2015/10/12 - 2015/10/14
775位(同エリア4640件中)
クッキーさん
京都二日目。
竹林の道を早朝に歩いた後、バスで愛宕念仏寺に向かい、愛宕街道を下って化野念仏寺に向かいました。
京都の観光案内は ネット検索で、これでもか、というほどの情報がでてくる充実ぶりですから 頼り甲斐があります。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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7:21発のJR山陰線で嵯峨嵐山まで。
駅から小路を歩き野々宮神社へ。 -
外観だけ拝見して、
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竹の小路へ。
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朝早くにも関わらず、小路を散策する人も多く居ます。
昨日訪れた直指庵でも竹の小路をたくさん歩いていたので、期待していた程には感動していない自分を発見。
期待値が高すぎたようです。 -
何かの撮影も行われていました。
直指庵では、どことなく凜とした気配が感じられた竹の小路でしたが、ここでは、早朝で歩いている人の数もそんなに多くないにもかかわらず、人々の話し声が耳障りに思えました。 -
光の加減が上手くないですね。
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写真より実際の方がずっときれいですよ。
この先を行くと、大河内山荘があるのですが、行けるかどうかというギリギリの日程を組んでしまっています。
天竜寺での拝観時間次第です。 -
野宮神社に戻ってきました。
野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところだそうです。
嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。 -
木漏れ日に映える苔がきれいです。
この日の午後、苔寺で有名な西芳寺へ行ったのですが、庭の広さでは全く勝負にはなりませんが、苔の美しさでは負けてはいないと思います。 -
黒木鳥居。
境内入口の鳥居はクヌギの木の皮がついたままの「黒木の鳥居」で、古代の鳥居の形式を残しているものだそうです。 -
野々宮神社で行われるという斎宮行列の案内。
あと少しで時期が合ったのに、残念ですが、なにしろメインは女子会で、ついでの観光ですから・・・ -
雅な祭礼ですね。
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バス通りに戻る途中にあったお店の設え。
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バスを待つ間、通りを散策。
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清滝行きのバスの時刻はあらかじめ調べてはいたのですが、バス停の時刻表とは微妙に違っているようでした。
本数がとても少ないので、乗り損ねたら1時間は待たなくてはいけないのです。 -
京都らしい湯豆腐のお店。
レンタサイクルを利用しようか、とも考えたのですが、借りだす時間や返す時間が旅程からはみ出してしまうので あきらめました。 -
通りはまだ静かです。
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野々宮バス停;清滝行き8:40発に無事乗れました。
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バス停で降りたら目の前が愛宕(おたぎ)念仏寺。
羅漢像がお迎えです。 -
すっかり苔むした羅漢像たち。
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壮観です。
これらの石仏は、1981(昭和56 )年に仁王門の解体復元修理を行った際、先代の住職であった西村公朝さんが「境内を羅漢像でいっぱいにしよう」と発願されたものだそうです。 -
西村公朝さんは兵士として中国に渡り、夜間の行軍中に睡魔に襲われ、何千体もの壊れた仏像を夢にみました。「私に直してほしいのか。では、修理するから早く日本へ帰してくれ」と約束したとたん、夢から覚めたそうです。
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西村公朝さんは僧であるとともに仏師でもあり、三十三間堂の千一体の仏像群のうちの600体、広隆寺の弥勒菩薩、東寺の焼け仏などの修復にあたられました。また、東京芸術大学の教授として、多くの学生を指導されました。
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住職を務める愛宕念仏寺を石仏で埋め尽くしたのも、上の世界の存在との約束の一環だったのでしょう。
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愛宕念仏寺の石仏は、信徒や参拝者から寄贈を受けて、10年かけて1200体に達しました。どの像も名のある仏師の手になるものではなく、一般の人々の手彫りだそうです。
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人々がそれぞれの心の中にある仏を具現化したという羅漢像は、とても味わい深いものです。
右は本堂。奥に見えているのは多宝塔。 -
おおらかに笑っているもの、真面目にすましているものなど、さまざまな表情の羅漢があり、それぞれに表情豊かで、ユーモラスで微笑ましい雰囲気です。
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境内への坂道を振り返って。
お寺の建物群よりも、このような山寺の雰囲気が素敵。 -
千二百羅漢が目的とはいえ、お寺そのものをほとんど見ていないですね。
気が付いたら、正面の仁王門さえもカメラには収めていませんでした。
斜面の上に立つのはたぶん地蔵堂。 -
愛宕念仏寺。
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化野念仏寺へ続く小路は愛宕街道。
来るときに通ったバス通りとは違って、京の散策路の趣たっぷりです。
古今和歌集や源氏物語、平家物語にも綴られてきた嵯峨野の地。そこにそびえる愛宕山の頂には、比叡山延暦寺と並び称されてきた愛宕神社が鎮座します。嵯峨釈迦堂こと清涼寺から愛宕神社へと至る道は愛宕街道と呼ばれ、江戸時代中期から明治時代、大正時代にかけて数多くの参詣者が愛宕山を目指して歩いたといわれます。
嵯峨野の最北、愛宕山のふもとが嵯峨鳥居本。江戸時代には愛宕山の頂にある愛宕神社の門前町として賑わいました。 -
愛宕念仏寺を出て前の道(愛宕街道)を市内の方に下って行くと、愛宕神社の一の鳥居が見えてきます。
愛宕神社の一の鳥居前に建つ茅葺きの茶店の創業は江戸時代。 -
左が愛宕山への登山道だそうです。
嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区となっている この古道は 祇王寺・滝口寺あたりまで続き、延長約650mにわたり「愛宕街道」と呼ばれています。 -
鳥居の前にある「平野屋」は 創業400年の鮎問屋・鮎料理屋で、名物志んこ団子の茶店でもあります。現在修復工事中で、南にある別館「仙翁庵」で営業しています。
茅葺き屋根が威風堂々とした こちらの建物が「平野屋」の別館。 -
平野屋の遠祖は愛宕神社と親交が深く、その縁で一の鳥居のふもとに茶店を構えることになったそうです。
外垣が味わい深い。 -
この地区は 室町末期頃、農林業や漁業を主体とした集落として開かれたといいます。その後江戸中期に愛宕詣での門前町としての性格も加わり、江戸末期から明治、大正期にかけて この愛宕街道沿いには、農家、町家のほかに茶店なども建ち並びようになったそうです。
この辺りに「京都市嵯峨鳥居本町並み保存館」があって、昭和初期の町並みを再現した模型が展示されていて、当時の生活の様子を知ることができる、ということなのですが、茅葺き屋根の建物ばかりに気をとられていて、見逃したようです。 -
化野念仏寺を境として、愛宕神社の一の鳥居に近い上地区は主として茅葺きの農家風の建物が立ち並んでいます。
グーグルマップで、この街道の様子をチェックしていて、是非歩きたいとは思っていたものの、ここまで雰囲気のある街道だとは思いもよりませんでした。
この街道を歩けたのですから、レンタサイクルしなくて正解でした。
愛宕街道、お勧めです。 -
化野念仏寺への入口を訊ねようと、自宅の前を掃除していた方に声をかけたら、こんな素敵なマップをいただきました。
見るからに「我が街」への思い入れが感じられるものです。 -
10分ほど歩いて化野念仏寺に着きました。
化野念仏寺は、長い年月のうちに風化した石仏群、石塔群で知られる浄土宗の寺です。 -
愛宕街道を下ってきたので、本来の入口ではない所から入ってきたみたいです。
左手の受付で拝観料を収めます。
平安時代、この一帯は風葬の地で、たくさんの遺骸が野ざらしになっていました。 約1000年前、弘法大師空海が五智山如来寺を建て、それらの遺骸を埋葬したのが、この寺の始まりとされています。 -
その後、鎌倉時代に法然の常念仏道場なり、現在の寺名となりました。
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本堂の左には水子地蔵尊の茅葺きの小さなお堂があり、その脇の竹林の中の階段を上った所に、六面六体のお地蔵様が祀られています。
嵯峨野らしい竹林は青々として、涼やかな風が通り過ぎていきます。 -
寺務所?の右にはトイレもあります。
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何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだし野の山野に散乱埋没していた石仏や石塔を、明治中期、地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ安置して祀りました。
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石仏や石塔が肩を寄せ合う姿は、空也上人の地蔵和讃にあるように、嬰児が一つ二つと石を積み上げた賽の河原の有様を想わせる事から、「西院の河原」とも言われます。
般若心経のお経にはあまり心打たれないのですが、この地蔵和讃だけは、耳にする度に ほろりとなってしまいます。 -
石仏や石塔は、長い間、雨風にさらされて、溶けかかっているかのようです。
化野と記される「あだし」とは、はかない、むなしいとの意味で、また、「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往生する願いなどを意図しているのだとか。 -
還暦を過ぎて、何かと過去を振り返ったり、行く末を考えることも多いのですが、生まれ変わって再生するとか、極楽浄土を夢想することが全くないというのは、今、この世での苦しみもさほどなく、現世にそこそこ満足している証でしょうかしら。
「西院の河原」の中には入れませんので、周りの小路から拝見します。 -
確か、山村美紗サスペンス「赤い霊柩車」テレビドラマのオープニングシーンのロケ地となっていて、一度はこの目で見てみたいと思っていました。が、想像していたほどの広さではありませんでした。
映像のマジックでしょうか。 -
拝観する人は、確かに多くはないけれど、それでもなお境内の小径は、静寂に包まれています。
奥に見えているのが地蔵堂。 -
入口方向。
そろそろ帰ろうと思うのですが、 -
十三重塔と釈迦如来像を囲む石仏群。
まだ未練がましく、 -
帰る道すがら、
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カメラに収めます。
死後の祭られ方を考えた時、こんな共同墓地的なものっていいなあ、とふと思います。
先祖代々の墓といっても、未来永劫続くものでもないし・・・
我が家の墓も、子供の代で終わるような気がしています。 -
帰りは本来の入口へ向かいます。
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坂道の先に見えているのは愛宕街道。
化野念仏寺を境に、このあたりから下地区になります。 -
化野念仏寺の本来の入口。
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下地区では瓦葺きで むしこ窓や京格子、ばったり床几などをもうけた町家風の建物が建ち並んでいます。
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この地区は、農村的景観と都市的景観が共存して、奥嵯峨の美しい自然と一体となった趣を醸し出しているようです。
左に見える「まゆ村」では、繭人形とモビールの製作、販売、教室をしているそうです。 -
京都市は、この歴史的町並みを守り住みよい環境をつくっていくことで地元と合意を得て、昭和54年(1979)2月、伝統的建造物保存地区に指定しました。
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さらに同年5月には、歴史的に価値の高い町並みとして国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、地元、京都市、国の三者が一体となって町並み保存事業を進めているそうです。
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『古都京都の文化財』として、世界遺産に指定されている17か所だけを守るのではなく、京都の街並みをも保存していこうという努力があるんですね。
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嵯峨鳥居本地区のはずれの三叉路に来ました。
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大覚寺や直指庵も嵯峨ですから同じ日に訪れることもできるんですね。
大覚寺までは徒歩15分位だそうです。 -
これから嵐山方向に歩きます。
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嵯峨鳥居本地区のはずれの三叉路。
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マンホールも記念に。
近頃は、マンホールがご当地物として人気だそうです。 -
入らなかった「人形の家」。
なにしろ京都ですから、由緒ある、というところを どれも訪れていたら時間がいくらあっても足りません。 -
左には新田公首塚の案内標識、中央には祇王寺への案内も見えますが、スルーします。
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二尊院 入口。
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見るからに広大な境内のようです。
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二尊院近くのお土産物屋さん。
その手前の境内入口近くでちょっとだけ一休み。
国内旅行では、ちょっと一休みという時に、ビールを一杯ということにはならない(できない?)ようなのが残念です。 -
目的の落柿舎までもうすぐ。
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