
2017/09/28 - 2017/09/30
435位(同エリア1619件中)
naoさん
旅の行程
9月28日 郷原宿、村井宿
9月29日 松本、会田宿、稲荷山宿
9月30日 戸隠
長野県松本市は松本城の城下町として、また、善光寺街道の宿場町として発展した町で、城の北側には武家屋敷を置き、城の東から南を流れる女鳥羽川周辺に町人町を整備する町割りが行われました。
城下町の外堀の役目を担っていた薄川に架かる栄橋を渡り、町の南側から松本城下に入った善光寺街道は、博労町から本町へと北上して大手橋の手前で東に折れ、しばらく中町を東に進んだ後、北へ向きをかえて女鳥羽川にかかる大橋を渡って東町に入り、和泉町、安原横丁を経て萩町で城下を抜け岡田宿へと続いています。
かつての松本城下には、この善光寺街道に沿って南から順に、本町、中町、東町の三つの町があり、これらは町人町の中核をなしていたので、「親町三町」と呼ばれていました。
南北の通りの本町には、本陣と問屋場を兼ねていた倉科家、藩の公の施設で脇本陣にあたる使者宿の中村家、飛脚問屋の近藤家などがありました。
また、千国街道や野麦街道などの起点となる交通の要衝だった本町は、現在の松本郵便局の場所に領内の産物を統制保護する藩の産物会所があり、各地からの様々な物資の集散地となっていました。
大手橋(現在の千歳橋)の手前で東に折れた東西の通りの中町には、旅籠屋、造り酒屋、呉服問屋、塩問屋、肴問屋などの商家が連なる町人町でしたが、明治11年(1878年)の大火で大半が消失したため、現在の松本の顔ともいえるナマコ壁も鮮やかな土蔵造りの町並みとして復興されました。
中町東端の国道143号線の交差点で北に曲がり、女鳥羽川に架かる橋を渡った先にある東町も、中町と同様に旅籠屋や商家が連なる町人町でした。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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宿泊したホテルに用意されていたレンタサイクルをお借りして、善光寺街道の南側から町歩きを始めます。
こちらは松本市の汚水枡の蓋。
伝統民芸品である「松本 手まり」がモチーフになっています。 -
江戸時代の松本では、城下町の東西南北の入り口に木戸を設けるとともに、「十王堂」を置いて魔除けにしたと伝えられています。
こちらは、城下町の外堀の役目を担っていた薄川付近に設けられた南の出入口に置かれた、旧博労町の「十王堂」の跡地です。 -
現在、お堂や十王像は失われていますが、寛永・貞享・元文といった古い年代の石造物などが残されており、人々が厚く信仰してきたことが知られます。
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これは小ぶりの汚水枡の蓋です。
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白漆喰塗籠めにナマコ壁をあしらった町家です。
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下屋を受ける柱の頂部には、縁起物の鏝絵が浮き上がっています。
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善光寺街道沿いの、博労町と本町の境に架かる緑橋。
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ちなみに、この緑橋には以下のような伝説が残されています。
『徳川家康から大坂夏の陣に参陣を命ぜられた松本城主小笠原秀政は、長男忠脩と次男忠政を伴って出陣します。
この橋のたもとまで見送りにきた忠政の乳母が、出陣する忠政の袖にすがって離さなかったため、袖を切り落として出立して行ったことから、以後、この橋は「袖留橋」と呼ばれるようになった。』 -
こちらは、歴代の松本城主から本陣と問屋をまかされていた倉科七郞左衛門家の跡地です。
明治5年(1872年)には、この地に「松本郵便取扱所」が設置されました。 -
それを記念して、現在は「松本郵便局発祥の地」の記念碑として、飛脚のブロンズ像が立てられています。
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善光寺街道を北に進んだ歩道に立っているのは、松本市の発展を願って、商売繁盛で知られるえびす様を彫り込んだ「ほんまちえびす」の石像です。
石像には、「左 松本駅」、「右 松本城」と刻まれ、現在の道標をも兼ねています。 -
善光寺街道と野麦街道の分岐点、かつ、千国街道の起点となる交差点に立てられた道標。
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こちらは牛つなぎ石です。
これは、本来道行く人々を守る道祖神として祀られたものですが、『敵に塩を贈る』の逸話で知られる、越後の上杉謙信が敵対する甲斐の農民や町人を救うため武田信玄に塩を送った時に、塩を運んできた牛をつないだと言われている伝説の石です。
明治時代以降には、富山から鰤を運んだ牛や、新潟から塩を運んだ牛をつないだとも伝えられています。
では、ここで善光寺街道と別れて、高砂通りへ向かいます。 -
高砂通りにやって来ました。
東西方向に延びる高砂通りには、白漆喰塗籠めの風情ある町家が連なっています。 -
こちらは結納用品などを扱うお店です。
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こちらは土蔵造りの町家を活かしたカフェ。
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和洋折衷の町家がありました。
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こちらは、『善光寺道名所図会』に当国第一の名水と記載されている「源智の井戸」で、城下町が形成される以前から飲用水として使われていました。
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今もこんこんと水が湧き出すこの井戸は、中世以来この地に住居を構え、天正年間(1573年~1592年)に小笠原貞慶の家臣だった河辺縫殿助源智の名をとって「源智の井戸」と呼ばれるようになりました。
次は、善光寺街道沿いに延びる中町通りへ向かいます。 -
中町通りの東の入り口にやって来ました。
西側から中町通りを進んできた善光寺街道は、ここで北(右)に進路を変え、東町へ向かいます。 -
東西方向に延びる中町通りは、主に造り酒屋、呉服問屋、塩問屋などが集まる商人町として繁盛してきましたが、明治11年(1878年)の大火で大半が消失してしまいました。
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この経験から、現在の中町通りには耐火性の高い土蔵造りの町家が軒を連ねる、風情あるナマコ壁の町並みが復興され、松本の顔として一種独特の雰囲気をたたえています。
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店名から判るように、こちらは民芸品や工芸品を扱うお店です。
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路地から見た中町通りの町並み。
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土蔵造りを基本的なコンセプトにして復興した町並みは、どこか統一感を感じます。
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上層階の竪格子のアクセントに使った紅色が、この町家の外観を引き締めています。
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中町通りにも、松本市が運行するコミュニティーバス「Town Sneaker」の停留所がありました。
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一ツ橋小路と名付けられた路地から見た町並みの様子。
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「松本 手まり」が白塗りになった松本市の汚水枡の蓋。
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真っ赤な郵便ポストもこの町並みに溶け込んでいます。
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黒ずくめの町家は、世界中の手工芸品を扱うお店です。
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古い民家の格子戸をお店の玄関戸として再利用した日本料理のお店。
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こちらは中町通りのシンボルとなっている「中町・蔵シック館」です。
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「中町・蔵シック館」は、大禮酒造さんの母屋、土蔵、離れの3棟を移築したもので、軒先には新酒が出来たことを知らせる杉玉が吊られています。
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中心となる母屋は明治21年(1888年)に建てられたものだそうです。
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移築にあたっては、部分的に新しい材料に変えられているそうですが・・・
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吹き抜けになっている土間上部の豪快な梁組は・・・
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建築当時のまま復元されているそうです。
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土間の壁には、土壁ができあがるまでの作業工程が判る実物見本が展示されています。
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2階から見下ろした土間上部の梁組。
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これは梁組の上部で屋根を支える小屋組。
屋根には天窓が開けられています。
では、町並みへ戻ります。 -
大きな看板を掲げた漆器屋さん。
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こちらの黒ずくめの町家は、カレー屋さんです。
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中町通りを西に抜けた角に立っている善光寺街道の道標。
私は矢印の方向とは逆の、東側から歩いて来ました。
ここで北へ折れて、道標に刻まれた大町街道を進みます。 -
女鳥羽川に架かる千歳橋から見た光景。
縄手通りに連なる町家の背中側が見えています。 -
縄手通りです。
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今度は映画やドラマの撮影に使われている幸橋からの光景です。
見えているのは四柱神社の大鳥居です。 -
幸橋から見た縄手通りの町家の背中。
表側の町並みも良いんですが、女鳥羽川からの眺めも捨てたものではありません。 -
縄手通りに戻って来ました。
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こちらのお店は美味しいことで評判の鯛焼屋さん。
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縄手通りの光景です。
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雨水桝の蓋にも「松本 手まり」があしらわれています。
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恐る々々こちらを窺うかわいい猫ちゃん。
縄手通りを外れた小路で出会いました。
では、大手の町並みへ向かいます。 -
かつて松本城主の辰巳御殿があった所には、「辰巳の御庭」と名付けられた公園が整備されています。
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石組から自然の名水がこんこんと湧き出ています。
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大手の町並みです。
この手前に「東門の井戸」があるんですが、この日は改修工事中でした。 -
こちらの土蔵造りの町家は、何と、エステサロンなんだそうです。
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こちらは和菓子屋さん。
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屋根に雀おどしが付いたこちらの町家は、郷土料理のお店です。
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雰囲気のあるこの町家は染物屋さん。
ちなみに、染物屋さんの手前側が南北に延びる善光寺街道で、この辺りはかつての東町にあたります。 -
染物屋さんの角を東に入ったところにある町家。
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こちらは田楽屋さん。
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この洋館は建築設計事務所が使っておられます。
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こちらは酒造りに使われている「女鳥羽の泉」。
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こちらは懐石料理のお店です。
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この風格は、懐石料理屋たるにふさわしいですね。
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かつての松本城のお濠に浮かぶこちらはお食事処です。
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メニューは揚げもの主体ですが、店名の通り「牡蠣」を使った料理が評判なんだそうです。
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ところでこちらのお店、店内を人が歩くと揺れるんだそうです。
やっぱりお濠に浮かんでるんですね。 -
メルヘンチックなこの洋館は耳鼻咽喉科のお医者さんです。
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でも塀は純和風。
このミスマッチが面白いかも・・・! -
こちらは池上百竹亭です。
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池上百竹亭は、松本で呉服商を営んでいた故池上喜作氏が多くの文人と交流を深めた旧邸で、ご家族から寄贈されたのを契機に、松本市が住居、茶室、庭園などを整備し、文化施設として活用されています。
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日本の伝統を伝える露地や竹林が醸し出す閑静な美しさ。
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露地を抜けた先に佇む数寄屋造りの茶室。
では、次へ向かいます。 -
高橋家住宅に差し掛かりました。
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松本市内に現存する数少ない武家屋敷のひとつ高橋家住宅は、松本藩が藩士の住まいとして所有していた建物です。
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故高橋桂三氏から平成16年に寄贈を受けた松本市は、古文書に記載されている間取り図を基に、幕末の頃の姿に復元・修理されました。
平成21年からは、松本藩士の生活の様子を伝える博物館として運営されています。
今回、二度目の訪問となった松本ですが、新しい発見もあったりして、前回にも増してその魅力が認識できたように感じました。
ひょっとすると、再々訪するかも!
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