2017/01/29 - 2017/01/29
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たびたびさん
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横浜中華街の春節は以前ちらりと見たことはあるのですが、そういえばちゃんと見たことなかったなあと思いだして、出かけてみました。街のイベントは、町興しというか集客の効果も狙ってのものが多いのですが、その点、横浜中華街は集客のイベントなんか考えなくても、いつもやたらと混雑している。これ以上混雑を生む変なイベントは逆効果のような気もしなくはないですけどね。
ただ、中国の人にとっては、春節が日本でいうところのお正月。純粋に新しい年を迎える喜びが伝わります。獅子舞が一軒一軒を回って、新年を迎えるのは伝統の行事なんですね。日本のものと比べると、この派手派手は異質なんですが、おめでたい雰囲気を表現するものに違いはありません。そして、このストレートで分かりやすい表現こそが多民族が割拠するアジアにおいて、長く盟主だった中国の中国たるゆえんのような気もします。
そして、昼間は山手地区や元町商店街の定番コース。今でもハイクラスな雰囲気はまったく色あせていないことが確認できたように思います。
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石川駅に到着して、まずは、山手方面に向かいます。
地蔵坂は、石川町駅近くから山手の方に上って行く坂ですが、坂の上には横浜女学院や横浜共立学園とか、女子校があるので通学時間にはたくさんの女生徒がぞろぞろ坂を上って行きます。それなりに上る坂ですが、視界が広いのでちょっと気がまぎれます。 -
地蔵坂を上ったところが蓮光寺。
坂の脇にある境内なのですが、真宗大谷派の寺らしく意外に広々。本堂の前に二本ある梅の木の古木がちょっといい感じ。いかめしい感じに少し潤いを与えていると思います。 -
地蔵坂の途中から折れて、横浜女学院や横浜共立学園とかに向かう坂は、乙女坂。車も通れる地蔵坂と違って、こちらは階段の細い坂道。女生徒がだんごみたいになって上っていましたが、通学のピーク時間帯だとちょっと心配になるくらいです。
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地蔵坂から乙女坂を登りきったところにあるのは、山手214番館。横浜共立学園の敷地内にあって、門のところに「山手二百十四番館」と書いてあります。ただ、昭和初期に建てられた旧スウェーデン領事公邸で雰囲気はありますが、門の外から眺めるしかできません。
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少し進んで。
横浜共立学園本校舎は、地下1階木造3階建寄棟造り。関東大震災の再建として、昭和6年、ヴォーリズの設計により建てられたもの。ヴォーリズの名建築の一つなんですが、近くで見るには横浜共立学園の敷地内に入らないといけない。それはできないので、塀の外から遠目に見るしかありませんでした。しかし、雰囲気は十分感じれますね。 -
そのまま山手本通りを進んで、これはカトリック山手教会聖堂。青緑の尖塔をもつ堂々とした建物です。
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内部の見学も可能で、
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イチオシ
絵画風のステンドグラスにこうもり天井という正統派。外観とは一変した落ち着いた空間がありました。
なお、一階にはトイレもあります。念のため。 -
カトリック山手教会聖堂の並びにあるカトリック横浜司教館別館。もう少し港の見える公園側に進んだところです。
昭和2年の建築で、煙突がある洋館。元は外国人向けの貸家として建てられたとか。深い緑に囲まれて、瀟洒な邸宅といった雰囲気。
なお、門に書いてある「カトリック横浜司教館別館」の文字がアートっぽいです。 -
山手本通りから少し入ると、フェリス女学院大学。明治3年、アメリカ改革派教会の宣教師メアリー・E・キダーが女子を対象に英語の授業をしたのが始まり。
横浜の典型的なお嬢様学校ということでしょうか。キャンパスは深い緑に覆われた感じ。周囲は高い石垣にも囲まれていて、静かな別世界のような雰囲気です。 -
さらに進むと、山手公園。傾斜地を上手に利用した緑豊かな公園は、1870年、横浜居留外国人の手によってつくられた国内初の洋式公園。
で、これがテニス発祥記念館。公園の入口にはテニス発祥の碑というのもあります。ここにテニスコートが2面造られたのは明治9年。その後、全国に広まったそうです。
建物自体も歴史的なものかと思ったのですが、テニス発祥120周年を記念して平成10年に建てられたもの。中のテニス関係の展示の方が見どころです。 -
そのまま進むと、公園坂です。いきなり石段が現れて、それを下って行く坂なのですが、広い道路に出るまではだらだらと下って行く。下ったのでさほどの負担はなかったのですが、上りだとちょっと疲れそうな坂だと思います。
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山手地区には個人住宅でも見応えのある洋館がいくつかあって、このBEATTY邸もその一つ。昭和7年に建てられた木造2階建ての建物は切り妻の屋根が複雑ですが、玄関ポーチがかわいらしい。いきなり大きな犬にほえられてびっくりしましたが、近所の人によると全然怖くない犬だそうです。でも、かなりびっくりします。
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今度は、ミニ開発みたいな一角を入っていくと。
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石橋邸は、山手地区にあるレトロな個人住宅。宇田川邸の奥になります。昭和初期の建物で、屋根の庇を延ばしてぐるりを囲み、アーチの玄関ポーチの上にはサンルーム。ただ、人は住んでいないようで、ちょっと荒れた感じもありました。
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手前の宇田川邸は、大正14年に建てられたもので、どうかすると山小屋のような大きな赤い切妻屋根が特徴。ただ、今の感覚で言うとさほどの特徴には感じないかもしれません。
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同じエリアのもう一軒は、松原邸。特徴はかわいらしい玄関ポーチ。ただ、通りから玄関までの距離がないのでちょっと窮屈な感じもあって、このデザインの良さが分かりにくくなっているのは玉にきずかなと思います。
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山手本通りに戻って。
代官坂は、いくつかある元町と山手を結ぶ坂の一つ。かつて名主石川家の代官屋敷があったことで代官坂ということだしメジャーな坂なんですが、坂の途中にはおしゃれなパン屋さんがあったりして、坂自体をぶらぶら歩きで楽しめるような気がします。 -
で、そのパン屋さんがブラフ ベーカリー。
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店内に並んだパンは品数はそれほどではありませんが、ちょっと高級そうな雰囲気を漂わせています。チョコのクロワッサンをいただきましたが、けっこう大きめ。チョコも棒状のチョコがしっかり入って、ボリューム感がある。むしろお得感もあるように思いました。
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横浜ユニオン教会は、山手本通り沿い。在日外国人プロテスタントの超教派的教会で、戦後、1960年代に再建されたもの。近代的というか現代アート的というかモダンでシンプルなデザイン。内部の拝観ができないかあちこち周囲を回りましたが、鍵がかかっていてそれはできないようでした。
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これもほど近くの教会。
末日聖徒イエスキリスト教会って、聞きなれない名前ですが、例のモルモン教の教会です。茶褐色の煉瓦に鋭くとがった白い尖塔を備えた美しいデザイン。山手本通り沿いにいくつか教会がありますが、このデザインで一番目立っていると思います。 -
いくつかある山手本通りから元町通りに降りていく坂で、これは汐汲坂。塩作りのために海水を汲んでこの坂を上ったということですが、真偽のほどはちょっと不明。そんなことをしたら、さぞかし大変だったんだろうなあというイメージの方が先行しているのではないかと思います。それくらい本通りから見るとけっこうな下り坂です。
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イチオシ
山手本通りから元町公園に下って行く途中にあるのは、山手80番館遺跡。ここも、もう元町公園内かもしれません。
横浜に現存する唯一の関東大震災で被災した外国人住宅の遺構だそう。元々は、明治末から大正初期の建物。基礎の部分の煉瓦が生々しく残っていますが、こうした煉瓦の建物でも見事に倒壊してしまったということ。揺れの大きさが想像されます。 -
これが元町公園の正面。斜面を利用した公園です。
元々は、フランス人実業家のアルフレッド・ジェラールが、湧水を利用した船舶向けの給水事業や西洋瓦の工場を造った場所だったよう。ただ、山の斜面にあるので、公園としての広々感には少し欠けるかなと思います。 -
イチオシ
ジェラールの瓦工場と水屋敷跡は、明治6年、フランス人アルフレッド・ジェラールが居留地を建設するための西洋瓦や煉瓦を製造するために建てた工場と水屋敷の跡地のこと。
工場跡の方ははっきりしませんでしたが、水屋敷跡の方は元町公園の入口を出てすぐの場所。水屋敷の貯水槽がそのまま残っていて、けっこう迫力があります。ここの水は船舶への給水事業に使われたそうです。 -
山手本通りの方に戻る途中。
これは、ヨコハマ猫の美術館。個人住宅を美術館として開放している小規模な施設で、壁面や入口にも猫の飾りがそれらしく置いてあります。
ただ、入館しようと思ったら、午後しかやっていないのだそう。インターホン越しにご主人が教えてくれましたが、個人でやっている美術館だし、もうちょっとなんとかならないかなあと思いました。 -
同じ一角には、山手76番館。この辺りは建物に地番が書いてあるので、なんとか見つけましたが、これは観光スポットではないような。いかつい門から御影石の建物は奥まった一角だし、ひっそりと訪問者を寄せつけない雰囲気。観光客は少し遠慮したほうがいいかもしれません。
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山手本通りに戻ってきました。
このえの木ていは、山手本通りに面して、そのおしゃれな店構えで誰しも目を止めるほど。今回はちょうど開店時間に通りかかったので寄ってみました。 -
イチオシ
外観のイメージと違わぬ、これもおしゃれで落ち着いた店内。
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ローストチキンのサンドイッチをいただきましたが、盛り付けとか、何か試行錯誤を積み重ねたような美しさ。静かな時の流れる店内で、ゆっくり寛がせてもらいました。
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イチオシ
再び、街歩き開始です。
横浜山手聖公会は、プロテスタント系の日本聖公会横浜教区に属する教会。大谷石を使ったノルマン様式の聖堂というのですが、ずんぐりとした重厚な外観は中世の趣きです。ちなみに、大谷石は栃木で産出される石。栃木だと蔵なんかでよく見かけるのですが、よく周囲の景色に溶け込んでいると思います。 -
ところで、山手本通りは、教会や洋館、しゃれたレストランなどが点在する港町横浜を代表するエリア。
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バタ臭い建物が異国情緒を漂わせるのに加えて素晴らしいのは、ここからの横浜の市街が見渡せる景観。それらがミックスされて、他にはない上質な空気があると思います。
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続いての山手資料館は、明治42年に建てられた和洋併設型住宅。二階建ての木造西洋館の方が展示室になっていますが、
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イチオシ
薄緑の壁面に四方とも角の取れた千鳥破風が屋根を成すというかなり個性的なデザイン。見るからに趣味の建物だと思いますが、中に入ると意外に狭い。住みにくそうな感じでしたが、常時暮らすという建物ではなくて、応接室の代わりに使っていたのだそうです。
なお、展示品はあれこれ。建物の雰囲気と合わせて横浜の歴史を概観できます。 -
これも近くにあるブリキのおもちゃ博物館。
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博物館は、販売店の奥の建物の半分にあって、入場料を払って入ります。
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子供の頃遊んだロボットのおもちゃなんかは見覚えあり。もうとっくに捨ててしまったものですが、なんか奮発して買ってもらった記憶まで蘇りました。
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展示品は多いですが、どうしても自分がかつて見たことがあるものに目が行ってしまう。そういう意味だと、それを知らない前代の人にとっては、あまり面白くはないかもしれません。
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陣屋坂は、山手本通りから外国人墓地の反対側の方に下りていく坂。明るくて緩やかな坂の入口に「陣屋坂」と書いた石柱も建っています。
この辺りに英国軍の陣営があったというので陣屋坂なんですが、今は閑静な住宅地といった景色が広がります。 -
これは、横浜外国人墓地です。
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そして、横浜外国人墓地資料館は、外国人墓地の正門を入ってすぐ右手。
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外国人墓地に埋葬されている人がどんな人たちなのか。その功績なども紹介していて、横浜の歴史はそうした人の努力もあって築かれたことに思いを寄せられる。なかなかいい施設ですね。
墓地の資料館ですが、館内は明るい雰囲気だし、とても気持ちよく見学できます。 -
ここまで来れば、港の見える公園ももうすぐです。
ブラフ99ガーデンは、看板も何もないので、ちょっとよく分からないかもしれませんが、気象台の隣りに整備された高台を中心とする美しい公園。芝生とか緑がきれいなので、名前は知らなくても、この美しさに目が止まって、足を止める観光客も少なくありません。
隣りの気象台もいい借景になっているように思います。
横浜地方気象台は、山手本通りから脇に入ってすぐ。高台に建つ白い建物で、すぐにそれと分かります。
この建物は昭和2年に建てられたもので横浜市有形文化財に指定されていますが、外観からするとそこまで古びた感じはしませんね。関東大震災後の再建なので、丈夫さを第一に考えた建物だからかもしれません。
なお、この建物は気象台の庁舎としては国内で三番目に古いのだそうです。 -
岩崎博物館は、山手本通り沿いに建つ茶褐色の大きなビル。白い石をアクセントに使ったデザインがいい感じなんですが、
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イチオシ
真骨頂は入ってすぐのエントランス。ホールから二階に上がる大理石の階段とか、ベルサイユのばらみたいな思い切りゴージャス、大胆なしつらえです。
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展示されているのは、舞台衣装のような服飾関係。建物も展示もすべてはヨーロッパの貴族趣味のような館です。
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さて、港の見える公園に着いたようです。
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周辺は、バラ園が美しいですが、
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時期が時期ですから、花はありません。
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で、こちらは沈床花壇。全体が窪地になったような形をしているので、階段を降りて花壇の中に入ります。
ただ、入口では花壇の全景が見渡せるので、それを確認してから中に入る。 -
そして、中に入ると花が目線の高さになるので、今度は花に囲まれた感覚を楽しむ。なかなか考えた構造の花壇です。
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イチオシ
大佛次郎記念館の反対側に進むと、霧笛橋。神奈川近代文学館に向かう橋です。
昭和61年に作られた鉄筋コンクリート製の橋ですが、霧笛橋の名前は、大佛次郎の「霧笛」から付けられたもの。渡るとどうということはないのですが、下から仰ぎ見ると個性的な美しさがあるように思います。 -
神奈川近代文学館の脇にある桜が芸亭の桜。大佛次郎記念館から霧笛橋を渡らずに神奈川近代文学館に向かうとこの桜の前に出ます。
ちなみに、芸亭は「うんてい」。奈良時代の末期に作られたわが国最古の図書館の名前です。これにあやかって、名づけられたようです。ただ、花が付いていないと地味な木なので、気が付きにくいかもしれません。 -
ここで、大佛次郎記念館に戻ります。
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私としては、遺作「天皇の世紀」の取扱いがどうなっているかに一番感心があったのですが、結論からするとまあまあ。
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鞍馬天狗とか有名な作品はあっても、この作品は特別であるという位置づけは一応されていました。
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ただ、どこがどうすごいのかについてはなかなか解説できていないのは残念なところ。私の評価を言わせてもらえば、例えば司馬遼太郎の作品と比べれば、それは雲泥の差。司馬遼太郎の作品は、主人公を鮮やかに浮かび上がらせるのですが、まるで主人公が時代を作ったかのように思わせてしまうきらいがある。本来は、時代を浮かび上がらせるための主人公のはずなんですよね。
その点、一方の大佛は時代がどうだったのか、事実を丹念に丹念に積み上げて、再現して行く。それは何とも言えず味わい深いし、論旨は目からウロコの明快さ。幕末から明治維新の激動期。時代を切り取る能力がこれほど高い作家は他にはいないように思います。 -
港の見える丘公園の展望所です。
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今日は、いい天気。
横浜は、やっぱり天気がよくないとダメですよね。 -
展望所の端っこに旗が建っていて、それは「コクリコ坂から」記念スポット。説明板があって「コクリコ坂から」は、2011年に公開されたスタジオジブリの作品で、主人公が国際信号旗を揚げたのがこの公園だったということ。傍らに高いポールが立っていましたが、その意味が説明で分かりました。
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東洋信号通信社は、港の見える公園から回りましたが、林に囲まれていて入口がちょっと分かりにくいですね。
普通の会社の建物なのですが、これもジブリの作品「コクリコ坂から」に登場することで観光スポットとなっている場所。作品の中でこちらの電波塔が出てくるのだそうですが、近くに来てしまうとよく見えませんでした。 -
ここから、フランス橋の方に降りていくのですが、その途中。
これは愛の母子像。少し開けた場所に立つ像です。目立たない像なのですが、像の前には花鉢がいくつか置いてあったので、目に止まりました。
少し説明文があって。これは、昭和52年に起きた横浜米軍機墜落事件で亡くなった母親と2人の幼い子どもを悼んで作られたもの。生前に海が見たいと願っていたのでここに設置されることになったそうです。私はそういう事件があったこと自体初めて知ったのですが、そういうことであれば、これからも事件が風化しないように祈ります。 -
その向かい側にあるのは、大野林火の句碑。
自然石にシンプルに詩と作者名が刻まれたもの。詩は、「白き巨船 きたれり春も 遠からず」。大野林火は、港町横浜の情景を愛した明治の俳人。気持ちが伝わってくると思います。 -
ちなみに、ここはフランス山というのですが、フランス山というのは幕末から明治8年までフランス軍が駐屯した場所だから。ルートの途中には旧フランス領事館公邸遺構があって、これがフランスゆかりの場所である所以。
背の高い風車が建っているのが目印です。関東大震災で崩壊した初代の官邸が昭和5年に再建された2代目の領事官邸の遺構で、昭和22年に焼失。建物には蔦が生い茂って、悲惨な姿はやわらげられています。 -
ところで、日本の開港は攘夷の空気も残る時代。外国人にとっては物騒な時代ですから、官邸はこのような山の上にあったのだと思います。
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フランス橋まで出てきました。
ちなみに、フランス橋は、港の見える公園のフランス山と中華街方面を結ぶ人道橋。
そして、初代のフランス領事館は、この橋の蔦の絡まったアーチ部の辺りにあったようです。 -
すぐそばにあるのは、横浜ボウリング発祥の碑。ボウリングの玉とピンをデザインした碑には、横浜の外国人居留地ででボウリングサロンが開設されたのは1864年。長崎に次いでと書いてありますが、次いでなら発祥ではないような気もしますが、横浜での発祥という意味だということでしょう。ちょっと紛らわしいかもしれません。
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公園の敷地外ですが、クリーニング発祥の地という碑もあります。
碑には安政6年、フランス人に技術指導を仰いだ青木屋忠七という人物が横浜本町にて西洋式のクリーニングを開業したと書かれていました。 -
その脇の坂は谷戸坂。この坂からも港の見える丘公園まで登って行けます。
ただ、車ならこの坂を上って行くのですが、歩いて観光をする人であれば、フランス山を突っ切って港の見える丘公園まで行く人が大半だと思います。 -
山手迎賓館は、フランス山公園の入口の交差点角に建つ立派な構えの結婚式場。守衛さんが門前に立っているし、結婚式参列者が歩いていたり、建物のデザインもそうですが、そうした人たちまで含めて、この辺りの華やかな雰囲気を醸し出しているように思います。
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ここから、今度は、元町商店街の方に向かいます。
アメリカ山公園は、地図で見るとよく分からなかったのですが、みなとみらい線元町中華街駅の駅ビルをどんどん上がって屋上の出口を出たところ。本当にこんなところを行くのかなあと不安になりながら訪ねました。公園は芝生がきれいに整備された都市型の公園なんですが、フランス山公園と比べるとワイルドさがないのでちょっと寂しく感じます。 -
シドモア桜は、ポトマック河畔からの里帰り桜。元町商店街にもほど近い高架を見上げる川沿いの一角。ちょっと気が付きにくいかもしれません。
1912年、日本からワシントンに贈られた桜の苗木は3千本。ポトマック河畔に植えられ、世界的な桜の名所になったのですが、その植樹に貢献したのが紀行作家のシドモアさん。里帰りは1991年のこと。シドモアさんも外国人墓地に眠っているそうです。
日米の懸け橋となったエピソードですが、日米を巡る歴史は長いです。 -
元町商店街にやってきました。商店街は、石川町駅からすぐですが、中華街とは反対方向になります。
横浜のおしゃれを発信する街ですが、 -
まずは、ウチキパンへ。元町の名物パン屋さんで、パン屋さんらしからぬ白い背の高いビルのお店です。
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ミルクパンを買って、食べ歩き。
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こんがり焼いたパンは、期待ほどのインパクトはなかったのですが、まあほどほどでしょうか。
レジでは賑やかにおばちゃんたちが三人並んで袋詰めしてくれます。 -
こちらは、喜久家洋菓子舗。表通りに面した広い店構えで、明るい店内です。
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シュークリームをいただきましたが、バニラの香りがちょっと強めですね。
それと。。「サバラン」じゃなくて、「サバリン」という表示でしたが、何か意味があるんでしょうか。こっちの方も気になりました。 -
元町商店街はおしゃれな建物が軒を並べますが、敢えてランドマーク的な建物をあげるとすればこの元町百段館になると思います。交差点の角に建つ真四角のビルには目立つ時計がかかっていて、それが目印。人通りもこの辺りが一番混雑しているように思います。
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元町商店街から裏通りに入った山すそに、厳島神社がありました。
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鮮やかな朱色で塗られた柱に緑色の銅板屋根。鮮やかは鮮やかですが、これは日本の美。中華街の廟の派手派手とはやっぱり一線を画した配色です。
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元町のメインストリートは元町商店街ですが、こちら、一つ山側に並行して走る通りがクラフトマンシップ ストリート。元町商店街ほど賑やかではありませんが、霧笛楼や横濱元町洋菓子研究所など渋い洋菓子喫茶があったり、ちょっと穴場のような感じです。
その横濱元町洋菓子研究所がこちら。
店頭においしそうなお菓子のポスターが貼ってあって、思わず寄ってしまいました。 -
いただいたのは、ショーケースの中にあったタルトフロマージュ。この焼き色最高ですねえ。チーズの程よい酸味がほんわか優しい甘さで包まれて、ルタオとかの北海道スイーツを思い出してしまいます。
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元町商店街を抜けて、そのままどんどん進んだ先の小さな路地は、リセンヌ小路。入口に名前を書いたアーチの看板があって、それと分かりました。
お店はあるにはあるのですが、元町商店街から歩いてくるとかなり落ちます。わざわざ行くところではないかもしれません。 -
これは、大丸谷坂。石川町駅南口からイタリア山庭園へ至る坂で、山手本通りの名物洋館を巡るなら、この坂を上って行くルートが標準的だと思います。大丸谷という歓楽街があったので大丸谷坂だそうですが、今は閑静な住宅地といった感じです。
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クラフトマンシップ ストリートを戻ってきて。
先ほど触れた霧笛楼ですが、ここも横浜元町の老舗洋菓子店。仏蘭西菓子と書いたおしゃれな外観です。 -
食べ歩きなので、マドレーヌを一つ。小麦粉のざらっとした食感とクルミをまぶした香ばしさがいいですね。店の奥には喫茶コーナーもあって、これもちょっと気になりました。
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以下、少し坂のチェックです。
高田坂は、これも山手本通りの方に登って行く坂なのですが、代官坂から右に分かれて細い階段を階段を登って行って。最後は汐汲坂に至るというずいぶん斜めのルートなので、観光客にとっては利用価値は少ない坂。商店の人に聞いても高田坂って?と名前も知らない人ばかりでした。地元の認知度も低いようです。 -
貝殻坂は、外国人墓地と元町公園の間を抜けていきます。少し曲がったりだらだらした坂の部分もあったりしますが、途中、外国人墓地では生麦事件の犠牲者の墓を見つけて、ちょっとドキッとしてしまいました。生麦事件が発端になって薩英戦争が起こるのですが、それが薩摩藩に攘夷の無意味さを悟らせる結果となる。明治維新に向けてはとても重要な事件です。
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さて、ここから再びフランス橋を渡って、中華街の方へ向かいます。
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天長門は、関帝廟通りの東端に立つ門ですが、「横浜大世界」の前にある門といった方が分かりやすいでしょう。中華街でも一番賑やかな一角。ここから中華街に入る人はどこで飯を食べようかと鵜の目鷹の目といった感じ。私もここに来るとテンションが上がります。
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昼飯は、この保昌です。
元は裏メニューだったという、今は人気のカレーご飯を食べに行きました。 -
中華風というのは何かなあと思ったら、たぶんそれはとろみの付け方。中華の餡かけのようなとろみです。味的には中華というものではないような。スパイスには胡椒の味が効いていて辛めなことくらいかなと思います。
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続いての紅棉も、中華街の中心部。中華菓子の人気店です。
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揚げたてのゴマだんごや月餅のようなものが品数は比較的少ないですが、おいしそうに並んでいます。私は、寒い時期なので、マーラーカオ。たまごたっぷりのほかほか味がたまりませんでした。いいお店です。
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次に向かったのは、横浜人形の家。
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予想に反して巨大なビルですね。
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最初は、異国情緒豊かな開港以降の横浜を強く意識させる展示ですが、
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その後は、こけしなども含めた日本各地の人形に、世界各国の人形を網羅して、これはなかなか本格的な施設です。
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意外に伝統工芸が盛んな香川県に、
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阿波踊りに人形浄瑠璃の伝統がある徳島は、芸能ではやっぱり特別な存在です。
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京都の伏見人形は、土人形のルーツです。
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これに対して、桜で有名な三春の人形は張子です。
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宮城県の堤人形は、東北を代表する土人形。これは三番叟ですね。
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そして、東北ならこけしも外せない。これもなかなか充実のコレクションです。
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これは、欧州の人形たち。人形を見ると、逆に欧州が多民族であることに改めて気が付かされます。
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そして、日本の人形を代表する御所人形に、
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一重まぶたがかわいらしい市松人形、
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人形浄瑠璃の木偶、カラクリ人形、
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生人形までの迫力あるラインナップ。
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海外の人形だと我々のイメージはやっぱりフランス人形。
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青い目をしたお人形たちでしょう。
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サーカスみたいな人形に、
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この不思議の国のアリスの幻想的な人形も見応えがあります。
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日本で言えば、いわゆる創作人形。
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イチオシ
人形をモチーフにして、作者の世界観を思い切り表現しています。
私は、人形の博物館だと京都さがの 人形の家が日本一だと思いますが、こちらは、横浜の異国情緒が加わっていて、そこがやっぱり個性的。魅力的な展示内容を十分楽しませてもらいました。 -
横浜人形の家を出て、山下公園の方へ。
石のステージは、山下公園の東端。一段高くなった場所にストーンヘンジを思わせる迫力ある光景が現れました。 -
ただ、それだけではなくて、真ん中に水路があってそこから階段の方に水が流れ落ちていく。その仕掛けもなかなか見応えがあります。
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山下公園に沿って走る自動車道路は、横浜山下公園通り。広い歩道は自転車も通るゆったりとした銀杏の並木道で、公園と連動したゆったり感があるように思います。人形の家からシルクセンターまでの途中には旧英国7番館とか史跡もポツポツあります。
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山下公園の中にある沈床花壇は、花壇が窪んだところにあるので、そこに降りて行って花を眺める構造。降りる前に花壇より高い場所から予め全景を確認できるのが特徴です。ただ、ここの窪みは浅くて階段も緩やかなのでそうした狙いはあまり気が付かれないかも。むしろ自然な感じの花壇です。
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その花壇の脇にあるのが日米友好ガールスカウトの像。これは、アメリカガールスカウト50周年と日本のガールスカウト本連盟の世界連携加入を記念して、昭和37年に建てられたもの。これも、戦後、日本が国際社会に受け入れられていくプロセスで米国が心を砕いてくれたことの一つかなと思います。
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これは、氷川丸。1930年に竣工した日本郵船の大型貨客船で、太平洋戦争でも沈没を免れ、戦後も1960年まで北太平洋航路で活躍しました。内部は、博物館になっています。
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そのまま海岸沿いに少し進んで。。
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これは、かもめの水兵さんの碑。氷川丸のすぐ前にあります。誰でも知っている歌ですが、これは作詞した武内俊子さんがハワイへ旅立つ叔父を見送りに来た時の横浜港の風景を基に作ったのだとか。今でも周辺にはたくさんのカモメが飛んでいますが、少し歌の印象が変わったかなと思います。
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水の守護神像は、中央部にある噴水の中。米国のサンディエゴ市から寄贈された像です。水瓶を胸のところで掲げた女性の像。噴水の中に立っているので、噴水の水を汲んでいるかのようにも見える。水が豊かな自然な眺めとなっています。
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近くの目立たない碑はリカルテ将軍。将軍は、フィリピンの軍人。太平洋戦争において日本軍の掲げた旗印は欧米からの植民地解放でしたが、親米のフィリピンに侵攻した日本軍は敵意を向けられる存在。一方でリカルテ将軍は米国からの独立のため戦った将軍であり、日本軍寄りの姿勢があったので、日本からすると頼りになった人物。日本に亡命して一時は横浜にも住んだことがあったよう。
日本とフィリピンの関係を考える上ではちょっと感慨深いものもあると思います。ただ、碑は広い山下公園の中ではなかなかみつけにくい。けっこう苦労しました。 -
目立たない像ですが、西洋理髪発祥の地は、山下公園の西側。山下公園通りにも近い方です。
モチーフは、髪を真ん中から分けた男性の顔。目の部分に、散切り。口の部分に横浜というというローマ字が入っているユニークなデザイン。蝶ネクタイもしていて、念がいっています。 -
そして、山下公園では一番有名な像が、この赤い靴はいてた女の子像。意外に小さな像なんですが、その分、観光客が皆さん撫でていくので、体のあちこちがつるつるに光っています。
女の子のモデルは、岩崎きみ。その母は生活の厳しさから、2歳のわが子をアメリカ人宣教師ヒュエット夫妻に託しますが、宣教師夫妻は母国への帰国が命ぜられる。夫妻はやむなく孤児院に残して旅立ちますが、結核で9歳の短い生涯を終えたのです。薄幸の少女と港町の情景がオーバーラップして、今でも心に伝わってくるものがあると思います。 -
山下公園の西の端、インド水塔までやってきました。横浜市認定歴史的建造物にもなっているインド式の水飲み場です。
関東大震災で被災した横浜在住のインド人を救済した横浜市民への感謝の印として建てられたものだそう。ドームの屋根とか特徴的ですが、これがインドの典型的なデザインなのかどうかまでは分かりません。 -
山下公園通りを挟んだ向かいは、神奈川県民ホール。大ホール、小ホールなど5つの劇場があって、なにかとよく利用される施設。ガラス張りの建物からは日が暮れると暖かな光が漏れて、そうした景観もこのエリアに潤いを与えているような気がします。
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開港の道は、桜木町駅から港の見える公園までの散策道を指すようですが、一般的なところだと山下公園からプロムナードを経由して開港広場に至るルートではないかと思います。ここだと開港の道と書いたプレートもあるし、ペリーや日米和親条約の締結とかの気分がぐっと出てくるでしょう。
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山下臨港線プロムナードの高架の遊歩道に上がって。
進むに従って、途中、大桟橋・ふ頭ビル、像の鼻パークを眺めながら、遠くにはみなと未来地区も見えるということで、横浜の誇る美しい近代的な景観が思い切り楽しめます。
このビルは、大さん橋ふ頭ビル。ロートみたいに屋上に向けて広がった屋根が特徴です。プロムナードから眺めると海に突き出て、大さん橋とこのふ頭ビルがセットになって横浜港の代表的な風景になっています。ただ、中に入っても普通のターミナルビル。遠くから眺めてこそのふ頭ビルだと思います。 -
で、そこから開港広場に出てきました。通りが交差するロータリーのようなところに面しているので、とても開放的な雰囲気です。ここで日米和親条約が締結され、日本は長い鎖国の時代から新たな世界に踏み出すことになりました。
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開港広場の隅に、旧居留地90番地の大砲。大きさもさほどなくて、あんまり目立ってもいないし、正直言えばそんなに価値があるんだろうかと言う感じ。外国人居留地90番地には、生糸の輸出などを行っていたスイスの商社があった場所。時代遅れになった大砲は船の碇に鋳なおされたのですが、関東大震災で埋もれてしまったのではないかという説明でした。
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さて、日が暮れてきて、中華街に戻ってきました。
いよいよ、春節を拝見しましょう。 -
おー、やってますよ~
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中国式の獅子舞です。ピンクの獅子って、日本人の感覚だとありえないんですが、この愛嬌ある動きにはピッタリです。
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相手をじっと見つめて、
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体全体を揺すったり。
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機敏な動きも独特です。
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今度は小さなレストランに入っていきます。
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そして、お店の前では後ろ足で立つという大技も。まったく、ノリノリですね。
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怖い顔のおじさんですが、
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太鼓を叩いて、場を盛り上げる。ちゃんと重要な役割です。
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再び、お店から出てきて
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なんかごそごそしてると思ったら、
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いきなり、口に含んだ酒をぷーっと吹きかけてきました。
キャー。私は服にモロに掛かってしまいましたよ~
軽いアルコールの匂いとなんかみかんの香りもするような。。 -
地面を見ると、これって大吉?みかんとお皿でおめでたい文字を作っていたんですね。
まあ、正月の無礼講だと思って、許すしかないですね。 -
飲んでもいないのに、体がアルコール臭いまま、ネオンの中華街へ。
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まだまだ不夜城と言った
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派手派手の中華街です。
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途中ですが、この日本国新聞発祥の地は、横浜中華街の関帝廟通り歩道。ちょっと寂しげな一角にある、赤い大理石のような石碑です。
ここは、ジョセフ彦が「海外新聞」を発刊した場所。ジョセフ彦というのは、幕末、台風で遭難したところをアメリカ船に助けられ、アメリカの地で勉学をした人物。海外事情を明らかにするための翻訳新聞だったようです。 -
関帝廟を確認して、これで帰ろうと思ったのですが、思い直して、もう一度、獅子舞を見てみましょう。
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今度は、お土産物屋さんの中で待ち受けてみました。でかい顔の獅子が入って来ましたよ~
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イチオシ
お客さんの頭を噛んであげたりしています。なるほど、頑張ってますね。
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今度は別のお店。獅子が二階から降りてきました。
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ここでも、頭を噛んでいると思ったら、口から何か差し入れを渡してるんですね。お疲れ様です。
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興が乗るとまたしても、後ろ足で立つ大技。
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本当に元気な獅子舞です。
さて、これでさすがにもういいでしょう。辺りはすっかり暗くなったし、退散です。 -
中華街から石川町駅に向かっていて、これは、旧花園橋の親柱。現在の市立港中学校の門柱です。
関東大震災の復興事業の一環で、大岡川にあった花園橋の親柱をここに移設したものなので、重厚でモダンなデザインですが、学校の門としては違和感もなくはない。ただ、これも第二のお勤め。悪いことではないでしょう。 -
すぐ先にあるのは延平門。大きさはさほどでもありませんが、緑と白の配色がとてもさわやか。中華街の門も派手派手の配色ばかりではない。一服の清涼剤のような印象です。
さて、以上で中華街の春節は終了。お疲れ様でした。
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