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若草山から,手向山八幡宮をとおり,三月堂の前から二月堂へ.二月堂から奈良の景色を見せる.そこから大仏殿に 大仏殿はいつの頃からか撮影可<br />別のフィンランド人の友人と来た際のブログ<br />フィンランドの友人家族と熱海・京都・奈良旅行7-東大寺大仏殿,ナチュラルキッチン ネロ,帰京<br />https://4travel.jp/travelogue/10884874<br />に桜と東大寺の美しい風景のブログがある.今日は曇り一時晴れの天気,光が拡散してしまう.<br />東大寺ミュージアム,奈良国立博とまわった.今考えてみると東大寺ミュージアムの代わりに三月堂か戒壇院か奈良博の源信展かいずれかにいけばよかったとおもう.しかしフィンランド人の二人ともじっくりと鑑賞するのでとても時間がかかる.しかしこのゆっくりもいい.<br />Cafe Luceでランチ.他の店がどこもいっぱいで入った店だが,スパゲティがアルデンテで,ソースもおいしかった.かき氷で有名らしいがとてもいい店だ.覚えておこう!1440にホテルに帰って,一度休憩することにした.暑い中0730出発だったのでシャワーを浴びて少し休もう.夕方は京都に祇園祭を見に行こう

2017.7フィンランドの友人と奈良・京都へ3-手向山天満宮,東大寺二月堂,鐘楼,金堂(大仏殿)など,奈良博により,Cafe Luceで昼食

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2017/07/16 - 2017/07/16

3302位(同エリア5413件中)

SUOMITA

SUOMITAさん

若草山から,手向山八幡宮をとおり,三月堂の前から二月堂へ.二月堂から奈良の景色を見せる.そこから大仏殿に 大仏殿はいつの頃からか撮影可
別のフィンランド人の友人と来た際のブログ
フィンランドの友人家族と熱海・京都・奈良旅行7-東大寺大仏殿,ナチュラルキッチン ネロ,帰京
https://4travel.jp/travelogue/10884874
に桜と東大寺の美しい風景のブログがある.今日は曇り一時晴れの天気,光が拡散してしまう.
東大寺ミュージアム,奈良国立博とまわった.今考えてみると東大寺ミュージアムの代わりに三月堂か戒壇院か奈良博の源信展かいずれかにいけばよかったとおもう.しかしフィンランド人の二人ともじっくりと鑑賞するのでとても時間がかかる.しかしこのゆっくりもいい.
Cafe Luceでランチ.他の店がどこもいっぱいで入った店だが,スパゲティがアルデンテで,ソースもおいしかった.かき氷で有名らしいがとてもいい店だ.覚えておこう!1440にホテルに帰って,一度休憩することにした.暑い中0730出発だったのでシャワーを浴びて少し休もう.夕方は京都に祇園祭を見に行こう

旅行の満足度
4.5
観光
4.0
グルメ
5.0
同行者
友人
交通手段
新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 1039 手向山八幡宮へ

    1039 手向山八幡宮へ

    手向山八幡宮 寺・神社・教会

  • 手向山は紅葉の名所として知られ、古今和歌集では菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいる。天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請された。八幡宮からの分社では第一号である。当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが、治承4年(1180年)の平重衡による戦火で焼失、建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建した。当初の鎮座地とされる梨原宮の所在地は未詳だが、奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊庭園跡庭園がその跡ともいわれる。創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立した。wikipedia<br />

    手向山は紅葉の名所として知られ、古今和歌集では菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいる。天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請された。八幡宮からの分社では第一号である。当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが、治承4年(1180年)の平重衡による戦火で焼失、建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建した。当初の鎮座地とされる梨原宮の所在地は未詳だが、奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊庭園跡庭園がその跡ともいわれる。創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立した。wikipedia

  • イチオシ

  • 東大寺側の入り口 アク君は本当に動物好きだねえ

    東大寺側の入り口 アク君は本当に動物好きだねえ

  • そして東大寺へ 法華堂 本当はこの中の仏像群見せてやりたいが,国立博にいくとなると時間がない.なにしろフィンランド人はゆっくり見学する.残念!

    そして東大寺へ 法華堂 本当はこの中の仏像群見せてやりたいが,国立博にいくとなると時間がない.なにしろフィンランド人はゆっくり見学する.残念!

  • 四月堂

    四月堂

  • 二月堂に

    二月堂に

    東大寺 寺・神社・教会

  • 旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火には焼け残ったが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。建物は2005年12月、国宝に指定された。http://www.todaiji.or.jp/contents/guidance/guidance6.html

    旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火には焼け残ったが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。建物は2005年12月、国宝に指定された。http://www.todaiji.or.jp/contents/guidance/guidance6.html

  • 大きな舞台

    大きな舞台

  • ここからの風景 四月堂が見える.遠くに大仏殿

    イチオシ

    ここからの風景 四月堂が見える.遠くに大仏殿

  • 回廊を降りる

    イチオシ

    回廊を降りる

  • 下から二月堂を撮影

    下から二月堂を撮影

  • 鐘楼  東大寺の鐘楼は、重源のあとを継いで二代目の大勧進となった栄西が再建したもの。吊られている梵鐘は国宝。梵鐘は、大仏開眼供養が行われた752年(天平勝宝4年)に製作されたもので、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385㎝、口径271㎝)。 修理銘により1070年(延久2年)と1096年(永長元年)に地震によって墜落し、1239年(延応元年)には龍頭が切れて転落しているが、その都度修理されていることが判明している。<br />http://www8.plala.or.jp/bosatsu/nara-kyoto/todaiji/todaiji-shoro.htm

    鐘楼  東大寺の鐘楼は、重源のあとを継いで二代目の大勧進となった栄西が再建したもの。吊られている梵鐘は国宝。梵鐘は、大仏開眼供養が行われた752年(天平勝宝4年)に製作されたもので、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385㎝、口径271㎝)。 修理銘により1070年(延久2年)と1096年(永長元年)に地震によって墜落し、1239年(延応元年)には龍頭が切れて転落しているが、その都度修理されていることが判明している。
    http://www8.plala.or.jp/bosatsu/nara-kyoto/todaiji/todaiji-shoro.htm

    東大寺 寺・神社・教会

  • 大きな釣鐘であるところから古来東大寺では大鐘(おおがね)と呼んでいるそうだ.

    イチオシ

    大きな釣鐘であるところから古来東大寺では大鐘(おおがね)と呼んでいるそうだ.

  • 俊乗堂 鐘楼の北側に元禄年間、公慶上人が重源上人の遺徳を讃えて「俊乗堂」を建立。堂内中央に国宝「重源上人坐像」が安置されている。俊乗房重源は、1121年(保安二年)京都に生まれ、父は紀季重。13歳で醍醐寺に入って密教を学び、1167年(仁安2年)入宋し、翌年帰国。1180年(治承4年)平重衡によって大仏殿が焼かれるなど、東大寺の多くの伽藍が焼失したが、翌年60歳を過ぎた彼が造東大寺の大勧進職に任ぜられ、10数年の歳月をかけて東大寺の再興を成し遂げた。再建に当って、大仏様(だいぶつよう)と呼ぶ宋風建築様式を取り入れ、再建の功により大和尚の号を受け、1206年(健永元年)86歳で入滅した。http://www.todaiji.or.jp/contents/guidance/guidance10.html

    俊乗堂 鐘楼の北側に元禄年間、公慶上人が重源上人の遺徳を讃えて「俊乗堂」を建立。堂内中央に国宝「重源上人坐像」が安置されている。俊乗房重源は、1121年(保安二年)京都に生まれ、父は紀季重。13歳で醍醐寺に入って密教を学び、1167年(仁安2年)入宋し、翌年帰国。1180年(治承4年)平重衡によって大仏殿が焼かれるなど、東大寺の多くの伽藍が焼失したが、翌年60歳を過ぎた彼が造東大寺の大勧進職に任ぜられ、10数年の歳月をかけて東大寺の再興を成し遂げた。再建に当って、大仏様(だいぶつよう)と呼ぶ宋風建築様式を取り入れ、再建の功により大和尚の号を受け、1206年(健永元年)86歳で入滅した。http://www.todaiji.or.jp/contents/guidance/guidance10.html

  • 1106 東大寺大仏殿に降りる

    1106 東大寺大仏殿に降りる

  • かつてあった100mともいわれる七重塔があった.平安時代に東西の塔とも消失.再建への思いを込めて作られた相輪のレプリカ

    かつてあった100mともいわれる七重塔があった.平安時代に東西の塔とも消失.再建への思いを込めて作られた相輪のレプリカ

  • 115 東大寺大仏殿に 往時よりだいぶ小さく,江戸時代までに再建

    115 東大寺大仏殿に 往時よりだいぶ小さく,江戸時代までに再建

    東大寺 寺・神社・教会

  • 金銅八角燈籠 創建当初のもの 大好きな国宝だ

    イチオシ

    金銅八角燈籠 創建当初のもの 大好きな国宝だ

  • 音声菩薩が天の音を奏でる

    イチオシ

    音声菩薩が天の音を奏でる

  • 本当に素晴らしい

    本当に素晴らしい

  • 外国人と一緒でなければまず来ない 東大寺では戒壇院と三月堂だけお参りすることが多い 正式には正式には東大寺金堂 入場料500円

    外国人と一緒でなければまず来ない 東大寺では戒壇院と三月堂だけお参りすることが多い 正式には正式には東大寺金堂 入場料500円

  • 何時の頃からか撮影ができるようになった.東大寺盧舎那仏像

    何時の頃からか撮影ができるようになった.東大寺盧舎那仏像

  • 何度も消失しているため創建の際のものは一部 <br />頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代の補修であるが、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部建立当時の天平時代の部分も残っている。wikipedia

    何度も消失しているため創建の際のものは一部
    頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代の補修であるが、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部建立当時の天平時代の部分も残っている。wikipedia

  • 蓮華座の線刻画 台座蓮弁の線刻画にはかなり当初の部分が残っている

    蓮華座の線刻画 台座蓮弁の線刻画にはかなり当初の部分が残っている

  • 虚空蔵菩薩 重要文化財。江戸時代 1726年。もう一つ如意輪観音像があるが撮影忘れた.私のブログ https://4travel.jp/travelogue/10884874に写真がある

    虚空蔵菩薩 重要文化財。江戸時代 1726年。もう一つ如意輪観音像があるが撮影忘れた.私のブログ https://4travel.jp/travelogue/10884874に写真がある

  • 広目天立像 1799年

    広目天立像 1799年

  • イチオシ

  • 創建当時の伽藍の様子 今の大仏殿より,左右に大きく,また100mの左右七重塔.さぞ壮観だったろう.

    創建当時の伽藍の様子 今の大仏殿より,左右に大きく,また100mの左右七重塔.さぞ壮観だったろう.

  • 子どもの頃やったなあ

    子どもの頃やったなあ

  • 多聞天像 1799年

    多聞天像 1799年

  • まあやっぱり世界的な名刹だね

    まあやっぱり世界的な名刹だね

  • 1137 外へ

    1137 外へ

  • 鏡池

    鏡池

  • 南大門へ

    南大門へ

  • 国宝 南大門 大華厳寺は東大寺の異称 金光明四天王護国之寺ともいう<br />天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。

    国宝 南大門 大華厳寺は東大寺の異称 金光明四天王護国之寺ともいう
    天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。

  • 1145 東大寺ミュージアムに 大仏殿との共通で800円 この場で大仏殿の券を見せたら,差額300円で済んだ

    1145 東大寺ミュージアムに 大仏殿との共通で800円 この場で大仏殿の券を見せたら,差額300円で済んだ

    東大寺ミュージアム 美術館・博物館

  • 国宝 金銅八角燈籠火袋羽目板,伎楽面などの寺宝がある.やはり近くで見る音声菩薩は素晴らしい

    国宝 金銅八角燈籠火袋羽目板,伎楽面などの寺宝がある.やはり近くで見る音声菩薩は素晴らしい

  • エントランス

    エントランス

  • 暑いためかなんと鹿が水の中に

    暑いためかなんと鹿が水の中に

  • 1215から1305まで奈良国立博物館で一般展示の仏像を見る.特別展で源信展をやっていた.地獄極楽を見せてあげたいと思ったが,時間がないので我慢我慢.一般展示だけになる.金剛寺の降三世明王坐像など好きな仏像が多い.

    1215から1305まで奈良国立博物館で一般展示の仏像を見る.特別展で源信展をやっていた.地獄極楽を見せてあげたいと思ったが,時間がないので我慢我慢.一般展示だけになる.金剛寺の降三世明王坐像など好きな仏像が多い.

    奈良国立博物館 美術館・博物館

  • ラウラが撮影した写真 どこで撮影したのだろうねえ.三条通にあるらしい

    ラウラが撮影した写真 どこで撮影したのだろうねえ.三条通にあるらしい

  • CAFE Luce グルメ・レストラン

    ランチが安い スパゲティがアルデンテでおいしい by SUOMITAさん
  • 暑いのでまずビール

    暑いのでまずビール

  • 店内

    店内

  • ランチはスープ

    ランチはスープ

  • サラダ付き

    サラダ付き

  • 期待していなかったがパスタがアルデンテでおいしい!

    期待していなかったがパスタがアルデンテでおいしい!

  • クリームソースかな これで900円 安い!この店にしてよかった!https://tabelog.com/nara/A2901/A290101/29000389/dtlmenu/lunch/<br />に詳しい案内がある.1440にホテルに帰って,一度休憩することにした.暑い中0730出発だったのでシャワーを浴びて少し休もう.夕方は京都に祇園祭を見に行こう

    クリームソースかな これで900円 安い!この店にしてよかった!https://tabelog.com/nara/A2901/A290101/29000389/dtlmenu/lunch/
    に詳しい案内がある.1440にホテルに帰って,一度休憩することにした.暑い中0730出発だったのでシャワーを浴びて少し休もう.夕方は京都に祇園祭を見に行こう

  • 奈良博の一般展示の入場券

    奈良博の一般展示の入場券

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