![以前から訪れようと思っていた、大船観音寺。電車の窓から眺めることはよくありましたが、いつでも行けると思い、なかなか行けなかったので、大船フラワーセンター、遊行寺と巡りました。<br />大船観音寺、龍寶寺とも予想以上に見どころがあり、やはり実際に訪れてみないといけませんね。<br /><br />5月の大船・藤沢(後半)☆大船フラワーセンター・清浄光寺(遊行寺)☆2024/05/17<br />https://4travel.jp/travelogue/11905633](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/90/51/650x_11905111.jpg?updated_at=1716776953)
2024/05/17 - 2024/05/17
1548位(同エリア7102件中)
杏仁豆腐さん
以前から訪れようと思っていた、大船観音寺。電車の窓から眺めることはよくありましたが、いつでも行けると思い、なかなか行けなかったので、大船フラワーセンター、遊行寺と巡りました。
大船観音寺、龍寶寺とも予想以上に見どころがあり、やはり実際に訪れてみないといけませんね。
5月の大船・藤沢(後半)☆大船フラワーセンター・清浄光寺(遊行寺)☆2024/05/17
https://4travel.jp/travelogue/11905633
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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大船駅から大船観音寺をめざします。
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大和橋を渡ります。柏尾川が流れます。
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大和橋から大船観音が見えます。
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坂を上ります。けっこうな急坂です。
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大船駅から徒歩約5分で到着です。
山門です。
昭和60年に建立されました。
参拝料を箱に入れます。 -
原爆の火の塔
福岡県星野村出身の山本達雄氏は、原爆投下後の広島の叔父宅でくすぶっていた残り火を自宅に持ち帰り、この火を護り続けてきました。昭和41年、新聞にこの事実が報道された結果、昭和43年8月、「原爆の火」は、星野村役場前の「平和の塔」に移されました。
被爆45周年にあたり、大船観音寺の境内に平和の塔から分火されたものが、この原爆の火だそうです。 -
原爆慰霊碑
昭和45年4月18日、神奈川県原爆被災者の会が、「原爆犠牲者慰霊碑」を建立しました。慰霊碑に爆心地の西蓮寺から地蔵尊の土台石、長崎の浦上天主堂からも石が寄贈され、それぞれの被爆石は千羽鶴が刻まれた筏にのせられ、その台座には被爆者が平和の丘に向かう姿が描かれています。 -
被爆二十五周年記念 慰霊碑 一九七〇年(昭和四十五年)完成
この慰霊碑は、神奈川県の原爆死没者の霊を合祀し、みたまを慰めるために、県下在住の被爆者が「財団法人大船観音協会」の関係者(代表五島慶太氏)のご好意により、この地に慰霊碑を建立することができました。
慰霊碑は、広島・長崎の爆心地の石及びビキニで被爆した第五福竜丸の遺品を添え千羽鶴を刻んだ橇に乗せ、被爆者が平和の丘に向かう姿を表しています。
この慰霊碑の地蔵土台石(二〇〇kg)は広島の爆心地の西蓮寺から、被爆石(五〇kg)は長崎の浦上天主堂から、碑内に納められたケロイド状の瓦は広島原爆資料館から寄贈されたものです。
慰霊碑のカロートには亡くなられた被爆者の氏名を刻んだ御影石の名札が納められています。 -
碑誌
「第二次世界大戦の末期、一九四五年八月六日午前八時十五分広島 九日午前十一時二分長崎に米軍機により投下された原子爆弾は、一瞬の閃光とともに両市を壊滅させ数十万の人びとを殺傷しました。
慰霊碑は、県下の原爆死没者の霊を合祀し、みたまを慰めるために 生き残った県下在住の被爆者が、放射能障害とたたかいながら、一九七〇年四月末被爆二十五周年を記念して建立しました。
平和祈念塔は、核戦争の危機を憂い、すべての核兵器の廃絶と世界の恒久平和への切なる被爆者の願いを永久に銘記するために、一九八五年八月末被爆四十周年に、ここ大船観音境内に建立したものであります。
一九八五年八月吉日
神奈川県原爆被災者の会」 -
戦没者慰霊碑
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山門から境内を右に進んで階段の前に来ると、観音様の姿が。
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観音様の正面に来ました。
観音像の大きさは高さ約25m、幅約19m。 -
縁結びの木
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大船観音の胎内に入りました。
観音胎内の観音像です。 -
千羽鶴
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千体仏
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慈愛に満ちた表情。
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大船駅が見えます。
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慈光堂
社殿の中には、一木造の観音様「聖観音立像」が安置されています。平安時代後期に作られた、貴重な観音像です。お正月の三が日に限って御開帳され、その姿を拝むことができるそうです。 -
子育地蔵尊
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延命地蔵尊
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大船観音寺を出て、龍寶寺に向かいます。
途中にある、玉縄首塚由来(怨親平等おんしんびょうどう)
今から473年前の1526年11月12日に、南房総の武将里見義弘(さとみよしひろ)が鎌倉を攻め落とそうと進軍し、鶴岡八幡宮に火を放ち鎌倉内に乱入しました。このことを知った当時の玉縄城主北條氏時(うじとき:早雲の孫)は、 大船甘糟(あまかす)と渡内福原の両軍と協力して里見の軍勢をこの戸部川辺にて迎え撃ち、合戦すること数回にして敵を打ち破り鎌倉を守りました。この合戦において甘糟氏以下35人は戦死し、福原氏は傷を負い、里見軍の死者は数がわからないほどでした。 戦闘が終わった時、城主の氏時は敵と味方の首を互いに交換し、これらを葬(ほおむ)り塚を築いて塔を建てました。そして郷里を死守した霊を慰めると共に、怨親(おんしん:敵味方)平等という考え方の例としました。 これを玉縄首塚とよんでいます。 経云我観一切普皆平等(お経には、すべての人は敵味方なく皆絶対平等であると説いております)。 -
1526年(大永6年)、安房の里見実堯が鎌倉に攻め込みました。
玉縄城の北条氏時(北条氏綱の弟)がこれを迎え撃ち、戸部川(柏尾川)付近で激しい戦闘となりました。
この戦いで両軍ともに多くの戦死者を出しました。
氏時方では甘糟氏をはじめとする30数名が里見軍に首を取られました。
合戦後、氏時は、里見方に申し入れて、互いに討ち取った首を交換し、この地に葬ったのだと伝えられています。
塚に聳える榎は、このときに植えられたものと伝えられ、「甘糟榎」と呼ばれています。
塚も「甘糟塚」と呼ばれていたが、現在は「玉縄首塚」と呼ばれる。 -
この先に龍寶寺があります。
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龍寶寺(りゅうほうじ)に着きました。
龍寳寺は曹洞宗永平寺派の名刹、玉縄城主の菩提寺です。
山門です。江戸時代元禄年間の建築だそうです。 -
山門の扁額は「陽谷山」
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團野功雄の歌碑
「いぞそらは 吾が身散るとも 我が心 堅く護らん 皇孫の國 功雄」 -
福徳稲荷堂
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本堂
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本堂の扁額「龍寶寺」
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玉縄北条氏供養塔
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本堂裏のお堂へと続いています。
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訪れる人も少なく、緑に囲まれ、静かです。
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山門を入ると、右手に玉繩民俗資料館があります。
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1、2階には、化石や縄文・弥生期の出土品、玉繩城の模型、農機具、生活用品などが展示されています。
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2階です。
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資料館を出て、奥に進むと、旧石井家住宅があります。
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重要文化財旧石井家住宅
「石井家は後北條時代の地侍から発したと伝えられる旧家で、近世はこの地の名主をつとめて
きたと云う。この住宅は桁行七間半、梁間五間の規模をもった農家で「四方下家造り」の
構造からなり、平面は「ひろま」の奥に「でい」と「へや」が配される「三間取り」である。
「ひろま」の前面にしし窓をを付け、「でい」「へや」廻りも土壁塗りで閉鎖的で古式が
感ぜられ、恐らく江戸中期の初頭を下らない頃(元禄時代)建立であろう。
石井家住宅は鎌倉から甲州に至る甲州街道筋である鎌倉市関谷1575(倉骨)にあったが、
近年に至り建物が老朽化し取り壊し建替することを菩提寺である龍寳寺の住職が、これを惜しみ、
同寺に寄贈をうけて、境内に移築保存となったものである。
この住宅は神奈川県下に例の多い「三間取り四方下家造り」農家の典型で様式手法より見て
十七世紀の後半頃のものと推察される。建築後の経過については明らかでないが、後世は生活の
便宜から諸々に改造の跡も見られたが、しかし側柱、内部柱等の主要材のほとんどは当初のまま
遺存して今日に至ったものである。
昭和四十四年六月二十日重要文化財に指定されて、昭和四十五年一月一日修理の工を起し、
国庫補助金及び県費並に市費の補助金を得て工期九ヶ月をもって修理を行った。
前述移築工事のため重要な建設位置の設定を初め、建物の解体と同時に入念に実測調査を行い、
更に修理に先だち解体材の調査と後世改変の痕跡調査をして明確な資料にもとづいて文化庁の
許可を得て現状変更を行ない、出来る限り当初の様式に復元整備した。」 -
旧石井住宅の前には、貴重な物が展示されています。
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踏柄臼
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石井家は後北条時代の地侍で、近世では名主をつとめていたそうです。
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旧石井家の住宅は、鎌倉市関谷にありましたが、石井家の菩提寺である龍寳寺の当時の住職が寄贈を受けて境内に移築し保存しています。
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五月人形が飾ってあります。
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兜
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この建物は、神奈川県に多い「三間取り四方下家造り」と呼ばれる典型的な農家の造りで、元禄期の頃の住宅と考えられているそうです。
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電器の笠もレトロ
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龍寶寺の近くの「蕎麦 ふる川」でランチです。
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ランチのミニ野菜天丼とせいろ蕎麦のセットをいただきました。
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揚げたての野菜天ぷら
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石臼で荒く挽いた完熟そば粉を使用しているそうです。
美味しい蕎麦でした。
お腹も満たし、午後は大船フラワーセンターからスタートです。
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