久しぶりの京都であれこれお手軽グルメと街歩き(二日目)~伊右衛門サロンの朝食から始まって、お昼は木屋町通りの「とくを」。勢いのある京都の人気店を心行くまで味わって、二条城から三条周辺の街歩きも軽やかです~
2017/06/16 - 2017/06/16
63位(同エリア4357件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記842冊
- クチコミ41172件
- Q&A回答431件
- 6,778,482アクセス
- フォロワー687人
昨日の歩きづめから、今日は一転。メインは木屋町の「とくを」。グルメ中心の日にしてみました。有名店というほどではないんですが、今、伸び盛りといった勢いがあるし、なにより、文句なしのおいしさ。これまで、有名老舗のランチではけっこう当たり外れがあって、痛い目にもあっていたんですが、それがみんな帳消しになって、京都の実力を改めて感じた次第。これだけでも、久しぶりの京都旅初日は意義ある一日になったように思います。
一方、この日の天気予報はイマイチだったのですが、それが急に晴れ間もあるに変わって。二条城の見物も上々。やっぱり、庭園にしろ建物にしろ晴れじゃないと、ここの美しさは出ませんからね。特に、二の丸庭園の計算しつくされた石組と池に松の緑は輝くよう。限られた場所に造りあげられた庭園ですが、遠州の世界観をじっくりと楽しみました。
-
イチオシ
まずは、伊右衛門サロンへ。これまでここは何故か縁がなかったんですよね~。今回は初訪問で朝飯をいただきます。お店に入った瞬間、ビルの広いスペースをゆったり使ったおしゃれな空間が現れて、確かにこれは人気のはずですね。京都は純和風が必ずしも京都風ではない。和洋折衷とか和にいろんなものを組み合わるのも京都風なんですが、まさにそれを体現しているお店ですね。
-
で、いただいたのは卵かけご飯。奥出雲の「ままたまご」の卵かけご飯がややイマイチだったので、ここでリベンジしたかったのですが、そうはなりませんでした。
-
卵かけご飯というメニューにはある意味限界があるのかもしれません。たぶん、卵とご飯のバランスなんですが、家で食べる時は、ご飯が残り少なくなってから卵を掛けているので、それと比べるとこういう印象になるのかもしれません。
-
ここから午前中の街歩き。最後は二条城までの行程です。
三条西殿 三条大路跡は、三条烏丸交差点の西側に石碑があります。少し古びて読みにくいですが、説明文によれば、平安後期、この辺りは高級邸宅街。三条西殿は、白河法皇、鳥羽上皇などの院政の中心となったところで、大規模な発掘調査も行われたということです。まあ、京都は掘ればどこからでも何かは出てきますので。 -
烏丸通から三条通りを少し西に行った通り沿いにある京都電信発祥の地。NTT京都支店の裏側に埋められるように設置された御影石の碑です。碑文は「京都電信電話発祥の地 この地に建つ」というシンプルなもの。京都では 明治5年の西京電信局が始まりです。
-
それと並んであるのが京都電信100年記念碑。
詳しい意味は分かりませんが、京都電話百年を記念してタイムカプセルが埋められていて。この碑はそのタイムカプセルが埋められたことを示すものでもあるようです。 -
同じエリアですが、
教諭所は、京都の庶民教育機関。一時衰退しますが、天保の飢饉の際に救済活動に従事した心学講社の援助を得て復興。経書講釈のほか、飢民救済の活動等にも力を尽くしたのが特徴だそうです。駒札が一つ建っているだけですが、幕末の京都の草の根運動といった匂いを感じさせる遺構だと思います。 -
平安京東洞院大路跡は、中京局建物の北西側。ちょっと分かりにくい場所にプレートがありました。
平安京東洞院大路は、東から数えて2番目の大路ですが、この辺りには以仁王の高倉宮もあったということ。以仁王といえば、平家打倒のさきがけとなり、頼朝の挙兵もそこから。ちょっと感慨深いものもありますね。辺りからは発掘品も多数出て、検証が行われたことも書かれていました。 -
三条通から少し下がって、これは楢崎家跡。あまり知られていないと思いますが、龍馬の妻、お龍さんの実家といわれる楢崎家です。居酒屋「球道」というお店の前に建つまだ新しげな石碑。
-
お龍の父、将作は青蓮院宮の侍医であったということですから、実はちょっとインテリの家系。一般のイメージとはギャップがあるように思います。
-
これはパン屋さんですね。
ファイブランですか。烏丸御池にもほど近い京都の中心部にあって、外観は目立たない感じでしたが、 -
イチオシ
店内に入ると奥の方にはイートインスペースがあったりして、高級感とともに余裕も感じるお店でした。
ナッツとイチジクのパンかと思ったら、それにモッツァレラチーズも仕込まれたハード系のパン。そのおいしいこと、おいしいこと。サプライズも感じられて、これは最大限の評価をしたいと思います。京都のパン屋さんもあらかた回ったつもりでしたが、こんなところにまだ名店があったとは。とっても嬉しく思いました。 -
高松殿址は、高松神明社の入口、鳥居横に石碑があります。
ちなみに、高松殿は、平安時代の邸宅。源高明に始まり、高明の娘で道長の妻となった明子が受け継ぎ高松殿と称されたもの。 -
その後、白河上皇や鳥羽上皇の院御所となったり、保元の乱では天皇の内裏で清盛らもここに集まったり。数々の歴史の重要な舞台となったすごい邸宅です。
-
ここでもう一度三条通りに戻って。
この小さなお菓子屋さんは、伊勢源六 たちばなや。三条通のお店は開くのが遅いんですが、ここは比較的早いので、ありがたい。ちょっと寄ってみましょう。 -
水ようかんをいただきましたが、このすっきりした爽やかな甘さは何でしょうねえ。なにげに素晴らしいです。京都は有名なお店じゃなくても、あれっと驚くような味に出会うことがしばしばあって、この水ようかんもそんな感じ。全然有名じゃないと思いますけど、これはうまい。太鼓判を押したいと思います。
-
ここから午前中の最後の二条城に回ります。
-
二条城は、京都における徳川の拠点。京都は秀吉贔屓の土地柄だし、徳川はその京都や関西を見限って関東に政治の中心を移したのですから、京都からすれば面白いはずはない。
-
そして、二条城は徳川幕府が朝廷や貴族連中、寺社を抑え込むための権威付け。京都に新たな文化の新風を吹き込むのではなくて、徳川は絶対京都の色には染まらないぞという強烈な自意識も感じてしまいます。
ただ、一方で京都はそれを面白くないと言える立場かというと実はそうでもない。足利政権の末期とかは足利将軍家、管領、細川家の混乱に加えて、三好長慶や松永久秀など、偏狭な権謀術数の世界。日本をリードする基盤なんかなかったのも事実です。そして、世の中はまだまだいつ戦乱の時代に戻ってもおかしくない時代。江戸の拠点を移して、武力によるにらみで平和な世の中を築いた徳川家康の功績はけっして小さなものではないでしょう。 -
二条城の唐門は、二の丸御殿の正門にあたります。ここまで来るとどうしても、皆さん大政奉還の行われた二の丸御殿の方が気になってあまりじっくり唐門を見ることはないようにも思いますが、その大きさや豪華さは一級品。
-
平成25年に修理を終え、彫刻類に金の装飾飾りなど、よりきらびやかな姿が堪能できるようになりました。
-
二条城にあって、二の丸御殿は征夷大将軍となった家康の祝賀の儀が執り行われたり、家康と徳川秀頼の対面が行われたり。
-
イチオシ
幕末は大政奉還が行われた場所で、華やかな歴史の表舞台となったのはここの大広間。そして、大広間の障壁画に描かれた巨大な松と鷹は諸大名に睨みを利かせる幕府の権威と徳川家の繁栄を象徴しています。徳川幕府は滅びましたが、250年以上続いたのですから、まあ十分と言えば十分でしょう。
建物の内部は写真撮影禁止です。ただ、この建物もそうなんですが、武家の文化そのものについては、あまり高い評価はないような。西本願寺や知恩院の建物と比べても、ここに新たなものがあるかというと狩野派の障壁画以外にそれを感じるのは難しいかもしれません。その狩野派ですら、権威主義に陥ってしまったと、評価は散々。儒教をベースにした日光東照宮のような少し亜流のことでしか、独自性が出せなかったというのが一般的な評価かと思います。 -
ですから、江戸期の文化を語る場合は、浮世絵や小袖などの町人文化の方に焦点があてられることが多いんですよね。
しかし、本当にそうなんでしょうか。二の丸庭園の方に回りましょう。 -
この二条城の二の丸庭園は、国の名勝庭園。小堀遠州の代表作といわれる桃山様式の池泉回遊式庭園です。
-
池泉回遊式庭園は江戸時代に入ってから一気に花開いた日本庭園としては最高のスタイル。
-
イチオシ
どこから見ても、そこが正面のように見えるという計算されつくした構図が基本で、この庭も、まさにその通り。
-
ここが一番眺めがいいのかなと思ってみていても、少しどうするとあれやっぱりこっちの方がいいような、その繰り返しになってしまいます。
-
久しぶりに眺めましたが、本当によくできている。遠州の直線を使った特徴はあまり感じられませんが、この完成度の高さはすごいと思います。
-
で、こうした庭園は日本中至る所にあるし、江戸の諸大名の屋敷にも当然ある。それは大名に財を使わせて、力を弱めようとする幕府の政策でもあったようですが、どっちにしても、日本中、江戸中が日本庭園のテーマパークみたいになっていたことは、我々が意外に気が付いていないこと。
-
そうした文化は、鎌倉期の枯山水なんかよりも、金閣寺や銀閣寺の庭園なんかよりもずっとスケールが大きな出来事だったはずなんですね。
例えば浮世絵が海外で評価されたことで町人文化により光が当てられたのは幸いですが、徳川政権の下での武家の文化はやはりもう少し正しい評価をする必要があるように思います。 -
さて、ここから本丸の方に移動します。
-
二条城の本丸櫓門は、築城当初の本丸内の建物のうち、天明の大火で唯一焼け残った遺構。真っ白な漆喰で塗り固められた蔵みたいな門の真ん中に、青銅の扉。形もそうだし、色彩も二の丸御殿と比べれば優雅とは程遠い変わった感じ。まあ、それだからこそ焼失を免れたのかもしれませんが。。
-
内堀をわたって、
-
ここからが本丸内部。
-
そして、こちらにも広い芝生の庭園が広がります。
-
こちらの二条城の本丸御殿は通常は非公開なので、
-
外観を確認するしかありません。
-
ちなみに、現在の建物は、明治になってから京都御所の北側にあった旧桂宮邸の御殿を移築したもの。重要文化財となっていますが、唯一残る宮家の御殿としてのもの。
-
そういう意味では、徳川とは関係ないということですね。車寄せの優美で大きな唐破風とかは古い寺社の建物にも似ている感じ。伝統的な京都の雰囲気がするように思います。
-
順路に従って、
-
もう出口の方に
-
向かいます。
-
二条城 展示収蔵館は、戯れる虎たちと題して、二の丸御殿の障壁画の本物の方を展示していました。二の丸御殿にあったレプリカの方は鮮やかでしたが、こちらはけっこう薄れてきていて、ぼんやりしたところも否めない。レプリカにしても、本物にしても、どっちもそれなりに想像力を働かせないと楽しめないように思いました。ただ、こちらは冷房がよくきいているので、少なくともその点では気持ちよく鑑賞できます。
-
二条城から、木屋町の「とくを」さんへ。予約を取っていた時間になんとか間に合いましたね。
-
ここが入口。
-
エントランスの先にはこんな生け花。だんだんと気持ちが切り替わります。
-
カウンター席に案内されて、目の前には板さんがいて、その仕事振りを眺めながらのランチ。そういえば、こうやって食事をするのは法善寺横丁の喜川以来ですね。
小さな小さな器に入って出てくる料理は八品。 -
やっぱり夏だから、ガラスの食器から始まって、爽やか系。器の上に器を乗せるのはこれもダブルソーサーっていうんでしょうか。少し酸味のある南蛮漬けにウニの味わいもどちらかといえば軽やかです。
-
イチオシ
続いては、お造り。この時期に鱧がないとやっぱり関西では形になりませんよね。さわやか系の器が連続しました。ブルーの透き通った色彩はこんなのまだまだ。次の料理がなんだろうと期待を抱かせるような効果もあると思います。
-
と、ここでウナギの柳川。暖かくて濃厚なひと品ですが、実はこれが極小サイズ。ここで余計な負担はかけないよう。あくまで変化の一環という位置づけ以上のものではありません。
-
イチオシ
同じ魚系ですが、これは金目鯛の幽庵焼き。関西で金目鯛は珍しいですよね。金目鯛というと伊豆半島や静岡のイメージ。そんなことをつぶやいたら、西だと高知でもあるんですけどねという返事。え?私はこの前、室戸で金目鯛のどんぶり食べてきましたけど、室戸でも町おこしでやっと最近始めたばかり。情報が早いですね。
ちなみに、幽庵焼きは西京漬けの味噌ではなく、醤油のもろみを使ったもの。伊豆半島では煮つけが一般的ですが、それを京都風にアレンジするとこうなるということ。まあ、正直言えば、稲取の徳造丸とか向こうの煮つけの方がうまいんですが、料理はうまいだけでは面白くない。ここでは京都の文化を感じることができなければ意味がありません。 -
この器は暖かいもの系ですか。
-
しんじょうの餡かけ風ですね。やっぱり魚系の料理なんですが、この暖かさでまた別腹って感じです。
-
その後、少しさっぱりとした薄味の酢の物で調子を整えると
-
天ぷらですか。本当はここら辺で疲れていたはずなんですが、なんか全然そんなことがない。揚げたての香りのよさも素晴らしいですよ~
器は磁器ですが、ガラスっぽく見えなくもない。ここでもさわやか路線は一貫しています。 -
ご飯のジャコはなんという小ささ。こんなの初めて見ましたが、特別製なんだそう。ただ、ここまで小さいとジャコのワイルドなうまみは感じにくい。これは好みがあるかなと思います。
いずれにしても、どれも珠玉の味わいがある料理ばかりですし、味の変化にも納得感のある流れがありました。
ご主人がちょこちょこと話しかけてきて、このお客さんはどういう人なんだろうと興味を持ってくるところなんかもさすがという感じです。私の方も、この料理はもうちょっとこうしたらいいかもとかいろいろ想像しながらいただきまして、料理ってやっぱり楽しいなあと妙にテンションが高くなってしまいました。久しぶりにいいお店に出会った気がします。 -
そして、最後のデザート。見た目は柑橘の甘酸っぱいのを予想していたのですが、実はまったくの甘い系。見事に私の予想を裏切るサプライズでした。そして、そのしっかりした甘さがなんだか知らず知らず緊張していた私の気持ちを解きほぐしてくれるようなところがありまして、見事な締めになっている。そんなところまでこのご主人計算していたのかなあ。最後まで、楽しませてくれるお店です。
ふむ。なるほどー。この分野もちょっと掘り下げてみないといけないですね。京都は本当に興味が尽きません。 -
イチオシ
とくをを出て。。
鴨川納涼床は、京都の夏の風物詩。貴船の川床も有名ですが、手軽なのはやっぱりこちらでしょう。この時期、先斗町を歩けば、川側のお店はどこも鴨川沿いに縁を組んで席を設けています。ただ、それもいいですが、橋からその川床を眺めるのも涼を感じられておつなもの。心が和みます。 -
そこから新京極の裏通りの花遊小路へ。細い路地で、入口も四条通り側から入る道なんかお店の中みたいなところを抜けていくし、かなり分かりにくい。
-
しかし、けっこう奥があって、先に進むにしたがって新しい眺めが現れて、ちょっと冒険心をくすぐられる感じ。こんな近くにこんな場所があったんだという新鮮な気持ちになれると思います。
-
ここから後半の街歩き。
錦天満宮の境内に入ると -
イチオシ
すぐに手水があって、それが「錦の水」といわれる神水です。
-
ちょろちょろ水が注いでいますが、これがここから湧いているんでしょう。神水という信仰の観点ではなく、名水という紹介。京都が水に恵まれた街であることを再認識させてくれるものだと思います。
-
河原町通り沿いに出て、これは中岡慎太郎寓居跡。今はひっそりと石碑が建っているだけです。
中岡が身を寄せていたのは書店の菊屋だったようですが、土佐藩邸は木屋町だし、比較的御所も近い。多の勤王の志士たちもこの辺りに居を構える例が多かったので、都合がよい場所だったのだと思います。龍馬と共に暗殺された近江屋も同じ河原町通りの向かい側です。 -
古高俊太郎邸跡も裏通り。
駒札がポツンと立っていて、詳しい説明がありました。近江出身の勤王の志士で、倒幕の支援をしたりしていたのですが、新選組に捕縛され過酷な拷問を受ける。それが発端となって池田屋事件につながったということですが、明治になって名誉回復。正五位を贈られています。 -
本間精一郎遭難の地は、個人住宅の前。白い駒札と石の杭が建っています。
駒札の説明によれば、本間精一郎は越後の志士。比較的自由な立場だったことから急進派として多くの交わりもしていたようですが、酒色におぼれ、遂には土佐の岡田以蔵、薩摩の田中新兵衛ら6名の刺客に襲われて命を落としたということ。倒幕のいろんな人間模様を感じさせてくれる史跡です。 -
木屋町通りの都会館前には、お龍 独身時代 寓居跡の碑。といっても、都会館は何の特徴もない雑居ビルなので、探すのにけっこう苦労しました。龍馬なら別ですが、お龍さんが独身時代に住んでいたところにどれだけ意味があるのかなあという感じです。ただ、石柱はけっこう立派です。
-
三条大橋の方に出て、これは弥次喜多像。弥次さん、喜多さんというと東海道を旅するイメージですが、その東海道の終点はこの三条大橋なんですね。柳の木の陰にあって目立たない場所あるのですが、気が付いたとしてもちょっと違和感を持つ人も少なくないかもしれません。
-
ところで、三条大橋には一見してすぐにそれと分かるくらいの刀傷跡のある擬宝珠があります。
-
イチオシ
これは、幕末の元治元年(1864年)に起きた池田屋事件の際にできた傷で、いわば歴史の生き証人。長州藩、土佐藩などの多数の尊王攘夷派志士を新選組が襲い、大打撃を与えたことで、新選組の名が一躍高まります。
-
三条大橋の西側たもとには、旧三条大橋の石柱というのもあります。今の感覚で言うと大きいようなそうでもないような。中途半端な大きさです。
これは天正18年(1590年)に日本で初めての石柱橋として架けられた橋の遺構。豊臣秀吉の命により増田長盛が奉行となって架けられたもの。石柱の石は花崗岩。神戸市の方で切り出されたということです。 -
もう一度木屋町通りに戻って。
ちりめん洋服発祥の地は、「武市瑞山先生寓居之跡」と並んで建つ碑です。
ちりめん洋服というのは馴染のない言葉ですが、昭和47年に 田中佐起三という人物がちりめん素材を使った婦人ワンピース・スカート等の洋服を作ったということ。絹織物なので、それなりに高級品だったのではないかと思います。 -
同じ並びには佐久間象山寓居跡があるはずなんですが。。しかし、探しても探しても見つからない。実は駐車場の出入り口にあって、そこの看板がこの碑を隠していました。何かを探している私の姿を認めて、「これですか」と声をかけてもらったので分かったのですが、そうでなければ見つけることはできなかったと思います。
-
角倉氏邸址は、高瀬川の十石船が係留されている場所。川に向かって石柱があるので、邸跡がどこなのかは正直分かりにくいかもしれませんが、とにかくこの一帯がそう。
-
鴨川の水を引き伏見への水運を担った高瀬川を開削したのは角倉了以ですが、明治維新後まで角倉家はこの地にあったのだそうです。
-
河原町通りを挟んだ京都市役所の向かい側は、日本銀行京都支店。とにかく頑丈そうなコンクリートの塊といった外観のビルです。バリバリの現役建物だし、観光スポットというものではありませんが、京都の賑やかな繁華街から適度に離れて、警備のし易さ等があってのこの場所なのだと思います。
-
間部詮勝寓居跡は、京都市役所の北側にある立体駐車場の敷地の中なんですが、今は工事中で覆いに隠れていました。間部詮勝幕末、井伊直弼とタッグを組んで開国を実行した剛腕老中。朝廷から得られなかった勅許も詮勝がなんとか得たりして、かなりの人物なんですが、あまり知られていないのは残念なところ。
一方で市役所の方で工事の担当部署の人と話しましたが、その重要性がイマイチ認識されていないような。もう少ししっかりしてもらえたらと思います。 -
そのまま寺町通りへ。
藤原定家京極邸址は、落ち着いた表通りに面した一角に涼しげに石柱が建っていました。
藤原定家は、平安末期から鎌倉の初期に活躍。後鳥羽院に見出され、「新古今和歌集」や「新勅撰和歌集」の撰者として知られる歌道のビッグネーム。明治期に入って、子規にけちょんけちょんに酷評されるのですが、京都人にとって誇りであることは間違いない。場所を尋ねた人の対応もなんとなくそんな風が感じられました。 -
その近くの二條若狭屋 寺町店です。かき氷がとても有名になっていつも待ち時間が長いんですが、この日はさすがに平日の夕刻とあって、待ち時間もさほどかからない。せっかくなので、予定にはなかったのですが入りましょう。
-
いただいたのは、定番の利休。抹茶にほうじ茶と白いシロップの三色氷。ものすごく期待値を上げていたせいか。これなら、普通でしょう。カキ氷のふわふわ感やシロップの味わいなど特筆できるようなものはないような。
変な話、カキ氷は関東の方がかなりレベルが高いように思います。
ちなみに、かき氷の私的ベストスリーは以下の通り。基本は関東になりますね。
1位 慈げん(埼玉県熊谷市)
http://4travel.jp/domestic/area/kanto/saitama/kumagaya/kumagaya/tips/11427464/#each_tab
2位 三日月氷菓店(千葉県柏市)
http://4travel.jp/domestic/area/kanto/chiba/matsudo/kashiwa/tips/12073903/
3位 登泉堂(愛媛県今治市)
http://4travel.jp/domestic/area/shikoku/ehime/imabari/imabari/tips/10267372/
次点 天然氷蔵元 阿左美冷蔵 寶登山道店(埼玉県長瀞町)
http://4travel.jp/domestic/area/kanto/saitama/chichibu/nagatoro/restaurant/10160737/ -
御池通りは東西線も走る大通り。車線も広いし、歩道の部分も広い。たぶん、東西に走る道としては京都では一番広いかもしれません。ゆったりとした通りの両側には近代的なビル。ところどころに地下鉄駅の入口があって、都会的な眺め。京都にもこんな場所があったんだと、その雰囲気を味わってもらえればと思います。
-
御池通りの高倉通りを少し上がった場所が足利尊氏邸・等持寺跡。植え込みの中に金属のプレート板がありました。
説明によれば、ここは足利尊氏の三条坊門第があったところ。尊氏はここで政務をとり、ここで亡くなっていますが、それが室町幕府の実質的な始まりということです。なお、等持寺は足利氏の菩提寺。後に等持院に合併されています。 -
二条殿址は、これもお池通りの北側。両替町という地名の通り、付近には金座や銀座の跡もあります。
なお、この二条殿というのは、摂関家二条家の邸宅。南北朝時代だと北朝4代の天皇の摂政、関白を務めた二条良基とか。
ただ、有名なのは、本能寺の変の際に織田信忠が自害した二条御所として。二条御所もこの時焼失しています。 -
で、こちらも同じエリアの江戸時代金座遣址。しかし、小判の鋳造は江戸だけだったはずなので、京都で金座って何?という感じでしたが、こちらは禁裏御用の金細工及び上方における金職人統制などを幕末まで行っていたよう。しかし、小判の製造を行っていた後藤家は京都から江戸に移ったもの。京都の金座も後藤家です。
-
ついでに回った医徳山薬師院は、絵に描いたような方形のお堂。
門前に詳しい縁起があって、こちらの薬師如来は、最澄、伝教大師が16歳の時に彫ったもの。住職の夢枕に「一切の 病苦を取り除こう。来ぬか、来ぬか」とお告げがあったことから、来ぬか薬師と言われるようになったということです。 -
幟りには、他に「福こぬか、寿こぬか」とも書かれていて、来ぬかは増殖しています。このあたりで、日が暮れてしまって、今日は終了。それなりに収穫はあったでしょう。
ところで、とくをの昼飯が意外に腹持ちがいい。ここにきても、全然、お腹がすいてこないんですね。それならそれで仕方ない。もう宿に帰って、昼間買ったパンとかで済ませることにしましょう。グルメ旅はけっこう限界があるんです。
以上、これで二日目は終了。明日は、向日から長岡天神辺りを巡ります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
もっと見る
二条・烏丸・河原町(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
87