2016/01/26 - 2016/02/02
122位(同エリア533件中)
ポポポさん
旅行2日目です。今日はローマから一気に南に下ります。今回は南イタリアの旅行ですので、南部の観光地をあちこち回るツアーです。
まず最初はポンペイから。前回(昨年6月)来た時はフォロ(広場)にたどり着くまで石畳の道をくねくねと歩き、道の両側には同じような廃墟の家屋の跡が続いてばかりでしたので途中からどこを歩いているのか分からなくなりました。2度目でも新鮮な気持ちで観光できそうです。
心配なのは天気です。天気予報では曇り後雨です。
私も息子も晴れ男なので何とか雨だけは避けたいものです。
今日は歩きが多いので、朝食をしっかり食べて頑張りたいと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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1階のレストランで朝食を取りました。
野菜はないようですね。イタリアの人は朝野菜は食べないそうです。そのような食習慣があるため、野菜が朝食に出るホテルは珍しいそうです。IH ホテル ローマ Z3 ホテル
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こちらはチーズ、ハム類です。
IH ホテル ローマ Z3 ホテル
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このホテルの特徴はパンよりスイーツ類が多いことです。ケーキ類が多種揃っていますね。
でも欧州のケーキ類は甘すぎるんですよね。皆さん結構取っていらっしゃいますがここのケーキはどうでしょうか。
写真を撮っていたのに果物があったことに全然気が付きませんでした。
本日果実無し。 -
レストランの風景です。写真では狭く感じますが、左側には広く席がありました。
IH ホテル ローマ Z3 ホテル
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またスイーツ類を撮っていたんですね。無意識に食べたいと言う願望が行動に現れたんでしょうか。(笑)
IH ホテル ローマ Z3 ホテル
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私の朝食はご覧のとおりです。スイーツはチョコレートケーキのみにしました。でも、甘かったです。
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部屋の窓から景色を眺めたら昨夜側を通ってきた大型スーパーがありました。このスーパーは結局私が見てきた中では一番大きかったです。
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アップにしてみました。確かに大きなスーパーだと思います。帰国前にこのホテルに宿泊できれは、バラマキ用のお土産はここで調達できそうですね。そういう意味ではこのホテルは便利がいいと思います。
しかし、ローマ市内に出るにはタクシーで出ることになるでしょうから、少し不便ですね。 -
ホテルの全景です。全景を撮るのも忘れて急いでバスに乗ったので車窓から写真を撮りました。ガラスの光が入ってしまいましたが仕方ありません。
では、全員揃ったところでポンペイに向かいましょう。IH ホテル ローマ Z3 ホテル
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ローマからナポリに向かう高速道路です。丁度ナポリの手前で濃霧に遭遇しました。
添乗員さんの話では冬季このあたりはいつも霧が発生するんだそうです。 -
それにしてもかなりの距離、霧が発生し続けていました。
ローマでは朝天気が回復しそうな気配でしたが、こちらははドン曇りです。 -
霧が晴れました。空も青空が顔を覗けています。この調子だとポンペイは天気が回復しているかもしれません。
曇りのち雨の天気予報が外れることを祈るばかりです。 -
そうこうするうちにポンペイに着きました。
ここは遺跡の近くにあるレストラン「VESUVIO」です。先にここで昼食を撮ってから遺跡の観光に出発するそうです。観光時間は1時間30分の予定だそうですが、私はもっと時間がかかっても一向に構わないんですけど。リストランテ ヴェスヴィオ イタリアン
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ここが私たちのツアーが食事をした部屋です。このほかに大きな部屋が2部屋ありました。そちらにはK国のツアー客が入っていました。
その日は昼時でしたけど、お客は団体客だけでしたね。
シーズンオフなので東洋人以外の外国のツアー客はいないようですね。リストランテ ヴェスヴィオ イタリアン
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前菜はモッツァレラチーズとトマトのサラダ。飲み物はリモンチェッロかグラスワインがサービス(と言っても最初から料金に組み込まれているんでしょうけど)でした。
リモンチェッロは南イタリアのレモンを使った甘いリキュール酒です。アルコール度数は30度で高いため私はこの後の観光の事を考えて白ワインにしました。
息子はリモンチェッロを注文しましたので一口飲ましてもらいましたが、甘くて口当たりの良い飲み物でした。
写真の左上細いグラスに注がれているのがリモンチェッロです。
この後観光が無ければ私もリモンチェッロにしたんですけどね。リストランテ ヴェスヴィオ イタリアン
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魚料理でした。何という料理かは不明です。当初の予定はピザだったんですが手違いで変更になりました。ただ魚料理とだけ説明されましたが、これは美味しい料理でした。
リストランテ ヴェスヴィオ イタリアン
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デザートは甘いケーキ。食べてみたらやっぱり甘い。でも美味しい。少しずついただきました。
リストランテ ヴェスヴィオ イタリアン
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レストランから歩いてポンペイ遺跡に行きました。
ここは入場口から道沿いに少し歩いた先にある場所です、。
この建物の奥がポンペイ遺跡で、この建物(集合住宅のようですが)は新しいものだそうです。
今日の現地ガイドさんは男性でしたが日本語が話せません。英語を添乗員さんが通訳すると言う方法でした。
ポンペイは西暦79年8月24日ヴェスヴィオ火山の大噴火により火山灰に埋もれた町です。
最初は紀元前600年頃にイタリアの山岳民族オスク人が建設しました。ポンペイはサルノ川に近く交通に便利なためギリシアの植民都市として発展し、その後はエトルリア人、サムニテス人と支配者が変わったがローマの植民地となってからはワインやオリーブオイルの生産で、また港町として経済的に大発展を遂げた町でした。
そして、地中海の島々や近郊から多くの商人や船乗り達がこの町にやってきました。 -
ローマン笠松です。この笠松はローマ以南に多く見受けられますが、特にナポリ近辺に多いと感じました。
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最初は剣闘士の広場(訓練場)及び兵舎です。前回もここから入場しましたが阪急トラピックスではガイドさんが変わっても観光する場所はいつも同じなんでしょうか?
ガイドさんが異なると案内される場所も異なると思っていたんですが、これは私の目算違いでした。ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ アヌンツィアータの遺跡地域 史跡・遺跡
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こちらは広場の左側、円柱の柱が並んでいます。
ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ アヌンツィアータの遺跡地域 史跡・遺跡
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広場の右側です。赤いレンガの部分が剣闘士の兵舎です。
闘技場では一日に何試合も試合が行われたので兵舎は沢山設けてありました。
剣闘士はローマに征服された植民地の奴隷(元軍人)が多かったようです。勝負があっさり付いては観客は面白くないので、命のやり取りにはその道のプロが選ばれました。
強い剣闘士にはパトロン付くこともあり、奴隷がローマ市民権を獲得して解放されるには手っ取り早い方法だったのかもしれません。対戦して5勝すれば市民権を獲得することができました。
但し敗者に対して観客が「死」の制裁を求めた場合は、勝者は止めを刺さなければならず、非常な世界であったことには変わりはありません。 -
この一画は円柱が完全な姿で残っています。屋根は補修されたのかもそれませんが、それにしても古い感じがします。
ここは元々大劇場の裏で、74本のドリス式円柱を巡らせた大きなロビーがあって、休憩時間には観客がくつろげるようになっていました。
紀元62年の地震の後に皇帝ネロの命令で建物の一部を再整備しここに剣闘士の兵舎が造られました。この場所からは多くの犠牲者が発見されたそうです。ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ アヌンツィアータの遺跡地域 史跡・遺跡
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広場左側の通路です。
こちら側は円柱が折れて傷んでいます。 -
但し剣闘士の兵舎は左側の方が状態が良かったです。
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広場の全景です。
大劇場の裏側の通りから全景が見れます。 -
今回は広場の左側通路から大劇場の裏に回り、外階段を上がって最上階から大劇場に入っていきました。
右側の通路からでしたら大劇場に隣接しているオデオン座(小劇場、音楽堂)の横を通ることになるので、オデオン座を見ることもできましたが、見れず残念でした。
無理して行けない事はなかったのですが、逸れると迷子になりそうでしたので冒険は止めました。(ポンペイの道は迷路みたいですから。)大劇場 史跡・遺跡
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大劇場の全景です。大劇場は5000人が収容でき、客席には天幕が貼られていたそうです。
白い座席の部分は補修された大理石です。最上階の席から写真を撮りました。大劇場 史跡・遺跡
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劇場を半周回りました。貴賓席は舞台向かって左側の下にある出入り口の上の席だそうです。
この席だと全体が見えないと思うんですけど、ガイドさんの説明ではその場所だということでした。
この席が一番俳優に近いからでしょうか?大劇場 史跡・遺跡
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大劇場を抜けて通りにでると、所どころこの様な共同水飲み場兼水汲みがあります。
彫られた像の口には蛇口が取りつけられていました。この像は現在の蛇口が付けられていますが、水は出ました。
水飲み場は溶岩の4枚板を鉄と鉛の金具で止めて作ってあります。水が溢れた時は流れるように岩に溝が彫ってあります。
流れた水は下の道路に彫られた溝にたまるようになっていて、そこは荷車を引く馬やロバの水飲み場になりました。
蛇口の所の女神のレリーフは道標です。町には各所にこのような共同水飲み場がありますが、レリーフは皆違います。
○○のレリーフから何件目とか、○○のレリーフを右に曲がって何件目とか、○○のレリーフの前で待ち合わせとか、そんな使い方をされたようです。
水を汲む場合は蛇口の横の石に腰かけて水汲みをしたため、そこの部分の石がすりへって窪んでいました。 -
横断歩道です。
下の石畳の道は馬車の道です。雨水や排水が流れていましたので歩道と同様に高くしてありました。 -
修復中の家屋です。この家では写真に写っているような鮮やかなポンペイレッドがあるようです。
現在ポンペイの中、上流階級の家は鉄格子が設けられ鍵が掛けられていて入ることができません。
またシーズンオフだからでしょうか、多くの家屋が修復中でした。
これは世界遺産に登録されたポンペイの保存修復が進まず、世界遺産登録解除の対象になりかけたため、急きょ補修を始めたのかもしれません。 -
ルパナーレ(娼館、売春宿)です。ルパは雌狼のこと。雌狼の館という意味です。つまり娼館の2階から道行く男性に雌狼のように声をかけていたのでルパナーレと呼ばれるようになったそうです。
ここは2階建てで1階が5室、2階も5室あるそうです。外観からも分かるように2階の方が部屋が広いので、こちらが高級だそうです。
娼婦たちは奴隷の身分で主にギリシアや中近東から連れて来られましたが、なかには自由人の娼婦もいました。
また、娼婦たちは一般の婦人と区別するために髪を紫色に染められました。 -
一階の入り口から中にはいります。入り口から鍵型に通路があり、通路の左右に部屋があります。
2階は外階段で上がる構造になっていますが、公開されているのは1階のみです。
ポンペイでは娼館は20以上もあり、このような娼館以外にも居酒屋や食堂の一部屋が貸し部屋に充てられていたそうです。 -
中に入ってすぐ目に着くのがこの様なフレスコ画の絵(春画)です。このような絵が部屋の入り口の上に描かれていますが、これは2000年以上も前のオリジナルです。
ポンペイは港町でラテン語が分からない地区からも商人や船乗りが沢山やってきました。
そのため言葉が分からなくても絵で好みのサービスを指し示すことができるように各部屋の上に描かれていました。
いわばサービスのメニュー表です。サービスの料金はワイン2杯分だったそうです。
これって安すぎませんか?奴隷身分の娼婦の場合は稼ぎは主人の物になったのでしょうから悲しい話ですね。 -
こちらの部屋の上にもメニューであるフレスコ画が描かれています。
この様に各部屋の上部にメニュー表が掲げてありました。 -
部屋のなかにある石のベッドです。
まず驚くのがその狭さです。写真では大きさが分かりにくいと思いますが、とても狭いものです。
石の上には厚い寝具を置いたんでしょうが、それでも痛かったのではないでしょうか。
1階はとても狭いです。通路を回るとすぐ出口でした。 -
大通りから中に入るとこのような細い通りが迷路のように伸びています。
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歩道に埋めてあった水道管です。これは鉛でできています。
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歩道に埋めてあった水道管がここではむき出しになっていました。
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細い路地ですが歩道がキチンと作られていました。
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この道はポンペイの大通りアッポンダンツァ通りです。道の左右には広い歩道が設けられています。
左右の歩道は鉄製のフェンスで覆われ、歩道を歩くことができませんでした。
この通りの左右には商店や屋敷が並んでいますが修復中のものがありました。
富裕層の建物は鉄柵が設けられ、鍵が架けられていました。S アッポンディオ通り 散歩・街歩き
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大通りのずっと先までフェンスが設けられ歩道を歩く事がありません。昨年6月に訪れた時はこのような事は無く、歩道を歩きながら整然と並ぶ建物の内部を見る事ができましたが、今回は外観の観光に止まりました。
フェンス越しでは内部の様子は見難かったです。
たぶんシーズンオフの時期なので、この時期に集中して補修しようという目論見かもしれません。S アッポンディオ通り 散歩・街歩き
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アッポンダンツァ通りに面している建物です。この建物はしっかりしています。
ポンペイの建物は白い大理石で覆われていましたが、発掘された後はがされて持ち去られてしまいました。 -
遺跡の保存作業中の人です。
歩道の保存のためと思われますが、何か塗っていらっしゃいました。 -
こちらは上中階級の家屋です。玄関入り口のはモザイクの模様が描かれ、玄関を入るとアトリウムと呼ばれる中庭があります。
アトリウムは周囲を屋根で囲った小型の中庭で、中央には雨水を受ける浅い水槽が設けられています。
さらに水槽を囲むようにモザイク模様が施されていました。
玄関や水槽周囲の緻密なモザイクからこの家屋は上流階級の建物だと推測できると思います。
現在このように保存を必要とする建物は鉄柵で囲まれ施錠されて、入れなくなっています。
今回のツアーに参加された方はすでにイタリアは何度も来られた人が多かったです。ポンペイの観光が2回目3回目の人も多く、「前はこんな柵はなかった。前はよく見れたのに。」との言葉も耳にしました。
遺跡保護のため年毎に観光し難くなっているようです。 -
荷馬車の通行止めです。アッポンダンツァ通りもここまででした。
S アッポンディオ通り 散歩・街歩き
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大通りを振り返るとこんな様子です。
S アッポンディオ通り 散歩・街歩き
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フォロ(公共広場)に着きました。こちらはフォロの右側です。柱廊の奥にエウマキアの建物が見えます。
フォロは上部がイオニア式、下部がドーリアの2層の柱廊で囲まれた広場で、ポンペイの政治、経済、宗教の中心地であった場所です。 -
フォロとジュピター神殿です。
遺跡に入場した頃よりかなり明るくなってきました。
ジュピター神殿はジュピター、ユノー、ミネルヴァの三神を祭った神殿です。
天気の良い日であればここからヴェスヴィオ山が眺められるのですが、あいにくの天気で見えませんでした。
昼頃に比べて天候はかなり回復してきたんですが、火山周辺の天候が悪いのでしょう。ジュピター神殿 建造物
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フォロに面したポンペイの政庁・役所の遺構です。
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アウグストゥスの調和の回廊(エウマキアの建物)
フォロの中央部東側に面して建っているエウマキアの建物の入り口門です。
奥にある建物はポンペイの裕福な家柄の出身でヴィーナスを祀る女性祭司であったエウマキアが皇帝を礼賛するために建てさせたものです。
門の左、壁龕(へきがん)の下には碑文があります。壁龕には皇帝を輩出してきたユリウス家にまつわる人物像が収められていたようです。
壁龕とは壁などに穿った窪みのことで、後世の教会建築で多々見られる様式です。
資料によると碑文には「この建物はローマ初代皇帝アウグストゥスへの融和と忠誠を誓い巫女エウマキアによって献納された」と書いてあるそうです。
また別の碑文からは「建物の奥の中廊にあったエウマキアの石像は毛織物関係の職人達により安置された」そうです。
このことからこの建物は毛織物職人組合と何らかの関係があったのではないかと推測されています。
内部は三方に伸びる柱廊があり、中央の大きなエクセドラにはアウグストゥスの調和の像が収められていました。(像はナポリ考古学博物館に保存されています。)
その後ろにも三方に伸びる柱廊があり、その中心にエウマキアの像が置かれていました。
門の周囲の大理石には精緻なアカンサス唐草文様のレリーフが残っており、現在は保護のため透明なプラスチックケースで覆ってあります。
このレリーフはフォロで発見され、誤ってここに取りつけられましたが、実際は隣にあるアスグストゥスの守護神の神殿にあった物です。
(ポンペイ文化財保護局 ガイドブックより) -
大理石彫られたアカンサス唐草文様のレリーフです。拡大してみました。
非常に精緻に彫られています。
ポンペイの建物に使用された大理石の大部分がすでに盗まれている中で、このように精緻に細工をされた大理石が残っていたとは、まさに奇跡です。 -
アウグストゥスの守護神の神殿(ヴェスパシアヌスの神殿)
エウマキアの建物の左隣にあります。
アウグストゥスの守護神と灰の神マミアの願いによって建てられました。アウグストゥスの治世(紀元1世紀の最初の10年)にこの神殿が建てられると、続いて隣のアウグストゥスの調和の回廊の工事が開始されました。
今日残るファザード下の大理石装飾や紀元62年の大地震のあと修復され一部完成していた祭壇からは、この二つが同じ建築プロジェクトとして進められていたことが分かります。
神殿は小さな中庭と祭壇、高い基壇の上に建つ4本の円柱のある小神殿で構成されていました。
(ポンペイ文化財保護局 ガイドブックより) -
ここは市場(マケルム)です。
正面には祭壇があります。高い位置には礼拝用の広間がありました。その右側面の壁龕には武具を身に付けた男女一対の大理石像のコピーがあります。(祭壇の右横あるのですが写真には撮っていません。)この場所は皇帝信仰の場所であったと想像され、左隣には宗教組織の集まりに使われた空間があり(生贄わささげたと思われる祭壇があります。)、右側にはカウンターを備えた大きな空間が残っていて、魚を売っていたのではないかと想像されます。
周囲の柱廊沿いには店が軒を連ねていました。中央の12本の柱の上には下水道設備を備えた水槽が設置され、その上には円形の丸屋根の建物が建っていました。
12本の柱の周囲からは数多くの魚の骨やウロコが発掘されたことから、ここは魚市場だったと考えられています。
回廊の壁面には魚や鶏の日常の販売の風景とともに、神話を題材とした場面も描かれています。
(ポンペイ文化財保護局 ガイドブックより) -
市場(マケルム)の回廊の壁面に描かれた絵です。
ここは多くの旅行者の方がその旅行記で「フロントーネの家」と呼ばれる遺跡の一画で裕福な家の食堂だと紹介されています。
私は旅行記を投稿するに際して疑問に思いました。「食堂の一部だとすればとてつもない大きな建物になるが、本当に食堂の一部なのか?」と。それで色々調べて検証してみました。
①「フロントーネの家」の遺跡であり、ここが食堂の一部ならこの市場の中に家の壁なり、柱なり何らかの痕跡が無ければなりませんがそのような家を想像させる痕跡は全くありません。
②この壁が食堂の壁ならば、建物の外周の壁はとても高い大邸宅のはずです。しかも敷地面積はこの市場の半分はあろうかと思われますが、そのような建物の遺跡はこの市場内にはありません。
③「フロントーネの家」は存在し、確かにその家の各部屋の壁は鮮やかなフレスコ画がありますが、場所はこの場所よりはるか東のノラ(NOLA)通りにあります。
その家から食堂の壁部分を切り取ってここに移設したとは考えにくいのです。
なぜならフォロに面しているこの壁の裏側は両替所になっていて、その建物はこの壁に密着していたからです。
④現地ガイドさんの説明は市場の壁に書かれている絵として説明を受けましたが、ここが「フロントーネの家の食堂だという説明はありませんでした。
⑤ポンペイ文化保護局の公式ガイドブックもここを「フロントーネの家の食堂であった」とは記述していません。「回廊の壁面」と記述しています。
以上よりポンペイを観光された多くの方は、この場所を間違って「フロントーネの家」の遺跡もしくは食堂の一部と誤解されていると断言できます。
さて、検証はこれで終わりにしましょう。
この壁画はフレスコ画で書かれていて、ポンペイレッドと呼ばれる赤色が鮮やかに残っています。
絵の手前にある空のガラスケースには、噴火でなくなった住民の石膏の遺体が2体収められていたのですが、観光した時はありませんでした。(昨年6月に観光した時もありませんでしたが)
どこへいったんでしょうか?2体ともこの市場で最後を迎えた遺体だそうです。
以前このガラスケースに収められていた写真では、2人とも苦悶の表情で最後を迎えていました。うち一人は奴隷だったとの事です。 -
壁には美しい絵画装飾が施され、葡萄酒用の壺、漁獲品、鳥類を模写したパネルは各店で売られる商品を現わしているようですが、中には神話と思えるフレスコ画もありました。
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フォロを北に抜けるとフォロの浴場があります。
ここは映画「テルマエロマエ」の世界。実写縮小版といったところです。
フォロの浴場はポンペイに3か所あった公共浴場の一つで、ポンペイがローマの植民都市となった紀元前80年に作られた最も古い施設です。
浴場は男女に別れていて、それぞれに脱衣場、冷浴場、微温浴室、高温浴室があり、床暖房まで揃っていたそうです。さらには隣接の中庭は運動場となっていました。
今回見学するのは男性用の浴場です。
それではこの入り口から中に入りましょう。フォロの浴場 史跡・遺跡
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最初の部屋がアポディテリウム(脱衣場)です。
写真では人の影に隠れて見えませんが左右の壁に穴が開いています。ここには衣服を掛けるため釘があったそうです。
この部屋はほとんど明り取りの窓もなくうす暗い部屋でした。保温性を考慮したのだと思われます。
その証拠に壁は二重構造になっていました。釘の穴には手を差し込めます。ガイドさんが手を入れてみなさいと言うので私も差し入れてみました。
2000年以上も前の建物に手を差し入れて、奥にある別の壁に触れた感触はなんとも不思議な感覚でした。フォロの浴場 史跡・遺跡
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アポディテリウムの部屋の奥には冷浴室(フリギダリウム)がありました。
大理石の二段構造です。
冷浴室の壁には4か所の壁龕(ニッチ)があります。通常壁龕には彫像を置くのですが、ここもそうだったのかどうかは分かりません。フォロの浴場 史跡・遺跡
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次の部屋が微温浴室(テビダリウム)です。
この部屋には浴室はありません。巨大な火鉢で部屋全体を温めたそうです。
この部屋は適度に体を温めたり、急な温度変化を和らげる目的もあったようです。
壁には壁龕(ニッチ)があり入浴の際には衣類や持ち物を置くようになっていました。天井のスタック仕上げのレリーフはとても素晴らしいものです。
温かなこの部屋では入浴者が歓談したり、情報交換したりと社交の場になっていたのでしょう。フォロの浴場 史跡・遺跡
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微温浴室の奥に青銅製の大きな火鉢が置かれていました。
この上に木炭を置いて部屋を暖めたようです。フォロの浴場 史跡・遺跡
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ポンペイレッドに染められた壁龕(ニッチ)と天井のスタッコ仕上げのレリーフはとても素晴らしいものです。これ、2000年以上も前の物なんですよ。これは向かって右側。
見ているとその素晴らしさに感動してしまいます。フォロの浴場 史跡・遺跡
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そしてこちらは左側。
フォロの浴場 史跡・遺跡
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アーチ型の天井の下の壁には壁龕(ニッチ)があり、その両脇にはテラコッタ製の男性像が飾られています。
この壁龕(ニッチ)は衣類や持ち物の置き場所です。冷浴場を使用しない場合はこの部屋も脱衣場になったようですね。フォロの浴場 史跡・遺跡
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ここは一番奥の浴室、高温浴室(カリダリウム)です。
入ってすぐ右に大理石の浴槽がありました。浴槽としては小さいものです。この浴槽には温水が張られていましたが、映画「テルマエロマエ」の描写とはかけ離れています。
この部屋の構造はタンクの水を温めるボイラー室の熱い蒸気が床、壁、天井に張り巡らされた排気口を通って循環させ、部屋全体を高温で温めていました。壁は2重で空洞の構造でしたからこの壁にも蒸気が送り込まれて部屋をいわゆるサウナの状態にしていました。そのため湯船が小さかったのです。フォロの浴場 史跡・遺跡
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こちらはカリダリウムの一番奥に設置されていた水盤です。
サウナで火照った体を冷やしたり、飲み水として使用されました。
水盤の周りに文字が書いてありますが、ガイドさんの説明ではこれは選挙で投票してもらうことを期待して水盤を寄贈した人の名前が書いてあるのだそうです。フォロの浴場 史跡・遺跡
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奥の水盤部分です。アーチ型の天井で、丸屋根にはフレスコ画が描かれていました。
フォロの浴場 史跡・遺跡
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奥の全体像です。天井には横に戦が彫られていますが、これは水滴が下に落ちないようにとの工夫です。
ガイドさんの説明によると、冷やされた湯気の水滴は天井に彫りこまれた溝にそって下に落ち、壁に設けられた横溝に沿って(写真左側にある壁に設けられた横の出っ張り)水盤に向かって流れて行きます。
横溝から流れてきた水滴の水は突き当たりの細い縦壁に沿って流れ落ち、最後には水盤の下に流れて行き、水盤から流れ落ちた天井の水滴は冷水と混ざりあって再度ボイラー室に送りこまれ蒸気となってこの部屋を循環するというシステムを造りあげていました。
2000年前にこの装置です。ローマ人恐るべし。現在と同じようなシステムを造り上げていたとは驚きです。フォロの浴場 史跡・遺跡
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一旦通りに戻って散策開始です。
居酒屋です。L型のカウンターでカウンターの前面と上面に大理石が貼られていました。
後ろにある甕にワインを入れていたんでしょうか。 -
店の奥です。カウンターの横にキッチンと思われる場所がありました
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こちらも居酒屋です。大理石を貼ったカウンターには6つの穴が開いていました。ここには素焼きの壺が置かれ、この中に果実・野菜・木の実などを入れて売っていたようです。
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カウンターに並行して反対側の壁沿いにもカウンターがありました。
カウンターの横にある壺にはワインを入れていたんでしょうか。
この居酒屋はカウンターから推測するに大変繁盛した店なんでしょうね。ここはフォロの浴場に近い場所ですから、風呂上がりの男性達が頻繁に利用していたんでしょう。 -
通りから見た居酒屋の風景です。
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