2015/10/14 - 2015/10/16
296位(同エリア1504件中)
クッキーさん
この日は午後に姫路へ移動する予定なので、早朝から宇治にある世界遺産、平等院を訪れました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
普段は、朝からこんなにたくさん食べることはないのですが、旅行中の朝食はしっかり食べます。
旅行計画の中には、ランチの時間は入っていないことの方が多いのです。 -
7:32発のJR奈良線で宇治に向かいます。
宇治駅の外観は歴史を意識しているみたい。 -
宇治川沿いにあるという あじろぎの道を目指して、こんな通りを歩き、
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なんとか平等院の入口にたどり着きました。
まだ8時頃です。 -
拝観時間まで辺りを散策します。
宇治川に沿って続くあじろぎの道です。
宇治川には2つの中の島があり、それぞれ「塔の島」と「橘島」と呼ばれています。 -
もう少しだけ時間があれば、宇治神社辺りまで歩きたいと思っていましたが、微妙に時間が足りません。
昨日 嵐山を歩き過ぎたせいで、あまり歩きたくない気分でもありました。 -
流れているかどうかもわからないような穏やかな宇治川。
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橋の上から臨むあじろぎの道。
係留されているのは鵜飼舟でしょうか。
宇治川の鵜飼は7月1日~9月30日に開催されるそうです。 -
橋を渡ったこちら側は打って変わって、勢いのある水の流れを見せています。
これは、宇治上神社と興聖寺の間には関西電力の宇治発電所があるからです。
歴史薫る宇治の地に発電所があるとは驚きですが、この水力発電所は琵琶湖の用を利用した大正初期稼動のもので、琵琶湖の出口、瀬田川洗堰の上流360m地点で取水して、11kmに及ぶトンネルなどの導水路により引水し、宇治川との標高差を利用した落水により発電しているそうです。
塔の島の対岸には、発電所用水の宇治川への合流口があり、穏やかな宇治川の流れに対して、大量の用水が水音を立てて宇治川に流れ入っているのです。
地産地消の小さな電力なんですね。 -
あの向こうが宇治神社でしょうか。
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世界遺産の宇治上神社までは距離約600m、徒歩で約12分の道のりですから、今考えると無理をしてでも行けばよかったかなあ。
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8:30の拝観開始と共に入場。
平等院 旧南門。 -
平等院がある宇治は「源氏物語」の宇治十帖の舞台。平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた地です。
光源氏のモデルとなった嵯峨源氏の源融が営んだ別荘が、宇多天皇、源重信(宇多天皇の孫)へと受け継がれた後「宇治殿」として藤原道長の別荘になりました。道長没後にその息子である藤原頼通が宇治殿を寺院に改めました。 -
そのため当初からお寺だったわけではなく、元は教科書で出てくる”寝殿造り”そのままの構造でした。
そのためお寺になってからも釣りをするための離れ(釣殿)などがあったそうです。
こちらは養林庵書院。 -
明治維新までは10弱の塔頭がありましたが、浄土院と最勝院以外はすべて廃寺となり、養林庵は浄土院に統合され<重文>養林庵書院として今日まで維持されています。
桃山時代 1601年に伏見城から移築と言われるもの。 -
浄土院です。
かつて平等院には浄土院、最勝院の2つの塔頭があり平等院の管理において天台宗と浄土宗が勢力争いを続けましたが、1681年に寺社奉行の裁定により、<平等院の名称は一山の総称>となり、浄土宗・天台宗の共同管理となりました。
現在も、浄土宗の浄土院と天台宗系の最勝院の2塔頭による共同管理となっています。 -
浄土院を正面から。
鳳凰堂の西北側には最勝院が建てられています。最勝院は承応3年(1654年)に創始された平等院の塔頭です。
最勝院の境内南側にある不動堂の脇には源頼政の墓があるそうですが、リサーチ不足でした。鳳凰堂にばかり気を取られていたもので・・・
今にして思えば、何人もの人が中に入って行っていたような気がします。 -
鳳凰堂が現れました。
阿字池(あじいけ)の水面にきれいに映りこんでいます。
2012年9月~2014年9月までの2年間、平成修理として大規模な修理が行われました。可能な限り現用材料を使用しつつ、外装色や瓦は調査結果に基づき、創建当時のものに準じて再現されたものです。 -
ほぼ正面に近い場所から見た鳳凰堂。
何人もの人が、十円玉をかざして写真を撮っていましたよ。
平等院鳳凰堂は真東に向いているそうです。
太陽が真正面から上がってくるため。
極楽浄土は西にあると言われている。西には阿弥陀様の家がある。
お彼岸に太陽が真東から真西に沈む時 鳳凰堂の真ん中を太陽が沈んでいくように設計されているのだ。 -
この修理に関して、朱く塗られ過ぎだ、というようなコメントも見かけましたが、2年の間、雨風にさらされ風雪にも耐えたからでしょうか、しっくりと落ち着いた色のように思えます。
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こうやって鳳凰堂を眺めながらも待っているのは、鳳凰堂の内部拝観の予約がちょっと複雑で、毎時20分毎に50名限定と言う「人数制限」があり、当日の先着順に「整理券式の入場券」を境内の中で購入するシステムになっているからです。
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受付は9:10開始ですから、折角早くに入場しても、拝観時間の予約をしておかなければなんにもなりません。
この当日予約がネックになったので、宇治上神社に行けなかったのです。
この橋の手前が受付になっています。 -
もっと歩き回ってもよかったのですが、予約開始を待つ人々が並び始めると気もそぞろになってしまいます。
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平等院の拝観料は600円ですが、鳳凰堂内部を拝観する場合は、別途「ご志納金300円/人」が必要となります。
拝観時間の最初がこの9:30です。
10分ほど前には集合していなければいけないとのことなので、 -
わずかな時間ですが境内を歩いてみます。
平等院の北側にあるこちらが正門になります。 -
観音堂。
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観音堂の手前に見えているのは藤棚です。
「砂ずり藤」と呼ばれており、地面の砂にすりそうなぐらい長く垂れ下がっていることからこの名がついた藤棚は、宇治の春の風物詩とも言われています。
樹齢280年にもなるそうです。
これまた時期を選ばなくては・・・ -
宇治は京都の中心地からは少し離れているエリアですが、特に南北朝時代にはこのあたりも戦場になることが度々ありました。平等院の中にあった建物も、多くは焼失してしまっています。
その中で鳳凰堂だけが、平安貴族が建てたお寺、かつ、仏像・仏画・庭園等含めて残っているのは仏の加護のおかげでしょうか。 -
現在残っている鳳凰堂は、道長が亡くなった後に頼道が作ったものです。
当時は「末法の世」とされ、特に貴族の間ではまさに仏にすがる思いで念仏を唱えたりお寺を建てたり、自ら出家したりすることが当然のようになっていました。 -
平等院をはじめとした、この頃のお寺にもそれが反映されています。
「浄土式庭園」と呼ばれる造りで、極楽浄土をイメージした大きな池などを配することによって、本物の極楽に近付こうというねらいがあるわけです。
翼廊楼閣上の露盤宝珠も創建時の金色になり、朱色の建物によく合っています。
創建時の華やかな雰囲気そのものでしょうか。 -
ようやく内部拝観が始まりました。
内部拝観は、係りの方が説明をしてくれるのですが、撮影は一切禁止です。
堂内に安置されている本尊である木造阿弥陀如来坐像は、仏像だけで高さ約2.8m、これに高さ約1.8mの台座が加わり、しかも、更に大きな光背が付けられているので傍で拝観すると、はるかに見上げなければならない程で 予想外の大きさでした。
写真で見る以上に まるみを帯びたお顔にとても柔らかな表情がうかがえます。
平安時代中期に活躍した仏師・定朝(じょうちょう)の作品です。
壁面に飾られた木造雲中供養菩薩像52躯、鳳凰堂壁扉画14面がある部屋に通され、そこだけの拝観となるので、10分ほどで説明が終わります。
当日予約のために待った時間から考えると、あっという間の拝観です。 -
「末法の世」すなわち末法思想とは・・・お釈迦様がこの世を去ってから最初の1000年のあいだを正法の時代といい、釈迦の教えがきちんと伝わる時代のことを指します。その次の1000年が像法といい、影だけが伝わる時代で、そのあとの1000年を末法といって、お釈迦様の教えが廃れてしまって、世の中に混乱が起こる、という世界観ですね。
その末法があと数十年ではじまる(西暦でいうと1052年)、という話が広まっていき、それがまさに摂関政治の最盛期の頃だったのです。何をどうあがいても何年かたてば末法がはじまってしまうので、この世で幸せを求めても仕方がない、それならあの世で幸せを求めよう、という風潮も、浄土教が生まれる理由になったと考えられています。 -
セレブな暮らしをしていたはずの貴族達さえも、こんな末法思想に染まったというのは・・・
平等院が建立された11世紀は、気候が最もよかった8-10世紀を過ぎて次第に悪化し始め、変動が大きくなり始めた時期でもありました。
疫病や天災も多く、平均寿命も短いうえに、芥川龍之介の『羅生門』に描かれたような世相を見聞きすれば、セレブな貴族でさえも現世に厭世観を抱き始めたのも無理からぬことかもしれません。 -
一万円札のデザインでおなじみの、国宝・金銅鳳凰(こんどうほうおう)。
鳳凰堂中堂の南北の両端に設置されています。
現在のものは複製の像で、本物は国宝指定されており鳳翔館に収蔵されていますが、この複製の鳳凰像も金箔が施され、輝く鳳凰像になっています。 -
阿字池(あじいけ)を回りこんで。
どこから見ても水面にきれいに映りこんでいます。
これが当時にイメージされた極楽浄土の姿なんですね。 -
鳳凰堂、という ひとつながりの建物かと思い込んでいたのですが、左右の翼廊楼閣は鳳凰堂とは全くつながっていないんです。
一つに見える平等院鳳凰堂ですが、実は4つの独立した建物からできているのです。
中央にある中堂。左右の翼廊。後ろの尾廊という4つの建物の形が空を飛ぶ鳳凰をイメージしているのだそうです。
見たところでは、いったいどのようにして翼廊楼閣に上がるのかわからないような構造です。
さらに 左右に伸びる翼廊の廊下は天井が低く、人が立って歩けないほどの低さだそうです。
水面に写った時の姿が最もきれいに見える高さを想定し、外から見たときの美しさを重視したデザインなのだとか。 -
阿字池は鳳凰堂の後ろにも続いているようです。
この時間になると、修学旅行生などが多く見られるようになりました。 -
左右一対の鳳凰。
鳳凰堂の正式名称は阿弥陀堂ですが、尾の長い鳥が翼を広げたような形の外観や、屋根上のこの鳳凰形棟飾りから、近世以降に鳳凰堂と呼ばれるようになったそうです。
鳳凰堂を裏側から。
この角度から見ると、真正面と右側の大きな屋根の色が違うのがはっきりとわかります。
右側の屋根の方は白っぽいですね。光の加減かと思っていましたが、そうではなく、白っぽい方は、平安時代の瓦なのだそうです。修復した時に平安時代の瓦が多く出てきたので、それらを集めて屋根を作ったのが右側なのだとか。 -
精一杯のズームです。
顔立ちは今一つよく分からないのですが、広げた羽根が堂々として見えます。 -
境内の南門側にある「平等院ミュージアム鳳翔館」は資料館になっており、国宝の梵鐘が展示されています。
かつては、園池のほとりの鐘楼にありましたが、大気汚染などの影響を避けるため、こちらに移されたそうです。
国宝・金銅鳳凰もこの中に。
かつては鳳凰堂中堂の大棟の南北両端に据えられていたましたが、こちらも大気汚染の影響を考えてこちらに安置されたそうです。
この建物は、庭園との調和を考慮して、施設の大部分が地下構造になっています。 -
鳳凰堂中堂の内部には、長押の上の小壁に懸けならべられている数多くの雲中供養菩薩像。
各像が鼓、笙、琴、琵琶などの楽器を持ち、音楽を奏でています。その表情やポーズは、それぞれに味わい深いものでした。 -
帰り際に見つけた地図は、今更ですが。
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正門の外には平等院の表示。
やはり正面から入った方が良かったみたいですね。 -
裏口から入って正面から出ることになりましたが・・・
数々のお茶屋さんやお土産屋さんが立ち並ぶ表参道は、多くの観光客が立ち寄るグルメスポットだそうですが、開いている店はまだわずか。 -
グルメスポットをチェックする時間の余裕もなく、鳥居だけを。
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辺りの雰囲気だけをカメラに収めて、京都へ戻った後、姫路に向かいます。
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