牛窓旅行記(ブログ) 一覧に戻る
岡山市といえば、後楽園。日本三名園の一つですが、逆に言うと、岡山市って、これしかないという感じ。岡山市内は市街電車が走る落ち着いた街なんですが、他にはなにもないというイメージが県内外を問わず、定着しているように思います。<br /><br />ということもあって、一・二日目に牛窓を入れたのは、ちょっと工夫したところ。ちなみに、岡山市は瀬戸内海側の都市では珍しく、岡山平野という広い平野にあるし、児島湾の干拓などもあって、実は瀬戸内海までは少し距離があるんですね。それもあって、牛窓は岡山市からは約30キロ。鉄道もないし、岡山市からのアクセスはけっしていいとは言えません。しかし、瀬戸内海が交通の動脈だった時代の雰囲気は、活気というほどではありませんが今でも街にしっかり残っていて、その味わいも面白いところでしょう。<br /><br />岡山城から後楽園は、ボランティアガイドさんに案内いただきましたが、宇喜多直家・秀家の話題が意外に出る。宇喜多直家は、斎藤道三や松永久秀に並ぶ悪人とされたり、あまりいい印象はないのですが、暗殺や謀殺は、結局、死者を少なくすることにつながったという説明には、地元人の愛も感じました。一方の秀家は、五大老の一人として石田三成に味方し、関ヶ原の戦いでは西軍では最大の兵力1万7千を擁する実質的な主力軍。いかんなく猛将ぶりを発揮して、東軍、福島正則を壊滅寸前まで追い込んでいますし、家康に助命され、最後は八丈島に流罪、天命を全うするというのも、爽やかなイメージ。また、目がパッチリの肖像画から、地元では美男子としての評価も高いということでした。

岡山市と倉敷市に牛窓を少々の旅(一・二日目)~瀬戸内海に臨む朝鮮通信使の街、牛窓は日本のエーゲ海。その後は、定番の岡山市内中心部。岡山城・後楽園とその周辺を散策です~

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2017/02/09 - 2017/02/10

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たびたび

たびたびさん

岡山市といえば、後楽園。日本三名園の一つですが、逆に言うと、岡山市って、これしかないという感じ。岡山市内は市街電車が走る落ち着いた街なんですが、他にはなにもないというイメージが県内外を問わず、定着しているように思います。

ということもあって、一・二日目に牛窓を入れたのは、ちょっと工夫したところ。ちなみに、岡山市は瀬戸内海側の都市では珍しく、岡山平野という広い平野にあるし、児島湾の干拓などもあって、実は瀬戸内海までは少し距離があるんですね。それもあって、牛窓は岡山市からは約30キロ。鉄道もないし、岡山市からのアクセスはけっしていいとは言えません。しかし、瀬戸内海が交通の動脈だった時代の雰囲気は、活気というほどではありませんが今でも街にしっかり残っていて、その味わいも面白いところでしょう。

岡山城から後楽園は、ボランティアガイドさんに案内いただきましたが、宇喜多直家・秀家の話題が意外に出る。宇喜多直家は、斎藤道三や松永久秀に並ぶ悪人とされたり、あまりいい印象はないのですが、暗殺や謀殺は、結局、死者を少なくすることにつながったという説明には、地元人の愛も感じました。一方の秀家は、五大老の一人として石田三成に味方し、関ヶ原の戦いでは西軍では最大の兵力1万7千を擁する実質的な主力軍。いかんなく猛将ぶりを発揮して、東軍、福島正則を壊滅寸前まで追い込んでいますし、家康に助命され、最後は八丈島に流罪、天命を全うするというのも、爽やかなイメージ。また、目がパッチリの肖像画から、地元では美男子としての評価も高いということでした。

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  • 岡山空港から、岡山駅に向かいます。

    岡山空港から、岡山駅に向かいます。

  • 岡山駅に到着。<br />岡山シティミュージアムは、岡山駅の裏側。NHKも一緒に入った巨大な建物です。しかし、訪ねてみると、スターウォーズの企画展は終わったばかり。せめて常設展がないかと思ったのですが、ここは企画展しかやってないのだそう。観光客からすれば、企画展がない時でも、岡山を説明するコーナーでもあれば違うでしょう。あまりにも立派な建物だし、もったいないかなと思いました。

    岡山駅に到着。
    岡山シティミュージアムは、岡山駅の裏側。NHKも一緒に入った巨大な建物です。しかし、訪ねてみると、スターウォーズの企画展は終わったばかり。せめて常設展がないかと思ったのですが、ここは企画展しかやってないのだそう。観光客からすれば、企画展がない時でも、岡山を説明するコーナーでもあれば違うでしょう。あまりにも立派な建物だし、もったいないかなと思いました。

  • 今日は、牛窓のホテルに向かわないといけないのですが、その前の時間を使って、周辺のB級グルメチェックをしてみたいと思います。<br />金扇堂も、岡山駅の裏側方面。きびだんごの食べ比べで、訪ねてみました。

    今日は、牛窓のホテルに向かわないといけないのですが、その前の時間を使って、周辺のB級グルメチェックをしてみたいと思います。
    金扇堂も、岡山駅の裏側方面。きびだんごの食べ比べで、訪ねてみました。

  • 工場と一体となった店舗は少し年季が入っています。

    工場と一体となった店舗は少し年季が入っています。

  • さっそく、きな粉のきびだんごをいただきましたが、なんというか歯ごたえもあるし、なるほどなるほど。きな粉のおはぎを食べているような味わい。なんか本物の味って感じのきびだんごです。

    さっそく、きな粉のきびだんごをいただきましたが、なんというか歯ごたえもあるし、なるほどなるほど。きな粉のおはぎを食べているような味わい。なんか本物の味って感じのきびだんごです。

  • そこから、奉還町商店街に出てきました。これは、岡山駅の方につながっています。

    そこから、奉還町商店街に出てきました。これは、岡山駅の方につながっています。

  • で、その一番奥の方にあるのは、パン工房 愛。

    で、その一番奥の方にあるのは、パン工房 愛。

  • 小さな店舗なんですが、通りから見るとショーケースに並んでいるパンがとても美しくて、一発でいいお店なんだなと分かりました。

    小さな店舗なんですが、通りから見るとショーケースに並んでいるパンがとても美しくて、一発でいいお店なんだなと分かりました。

  • いただいたのは、フランスパンのサンドイッチ。野菜もハムもいいバランス。期待通り、おいしい仕上がりです。

    いただいたのは、フランスパンのサンドイッチ。野菜もハムもいいバランス。期待通り、おいしい仕上がりです。

  • 同じ商店街の、これは手作り庵 いなか家。

    同じ商店街の、これは手作り庵 いなか家。

  • 餡子の串団子をいただきました。このもっちり感は、どうかするとすいとんのようなもっちり感でしょうか。少し大きめの団子だし、ちょっと存在感がありますね。二串のだんごでお腹いっぱいになりました。

    餡子の串団子をいただきました。このもっちり感は、どうかするとすいとんのようなもっちり感でしょうか。少し大きめの団子だし、ちょっと存在感がありますね。二串のだんごでお腹いっぱいになりました。

  • 杉山広進堂は、奉還町商店街の入口。お菓子のお店なんですが、お菓子の問屋と書いてるように、いってみればスーパーのお菓子売り場がお店になったという感じ。自分のところで作っているものではなく、仕入れたもの。ちょっとこれでは、岡山観光とは無関係。パスしますね。

    杉山広進堂は、奉還町商店街の入口。お菓子のお店なんですが、お菓子の問屋と書いてるように、いってみればスーパーのお菓子売り場がお店になったという感じ。自分のところで作っているものではなく、仕入れたもの。ちょっとこれでは、岡山観光とは無関係。パスしますね。

  • これが奉還町商店街の入口。やっぱりレトロです。駅裏なので、どっちにしても観光客には無縁の場所かなとは思います。

    これが奉還町商店街の入口。やっぱりレトロです。駅裏なので、どっちにしても観光客には無縁の場所かなとは思います。

  • 岡山駅に戻って。<br />岡山市観光案内所は、岡山駅二階の改札を出てすぐ。二人座っているのですが、一人はJRの案内のよう。その人に観光情報を聞こうと思ったら、隣りの人に回されました。どうかすると二人ともJRの人に見えなくもないし、ちょっと紛らわしいです。<br />いただいた後楽園のパンフレットが秀逸。すごく詳しいし、写真もきれいなので、これは保存版です。

    岡山駅に戻って。
    岡山市観光案内所は、岡山駅二階の改札を出てすぐ。二人座っているのですが、一人はJRの案内のよう。その人に観光情報を聞こうと思ったら、隣りの人に回されました。どうかすると二人ともJRの人に見えなくもないし、ちょっと紛らわしいです。
    いただいた後楽園のパンフレットが秀逸。すごく詳しいし、写真もきれいなので、これは保存版です。

  • 岡山駅ビルの商業施設は、さんすて。二階の入口から入るとグルメのゾーンです。

    岡山駅ビルの商業施設は、さんすて。二階の入口から入るとグルメのゾーンです。

  • まずは、吾妻寿司へ。評判が良いようだったのでランチを利用しました。

    まずは、吾妻寿司へ。評判が良いようだったのでランチを利用しました。

  • しかし、結果としては、イマイチ。サンプルの握りと比べるとかなり貧相だし、表面が乾いていて、作り置きしたものでしょうか。店員さんはたくさんいて活気があるんですが、これではちょっと手抜きでしょう。残念に思いました。

    しかし、結果としては、イマイチ。サンプルの握りと比べるとかなり貧相だし、表面が乾いていて、作り置きしたものでしょうか。店員さんはたくさんいて活気があるんですが、これではちょっと手抜きでしょう。残念に思いました。

  • 気を取り直して。<br />この廣榮堂は、岡山市では一番メジャーなお菓子屋さん。店舗がいくつもあって、ここはさんすての二階入ってすぐ。敢えて言えば、看板商品はきびだんごなんですが、なんだかんだと種類はとっても多いです。最近は、本来は倉敷のお菓子である村すずめなんかも作っています。<br />ただ、ここのきびだんごの包装はちょっと高級感もあって、ふっくら加減なんかもさすがという感じです。

    気を取り直して。
    この廣榮堂は、岡山市では一番メジャーなお菓子屋さん。店舗がいくつもあって、ここはさんすての二階入ってすぐ。敢えて言えば、看板商品はきびだんごなんですが、なんだかんだと種類はとっても多いです。最近は、本来は倉敷のお菓子である村すずめなんかも作っています。
    ただ、ここのきびだんごの包装はちょっと高級感もあって、ふっくら加減なんかもさすがという感じです。

  • 向かいにあるのは、聖和堂。「あさひもち」と書いた小さな屋台のような店舗です。

    向かいにあるのは、聖和堂。「あさひもち」と書いた小さな屋台のような店舗です。

  • この「あさひ」というのは、あさひ米という地元産のうるち米だそう。それでもしっかりモチモチ感があるし、小さめの黒豆で新味のある豆大福に仕上がっていました。

    この「あさひ」というのは、あさひ米という地元産のうるち米だそう。それでもしっかりモチモチ感があるし、小さめの黒豆で新味のある豆大福に仕上がっていました。

  • 岡山駅の表口です。

    岡山駅の表口です。

  • その岡山駅の駅前広場にあるのは、六高生記念像。旧制第六高等学校は、岡山大学の前身。中国地方の旧制高等学校は、広島ではなかったんですね。ちょっと意外です。<br />ところで、この像はかなりのイケメン。少女漫画でもここまでのイケメンはなかなかいないような。できれば、女性の人にも確かめてもらいたいと思います。

    その岡山駅の駅前広場にあるのは、六高生記念像。旧制第六高等学校は、岡山大学の前身。中国地方の旧制高等学校は、広島ではなかったんですね。ちょっと意外です。
    ところで、この像はかなりのイケメン。少女漫画でもここまでのイケメンはなかなかいないような。できれば、女性の人にも確かめてもらいたいと思います。

  • ももたろう観光センターは、岡山駅からイオンの方に向かう地下街の途中。観光客からすると、この方面は足が向かないような気もしなくはないのですが。。<br />ただ、施設としてはかなり大きなスペースだし、スタッフも充実しています。なので、少し遠回りした感じがしても、ちょっと報われたような気持ちになりました。

    ももたろう観光センターは、岡山駅からイオンの方に向かう地下街の途中。観光客からすると、この方面は足が向かないような気もしなくはないのですが。。
    ただ、施設としてはかなり大きなスペースだし、スタッフも充実しています。なので、少し遠回りした感じがしても、ちょっと報われたような気持ちになりました。

  • で、そこを経由してやってきたのは、源吉兆庵本店。その上階に吉兆庵美術館はあります。

    で、そこを経由してやってきたのは、源吉兆庵本店。その上階に吉兆庵美術館はあります。

  • ひな祭りの季節ということで、

    ひな祭りの季節ということで、

  • 徳川家ゆかりのひな人形と銘打った企画展が行われていました。

    徳川家ゆかりのひな人形と銘打った企画展が行われていました。

  • 圧巻はかなり大きめの御所人形の品々。やっぱり人形の王様は御所人形。

    圧巻はかなり大きめの御所人形の品々。やっぱり人形の王様は御所人形。

  • それもこんなに大きな人形を揃えているのはすばらしい。目の付け所にも感心しました。

    それもこんなに大きな人形を揃えているのはすばらしい。目の付け所にも感心しました。

  • そこから、桃太郎大通りの方へ戻りつつ。<br />下石井公園は、岡山駅の北西方向。観光エリアではないのですが、図書館にも隣接しているし、それなりに広さのある公園は運動公園のような感じもあって、地元の人にとっては使い勝手がいい公園のように思います。

    そこから、桃太郎大通りの方へ戻りつつ。
    下石井公園は、岡山駅の北西方向。観光エリアではないのですが、図書館にも隣接しているし、それなりに広さのある公園は運動公園のような感じもあって、地元の人にとっては使い勝手がいい公園のように思います。

  • 一角にはSLも展示されていました。

    一角にはSLも展示されていました。

  • もうすぐ桃太郎大通りという場所にあるお菓子屋さん、みづゑです。

    もうすぐ桃太郎大通りという場所にあるお菓子屋さん、みづゑです。

  • ここでもきび団子の食べ比べで、

    ここでもきび団子の食べ比べで、

  • きびだんごを買ってみました。

    きびだんごを買ってみました。

  • 包みを開けると。。シルクのような白いだんごが現れて、これはきれい。だんごは米の香りがするし、牛乳が入っているわけではないのですが、牛乳プリンのような素直な甘さ。ほー、こんなのができますかというサプライズのきびだんごです。

    包みを開けると。。シルクのような白いだんごが現れて、これはきれい。だんごは米の香りがするし、牛乳が入っているわけではないのですが、牛乳プリンのような素直な甘さ。ほー、こんなのができますかというサプライズのきびだんごです。

  • さて、これが桃太郎大通り。岡山駅から岡山城や後楽園の方にまっすぐ伸びるメインストリートで、市電もここを走っています。広い歩道には、銅像のモニュメントがちらほら。桃太郎の家来、犬、猿、雉の像も岡山駅に近い側にありました。<br />ただ、この通りを歩いて後楽園に行くのは少し距離がありますので、やっぱり市電を使うのがいいかなと思います。<br />以上で、岡山駅周辺の散策は終了。これから、牛窓へ向かいます。

    さて、これが桃太郎大通り。岡山駅から岡山城や後楽園の方にまっすぐ伸びるメインストリートで、市電もここを走っています。広い歩道には、銅像のモニュメントがちらほら。桃太郎の家来、犬、猿、雉の像も岡山駅に近い側にありました。
    ただ、この通りを歩いて後楽園に行くのは少し距離がありますので、やっぱり市電を使うのがいいかなと思います。
    以上で、岡山駅周辺の散策は終了。これから、牛窓へ向かいます。

  • 今夜の宿は、ホテルイルマーレ牛窓。岡山駅からマイクロバスで一時間といったところでした。<br /><br />

    今夜の宿は、ホテルイルマーレ牛窓。岡山駅からマイクロバスで一時間といったところでした。

  • 牛窓は、日本のエーゲ海というらしいのですが、このホテルは、そのイメージを踏まえたデザインです。<br /><br />

    牛窓は、日本のエーゲ海というらしいのですが、このホテルは、そのイメージを踏まえたデザインです。

  • 牛窓の湾を見下ろす小高い山の上にあって、

    牛窓の湾を見下ろす小高い山の上にあって、

  • あれは、ヨットハーバーですね。

    あれは、ヨットハーバーですね。

  • そして、このホテル自体が真っ白な外壁や海を臨む屋上テラスなどを備えた美しいデザインには、地中海の雰囲気が溢れています。

    イチオシ

    そして、このホテル自体が真っ白な外壁や海を臨む屋上テラスなどを備えた美しいデザインには、地中海の雰囲気が溢れています。

  • 部屋のゆったり感も申し分ないし、<br />

    部屋のゆったり感も申し分ないし、

  • 部屋から見える黄昏の風景も悪くないでしょう。<br />しかし、一方で、共同浴場は海を眺めながら行く遊歩道の先。冬だったのでけっこう寒くて、これはちょっといただけないなあと思いました。

    部屋から見える黄昏の風景も悪くないでしょう。
    しかし、一方で、共同浴場は海を眺めながら行く遊歩道の先。冬だったのでけっこう寒くて、これはちょっといただけないなあと思いました。

  • 翌日の朝食場所。こちらも白が基調。光があふれていました。

    翌日の朝食場所。こちらも白が基調。光があふれていました。

  • で、ここから岡山市内に戻る前に、牛窓の市街を散策します。<br />牛窓は朝鮮通信使の宿泊地だったことで有名なのですが、その朝鮮通信使を実際にもてなした施設が、この本蓮寺です。

    で、ここから岡山市内に戻る前に、牛窓の市街を散策します。
    牛窓は朝鮮通信使の宿泊地だったことで有名なのですが、その朝鮮通信使を実際にもてなした施設が、この本蓮寺です。

  • 市街から少し石段を登った高台にあって、山門を入ると正面がその施設。

    市街から少し石段を登った高台にあって、山門を入ると正面がその施設。

  • 塀に囲まれた接待所のような建物が唐屋根の玄関も含めて、

    塀に囲まれた接待所のような建物が唐屋根の玄関も含めて、

  • かつての雰囲気のままに残っています。<br />

    イチオシ

    かつての雰囲気のままに残っています。

  • もう一段上がった場所には本堂と三重塔。なかなか奥が深くて、変化が楽しめる境内です。<br />

    もう一段上がった場所には本堂と三重塔。なかなか奥が深くて、変化が楽しめる境内です。

  • なお、そこからは瀬戸内海が目の前。鞆の浦の福禅寺も見晴らしがいいですが、こちらも負けていないように思いました。

    なお、そこからは瀬戸内海が目の前。鞆の浦の福禅寺も見晴らしがいいですが、こちらも負けていないように思いました。

  • 本蓮寺を出て、市街に降りると、しおまち唐琴通りの案内板。<br />通りは、朝鮮通信使の宿泊所となった本蓮寺の入口から始まって、少し湾曲した通りが奥に延びるのですが、

    本蓮寺を出て、市街に降りると、しおまち唐琴通りの案内板。
    通りは、朝鮮通信使の宿泊所となった本蓮寺の入口から始まって、少し湾曲した通りが奥に延びるのですが、

  • 蔵のような建物や豪壮な構えのお屋敷もあったりして、確かに瀬戸内海の単なる漁師町とは異なる雰囲気。

    蔵のような建物や豪壮な構えのお屋敷もあったりして、確かに瀬戸内海の単なる漁師町とは異なる雰囲気。

  • 瀬戸内海に面した交通の要衝として豊かな街であったことが感じられます。

    瀬戸内海に面した交通の要衝として豊かな街であったことが感じられます。

  • この牛窓海遊文化館は、明治20年に建てられた旧牛窓警察署本館。国の登録有形文化財です。<br />東北ではよく見かける擬洋風建築。玄関のポーチを支える柱のデザインなどはローマ風ですが、全体としては切妻造で瓦葺という和の基本。その和洋折衷のバランスが見どころでしょう。<br />

    この牛窓海遊文化館は、明治20年に建てられた旧牛窓警察署本館。国の登録有形文化財です。
    東北ではよく見かける擬洋風建築。玄関のポーチを支える柱のデザインなどはローマ風ですが、全体としては切妻造で瓦葺という和の基本。その和洋折衷のバランスが見どころでしょう。

  • ここから、最後は街を見下ろす山の方に向かいます。<br />牛窓は日本のエーゲ海を謳っていますが、ミティリニ広場は、牛窓がミティリニとの姉妹都市となったことを記念するもの。瀬戸内海に面した牛窓の街を見下ろせる場所にあるのがウリなんですが、まあほどほど。ここが特別眺めのいいスポットという感じでもないかなあ。市街から歩いて行きましたが、ちょっと遠いし、あまりお勧めはできません。<br />以上で、牛窓はおしまいで、ここからは岡山市内に戻って、定番の岡山城と後楽園あたりを観光します。

    ここから、最後は街を見下ろす山の方に向かいます。
    牛窓は日本のエーゲ海を謳っていますが、ミティリニ広場は、牛窓がミティリニとの姉妹都市となったことを記念するもの。瀬戸内海に面した牛窓の街を見下ろせる場所にあるのがウリなんですが、まあほどほど。ここが特別眺めのいいスポットという感じでもないかなあ。市街から歩いて行きましたが、ちょっと遠いし、あまりお勧めはできません。
    以上で、牛窓はおしまいで、ここからは岡山市内に戻って、定番の岡山城と後楽園あたりを観光します。

  • まあ、もう何度も来ている場所なんですが、ボランティアガイドさんも頼んでいるし、たまには、こうした観光も悪くはないでしょう。まずは、岡山城からです。<br />

    イチオシ

    まあ、もう何度も来ている場所なんですが、ボランティアガイドさんも頼んでいるし、たまには、こうした観光も悪くはないでしょう。まずは、岡山城からです。

  • ちなみに、烏城というのは、岡山城のこと。カラスのように黒い城ということですね。<br />ところで、お堀の役割で岡山城の脇には旭川が流れていますが、川が氾濫してけっこうな水害にもあったことがあるよう。

    ちなみに、烏城というのは、岡山城のこと。カラスのように黒い城ということですね。
    ところで、お堀の役割で岡山城の脇には旭川が流れていますが、川が氾濫してけっこうな水害にもあったことがあるよう。

  • 石垣の高い場所にここまで水位が高くなったと印が付いていました。のどかに見える公園ですが、少しイメージが変わりました。

    石垣の高い場所にここまで水位が高くなったと印が付いていました。のどかに見える公園ですが、少しイメージが変わりました。

  • さて、城跡に石垣があるのは当たり前で、特にどうということはないと思ったのですが、ガイドさんの説明によれば、岡山城の石垣はいろんな時代の石垣が一目で見れるというのがウリになっているようです。<br />ちなみに、岡山城は宇喜多直家により築城された城ですが、その後の小早川氏、池田氏によってさらに拡充されたので、時代によって違う築かれ方の石垣がつぎはぎとなっているんですね。この場所は、中央が小早川氏の時代。左手が池田利隆、右手が池田忠雄の時代。小早川氏の時代から池田氏の時代では技術が格段に進化していて、精巧な組み方になっているのが分かると思います。

    さて、城跡に石垣があるのは当たり前で、特にどうということはないと思ったのですが、ガイドさんの説明によれば、岡山城の石垣はいろんな時代の石垣が一目で見れるというのがウリになっているようです。
    ちなみに、岡山城は宇喜多直家により築城された城ですが、その後の小早川氏、池田氏によってさらに拡充されたので、時代によって違う築かれ方の石垣がつぎはぎとなっているんですね。この場所は、中央が小早川氏の時代。左手が池田利隆、右手が池田忠雄の時代。小早川氏の時代から池田氏の時代では技術が格段に進化していて、精巧な組み方になっているのが分かると思います。

  • ここから天守閣の方に進みます。

    ここから天守閣の方に進みます。

  • ここを上がると不明門です。

    ここを上がると不明門です。

  • 不明門は、今では岡山城の天守閣に向かう正門ですが、かつては、ここを通る人は限られた身分の人。普段は開いていなかったので「あかずのもん」と呼ばれたのだそうです。<br />

    不明門は、今では岡山城の天守閣に向かう正門ですが、かつては、ここを通る人は限られた身分の人。普段は開いていなかったので「あかずのもん」と呼ばれたのだそうです。

  • しかし、門の大きさからすると多くの人が利用したような感じにしか見えないので、「あかずのもん」というのはちょっと違和感はありますね。<br />なお、現在の門は明治になってから再建されたもの。コンクリート製だということです。

    しかし、門の大きさからすると多くの人が利用したような感じにしか見えないので、「あかずのもん」というのはちょっと違和感はありますね。
    なお、現在の門は明治になってから再建されたもの。コンクリート製だということです。

  • あれが、岡山城 天守閣です。これが烏城の黒い色なんですね。全体は五角形。後楽園側から見ると立体的で、反対側のこちらから見ると平面的という不規則な形となっています。中段の破風屋根に付いている金色の桃のオブジェもお見逃しなく。

    あれが、岡山城 天守閣です。これが烏城の黒い色なんですね。全体は五角形。後楽園側から見ると立体的で、反対側のこちらから見ると平面的という不規則な形となっています。中段の破風屋根に付いている金色の桃のオブジェもお見逃しなく。

  • 天守閣からは、周囲の景色は後楽園に旭川を一望できて、こんな具合。<br />旭川の川筋は、岡山城の防御のためにここまで引いてきたもので、本来の川筋と違うこともあって、何度も水害を引き起こしたよう。こうして穏やかに見えるようでももう一つの顔があるんですね。

    天守閣からは、周囲の景色は後楽園に旭川を一望できて、こんな具合。
    旭川の川筋は、岡山城の防御のためにここまで引いてきたもので、本来の川筋と違うこともあって、何度も水害を引き起こしたよう。こうして穏やかに見えるようでももう一つの顔があるんですね。

  • 天守閣を出て、後楽園の側に降りていきます。<br />廊下門は、不明門と反対側にある門。後楽園側から天守閣に向かうにはこの門を通ります。

    天守閣を出て、後楽園の側に降りていきます。
    廊下門は、不明門と反対側にある門。後楽園側から天守閣に向かうにはこの門を通ります。

  • 入る時に見ると特に変わったことはないように思うのですが、天守閣側から降りてきて眺めると、この門には名前の通り廊下が通っていることがよく分かります。<br />天守閣と月見櫓を結ぶ廊下で、かつては、本段御殿に住む藩主はここを通って、月見櫓の方に移動したということです。<br />なお、これも戦後に復元されたコンクリート製です。

    入る時に見ると特に変わったことはないように思うのですが、天守閣側から降りてきて眺めると、この門には名前の通り廊下が通っていることがよく分かります。
    天守閣と月見櫓を結ぶ廊下で、かつては、本段御殿に住む藩主はここを通って、月見櫓の方に移動したということです。
    なお、これも戦後に復元されたコンクリート製です。

  • 廊下門を出る前に、月見櫓をチェック。<br />岡山城で、かつての建物で現存するのはこの月見櫓と西丸西手櫓の二つだけ。<br />造られたのは、第4代城主の池田忠雄の時代。城内から見ると2層の望楼型で何の変哲もないのですが、外側から見ると3層の層塔型。外に対しては、やはり戦いのための姿になっているのが面白いところです。

    イチオシ

    廊下門を出る前に、月見櫓をチェック。
    岡山城で、かつての建物で現存するのはこの月見櫓と西丸西手櫓の二つだけ。
    造られたのは、第4代城主の池田忠雄の時代。城内から見ると2層の望楼型で何の変哲もないのですが、外側から見ると3層の層塔型。外に対しては、やはり戦いのための姿になっているのが面白いところです。

  • 廊下門を出て、

    廊下門を出て、

  • これは、月見橋。岡山城と後楽園を結びます。月見橋のネーミングのイメージと違って、鉄筋トラス橋は、とにかく機能重視という感じ。岡山城から後楽園にはこの道しかないので、これを渡るしかない。ただ、初めは違和感があったのですが、だんだんと目に馴染んでくるようなところもなくはない。人間の目はけっこういい加減です。

    これは、月見橋。岡山城と後楽園を結びます。月見橋のネーミングのイメージと違って、鉄筋トラス橋は、とにかく機能重視という感じ。岡山城から後楽園にはこの道しかないので、これを渡るしかない。ただ、初めは違和感があったのですが、だんだんと目に馴染んでくるようなところもなくはない。人間の目はけっこういい加減です。

  • 御舟入跡は、岡山城から月見橋を渡って後楽園の生け垣にぶち当たると、そこから生垣の向こうに御舟入跡の石段が見えました。かつては、月見橋はありませんので、藩主が岡山城から後楽園に行く際は船。その船がここに着いていたというわけです。なるほど何とも優雅な公園です。

    御舟入跡は、岡山城から月見橋を渡って後楽園の生け垣にぶち当たると、そこから生垣の向こうに御舟入跡の石段が見えました。かつては、月見橋はありませんので、藩主が岡山城から後楽園に行く際は船。その船がここに着いていたというわけです。なるほど何とも優雅な公園です。

  • 後楽園の入り口を入って、

    後楽園の入り口を入って、

  • なんというか、もう見慣れた景色ですが、今日はガイドさんがいるし、見どころを丁寧に確認します。

    なんというか、もう見慣れた景色ですが、今日はガイドさんがいるし、見どころを丁寧に確認します。

  • 地蔵堂は、後楽園の岡山城側の入口を入って、左手に進んですぐの場所。<br />地蔵堂と言っても、小さな祠のようなもの。池の淵の小藪のなかにあまり目立たない感じでありました。<br />もともとは、これは世継ぎの健やかな成長を願い、池田綱政が建てたもの。子がいないとお家は断絶の憂き目にあう。真剣な気持ちで願掛けをしたと伝わっています。<br />なお、傍らのムクロジも古木。これも見どころとされています。

    地蔵堂は、後楽園の岡山城側の入口を入って、左手に進んですぐの場所。
    地蔵堂と言っても、小さな祠のようなもの。池の淵の小藪のなかにあまり目立たない感じでありました。
    もともとは、これは世継ぎの健やかな成長を願い、池田綱政が建てたもの。子がいないとお家は断絶の憂き目にあう。真剣な気持ちで願掛けをしたと伝わっています。
    なお、傍らのムクロジも古木。これも見どころとされています。

  • 二色が岡は、もう少し進んだところ。かつては山桜と楓の彩りを楽しむ林だったのでこの名前が付いたようですが、今は普通の林という感じにしか見えません。ただ、御舟入跡、地蔵堂、茂松庵がこの林のエリアにあるので、この林がいい目隠しになっていて、それぞれの見どころが映えるように思います。 

    二色が岡は、もう少し進んだところ。かつては山桜と楓の彩りを楽しむ林だったのでこの名前が付いたようですが、今は普通の林という感じにしか見えません。ただ、御舟入跡、地蔵堂、茂松庵がこの林のエリアにあるので、この林がいい目隠しになっていて、それぞれの見どころが映えるように思います。 

  • まずは、茂松庵。林の中に茅葺の茶室風の建物が静かに建っています。もともとは花葉軒という名前だったようですが、明治期に入ってから茂松庵。林の樹木が変化したようですが、渋い緑の林からするとこの方が合っている。少し遠めにしか見えませんが、風情は十分に感じられます。

    まずは、茂松庵。林の中に茅葺の茶室風の建物が静かに建っています。もともとは花葉軒という名前だったようですが、明治期に入ってから茂松庵。林の樹木が変化したようですが、渋い緑の林からするとこの方が合っている。少し遠めにしか見えませんが、風情は十分に感じられます。

  • 二色が岡を出ると視界が一気に開けます。<br />岡山後楽園の能舞台は、延養亭や鶴鳴館の裏手の方になるので、間近で見ることはできません。それでも、こうやって茂松庵の方から花葉の池に出てきた辺りから見るのが一番よく見えるような。<br />

    イチオシ

    二色が岡を出ると視界が一気に開けます。
    岡山後楽園の能舞台は、延養亭や鶴鳴館の裏手の方になるので、間近で見ることはできません。それでも、こうやって茂松庵の方から花葉の池に出てきた辺りから見るのが一番よく見えるような。

  • 後楽園を造った池田綱政は、能に熱心だったよう。現在の建物は後世のものですが、後楽園の当初からあった施設です。

    後楽園を造った池田綱政は、能に熱心だったよう。現在の建物は後世のものですが、後楽園の当初からあった施設です。

  • こちらの花葉の池は、藩主の居間だった延養亭から南側。

    こちらの花葉の池は、藩主の居間だった延養亭から南側。

  • この池越しには二色が岡が広がります。池と築山という構造なのですが、やはりそれだと沢の池と唯心山の組み合わせの方が目立つので、裏庭といった雰囲気は否めないかも。ただ、池の奥まった部分の石組みはちょっといい感じです。

    この池越しには二色が岡が広がります。池と築山という構造なのですが、やはりそれだと沢の池と唯心山の組み合わせの方が目立つので、裏庭といった雰囲気は否めないかも。ただ、池の奥まった部分の石組みはちょっといい感じです。

  • 延養亭は、後楽園の施設としては一番大きくて、言わばメイン的な施設でしょう。<br />これは藩主が後楽園を訪れた時の居間として使われた建物。ということは、後楽園はここからの眺めが最もいいように設計されているということになります。中心部の沢の池と唯心山の組み合わせは確かにそういう感じ。ただ、岡山城が当時どのように見えていたのか。あるいは見えていなかったのかもちょっと興味の湧くところです。

    延養亭は、後楽園の施設としては一番大きくて、言わばメイン的な施設でしょう。
    これは藩主が後楽園を訪れた時の居間として使われた建物。ということは、後楽園はここからの眺めが最もいいように設計されているということになります。中心部の沢の池と唯心山の組み合わせは確かにそういう感じ。ただ、岡山城が当時どのように見えていたのか。あるいは見えていなかったのかもちょっと興味の湧くところです。

  • で、その唯心山は、後楽園の真ん中。日本庭園でいえば、築山にあたるもの。後楽園は中洲にあるので本来は真っ平らな地形なのですが、これが作られたことで立体感が備わったと言えるでしょう。頂上からは目の前に沢の池。延養亭とか後楽園の全景が見渡せます。

    で、その唯心山は、後楽園の真ん中。日本庭園でいえば、築山にあたるもの。後楽園は中洲にあるので本来は真っ平らな地形なのですが、これが作られたことで立体感が備わったと言えるでしょう。頂上からは目の前に沢の池。延養亭とか後楽園の全景が見渡せます。

  • 唯心山を正面に見て、右手の景色がこれ。後楽園のパンフレットの表紙になったりする、後楽園を代表する眺めです。ただ、芝生が新緑の季節が一番いい。この季節ではイマイチです。

    イチオシ

    唯心山を正面に見て、右手の景色がこれ。後楽園のパンフレットの表紙になったりする、後楽園を代表する眺めです。ただ、芝生が新緑の季節が一番いい。この季節ではイマイチです。

  • ここからは芝生の広場を

    ここからは芝生の広場を

  • 突っ切ります。

    突っ切ります。

  • 廉池軒は後楽園の正門を入って右手の建物。公的な建物が延養亭とすれば、藩主池田綱政がもっとも好んで利用していたというこの建物は、規模が小さいこともあって、よりプライベートな空間を演出しているように思います。そして、重なり合った建物の具合もちょっと個性的。後楽園も景色のなかにうまく溶け込んでいます。

    廉池軒は後楽園の正門を入って右手の建物。公的な建物が延養亭とすれば、藩主池田綱政がもっとも好んで利用していたというこの建物は、規模が小さいこともあって、よりプライベートな空間を演出しているように思います。そして、重なり合った建物の具合もちょっと個性的。後楽園も景色のなかにうまく溶け込んでいます。

  • 唯心山に上って。<br />後楽園にあって、沢の池と唯心山の組み合せは、最も代表的な眺め。

    唯心山に上って。
    後楽園にあって、沢の池と唯心山の組み合せは、最も代表的な眺め。

  • 池には小島が三つあるのですが、目立つのは中の島。太鼓橋がかかって、島には茶室のような建物があり、松の緑も濃いので、いっそう潤いの感を増しているように思います。

    イチオシ

    池には小島が三つあるのですが、目立つのは中の島。太鼓橋がかかって、島には茶室のような建物があり、松の緑も濃いので、いっそう潤いの感を増しているように思います。

  • この建物は、流店です。

    イチオシ

    この建物は、流店です。

  • 前に広がるのは、後楽園の花菖蒲畑。季節になって色とりどりに咲いた花菖蒲の色合いや密集ぐあいとか、何度か見たことがありますが、本当に見事。流店の組み合せも何とも言えない美しさがあって、私はもしかしたら日本一の花菖蒲畑ではないかと思っていますが、いかがでしょうか。

    前に広がるのは、後楽園の花菖蒲畑。季節になって色とりどりに咲いた花菖蒲の色合いや密集ぐあいとか、何度か見たことがありますが、本当に見事。流店の組み合せも何とも言えない美しさがあって、私はもしかしたら日本一の花菖蒲畑ではないかと思っていますが、いかがでしょうか。

  • ちなみに、<br />流店は、周囲の壁はなく、開けっぴろげの建物。中央の水路には、彩りのある石を配し、これを板間に座って眺めるという趣向。数寄屋造りのいいところをうまく表現したような感じですが、少し離れて眺める姿も秀逸。優雅な檜皮葺が美しいです。

    ちなみに、
    流店は、周囲の壁はなく、開けっぴろげの建物。中央の水路には、彩りのある石を配し、これを板間に座って眺めるという趣向。数寄屋造りのいいところをうまく表現したような感じですが、少し離れて眺める姿も秀逸。優雅な檜皮葺が美しいです。

  • 千入の森は、流店から、井田や茶畑に向かう途中の楓の林。

    千入の森は、流店から、井田や茶畑に向かう途中の楓の林。

  • お天気の日には、ちょうどいいあんばいで木陰になるので、この日も生徒のグループがこの辺りに集まって、シートの上で休んでいました。<br />ところで、千入とは幾度も染めるという意味。楓の美しさを例えたものだと思います。

    イチオシ

    お天気の日には、ちょうどいいあんばいで木陰になるので、この日も生徒のグループがこの辺りに集まって、シートの上で休んでいました。
    ところで、千入とは幾度も染めるという意味。楓の美しさを例えたものだと思います。

  • 茶畑は、後楽園の一番外側にあって、背景の土手山と合わせて公園の境をなしているような感じです。ここで作られたお茶は、藩主が実際に飲むお茶として使われたのだそう。後楽園は見て楽しむだけの公園ではなく、生活の中にも関わっていたというのは楽しみ方として面白いことでしょう。

    茶畑は、後楽園の一番外側にあって、背景の土手山と合わせて公園の境をなしているような感じです。ここで作られたお茶は、藩主が実際に飲むお茶として使われたのだそう。後楽園は見て楽しむだけの公園ではなく、生活の中にも関わっていたというのは楽しみ方として面白いことでしょう。

  • 井田は沢の池と茶畑の間の一角にあるちょっとした水田です。なんでこんなところに水田がと思ってしまうのですが、かつては園内に広く田畑が作られていたということ。<br />井田制というのは、中国の田租法。理想的な制度であるとされていて、政治の心構えとかを意識したものだと思います。

    井田は沢の池と茶畑の間の一角にあるちょっとした水田です。なんでこんなところに水田がと思ってしまうのですが、かつては園内に広く田畑が作られていたということ。
    井田制というのは、中国の田租法。理想的な制度であるとされていて、政治の心構えとかを意識したものだと思います。

  • 岡山の後楽園にも、規模は限られますが、梅林があります。流店から茶祖堂に向かう途中の平坦な場所。この日、早咲きの梅は咲いていましたが、大半はまだまだといった感じ。白梅も紅梅もあるようで、それがどんな配置になっているのか。ちょっと気になるところです。

    岡山の後楽園にも、規模は限られますが、梅林があります。流店から茶祖堂に向かう途中の平坦な場所。この日、早咲きの梅は咲いていましたが、大半はまだまだといった感じ。白梅も紅梅もあるようで、それがどんな配置になっているのか。ちょっと気になるところです。

  • 茶祖堂は、茶畑から千入の森、梅林を過ぎって行った奥の方。後楽園ではあまり目立たない場所のように思います。<br />建物は、幕末の岡山藩家老の下屋敷から移築された茶室。始め、千利休を祀っていたところに、昭和になってから、岡山出身で日本に茶を伝えた栄西禅師を合祀したため茶祖堂と改名されました。ちょっと粋な計らいです。

    茶祖堂は、茶畑から千入の森、梅林を過ぎって行った奥の方。後楽園ではあまり目立たない場所のように思います。
    建物は、幕末の岡山藩家老の下屋敷から移築された茶室。始め、千利休を祀っていたところに、昭和になってから、岡山出身で日本に茶を伝えた栄西禅師を合祀したため茶祖堂と改名されました。ちょっと粋な計らいです。

  • 慈眼堂は、沢の池の周囲に配された建物の一つ。後楽園を作った池田綱政が還暦を迎えた時、厚く信仰していた観音像2体を祀ったというお堂。ただ、その観音像は今はないようです。規模は小さなものですが、一族の子孫と領国の繁栄を祈願した場所。ちょっと厳かな雰囲気は残っています。

    慈眼堂は、沢の池の周囲に配された建物の一つ。後楽園を作った池田綱政が還暦を迎えた時、厚く信仰していた観音像2体を祀ったというお堂。ただ、その観音像は今はないようです。規模は小さなものですが、一族の子孫と領国の繁栄を祈願した場所。ちょっと厳かな雰囲気は残っています。

  • これは、沢の池越しに見る岡山城天守閣。これも見どころの一つなんですが、曇ってきたし、逆行だしで、これではうまく伝わらないですね。

    これは、沢の池越しに見る岡山城天守閣。これも見どころの一つなんですが、曇ってきたし、逆行だしで、これではうまく伝わらないですね。

  • これは、鶴のゲージ。<br />この鶴ですが、お正月には園内に放されて、優雅に飛んだ光景がテレビで紹介されたり。後楽園の風物詩となっています。

    これは、鶴のゲージ。
    この鶴ですが、お正月には園内に放されて、優雅に飛んだ光景がテレビで紹介されたり。後楽園の風物詩となっています。

  • 最後に、鶴鳴館。後楽園の正門を入ってすぐ右手に玄関がある建物です。<br />ここでは賓客の接待などが行われていたと思いますが、現在の建物は岩国市の吉川邸を移築したもの。実質的には政庁として使われていたような堂々とした構えです。なお、通常、内部の拝観はできません。

    最後に、鶴鳴館。後楽園の正門を入ってすぐ右手に玄関がある建物です。
    ここでは賓客の接待などが行われていたと思いますが、現在の建物は岩国市の吉川邸を移築したもの。実質的には政庁として使われていたような堂々とした構えです。なお、通常、内部の拝観はできません。

  • で、昼飯は四季彩。後楽園に隣接する日本料理店で、青い屋根の優雅な建物です。

    で、昼飯は四季彩。後楽園に隣接する日本料理店で、青い屋根の優雅な建物です。

  • 二階の広間でいただきましたが、祭り寿しをメインに、茶碗蒸しや野菜の煮つけなど。女性が好みそうなかわいらしい取り合わせですね。ランチだったこともあるのかもしれませんが、お味の方はまあまあ。雰囲気が優先のお店かなと思います。

    二階の広間でいただきましたが、祭り寿しをメインに、茶碗蒸しや野菜の煮つけなど。女性が好みそうなかわいらしい取り合わせですね。ランチだったこともあるのかもしれませんが、お味の方はまあまあ。雰囲気が優先のお店かなと思います。

  • ここからは、周辺のスポットを回ります。<br />まずは、後楽園の正門のそばに建つ岡山県立博物館です。<br />

    ここからは、周辺のスポットを回ります。
    まずは、後楽園の正門のそばに建つ岡山県立博物館です。

  • 玄関を入って、

    玄関を入って、

  • 奥へ。始めの展示室は写真撮影が可となっていました。<br />

    奥へ。始めの展示室は写真撮影が可となっていました。

  • 展示は、縄文・弥生時代から古墳時代といった古代の関係が充実しています。

    展示は、縄文・弥生時代から古墳時代といった古代の関係が充実しています。

  • 岡山の地形は伏流水があって水は豊富。

    岡山の地形は伏流水があって水は豊富。

  • 一方で、晴れの多い土地柄であることから、稲作には適していたよう。多くの遺跡が存在するのは、経済的に豊かな基盤があったことも背景の一つです。

    一方で、晴れの多い土地柄であることから、稲作には適していたよう。多くの遺跡が存在するのは、経済的に豊かな基盤があったことも背景の一つです。

  • 吉備国の歴史として押さえておかないといけないポイントの一つでしょう。<br />ただ、そうした条件の良さは、一方で外部からの流入を招きかねない。地の人間からすると、それは脅威でもあり、排他的な気風を生んだのではないかという話も聞きました。

    吉備国の歴史として押さえておかないといけないポイントの一つでしょう。
    ただ、そうした条件の良さは、一方で外部からの流入を招きかねない。地の人間からすると、それは脅威でもあり、排他的な気風を生んだのではないかという話も聞きました。

  • 続いての夢二郷土美術館本館は、後楽園から蓬莱橋を渡ってすぐ。夢二は瀬戸内市邑久町出身であり、そういう意味では地元の誇り。

    続いての夢二郷土美術館本館は、後楽園から蓬莱橋を渡ってすぐ。夢二は瀬戸内市邑久町出身であり、そういう意味では地元の誇り。

  • 学芸員の人が子供たちにも親しんでもらおうと努力して、絵の見方や鑑賞のツボなどを分かりやすく解説しているのがちょっと印象的でした。展示作品はそこそこですが、幼い頃の絵もあったり、地元ならではといったところも感じました。

    学芸員の人が子供たちにも親しんでもらおうと努力して、絵の見方や鑑賞のツボなどを分かりやすく解説しているのがちょっと印象的でした。展示作品はそこそこですが、幼い頃の絵もあったり、地元ならではといったところも感じました。

  • この鶴見橋は、岡山市街から後楽園に渡る橋。岡山城から後楽園だと月見橋を使うことになりますが、鶴見橋は月見橋の上流。

    この鶴見橋は、岡山市街から後楽園に渡る橋。岡山城から後楽園だと月見橋を使うことになりますが、鶴見橋は月見橋の上流。

  • ただ、こうして、鶴見橋の方が旭川の流れは雄大な眺めになるので、後楽園へは行きは月見橋、帰りは鶴見橋といったコースがお勧めです。

    ただ、こうして、鶴見橋の方が旭川の流れは雄大な眺めになるので、後楽園へは行きは月見橋、帰りは鶴見橋といったコースがお勧めです。

  • 岡山神社は、旭川を挟んだ後楽園の向かい側。市街中心部に近い方です。<br />元々は、岡山城が築かれる前の岡山という丘の上にあったようですが、宇喜多直家が岡山城を築く際、ここに移転させ、岡山城の守護神としたようです。

    岡山神社は、旭川を挟んだ後楽園の向かい側。市街中心部に近い方です。
    元々は、岡山城が築かれる前の岡山という丘の上にあったようですが、宇喜多直家が岡山城を築く際、ここに移転させ、岡山城の守護神としたようです。

  • 現在の拝殿は鉄筋コンクリート造りですが、美しいもの。入口の木造の門とのコントラストも面白いと思います。

    現在の拝殿は鉄筋コンクリート造りですが、美しいもの。入口の木造の門とのコントラストも面白いと思います。

  • そのまま、旭川沿いに進んで。<br />この石山公園は、旭川を挟んで後楽園の向かい側。月見橋と鶴見橋の中間くらいにあって、

    そのまま、旭川沿いに進んで。
    この石山公園は、旭川を挟んで後楽園の向かい側。月見橋と鶴見橋の中間くらいにあって、

  • この辺りからだと、旭川を臨む岡山城の天守閣から後楽園に至る月見橋などの眺めがちょうど絵葉書のように眺められます。なお、公園は規模もないし、石のオブジェが少しおいてあったりするくらい。やっぱり岡山城と旭川の眺めがポイントです。

    イチオシ

    この辺りからだと、旭川を臨む岡山城の天守閣から後楽園に至る月見橋などの眺めがちょうど絵葉書のように眺められます。なお、公園は規模もないし、石のオブジェが少しおいてあったりするくらい。やっぱり岡山城と旭川の眺めがポイントです。

  • 先ほど触れましたが。<br />岡山城西丸西手櫓は、月見櫓と並んで、岡山城で現存する建物の一つ。ただ、岡山城の石垣内ではなく、学校の敷地内にあるのでちょっと遠慮しながら敷地に入って見学させてもらいました。<br />なかなかいい。重量感が漂うすごみのある建物です。

    先ほど触れましたが。
    岡山城西丸西手櫓は、月見櫓と並んで、岡山城で現存する建物の一つ。ただ、岡山城の石垣内ではなく、学校の敷地内にあるのでちょっと遠慮しながら敷地に入って見学させてもらいました。
    なかなかいい。重量感が漂うすごみのある建物です。

  • 一方で、禁酒会館の側からは、崖上に建つ西丸西手櫓の姿が見られます。こちらも城郭の雰囲気がよく出ているので、両方見るといいでしょう。

    一方で、禁酒会館の側からは、崖上に建つ西丸西手櫓の姿が見られます。こちらも城郭の雰囲気がよく出ているので、両方見るといいでしょう。

  • 岡山市街からだと、この烏城みちを通って、岡山城に向かうことになります。烏城みちの入口は丸の内エリア。いかめしい門構えの林原美術館や岡山県庁を見ながら、お堀端に出る。岡山市の文化ゾーンとしてきれいに整備されています。また、烏城みちと書いた石柱もなかなか趣きがあって、始めにこれを見るとちょっとテンションが上がると思います。

    岡山市街からだと、この烏城みちを通って、岡山城に向かうことになります。烏城みちの入口は丸の内エリア。いかめしい門構えの林原美術館や岡山県庁を見ながら、お堀端に出る。岡山市の文化ゾーンとしてきれいに整備されています。また、烏城みちと書いた石柱もなかなか趣きがあって、始めにこれを見るとちょっとテンションが上がると思います。

  • 久しぶりの林原美術館だったので、

    久しぶりの林原美術館だったので、

  • 備前焼や茶道具などを楽しみにしていたのですが、この期間は龍馬展。

    備前焼や茶道具などを楽しみにしていたのですが、この期間は龍馬展。

  • なんで岡山まで来て龍馬展を見ないといけないのか。常設展が少しでもあればいいのですが、小さな美術館なので、龍馬展で手一杯。龍馬展自体は、かなり充実した内容ではあったのですが、けっこうへこみました。

    なんで岡山まで来て龍馬展を見ないといけないのか。常設展が少しでもあればいいのですが、小さな美術館なので、龍馬展で手一杯。龍馬展自体は、かなり充実した内容ではあったのですが、けっこうへこみました。

  • 山珍は県庁通り沿いの豚まんが名物のお店です。

    山珍は県庁通り沿いの豚まんが名物のお店です。

  • 真ん中に入ったうずらの卵やごろんとしたチャーシューの存在感が懐かしくなって、久しぶりに訪ねてみました。

    真ん中に入ったうずらの卵やごろんとしたチャーシューの存在感が懐かしくなって、久しぶりに訪ねてみました。

  • これこれ、これがうまいんだよなあと期待通りで嬉しくなる。県外の人にももう少し有名になっていいのではないかと思います。なお、豚まんの他に中華弁当も実はすごくうまいので、これも付け加えておきたいと思います。

    これこれ、これがうまいんだよなあと期待通りで嬉しくなる。県外の人にももう少し有名になっていいのではないかと思います。なお、豚まんの他に中華弁当も実はすごくうまいので、これも付け加えておきたいと思います。

  • 市電の城下駅前すぐにあるコンサートホールは、岡山シンフォニーホールです。ここからは県庁や岡山城、後楽園のエリアに入っていくという場所にあって、円柱形の近代的なデザインの建物はよく目立つので、ランドマーク的な存在になっていると思います。また、美術館も近くにいくつかあるし、岡山市のうたう文化ゾーンの中核ともなっています。

    市電の城下駅前すぐにあるコンサートホールは、岡山シンフォニーホールです。ここからは県庁や岡山城、後楽園のエリアに入っていくという場所にあって、円柱形の近代的なデザインの建物はよく目立つので、ランドマーク的な存在になっていると思います。また、美術館も近くにいくつかあるし、岡山市のうたう文化ゾーンの中核ともなっています。

  • 岡山禁酒会館は、岡山空襲を免れた貴重な大正期の建物。木造3階建なんですが、外観はタイルの部分も多いし、くすんだ色なので一見するとコンクリート造りに見えなくもない。二階へ上る急な階段を見て初めて木製の建物だということを実感しました。そして、こうしたことも含めて、大正の匂いがしているように思います。

    岡山禁酒会館は、岡山空襲を免れた貴重な大正期の建物。木造3階建なんですが、外観はタイルの部分も多いし、くすんだ色なので一見するとコンクリート造りに見えなくもない。二階へ上る急な階段を見て初めて木製の建物だということを実感しました。そして、こうしたことも含めて、大正の匂いがしているように思います。

  • どうして岡山でオリエント美術なのかよく分かりませんが、学校法人岡山学園からコレクションが寄贈されたことが出発点となったよう。<br />

    どうして岡山でオリエント美術なのかよく分かりませんが、学校法人岡山学園からコレクションが寄贈されたことが出発点となったよう。

  • ただ、学術的な価値は分かりませんが、この展示は素晴らしく美しいもの。小さな作品もその魅力は、建物のデザインや光の効果など見せ方によっていかようにでも制御可能。岡山は大原美術館もあるし、その底力を見たような気がします。これはとてもいいものを見せてもらいました。

    ただ、学術的な価値は分かりませんが、この展示は素晴らしく美しいもの。小さな作品もその魅力は、建物のデザインや光の効果など見せ方によっていかようにでも制御可能。岡山は大原美術館もあるし、その底力を見たような気がします。これはとてもいいものを見せてもらいました。

  • 岡山県立美術館では、島村光・金重有邦・隠崎隆一展を拝見しました。

    岡山県立美術館では、島村光・金重有邦・隠崎隆一展を拝見しました。

  • 若手作家の競演という感じですが、地元出身の島村光、金重有邦に対し、金重有邦は長崎県福江市出身。ちょっとデフォルメがきつ過ぎるような感じもしなくはないですが、違和感だけではなくて可能性を感じるところもある。落ち着いた美しさも備わってくることを期待したいと思います。

    若手作家の競演という感じですが、地元出身の島村光、金重有邦に対し、金重有邦は長崎県福江市出身。ちょっとデフォルメがきつ過ぎるような感じもしなくはないですが、違和感だけではなくて可能性を感じるところもある。落ち着いた美しさも備わってくることを期待したいと思います。

  • 最後になりましたが、これは旧岡山藩藩学跡。<br />

    最後になりましたが、これは旧岡山藩藩学跡。

  • ちなみに、旧岡山藩藩学は岡山藩主池田光政が開いた藩士子弟の教育を行う学校。これに対し、有名な閑谷学校は庶民のための学校です。跡は現在の岡山市立岡山中央中学校の敷地に隣接していて、石垣で囲まれた堀のようなところに石橋が架かっている。国の史跡にも指定されています。<br />旧制第六高等学校は、広島ではなく岡山という話もしましたが、岡山の教育はなかなか歴史がありますね。

    ちなみに、旧岡山藩藩学は岡山藩主池田光政が開いた藩士子弟の教育を行う学校。これに対し、有名な閑谷学校は庶民のための学校です。跡は現在の岡山市立岡山中央中学校の敷地に隣接していて、石垣で囲まれた堀のようなところに石橋が架かっている。国の史跡にも指定されています。
    旧制第六高等学校は、広島ではなく岡山という話もしましたが、岡山の教育はなかなか歴史がありますね。

  • 晩飯はさくっとうどん。岡山は意外にうどん店が多いんです。

    晩飯はさくっとうどん。岡山は意外にうどん店が多いんです。

  • 人気が高そうなお店ということで、訪ねたのは、讃岐の男うどん。名前で想像した通り、ちょっと固めのうどんですが、しっかり讃岐うどんの特徴であるコシがあって、それは合格点。ただ、私はあまり固いのは好きじゃないので、評価は普通です。

    人気が高そうなお店ということで、訪ねたのは、讃岐の男うどん。名前で想像した通り、ちょっと固めのうどんですが、しっかり讃岐うどんの特徴であるコシがあって、それは合格点。ただ、私はあまり固いのは好きじゃないので、評価は普通です。

  • 今夜の宿は、ハリウッド駅前店。岡山駅前のビックカメラ脇の商店街にあるカプセルホテルです。パチンコ屋さんの上に上がって行くとそこがフロント。フロントの階に大浴場があって、カプセルはそこから二階上。駅にも近いし、中は明るいし至って清潔。街歩きで冷えた体を温めて、なんとか一安心。<br />明日は、吉備神社や吉備津彦神社。吉備の国のルーツを回ります。

    今夜の宿は、ハリウッド駅前店。岡山駅前のビックカメラ脇の商店街にあるカプセルホテルです。パチンコ屋さんの上に上がって行くとそこがフロント。フロントの階に大浴場があって、カプセルはそこから二階上。駅にも近いし、中は明るいし至って清潔。街歩きで冷えた体を温めて、なんとか一安心。
    明日は、吉備神社や吉備津彦神社。吉備の国のルーツを回ります。

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