな。
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イチオシ
本多家は、伊勢国桑名藩→播磨国姫路藩→大和国郡山藩→陸奥国福島藩→播磨国姫路藩→越後国村上藩→三河国刈谷藩→下総国古河藩→石見国浜田藩→三河国岡崎藩とけっこうたらいまわしにされた感。
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徳川四天皇の他家だと、彦根藩35万石の井伊家、庄内藩17万石の酒井家、高田藩15万石の榊原家。
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幕末、井伊家は安政の大獄を指揮した直弼が暗殺され、散々な目に合う。その後、第二次長州征伐では、高田藩とともに、正面の安芸路から攻め込みますが、総崩れ。幕府の恥を晒します。庄内藩も会津ほどではないにせよ、戊辰戦争では屈辱を味わう。
これに対して、本多家はのうのうとしていたようですね。例えば、徳川慶喜が静岡で謹慎生活を送っていた頃とか、近くにいた本多家はいったいどうしていたんでしょうねえ。 -
この屋敷も、私からするとあまり岡崎が自慢ができるようなものではない。
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力がなかったと言えばそれまでですが、
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やっぱりモヤモヤは残ります。
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岡崎東公園は、旧本多忠次邸の続き。小山全体を公園にしたもの。奥の動物園までつながっていて、広大な広さなのですが、視界が開けていないので、だらだらと行く感じ。なお、遊歩道はアスファルト舗装されているので、安全・快適です。
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次の目的地、野田新町はJR東海道線。岡崎駅から向かいます。
さて、名鉄東岡崎駅からJR岡崎駅は、道は直線なので迷うことはないのですが、距離があるので、名鉄バスを利用するしかありません。途中には停留所もたくさんあって、走ったと思ったら、また止まる。通勤通学の足になっているのでまあ仕方ないかもしれません。 -
お可もとは、野田新町駅からまあまあ近く。大通り沿いの和菓子屋さんです。
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いただいたのは、薯蕷まんじゅう。粘っこい薯蕷饅頭の特徴ある皮の一方で、少し甘さを抑えた餡子の組み合わせ。あんまり特別感がないのですが、じたばたしていない仕上がりがまあいいかなと思います。
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まず向かったのは野田八幡宮。「新町」というのは、刈谷の街に対して新しいということでしょうか。この辺りは亀城と呼ばれた刈谷城からはけっこう離れた場所だし、固有の歴史を持つ地域のような感じです。
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この神社も、創建は文武天皇の治世、白鳳5年(676年)とかなりの古さ。
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刈谷藩時代には市原稲荷神社、知立神社と並んで刈谷藩領内三社と言われたようです。境内は、悠々とした広さがあって清々しい雰囲気。檜皮葺の社殿も重々しくて、歴史と格の高さが表れていると思います。
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野田八幡宮の境内にある野田史料館。初代刈谷藩主で、後に福山藩10万石の藩主となった水野勝成が奉納した兜が一番のお宝ですが、検地帳などの古文書や絵馬なども多数あるそうです。
ただ、開館日は限られていて、毎月第一日曜日と15日の午前中だけ。お気を付けください。 -
続いての加藤与五郎展示室は、南部生涯学習センター1階。
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ちなみに、加藤与五郎は、フェライトの父、日本のエジソンと仰がれている人物。その人となり、発明品などとともに功績を紹介しています。勲二等を授与されているので、正当な評価も受けているのですが、偉人というには好々爺としたおじいさんという風貌もあって、展示室は楽しげな雰囲気が漂っています。
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加藤与五郎の生家跡もほど近く。きれいな公園のように整備されていました。
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南部生涯学習センターの加藤与五郎展示室を見なければ、何のことかは分からないかもしれません。
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もう少し、探索を続けます。
昌福寺の創建は応永15年(1408年)の室町時代。浄土真宗で始まりましたが、今は浄土宗。山門は火灯窓の透かし塀に威厳のある四脚門とこの門を見ただけでも並みのお寺でないことが分かります。 -
加藤与五郎の菩提寺もここのようです。
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半城土天満神社は、鳥居をくぐって小さな入口を入ると、
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境内は意外に悠々としていて、本殿も立派。ちょっとギャップを感じる神社です。
依綱連(よさみのむらじ)の子孫と言われる三右衛門が寛徳元年(1044年)に創建。意外に古い歴史ですが、天満神社なのでそのこともあって大事にされてきたのかなとは思います。 -
こちら、願行寺の創建は慶長期(1596~1615年)。山門は、重原陣屋の門(刈谷市指定文化財)だったものを村が買い受け、移築したもの。重原陣屋というのは、この辺りが刈谷藩から同じ譜代大名の福島藩に領地替えとなったことで、その福島藩が置いたものだとか。1万石の所領の陣屋の門はそこまで立派なものではありませんが、つまり、この地域が刈谷藩とは違う歴史を持っていることを示す遺構です。やっと、この地域の独特の雰囲気の元にたどり着いたようです。
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なお、本堂は普通です。
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斎宮は、刈谷市半城土町の市街。お寺がいくつか集まるエリアの続きです。
説明によれば、オシャクジサマと呼ばれる石をご神体とする神様を祀るもの。安産・子育てなど幸せの神様。建物は小さいですが、背後に雰囲気のある古木が建っていて、辺りは神域という感じがムンムンしています。 -
お昼が遅くなってしまいましたが。。
権兵衛って、ちょっとしたうどん屋さんくらいかと思ったら、構えからしてもけっこうちゃんとした料理屋さん。ひつまぶしとかのうなぎの料理に天ぷらなんかもあって、高級そうな匂いも少し漂います。 -
ただ、私は、とろろうどん。これがものすごく柔らかいのに存在感があるという個性的なタイプ。さぬきうどんに妙な影響を受けていない素晴らしいうどんでした。なかなかの名店です。
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このまま刈谷駅まで歩きます。
その途中。重原の三井戸は、三河の弘法信仰にかかる史跡。弘法大師が重原を訪れた時、飲み水に困っている村人のために祈って杖で土地に穴をあけると清水が滾々と湧き出てきたという伝説の井戸。井戸は三つあって、三井戸。これはそのうちの佐次兵衛井戸。山沿いの田んぼの中にありました。お地蔵さんが祀られていたり、雰囲気的には単なる井戸ではなく、信仰心と一体になった場所だと思います。 -
これは交通児童遊園。空中を自転車みたいに自分でこいで行くサイクルモノレールとか。雨が降って人が来ないので、係の人が試し乗りをしていましたが、施設はアクセスもいいし、本格的な遊具をたくさん揃えている感じ。体を使って遊びたい子供たちには最適な施設でしょうが、雨も降っているので、この日は閑散としていました。
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そこから線路の方に向かって、これは宮城道雄の遺構。
宮城道雄と言えば、盲目の箏曲家。「春の海」の演奏とか印象的ですよね。
刈谷駅の東側。線路の脇のような小高い場所に建つこの供養塔は、宮城が夜行列車から転落し、ここで命を落としたことを悼むもの。周囲は芝生の公園のようにきれいに整備されていて、すっきりとした大きな石碑です。
野田新町から刈谷は、これでおしまい。ここから名鉄本線に戻って、鳴海駅に移動します。 -
浅間神社は、鳴海駅を降りてすぐ目の前。規模は小さいですが、こんもりした森に囲まれています。浅間神社は富士山に関係した神社なんですが、名古屋でも富士信仰はなくはないですよね。人けのない神社だなと思ったら、本殿の中には灯がともっていてちょっとびっくり。お世話をするひとがちゃんといるようです。
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そこから、中嶋砦へ。川を渡った住宅地の中に空地があって、それが砦の跡でした。私有地なんですが、奇特な所有者がこうして手を付けずに保存してくれているのだそう。砦らしいものは特に見当たりませんが、周囲は川に囲まれているのでそれが防御の役割を担っていたのかなと想像しました。
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ちなみに、中嶋砦は、織田方の砦。丹下砦・善照寺砦とともに、これから回る予定の今川方の鳴海城を囲むように築いた三つの砦の一つです。
ちなみに、今川方についたもう一つの大高城の方も、織田方は丸根砦、鷲津砦で対抗する形。城対砦って、当時の今川と織田の格の違いが現れているような気もしますが、結局、この辺りは本来織田の領地だった場所。そこに今川が鳴海城、大高城という二つの橋頭堡を堂々と持っていたといった方が理解はしやすいでしょう。
なお、桶狭間の戦いでは次々と砦が落される中、信長がここぞと出撃したのは、この中嶋砦からとされていて、興味深いと思います。 -
ところで、鳴海駅の周辺には立派なお寺がいくつもあるのですが、この瑞泉寺の立派さは最右翼といったところ。応永3年(1396)、鳴海城の城主、安原宗範の創建。四國直傳弘法の第一番の寺です。
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黄檗宗の中国風の三門がいかめしくて、
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境内も城のようにいかつい構えです。
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隣りの万福寺。こちらも威厳のある構え。
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明治の初頭。鳴海小学校の仮校舎となったこともあるようです。
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竹林山 圓龍寺は、元は善照寺。善照寺砦の墓地はこの寺の墓地なのだそうです。
現在は真宗大谷派ですが、かつては天台宗。七堂伽藍も有する大寺だったようです。 -
道路から本堂の方に上がると目の前は市街を見渡せる舞台のような場所。砦にするにもかっこうの地形だったことが窺えます。
善照寺砦の説明板には、円龍寺の縁起が書かれていて、善照寺というのは、この円龍寺の旧名のようです。
先ほど触れましたが、ここも、鳴海城を囲むように築いた三砦の一つ。中嶋砦はけっこう距離が近い。これなら、連携は容易に取れていたように思います。 -
ところで、鳴海宿は、東海道五十三次の40番目の宿場でもありまして、熱田神宮のある宮宿のひとつ前です。
宿場町らしい遺構はほとんど残っていませんが、高札場が再現されていて、ちょっと雰囲気がある。住人や通行人に知らせる「定」と書いた板版がいくつも掛けてありました。 -
鳴海駅から鳴海城跡に向かう大通りに出て、これは誓願寺。
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通りに面した敷地内に聖観世音菩薩のお堂がある寺です。
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見どころは芭蕉最古の供養塔。元禄7年(1694年)と刻まれています。ただ、場所は奥の方で分かり辛い。お寺の人がたまたまいて。聞いてやっと見つけることができました。
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少し進んで、これは円道寺。山門に赤いサルボボが下がっていたり、ちょっと妙な雰囲気だなと思ったら、ここは曹洞宗の尼寺。
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庚申行事のことが詳しく紹介されていました。なお、本堂は鉄筋コンクリートで、特に風情はありません。
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そして、これが鳴海城跡。鳴海駅からまっすぐ歩けば15分くらいでしょうか。坂をだらだらと上がったところ。全体として急峻な地形はありません。
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石垣とかも、たぶん、後で整備したもの。土塁のようにこんもりと高くなった地形が、わずかにかつての名残りでしょうか。限られたスペースは公園のようになっていて、予想外にあっけないものでした。
ちなみに、鳴海城は桶狭間の戦いの際には、周囲の砦を排除するために城兵が集結していただけで直接戦場にはなっていない。
城を守っていた今川家譜代の岡部元信は、義元が討ち取られたことを知って、義元の首と引き換えに鳴海城を織田方に引き渡しています。
そして、同じ頃。もうひとつの今川方の城、大高城を守っていたのは家康。義元の死を知ると岡崎に退却。ここで、人質生活から脱却することになりました。 -
山田餅 鳴海店は、さらに鳴海神社に向かう途中。
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商品の種類は意外に少なめですが、一番人気のクルミ入りの羽二重餅をいただきました。ふわふわの甘い羽二重餅に包みの香ばしさが加わって、これならおいしいに決まっています。福井でもこのタイプの羽二重餅はありますが、ここまで惜しげもないボリュームのものはない。実は意外に価値ある羽二重餅です。
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さて。
成海神社は、大きな鳥居から石段を下がって再び上がる参道が奥に延びていて、なかなかスケールの大きな神社。 -
鳴海城跡を見てからこの神社を見ると、こっちの方が一回りも二回りも雄大です。
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創建は朱鳥元年(686年)。日本武尊を祀ります。
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そして、鳴海八幡宮の隣りというか境内の一角といったところにあるのが、東宮稲荷社。赤い千本鳥居みたいな参道がまあまあ長く続きます。鳴海八幡宮の駐車場から入口があるので、それを通って出たところが鳴海神社の本殿でした。
ただ、鳴海八幡宮境内には他にも摂社があって、ここだけ特別ということでもないように思います。 -
豊藤稲荷神社は、さらに進んで、鳴海の市街からだとちょっと奥まったところ。住宅地を抜けた小高い山の上にありました。
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この辺りは今川と織田が争って、砦もいくつかある地域。ここもそんな地形のように見えますね。
独立した稲荷神社で、社殿は派手で威勢がいい感じ。たくさんの参詣者を受け入れますよ言う雰囲気がありました。 -
そこから新海池公園も近いのですが、歩くとだらだらと上がって行く道の先。
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鳴海駅からだとけっこうな距離があるのですが、鳴海では一番大きな公園。
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入口からなだらかに下っていく草原の向こうに大きな池があって、園内の地形は変化にも富んでいます。
ただ、これだけ大きくても施設とかは全くなし。自然の中で遊ぶためだけのシンプルな公園です。 -
そして、ここまで頑張って歩いてきたのは、実はこれが目当てだったから。ネットでも超高評価のとんかつあさくらです。
行列を覚悟していましたが、すんなり入店。まあ、かなり不便な場所ですからねえ。 -
カウンターに座って、お待ちかね。トンカツが出てきましたよ~
うーん。なるほど、これは驚愕のうまさじゃないですかあ。 -
イチオシ
低温で揚げているんでしょうが、この食感はロースハムみたいに均質の柔らかさ。それでいて、レアのステーキのようなムニュッとした瑞々しい肉の感覚もありますよね。
脂身までおいしいとかいろんなとんかつがありますが、そんなものはどっかに飛んで行ってしまって、とにかくこの繊細で滑らか。濃厚ではないが十分にうまみのある上質な味わいははるか別次元のものでしょう。 -
とんかつのうまさはもうここまでだよねという私なりの既成概念を見事に打ち砕いてしまうとんかつ。この感覚を忘れないように、しばらくは他でトンカツを食べたくない。そんな思いにさせてくれる驚愕のとんかつでした。
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ここまで歩いて来た甲斐がありました。
旅はこうじゃないといけませんね。 -
さて、今夜の宿は名古屋のニューローレンホテル。名古屋駅から歩いて15分ほど。ここなら明日名古屋駅に向かう際、柳橋中央市場に寄ったりもできるでしょう。
名古屋の中心部に近いのに、値段はリーズナブル。受付もしっかりしているし、部屋とかもビジネスホテルとしては至って普通。とってもお得感がありました。
これで二日目は終了。明日は久しぶりの常滑です。
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