2015/10/14 - 2015/10/16
1155位(同エリア4640件中)
クッキーさん
嵯峨野の最後は天龍寺を堪能。
八方睨みの雲龍図と曹源池庭園だけでなく、渡り廊下から見える中庭や散策路など見応えがあるものばかりでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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渡月橋を渡って、天龍寺まで。
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天龍寺総門を入って右手すぐの塔頭、妙智院。
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中には、こんな風雪に耐えたような門があります。
かつての総門? -
天龍寺の入口、「総門」は想像していたよりも小さくて、まるで勝手口みたいです。
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屋根の上に獅子の姿を見つけました。
どこの屋根だったかしら? -
案内図とチケットが3枚。
法堂見学と本堂拝観、庭園参拝が別売りになっています。 -
拝観した法堂天井の雲龍図。
天井中央、直径9mの円相の中に躍動する龍の図は、もうそれは見事で、龍の顔全体を見ながら堂内を歩いていると、ずっと龍の眼が睨みつけてくるように見えます。これは「八方睨み」の龍として描かれているせいです。日本画の雄・加山又造画伯の作。
杉板159枚を張り合わせ、全体に漆を塗り、さらに白土を塗った上に直接墨色で描かれているそうです。
いつまでも見飽きることがないほどでしたが、天龍寺の見どころはこれだけではないので、後ろ髪を引かれる思いで立ち去りました。 -
撮影禁止ですが、カメラではこの「八方睨み」の迫力ある図柄は到底捉えきれないものでしょうから、パンフレットで十分。
記憶の薄れた今でさえ、あの身震いするような迫力を思い出せます。 -
逆光のせいかもう夕刻の趣を見せている庫裡。
庫裏とは寺院の台所を指す言葉です。1899年(明治32年)に建てられた天龍寺の庫裏は台所と寺務所を兼ねています -
左手が、庭園に出る門になっています。
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庫裡の玄関を入った正面に置かれる大衝立の達磨図は、前管長である平田精耕老師の筆によるもので、天龍寺が達磨宗(禅宗)であることを示すものです。
天龍寺の顔ともいえるものです。 -
書院の内部です。
足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山とし開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339年)に創建されました。
造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進しますが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、その利益を造営費用に充てることを計画しました。
これが「天龍寺船」の始まりです。造営費の捻出に成功した天龍寺は康永4年(1344年)に落慶します。 -
元治元年、蛤御門の変に際して長州軍の陣営となり、兵火のために伽藍はほとんど焼失します。
京都の方は、「先の戦いで・・」と云う時には、戊辰戦争辺りを指す、という事をどこかで聞いたことがありますが、第二次大戦で戦火を免れた京都ならではの感想なんでしょうか。
歴代の住持の尽力により順次旧に復し、明治9年には本山から独立し臨済宗天龍寺派大本山となります。
書院から多宝殿へと続く渡り廊下から。 -
大覚寺の村雨の廊下に似た雰囲気。
小川のせせらぎが心地よく感じられます。 -
水の流れは川に見立てたもので、大堤川と書いてあります。
大堤川とは、桂川の上流の保津川のさらに又、上流の川の名称だそうです。
渡り廊下に座って、いつまでも眺めていたいような気分。
多宝殿に続く渡り廊下の横にある建物は両茶室の待合。 -
中庭の向こうに見えるのは祥雲閣。
多宝殿へ上る廊下の右手にある茶室。祥雲閣はわび茶を大成した千利休の血脈を今に伝える表千家にある茶室「残月亭」を写したもので、12畳敷きの広間に2畳の上段の間を設け床の間とする形式。
甘雨亭は4畳半台目の茶室で、通い口前に三角形の鱗板をつけるのが特徴だそうです。
遠目でしか見えませんが、茶室という趣ではないみたい。 -
屋根付きの廊下は高さを変えて まだまだ続きます。
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屋根付きの廊下。
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鐘を突かないようにと貼紙がありましたが、ふと突いてみたい衝動に駆られる位置にあります。
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途中に見えた建物は?
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廊下の先にあったのは多宝殿。
ここでも写経ができるようです。 -
迫力のある襖絵。
多宝殿は、かつて亀山上皇が嵐山の地で離宮を営んだ際、後醍醐天皇が学問所とした場所に1934年(昭和9年)に建てられました。中には、後醍醐天皇の尊像や歴代天皇の尊牌(位牌)が祀られているそうです。 -
多宝殿そのものよりもこちらの廊下に心惹かれています。
アングルを変えて、何枚も撮ってしまいました。 -
この日のように穏やかな天候の日ばかりではないでしょうに・・・
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風の強い日、寒さに震える冬の日々にもここを渡っていくのでしょうか。
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この中庭の光景と雲龍図を見られた事が一番の収穫です。
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書院辺りから。
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書院の中は、先程の人波も引いたようです。
人がいなくなったところで達磨大師の掛け軸を。 -
書院から曹源池を眺めます。白砂の庭の掃目が鮮やか。
夢石疎石が作庭した曹源池庭園は創建当時の面影を伽藍内で唯一留めているといわれ、日本最初の史跡・特別名勝に指定された場所です。中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、背後の嵐山や亀山を借景として取り込んでいます。 -
方丈の縁側から。
背後の山々はすっかり庭の一部と化しています。 -
振り返って方丈の中には・・・
雲龍図が描かれた大きなふすま絵。こうして見ると、どこか少しユーモラスですが、かなりの迫力です。
江戸中期の京都出身の絵師で、強烈に個性的な作品を描いていたことで有名な曾我蕭白(そがしょうはく)の作です。 -
この雲龍図のオリジナルは、ボストン美術館が所蔵しています。
これはキャノンの高精細複製技術で作った複製画なのです。
キャノンは「綴」という名の文化財未来継承プロジェクトを立ち上げ、海外に渡った日本の文化財などを最新の技術でオリジナルに限りなく近い高精細複製品を完成させ、かつての所蔵者や博物館などに寄贈しているのだそうです。 -
明治維新の神仏分離令発布による混乱で、寺社仏閣や仏像仏具の破壊が進み、旧大名家は伝来の巻物や古美術を手放し、二束三文で美術商に売りさばく、日本古美術受難の時代に海を渡った雲龍図がこうして再び日本に戻ったんですね。
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大方丈の廊下から見た勅使門。
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大方丈。
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方丈の前の廊下で寛ぎ、曹源池庭園に見入る人々。
団体客が引いた後では、人の多さに比べても静かな時間が流れています。 -
一旦庫裡を退出して、庭園の拝観へ向かいます。
庫裡の前にある豪快な蓬莱石組み。 -
大方丈。
カメラの枠に収まり切れません。 -
勅使門。
寛永年間(1624から1644)に建立され、江戸期の火災を免れた天龍寺最古の建築物です。桃山様式の特徴が細部に見られる門で、天皇の勅使が来た時だけ開かれました。現在は周りに柵が設けられ、くぐることはできません。 -
大方丈の切妻。
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大方丈。
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曹源池の説明。
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天龍寺書院庭園を象徴する龍門瀑の石組は、左上辺りにあるようです。
曹源池中央正面に位置する2枚の巨石で表わされた龍門の滝です。登竜門の故事を表わした滝で、通常滝の下に置かれる鯉魚石が滝の流れの横に置かれています。これは鯉が龍と化す途中の姿を表現したといわれ、他ではあまり見られない珍しいものだそうですが・・・ -
方丈の前から池に突き出している岬の石組みも素敵です。
京都にたくさんある枯山水の庭は、石や砂を用いて、水の流れを抽象的に表現したものですが、
天龍寺の夢窓疎石の庭は、単純な枯山水ではなく、次の三つの要素を美しく融合させた庭だという解説によると・・・
1)手前の白砂で緩やかな汀を描いて、日本の州浜を表現。
2)池を取り巻く石組で中国大陸の荒磯を表している。
3)後方左の嵐山と右の亀山を借景として庭の意趣に取り込んだもの。 -
この池には遠近法が取り入れられていて、池の南側の左手は池の幅が広く、北側の右手は狭くなっているのだとか。
南側は山が近くに、北側は遠くに見えるようになっているのだそうです。
どこが何を表している・・とかいう詳しい解説は理解できなくても、全体としての庭園美は 見ているだけで心に沁みこんでくるようです。 -
庫裡の屋根がユニークです。。
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曹源池。
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曹源池を離れ、拝観コースの中の水の流れ。
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暮色の中。
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百花苑は昭和53年に整備された天龍寺の中で最も新しい庭園です。
庭園には桜や椿をはじめ、あじさい・しゃくなげ・あせび・ぼたんなどが植えられており、いつ訪れても何らかの花が楽しめますが、この時期、どれも見頃ではなかったよう。 -
自然の傾斜に沿って造られた苑路は、北門へと続き、そこを抜けると嵯峨野の観光名所である竹林の道、大河内山荘や常寂光寺、落柿舎などへ通じています。
造られたのが比較的新しいだけあって、かなり整備された庭です。お寺と言うより公園を散策しているような気分になります。
当初の心づもりでは北門から出て大河内山荘に向かうはずでしたが、天龍寺では見どころが多くて、もうその時間はありませんので、拝観ルートを戻り、 -
曹源池の裏山に続く散策コースを歩いてみました。
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嵯峨野の竹林。
こちらも手入れが行き届いています。 -
山モミジ。
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路行く人はほとんどいません。
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とても気持ちの良い散策路でした。
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ムラサキシキブ。
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名残惜しくて再び曹源池を。
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鯉の群れ。
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庫裡は、切妻造の屋根下の大きな三角形の壁を正面に見せ、白壁を縦横に区切ったり、曲線の梁を用いたりして装飾性をがあり、天龍寺景観の顔になっています。
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方丈と棟続きになっています。
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雲龍図のある法堂も薄暮の中。
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大河内山荘の訪問はあきらめたので、ゆっくりと1時間半ほどの見学。
見終えた頃にはもう夕闇が迫ってきていました。 -
参道沿いにある、天龍寺塔頭(たっちゅう)の一つでもある松巌寺。
禁門の変の前夜には、坂本龍馬が天龍寺を訪れたとも伝わりその為か松厳寺の墓地には坂本龍馬の立像があるそうです。 -
塔頭とは、本来禅宗寺院の高僧の墓の事で、墓の近くに弟子達が小庵を建てて、墓を守っていた所が独立して、塔頭寺院になりました、禅宗寺院の独特な形態だそうです。
又、大名が祖先や親族の供養の為に多額のお布施(寄付)をして造ったものも沢山あるのだとか。
嵐山七福神とも呼ばれる福禄寿が祀られており、毎年節分が七福神の縁日となりご開帳されるそうです。 -
こちらの慈済院も天龍寺の塔頭の一つ。
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慈済院の境内へはこちらの『来福門(らいふくもん)』と書かれた額の掛かった中国式の門をくぐって中へ入っていきます。
白壁の竜宮城のような来福門が目を引きます。元治元年(1864)の天龍寺大火をまぬがれたため、室町時代の建築が残っているそうです。
来福門前には水摺福寿弁財尊天と刻まれた石碑も。 -
こちらの弁天堂には、開運出世大弁財尊天(かいうんしゅっせだいべんざいそんてん)がお祀りされているそうです。
ちらっと覗き見るだけで、お参りをしなかったのが残念です。
こういったお寺は、そもそも勝手に入っていっても良いものかどうかさえわかりません。信仰心が無いから よけいそう思ってしまうのでしょうか。
天龍寺七福神めぐりの1つに数えられていて、毎年2月3日の節分の日には多くの方で賑わうそうです。 -
こちらは慈済院の庫裏ですが、お坊さん達が食事の支度等をするのに用いられる場所だとは思えないほど、立派です。
天龍寺もそうでしたが、庫裡のイメージがすっかり変わりました、 -
もう拝観時間も終わりだというのに、中へ入っていく人も見かけました。
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総門を中から。
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帰り際に、人波が途絶えたところで総門をカメラに収めます。『大本山天龍寺』と書かれた標識が掲げられており、ここから長い参道が方丈まで続いています。
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今回、トロッコ列車は諦めました。
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夜空に浮かび上がる京都タワー。
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駅ビルの地階でお弁当を購入。
今日は部屋食です。
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