2017/11/24 - 2017/11/24
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ドクターキムルさん
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円応寺と禅居院との間には尾根が伸び、山ノ内と扇ガ谷2、3との境界線上の尾根道から、この円応寺と禅居院との間にある尾根から見える景色は?と山ノ内に大きく足を踏み入れたはいいが、この尾根からは見るべきものはなかった。それどころか境界線上の尾根道に戻ろうと引き返したが、どうやら別の尾根道に踏み入れてしまった。さらに引き返してみたが、目的の尾根道は見付からない。仕方がないのでこの尾根を進むことにした。
尾根からは住宅の屋根やお堂やお寺の屋根も見えるがどこなのかが見当が付かない。それでも尾根道を次第に下っているのであるから平地に下りられるだろうと安易に思い、尾根を進むが、馬の背のような尾根道は次第に狭まり、しかも崖が切り立った断崖絶壁である。さらに尾根は狭まり数mしかない。もう両側に住宅の屋根が見えるのだが、どちらの側も切り立った崖で下りられそうな場所はない。さらに尾根が2、3mに狭まったところには家庭用のアンテナケーブルが引かれている。確実に住宅からここに上ってこれる場所があるはずだと探すがそれらしい場所がどこにもない。とうとう尾根の先端に辿り着いたがここも断崖絶壁である。三方が断崖絶壁の尾根?見当が付かない。
円応寺から扇ガ谷2と3との境界線上の尾根道を通って浄光明寺の黄門墓に出る山道は二、三度通ったことがあるが、それではないが、一体どこにこんな尾根があるというのだ。次第に日が傾いてきたのでもう山を下りないことには大変なことになる。尾根の先端から引き返すことにした。
来た道を引き返すと右側の谷戸の民家が切れ、断崖絶壁は左側の谷戸だけとなり、相変わらず住宅の屋根が見える。その先に見えるのは竹林だ。竹林なら必ず平地に出られるはずと思い、竹林の急な斜面を竹に捕まりながら下りた。竹林の上は浄智寺由来の四方竹であるが、麓は孟宗竹であったので驚いた。下りた斜面の少し上には何やら横穴のようなものも見える。
ようやく竹林を出ると広場で、ゴミを燃やした跡がある。民家の裏の空き地に出たのだ。ここから道路に出るのにはこの民家の玄関先から門を出るしかない。
玄関先まで来て道路を見るとやぐらとトンネルがあるではないか。「ああ、ここか。」溜息を漏らし、立っていると、後ろの家の玄関から、「どなたですか?」とこの家の奥さんから声を掛けられた。「山で尾根を間違えてしまい、先に進んだのですが、三方が断崖絶壁で下りられず、戻ると竹林があったので、ここからなら下りられると思い下りてきたのです。」「見るとあのトンネルがあるところではないですか。」「私の家のトンネルの写真が載っているのを見て驚いたことがあります。やぐらの写真を撮っている人ですね。」確かに「亀ヶ谷やぐら群(鎌倉市扇ガ谷3)」(https://4travel.jp/travelogue/10647488)の表紙になっている。日が暮れ始めたのでお暇した。
翌日の昼過ぎに開花したばかりの横浜タンポポと鎌倉タンポポの鉢を担いで、昨日のお詫びに訪れた。鎌倉タンポポと横浜タンポポの起源を説明し、鎌倉タンポポはこの山の先の禅居院の裏山の尾根道に一株だけ発生したタンポポで、多少標高が違うだけなので環境は問題がないことも話した。奥さんは「え、頂けるのですか。」と驚いた。「昨日のお詫びですから。遠慮なさらずに。」
タンポポを奥さんに渡し、お暇した。
なお、トンネルは戦前に掘ったもので、見るとやぐらを掘り進んで亀ヶ谷側に通したものだ。この家には亀ヶ谷から鉱泉の源泉が引かれ、竹林の上に2つのトンネルがあるが、そこに源泉を通しているのだという。そうした理由で亀ヶ谷側と行き来するためにトンネルを掘ったのだという。また、亀ヶ谷にある今のコートハウスは温泉宿香風園の跡に建てたマンションで、鉱泉の源泉は下の家が引き取っていると聞いた。香風園は川端康成が逗留して「千羽鶴」を書いた宿である。かつては亀ヶ谷のこの地は「かなめ山温泉」と呼ばれ、養気園など4軒ほどの温泉宿があったのだという。現在は「田中智学師子王文庫趾」の石碑が建っているだけであるが、獅子王文庫(日蓮学者・田中智学邸)はやがて香風園の名をひく老舗旅館としてしばらくあったようだ。その源泉が私が迷った尾根を挟んで2ヶ所残っているということのようだ。
(表紙写真は扇ガ谷と亀ヶ谷を結ぶトンネル)
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やぐら。
「巨福呂山中から亀ヶ谷坂へ」(https://4travel.jp/travelogue/10616000)でやぐらやお花畑を紹介したが、その時に見たやぐらではないようだ。 -
崖。
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崖。
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山道のような。
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今来た尾根道から右折してこちらの尾根に向かう。
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倒木だらけだ。
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切通風。
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切通風。かつての巨福呂坂切通から亀ヶ谷坂切通に向かう旧道の跡であろう。
この辺りに戻ろうとしていた尾根道があったはずなのだが…。 -
元の尾根道をさがして尾根道を進む。
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尾根の傍らの崖。
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尾根の傍らの崖。
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尾根の傍らの崖。
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切通風に尾根が切られている。
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さらに尾根を進む。
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両側が崖の狭い馬の背のような尾根道。
こんな狭い尾根が鎌倉にあるとは。一体どこだ。 -
尾根道。
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尾根道が少し下っている。
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切通風。
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尾根の先の崖。
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尾根の先は崖。
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尾根の先は崖だ。
また引き返し、先ほど見た竹林からなら山から下りられるだろうと、民家が切れる奥の竹林から竹にしがみつきながら急な法面を下りると、広い空地があり、かたわらにゴミを燃やす場所がある。民家の裏庭に下りられたのである。 -
扇ガ谷と亀ヶ谷を結ぶトンネル。
2棟建つ民家の間の玄関先を通って門まで来ると、何と見覚えのあるトンネルがあるではないか。
このトンネルを見て初めて扇ノ井がある谷戸の奥にいることを理解できた。
聞きそびれてしまったが、この民家の裏の広い空地は温泉(鉱泉)宿の跡だった可能性がある。客はこのトンネルを潜っても来訪したとすれば理解しやすい。 -
並んでやぐら。
この家の竹林から山を下りてきた人は私で3人目だという。他には里見とん氏もいたという。 -
扇ノ井がある本田家のやぐら(https://4travel.jp/travelogue/10605425)。迷い込んだ尾根はここが終点だ。見ての通り切り立った崖だ。
大正期の地図(http://www.mlit.go.jp/singikai/infra/city_history/historic_climate/koto/2/images/shiryou2-1.pdf)には飯盛山からの2つの尾根が浄光明寺と扇ノ井に伸びている。また、円応寺南の尾根が鶯谷山で、飯盛山から鶯谷山を経て冷泉為相墓(藤谷黄門墓)に至る。カナメ(扇の要の意か?扇ガ谷の町内を扇の形に見立てているだけではなく、半開きの扇を尾根と谷戸に見立てているとしたら風情を感じることができようか。)山は、円応寺と禅居院との間の尾根(私が道に迷った場所)か、禅居院西の亀ヶ谷坂切通の峠に連なる尾根のいずれかの頂き(山頂)の山の名であろうか。いずれの山頂も町の境界線が通っている。
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