2016/02/01 - 2016/02/01
229位(同エリア874件中)
ポポポさん
ピオ・クレメンティーノ美術館からの続きです。
タペストリーのギャラリー、地図のギャラリーを通ってバチカン博物館のハイライト、ラファエロの間・システィーナ礼拝堂へと進んで行きました。
ラファエロの間では名画に感動、そして人の多さにびっくり。
反対にシスティーナ礼拝堂は思いのほか観光客が少なくてゆっくり見学することができました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ギリシア神話の神々でしょうか?
均整がとれた姿は美しいですね。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
円形の間への入り口です。奥に見える部屋がミューズの間。
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こちら側の床のモザイクも素晴らしいです。
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次の間はギリシア十字の間。
部屋に入ってすぐ左にある赤大理石の石棺はコンスタンティヌス帝の母「聖エレナの石棺」です。
この石棺も見事な赤大理石で出来ています。
コンスタンティヌス帝は313年ミラノでキリスト教を公認する勅令を発します。これが世に言う「ミラノの勅令」です。これによってキリスト教に信仰の自由が認められました。
母親の「聖ヘレナ」はキリスト教に改宗し、私財を投げ打って巡礼や慈善活動や教会の建立に力を尽くした聖人です。
伝説ではエルサレムのゴルゴダに巡礼し、イエス様が磔にされた十字架と聖釘を発見したといわれています。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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石棺の周りはレリーフで飾られていました。
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騎馬に乗った武人像と捕虜のようです。
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右側にはコンスタンティヌス帝の娘コスタンティアの石棺がありますが、これも赤大理石です。
バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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こちらも繊細なレリーフが施されていました。
真ん中の画面ではキューピッドがブドウを収穫しています。 -
赤大理石は貴重な物ですが、バチカンは世界の赤大理石のうち80%を所蔵しているそうです。
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ギリシア十字の間の床には豪華なモザイクがありました。
バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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大燭台のギャラリーに行く途中には馬車の彫像が置かれている部屋がありました。
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大燭台のギャラリーに行く途中の階段からながめた円形の間の赤大理石の水盤です。
階段を上がって大燭台に行く手前左にグレゴリウス・エトルリア美術館があります。
この美術館はグレゴリウス16世によって創設された美術館で、イタリアの先史民族エトルリアの美術品を展示しています。
入り口を入ると流麗で見事なエトルリア陶器のコレクションが展示されていました。
これらの陶器は色々な美術館や博物館で見たことがあり、午後の観光の事も考えてスルーすることにしました。ですから写真は撮っていません。
息子には説明せず私の独断で決めましたが、後で考えたら説明しておけばよかったかなと思いました。 -
大燭台のギャラリーです。
各部屋の入り口のアーチに2つの(写真では1つしか写っていません)大きな燭台が置かれていることから、そう呼ばれるようになりました。
部屋の左右には2〜3世紀の彫像が並べられていましたが、私にはこれらの彫像より天井画と床のモザイクの方が目を引きました。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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大燭台のギャラリーの床です。
各種の色大理石を用いて床に文様を描いていますが、これが美しい。
写真では光が床に反射しているので本来の色が出ていませんが、実物は本当に綺麗でした。 -
天井画も美しい。
ここのギャラリーは天井と床ばかり見ていて通路の両側にある彫像はほとんど記憶がありません。 -
この床では韓国人のツアー客が熱心に、ガイドさんの説明に聞き入っていました。
これまでの韓国人ツアー同様ガイドさんは韓国人でしたが、本当に熱心に説明されていました。
日本人のツアーなら旅程がガチガチなのでこのような床の文様の説明をしてくれるガイドさんなんかいないと思います。
この様子ではこの博物館を見て回るには半日は十分かかるでしょうが、せっかくこの博物館を観光するのであれば、韓国人のツアーのように時間はかかってもかまわないので、色々な展示品を詳しく案内してほしいと思いました。
国によってツアーの組み方が違うんでしょうね。
この文様は紋章のようです。 -
この床も何かの紋章のようです。字が書いてあるんですけどラテン語なので全然分かりません。
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大燭台のギャラリーを抜けると、次はタペストリーのギャラリーです。ベルギーの工房で織られたタペストリーが通路の両側に展示されていました。
左側はキリストの一生です。
このギャラリーはご覧のように暗かったです。照明の光で色落ちするのを避けているようです。 -
豪華な織物。
とにかく枚数が多いので適当に見ながら通路を進みました。
後で調べたら「キリストの一生」を描いたんだとか。
なかばスルーの状態でしたから写真も適当。どんな場面があったのかあまり憶えていません。
「キリストの復活」の場面があったような、無かったような。記憶がはっきりしません。
やはりこの様な博物館は若い時に訪れて、冴え渡った感性でしっかり記憶に刻み込むことが大切でしょうね。
さて、私の息子は感性を研ぎ澄ませているんでしょうか。風邪をぶり返したようでどうも本調子ではありません。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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こちらはキリストの物語の方のタペストリーです。最初の方の場面ですが何の場面か仏教徒には分かりません。
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右側はクレメンス7世の物語を描いているそうです。
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タペストリーの間を抜けると地図の間です。
通路の両側にイタリアの地図が掲げてあります。
ここの天井、金色に輝いて何回見ても美しい。タペストリーの間がうす暗いので尚更綺麗に見えます。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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この地図はコルシカ島を南北反対に描いたんでしょうか?
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天井のフレスコ画は近くで見ても綺麗だけど金色には見えません。
これを遠くから見ると金色に見えてしまうのが不思議。目の錯覚でしょうか。 -
地図よりも天井画の方が素晴らしい。
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横にしてみました。
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イチオシ
遠景にするとやはり輝いて見えます。
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イタリア全土の地図。
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こちらもイタリア全土の地図。同じ地図でも描き方が違います。
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流れに流されていつの間にかソビエスキの間(多分ソビエスキの間だと思う)に来てしまいました。
いつの間にピウス5世の間を通り過ぎたのでしょうか。
ここでも床のモザイク画を韓国人ツアーのガイドさんが熱心に説明していました。
そんなに熱心に説明するモザイクなら撮っておきましょう。
その後は人の流れに沿って次の部屋に。
ポーランド王ヤン・ソビエスキの絵は撮っていません。絵もはっきり覚えていませんし、この時はソビエスキの間だとは気付いていませんでした。たぶん集中力が欠けていたんでしょう。
この日気温はぐんぐん上がってきて部屋の中でも暑いくらいでした。
上着を脱いで腰に巻き付けズボンの後ポケットが見えないようにしました。 -
次にやってきたのが「無原罪のマリアの間」です。
壁の一番上に描かれている青色の衣装の女性が聖母マリア様。
この間に入った時あれっ、この部屋ソビエスキの間じゃない。戻ってやり直そうかとも思いましたが、早くラファエロの間に行きたかったのでそのまま進むことにしました。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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この絵は少しピンボケ気味。
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真ん中の白い彫像はマリア様でしょうか。
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天井も美しいです。
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天井のフレスコ画。
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部屋の四面の壁にはフレスコ画が描かれ華やかです。
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この部屋の色彩は鮮やかでした。観光客がどんどん増えてきて写真に人影が入り込むので、写真を撮るのには苦労しました。
この部屋の次にラファエロの間があります。
団体ツアーの人達はここからシスティーナ礼拝堂向かうのでラファエロの間は突然ガラガラになるとの旅行記を見ましたが全然そのような様子は無く、ラファエロの間に通じる通路には次々と団体客が進んで行きます。今日はとにかく団体客が多いのです。確かに日本人の団体はここでは見かけなくなりました。
多分地図のギャラリーからシスティーナ礼拝堂に向かったのでしょう。でも外国の団体ツアーはラファエロの間に押し掛けて行きます。
当然ラファエロの間は大混乱が予想されました。 -
ラファエロの間に通じている通路からはベルヴェデーレの中庭が見えました。
現在は駐車場になっているようです。 -
いよいよ念願のラファエロの間です。ラファエロの間は教皇ユリウス2世の住居で、これらの居室の内装装飾をラファエロに依頼したのです。
第一室はコンスタンティヌスの間。
さほど広い部屋ではないので室内は観光客でごった返していました。あちこちでガイドさんの説明が始まっています。
とにかく大混雑です。部屋の中央にベンチがあるのですが、座った人は動こうとしません。息子は座れないので壁に体を預けていました。体がきつそうでしたが頑張って見て回ると言ってくれました。
こういうとき一番気をつけないといけないのがスリです。財布をズボンの後ろポケットに入れていたので、外から見ても分からないように上着を腰に巻き付けていました。
写真を撮るのも大変です。いいアングルにしようと思っても背が高い外国人の頭がファインダーに入ってしまいます。
写真は撮れるところから撮るしかありませんので、この部屋から順に見て回りました。
この絵は「コンスタンティヌス帝の洗礼」です。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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「コンスタンティヌス帝の洗礼」をアップにしました。
コンスタンティヌス帝は母の聖エレナがキリスト教徒でしたから、早くからキリスト教には理解があったそうですが、本人がキリスト教徒に改宗したのは晩年になってからでした。 -
「ミルヴィオ橋の戦い」
ローマ帝国を正帝、副帝で分割統治していた時代、ローマ西方の正皇帝をコンスタンティヌスとマクセンティウスが主張したため、2人の間に争いが起こりました。
2人が正帝を争って戦った場所が「ミルヴィオ橋」でした。
この戦いで勝利したコンスタンティヌス帝はローマ帝国の西半分の支配権を手にしました。
この「ミルヴィオ橋の戦い」のみはラファエロが下絵を描き、弟子のジュリオ・ロマーノが完成させたそうです。 -
「皇帝の教会への寄進」の場面です。
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コンスタンティヌスの間の天井画。
コンスタンティヌスの間のフレスコ画はラファエロの死後、彼の弟子達、特にジュリオ・ロマーノが彼の構想をもとに描きました。 -
ヘリオドロスの間。
「神殿から追放されるヘリオドロス」です。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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「教皇レオとアッチラ大王の対面」です。
教皇レオ1世とフン族のアッチラ大王との停戦交渉が描かれています。 -
「ボルセーナのミサの奇跡」
聖変化(カトリック教会のミサや正教会の聖体礼儀においてパンと葡萄酒がイエス・キリストの体(聖体)に変化すること)の教義に疑いを持っていたボヘミアの僧侶がローマ近くのビルセーナでミサ行っていた際に、パンから血が流れ出たという逸話が描いてあります。
この間の「ボルセーネのミサの奇跡」と「聖ペテロの解放」はラファエロの自筆の作品です。 -
「聖ペテロの解放」
使徒行伝12章に述べられている、ペテロの解放がどのように行われたかを示す3つの逸話が描かれています。
3つの場面それぞれには、異なった明りが描写されています。
それは、月の明り、松明の明り、天使の後光です。 -
ヘリオドロスの間の天井画は鮮やかで美しかった。
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イチオシ
次の間は署名の間です。この間にはラファエロが最初に手掛けた部屋で有名なフレスコ画があります。
そしてこの間のフレスコ画は全てラファエロの自筆の作品です。
私は「聖体の論理」と「アテネの学堂」に会うために日本からやって来ました。今回やっと会えるチャンスが巡って来たんです。出会えた時の感激は今でも忘れられません。
周りに人がいなければ大声で「やっと会えたね」と言っていたでしょう。でもそれはできないので心の中でしっかり「やっと会えたね」と伝えました。
この絵には思い入れがあります。
小学校の高学年だっか中学1年の時だったかはっきり憶えていませんが美術全集を見ている時、強烈な印象を受けたのがラファエロの「アテネの学堂」でした。
ミケランジェロやダヴィンチの名前は知っていても、ラファエロの名前は聞いたことがありませんでした。
当然ラファエロの作品は知りません。ページを捲る時に目にした作品はあってもそれがラファエロの作品だとは知りませんでした。
そのうち年齢を経る毎にラファエロの作品に惹かれていきました。当初はこれらの作品がバチカン博物館に所蔵されていることさえも知りませんでした。
そして、いつかはこの目で実物を見てみたいというのが私の願望の一つになりました。
そしてそれは、ついに実現しました。私にとっては夢のような瞬間でした。
その感激は私のつたない文章では到底言い表せようもありません。
この絵は「聖体の論議」。上半分の天上界と下半分の地上界の2部構成になっています。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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天上界は聖人達が描かれ、その中心にイエス・キリスト、キリストの向かって左に聖母マリア、右に洗礼者ヨハネが、そしてその足元には聖霊が描かれています。
また聖霊の下には4つの福音書が描かれています。
これらの表現から「父と子と聖霊の三位一体」を中心に据えて神による究極の勝利を表現しているそうです。 -
下半分は地上界で神学者達が論議をしている様子を表しています。
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「アテネの学堂」です。
この絵には古代ギリシアの哲学者達が描かれています。
もうこの部屋無茶苦茶人が多い。団体のツアー客が次々に入ってきます。外国人ツアー客と韓国人ツアー客ばかり。部屋は人の熱気が充満し、室内の温度は急上昇。とにかく暑い。
日本人はほとんど見かけませんでした。
この部屋には休むための椅子がありましたが、全然空きませんでした。
シーズンオフでこの状態なら夏場のシーズンは身動きが取れず灼熱地獄でしょうね。
想像しただけで気分が悪くなりそう。 -
イチオシ
絵の端が切れない程度に少しアップしてみました。
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中央を飾るのは左プラトン(レオナルド・ダ・ヴィンチ)と右にその弟子のアリストテレス。
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階段下の左にはヘラクレイトス(ミケランジェロ)。
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右下のアーチの側の黒い帽子の人物がラファエロ(自画像)。ピンボケになっていました。
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中央の白い衣装の人物はデッラ・ローヴェレかラファエロの恋人マルゲリータ。
その右はパルメニデス。
さらに左2人目、物書きしているのがピタゴラス。さらに左、柱頭の上に本を広げブドウの葉の冠をしているのがエピクロス。 -
階段中央はディオゲネス。ラファエロの左隣、背中を向けているのがプトレマイオス。プトレマイオスの左隣、腰をかがめているのがアルキメデス(ブラマンテ)と言われていますが、絵中に描かれた人物がだれかを指摘する文物が残っていないため、正確には分からないそうです。
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「枢要徳と対神徳」
逆光で見にくいですが、窓の上に書かれたフレスコ画です。
勇気・賢明・節制の枢要徳を表す3人の女性と、信仰・希望・慈悲の対神徳を現わすキューピッドが描かれています。 -
「パルナッソス山」です。
ハーブを奏でるアポロの周りにミューズや詩人達が描かれています。 -
署名の間の天上を飾る女神達やキューピッド達。
一枚一枚アップで撮っておけばよかったと後で思います。
右の剣を持つのは「正義の女神」です。その上に描かれているのが「アダムとイブ」です。 -
「パルナックス山」と天井画。
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「正義の女神」と右に「アダムとイブ」。その下に「枢要徳と対神徳」です。
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枢要徳の下に描かれている「ユリウス2世」
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「署名の間」の様子。カメラ位置を下げると大柄な外国人の頭が入ってしまうので、どうしての上方向中心の写真になってしまいます。
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次は「火炎の間」。ラファエロの間の最後の部屋(第4室)です。
この部屋の主題はレオ3世とレオ4世の生涯からとられています。
この絵は「ボルゴの火災」。ラファエロが下絵を描き、弟子のジュリオ・ロマーノが仕上げましたが、その他の絵は弟子が描いた物です。
「ボルゴの火災」はバチカン近くのボルゴで発生した大火事を教皇レオ4世が十字を切って鎮めたという奇跡を描いています。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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「カール大帝の戴冠式」
レオ3世がフランク王国カール大帝に西ローマ皇帝として戴冠する場面。 -
「オスティアの戦い」
レオ4世の時代、オスティアで行われたサラセン人の海賊(一節にはイスラム艦隊)をイタリア連合軍が破った海戦です。
レオ4世はイスラムの艦隊や海賊に対抗するため南イタリアのナポリやアマルフィなどカンパーニュ地方諸都市の艦隊を組織しました。その艦隊が勝利した海戦です。 -
「レオ3世の信仰義認」
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火災の間の天井のフレスコ画です。
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ラファエロの間を抜けて隣のウルバヌス8世の礼拝堂にやってきました。
これはその天井画です。
次にボルジアの居室へ行き、システィーナ礼拝堂に入る予定です。
人の流れが続いていて、この流れに沿って行けばいいようです。
途中現代宗教美術館がありました。ここは通路から展示字手ある絵画を一部見る事ができました。
有名な画家の作品が多数所蔵されているそうですが、後の時間の関係もあり、ここはスルーしました。
ただ、ボルジアの居宅に辿り着けません。そうこうするうちシスティーナ礼拝堂の案内表示にぶつかりました。
ここから引き返すわけにもいきません。(人波が押し寄せて来て、とても逆行できる状態ではありませんでした。)
諦めてシシティーナ礼拝堂に入ることにしました。 -
システィーナ礼拝堂に入る階段と天井画です。
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縦にすると階段の様子が分かります。階段を上りきって右に礼拝堂の入り口がありました。
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システィーナ礼拝堂に入場しました。
この礼拝堂は写真撮影が禁止されています。したがって礼拝堂内部の写真はWikipediaから引用しました。
入り口に黒服の職員が2名、さらに堂内に数名の職員が目を光らせていました。ラファエロの間は観光客で大混雑でしたが、システィーナ礼拝堂はラファエロの間より随分と広いので混雑はしておらずゆっくり見る事ができました。
昨年6月にここを訪れた時は、それこそ人ごみで身動きできないほどに混雑しており、職員からは「立ち止まるな、前え進め」と言われてゆっくり見る事ができませんでした。
後ろ(最後の審判がある祭壇)に進もうとすると、「振り返るな、前へ進め」と言われて「最後の審判」もじっくり見れませんでした。
それに比べると今度はじっくり時間をかけて見ることができました。
天井画を見ながら一旦後ろの金網戸のところまで行き、今度は主祭壇の「最後の審判」を近寄ってみましたが、注意は受けませんでした。
息子は礼拝堂の両側にあるベンチに腰掛けて絵を見ていました。
体調が悪いのに立ちっぱなし、歩きっぱなしで疲れているんでしょう。立ちあがって天井画を見る余裕はなさそうです。
私も隣に腰掛けてずっと見ていました。堂内は人数が少ない分静かです。職員が注意する場面もありませんでした。
いつしかこの空間に一人で佇んでいるような、そんな錯覚に陥りました。
周囲に人はいるんだけれど全く視界に入ってこない。見えるのはミケランジェロの絵画のみです。
さて、この礼拝堂のフレスコ画修復は日本テレビが資金を提供して1980年から1999年12月にかけて行われました。
日本テレビは資金を提供する見返りとして礼拝堂の修復作業の独占放送権を取得し、毎年文化の日に修復作業をテレビ放映していました。
私は毎年欠かさずこの放映を見て場像をビデオに録画しました。
その実物をこの目で見れるというのは感慨深いものがあります。
この絵は「最後の審判」です。ミケランジェロは裸体を多く描いたので不道徳で猥雑だと非難を受けました。
特に教皇の儀典長チェザーナはミケランジェロを酷評しています。彼と不仲だったミケランジェロは儀典長を地獄の裁判官ミノスとして描いています。(昨年のガイドさんの説明によると一番右下、蛇に巻きつかれている人物が儀典長だそうです。)バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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礼拝堂の天井画です。
ミケランジェロが描いた旧約聖書創世記の物語で、中央が「アダムの創造」」、その左が「イブの創造」、さらにその左は「アダムとイブ、楽園追放」と有名な場面が続きます。 -
創世記アダムの創造。
アダムが神から命を吹き込まれている瞬間を描いた絵です。 -
「デルフォイの巫女」
私が天井画で一番気に入っている巫女です。 -
礼拝堂の後部分。金網戸を抜けて左に出るとバチカン図書館へ、右にでるとサンピエトロ大聖堂への近道です。
礼拝堂の出口に向かって右の壁にはモーゼの一生、左の壁にはキリストの一生が描かれています。
この後サンピエトロ大聖堂のクーポラに昇るので右から出ます。
いや、出るつもりでした。と言うのもどういう訳か流れに従って左の出口から出てしまい、階段を上がって次の部屋に入ってしまったんです。
左の出口に行く前に右を見ましたが何も表示がありません。右には扉らしきものが見当たりません。(実際は扉があったんですが、私には見えませんでした。)
ああ、ここじゃない。もっと先だったんだと勝手に納得してしまいました。 -
着いた部屋はキリスト教美術館。
ここに来て初めて出口を間違ったことに気が付きました。
「まずっ。何ボケてるんだろうか。」ヤバイです。ボケがはじまったんでしょうか?軽い認知症?それとも軽い脳梗塞?
今考えても右の出口から出るはずが何故左から出たのか分かりません。
直ちに今来た通路を引き返しましたが、階段のところで黒服の職員につかまりました。
早口に捲し立てられたので何を言っているのか聞き取れません。「おい、お前たち何処に行くんだ。流れに逆らっちゃいかん。すぐ戻れ」と言っているように思えました。
私は「クーポラへ行きたい。道を間違った。」と何度も言うとやっと分かったようで、「行け」と手で合図してくれました。
さあ、次はクーポラに昇るぞ。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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