2017/09/28 - 2017/09/30
50位(同エリア115件中)
naoさん
旅の行程
9月28日 郷原宿、村井宿
9月29日 松本、会田宿、稲荷山宿
9月30日 戸隠
古くから善光寺平と称されてきた長野盆地の南端にある長野県千曲市稲荷山は、市域を南北に縦貫する千曲川の西岸に位置する町で、天正10年(1582年)頃に築かれた稲荷山城の西側に城下町が形成されていました。
慶長3年(1598年)の廃城の後、慶長19年(1614年)に中山道の洗馬宿と北国街道の篠ノ井追分を結ぶ善光寺街道(北国西往還)が整備されると、本陣や問屋場のある北信濃最大の宿場町として機能するようになりました。
弘化4年(1847年)に発生した善光寺地震とその後の火災により壊滅的な被害を被った稲荷山は、震災復興以降、次第に商家町としての性格をもつようになり、生糸や繊維製品の集散地として繁栄しました。
町並みの中ほどに桝形のある街道に沿って短冊形に配置された敷地には、街道に面して主屋が建てられ、その背後に土蔵や附属屋が建てられています。
現存する町家は、弘化4年の震災以降に建てられたもので、白漆喰塗籠めの厨子二階建てが主流を占めていますが、明治時代中期以降、商家町として繁栄していた頃の名残も留めており、本二階建ての重厚な土蔵造りの町家や白壁の土蔵が建ち並ぶ、見応えのある町並みを見ることが出来ます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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会田宿から稲荷山宿へ向かう山越えの途中で見た風景で、写真中央部を流れるのが千曲川です。
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目指す稲荷山宿はこちらの方角になります。
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ちなみに、手前に見えている棚田は「姥捨の棚田」です。
行き掛けの駄賃です、ちょっと覗いて行きましょう。 -
田毎の月で知られる「姨捨の棚田」は、「日本三大車窓」の一つと言われています。
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この時期、「姨捨の棚田」では稲刈りが行われています。
次回は、田植えが終わった直後の「田毎の月」の頃に訪れたいですね~。 -
善光寺街道、稲荷山宿にやって来ました。
町並みにある空き地の所有者の方にお願いして車を停めさせてもらい、町の南端まで戻って町歩きを始めます。
これは稲荷山宿の南端に立っている「分去れの道標」です。 -
千曲市の汚水枡の蓋。
千曲市として合併する前の、更埴市の木「アンズ」の花と実及び鮭がモチーフになっています。 -
稲荷山宿の建物は、土蔵造りの町家が特徴だと言われ・・・
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今も町並みには風情ある町家が軒を連ねています。
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こちらの町家の南側(右手)には、かつて上田藩の番屋があったと言われています。
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現在は鉄板で覆われていますが、かつては茅葺屋根だっただろうと思われる町家。
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1階を現代風な店舗に改装されていたり・・・
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看板を上げたりされていますが、決して土蔵造りの面影は損なっていません。
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落ち着いた佇まいに改装された酒屋さん。
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2階の戸袋を漆喰塗籠めにされている町家。
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国道403号線沿いの町家の隙間から、煙出しの越屋根のある大きな屋根が見えています。
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国道403号線の稲荷山交差点です。
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信号が青になったので、横断歩道の中ほどから稲荷山宿の北側の町並みを見た光景です。
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こちらの町家は金物屋さんです。
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こちらは、先ほど見えていた煙出しの越屋根のある大きな屋根のある町家です。
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この町家の東側(左手)に稲荷山宿の本陣跡などがあるので行ってみます。
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稲荷山城址の石碑。
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こちらが稲荷山宿の本陣と問屋を兼ねていた松木家です。
冠木門を構えた堂々とした佇まいはさすがです。
では、町並みに戻ります。 -
この辺りに高札場があったようですが、今はありません。
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こちらのお店はお茶屋さん。
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こちらは、稲荷山地区活性化プロジェクトの一環として、毎月8のつく日に行われている朝市の会場になっている町家です。
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2階に面白い窓のある町家です。
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ガラスの種類を変えて、窓の表情に変化を付けています。
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こちらの薬局には、歴史を感じさせる看板が掲げられています。
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嵌め込み式の格子をしつらえた町家。
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こちらの町家の妻側の庇は、全て持ち送りで支えています。
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この辺りは大きな桝形になっています。
町角には、毎月8のつく日に行われる朝市の「お知らせ」が張られています。 -
荒壁状の土蔵造りの町屋には・・・
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「官許清明丹」と彫られた古い看板が掲げられているので、こちらの町家はかつて薬を商っておられたようです。
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桝形の先で稲荷山宿の北側に延びる町並みです。
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千曲市として合併する前の、かなり小ぶりの旧更埴市の汚水枡の蓋。
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「官許清明丹」と彫られた古い看板が掲げられていた町家は・・・
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この倉庫棟も含めて・・・
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この一角に広大な規模の敷地を占めています。
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こちらは、一般的な口径の旧更埴市の汚水枡の蓋です。
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巨大な鬼瓦が大屋根でふんぞりかえっています。
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こちらの重厚な町家は、県下屈指と言われた呉服商のお宅です。
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町並みに面して土蔵が見えていますが、敷地内には全部で8棟の土蔵が建っているそうです。
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この町家の鉄板葺の屋根は、鱗のような模様を見せています。
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ここまでの町並みを振り返ったところです。
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2階に袖壁のある町家。
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こちらは「稲荷山宿 蔵し館」です。
幕末から明治時代にかけて、生糸の輸出を生業としていた商家を再生したもので、稲荷山の民俗的資料などを展示しています。 -
「稲荷山宿 蔵し館」の真向かいにある町家です。
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格子の内側一面に大きな絵が飾られています。
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稲荷山宿の町並みを振り返った光景です。
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この町並みには珍しい町家が隣り合っています。
どちらもかつては茅葺屋根だったんでしょうね・・・。 -
そろそろ稲荷山宿の北端が見えてきました。
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こちらは旧料亭と呼ばれている建物です。
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賑やかなりし頃には、三味線の音が絶えなかったそうです。
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この先で二股に分かれている善光寺街道の角にある、一里塚跡に道標が立っているようなので行ってみます。
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ナマコ壁を施した土蔵造りの町家が連なっています。
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こちらが一里塚跡に立っている道標で、「右 東京並屋代道」、「左 せんこうし道」と刻まれています。
なんでも、善光寺詣りに行く人々がこの二股で道を間違えて屋代道の方へ行く人が多かったので、見るに見かねて地元の方が個人で立てたんだそうです。
何とも良い話が残っているじゃありませんか。 -
北信濃最大の宿場町として、また、生糸や繊維製品で繁栄した商家町としての歴史を紡いできた稲荷山宿では、今も本二階建ての重厚な土蔵造りの町家が建ち並ぶ、見応えのある町並みを見ることが出来ました。
では、今宵の宿へ向かいます。
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