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旧東海道に面した、呼続にある熊野三社の紹介です。山崎城跡にも近い場所にあり、廃城になった後、こちらに遷されたことが納得できる場所です。

2015秋、呼続の熊野三社(2/2):鎮守の杜の大木、灯籠、石碑、西の鳥居、東海道記念碑

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2015/11/21 - 2015/11/21

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

旧東海道に面した、呼続にある熊野三社の紹介です。山崎城跡にも近い場所にあり、廃城になった後、こちらに遷されたことが納得できる場所です。

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  • 呼続の熊野三社の本殿側面光景です。神明造りの社殿でしょうか。

    呼続の熊野三社の本殿側面光景です。神明造りの社殿でしょうか。

  • 名古屋市保存樹のムク(椋)の大木光景です。アサ科ムクノキ属の落葉高木です。ムクドリ(椋鳥)が好む果実が生ります。エノキ(榎)に似ているため、ムクエノキ(椋榎)とも呼ばれます。

    名古屋市保存樹のムク(椋)の大木光景です。アサ科ムクノキ属の落葉高木です。ムクドリ(椋鳥)が好む果実が生ります。エノキ(榎)に似ているため、ムクエノキ(椋榎)とも呼ばれます。

  • 名古屋市保存樹の『ムクノキ』の根元のズームアップ光景です。指定番号の『南第13号』が付されていました。

    名古屋市保存樹の『ムクノキ』の根元のズームアップ光景です。指定番号の『南第13号』が付されていました。

  • 正面から眺めた本殿と、その背後の大樹の光景です。左端には山崎稲荷の赤鳥居も見えています。

    正面から眺めた本殿と、その背後の大樹の光景です。左端には山崎稲荷の赤鳥居も見えています。

  • 中央奥の建物は、本殿です。その本殿の奥になる、右手前の建物には窓がありませんでした。石垣の上に造られた倉庫のようですから、宝物庫当たりでしょうか、あるいは本殿らしい建物が拝殿で、その奥が本殿かも知れません。

    中央奥の建物は、本殿です。その本殿の奥になる、右手前の建物には窓がありませんでした。石垣の上に造られた倉庫のようですから、宝物庫当たりでしょうか、あるいは本殿らしい建物が拝殿で、その奥が本殿かも知れません。

  • そろそろ夕暮れ時が近付いてきた、熊野三社の境内の光景です。紅葉や黄葉を始めた木々が夕日に染まり始めました。

    そろそろ夕暮れ時が近付いてきた、熊野三社の境内の光景です。紅葉や黄葉を始めた木々が夕日に染まり始めました。

  • 『ご誓文』の題字があった石碑の光景です。『五箇条の御誓文』とも呼ばれる、慶応4年3月14日(1868年4月6日)に明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針です。現代表記で全文紹介します。<br />1広く会議を興し、万機公論に決すべし。<br />1上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし。<br />1官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。<br />1旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。<br />1智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。<br />

    『ご誓文』の題字があった石碑の光景です。『五箇条の御誓文』とも呼ばれる、慶応4年3月14日(1868年4月6日)に明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針です。現代表記で全文紹介します。
    1広く会議を興し、万機公論に決すべし。
    1上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし。
    1官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
    1旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
    1智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

  • 『皇紀二千六百年記念樹』の模擬が刻まれた石碑です。側面に『郷軍山崎班』の文字がありました。昭和15年(1940年)に、神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事を指します。日本全体が軍国主義に染まった時代です。その時、在郷軍人会が建てた石碑のようです。

    『皇紀二千六百年記念樹』の模擬が刻まれた石碑です。側面に『郷軍山崎班』の文字がありました。昭和15年(1940年)に、神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事を指します。日本全体が軍国主義に染まった時代です。その時、在郷軍人会が建てた石碑のようです。

  • 全体的には春日灯篭のように、背が高い立灯篭のようですが、少し様式が異なる石灯篭のようです。

    全体的には春日灯篭のように、背が高い立灯篭のようですが、少し様式が異なる石灯篭のようです。

  • 一対で置かれていた、もう一方の立灯篭の光景です。台座もすべて、六角形でした。

    一対で置かれていた、もう一方の立灯篭の光景です。台座もすべて、六角形でした。

  • 熊野三社の社務所の光景です。その左側の庭の部分に、『手水・松巨嶋』の立看板がありました。看板の左の手水の側面に、『松巨嶋』の文字がありました。更にその左は、春日灯篭です。お寺の場合は、社務所に相当する建物は、庫裏(くり)の呼び名があります。

    熊野三社の社務所の光景です。その左側の庭の部分に、『手水・松巨嶋』の立看板がありました。看板の左の手水の側面に、『松巨嶋』の文字がありました。更にその左は、春日灯篭です。お寺の場合は、社務所に相当する建物は、庫裏(くり)の呼び名があります。

  • 『奉賛会事務所』と『熊野三社奉賛会会館』の2枚の表札があった建物です。社務所とは別の役割の建物のようでした。

    『奉賛会事務所』と『熊野三社奉賛会会館』の2枚の表札があった建物です。社務所とは別の役割の建物のようでした。

  • 名古屋市の保存樹のクスノキ(楠)の根元の光景です。御神木らしい注連縄がありました。

    名古屋市の保存樹のクスノキ(楠)の根元の光景です。御神木らしい注連縄がありました。

  • 同じく、名古屋市の保存樹のクスノキ(楠)の根元の光景ですが、今度は左手に狛犬を入れての撮影です。

    同じく、名古屋市の保存樹のクスノキ(楠)の根元の光景ですが、今度は左手に狛犬を入れての撮影です。

  • 名古屋市の保存樹のクスノキ(楠)の、上部の光景です。クスノキ科ニッケイ属の常緑高木です。樟より、楠の文字が多く使われますが、楠の文字は、本来は中国のタブノキを指す字とされます。

    名古屋市の保存樹のクスノキ(楠)の、上部の光景です。クスノキ科ニッケイ属の常緑高木です。樟より、楠の文字が多く使われますが、楠の文字は、本来は中国のタブノキを指す字とされます。

  • 『芦大』の様に読めますが、根津芦丈の句碑のようです。猫蓑会の創設者で、主宰であった東明雅師は、平成15年(2003年)10月、享年88歳で逝去されましたが、根津芦丈に教えを受けた人のようです。その年譜に、『平成12年(2000年)、日本青年館において、発起人として根津芦丈翁三十三回忌を修す』の項目が記されていました。初句の『月や』、最後の『風の吹』以外は、読み取れませんでした。

    『芦大』の様に読めますが、根津芦丈の句碑のようです。猫蓑会の創設者で、主宰であった東明雅師は、平成15年(2003年)10月、享年88歳で逝去されましたが、根津芦丈に教えを受けた人のようです。その年譜に、『平成12年(2000年)、日本青年館において、発起人として根津芦丈翁三十三回忌を修す』の項目が記されていました。初句の『月や』、最後の『風の吹』以外は、読み取れませんでした。

  • 名古屋市保存樹だったようです。黄葉が始まった公孫樹の大木です。クスノキ(楠)と同様、この樹も長寿命で大木になります。

    名古屋市保存樹だったようです。黄葉が始まった公孫樹の大木です。クスノキ(楠)と同様、この樹も長寿命で大木になります。

  • 振り返って眺めた、境内入口の鳥居の光景です。待ち合わせの時間が迫ってきましたので、そろそろイオンモールに向かうことにしました。

    振り返って眺めた、境内入口の鳥居の光景です。待ち合わせの時間が迫ってきましたので、そろそろイオンモールに向かうことにしました。

  • 名古屋市名の森を守るための立札です。約0.5ヘクタールが、『熊野三社特別緑地保全地区」に指定されていました。神社全域の地図上の緑色の部分です。

    名古屋市名の森を守るための立札です。約0.5ヘクタールが、『熊野三社特別緑地保全地区」に指定されていました。神社全域の地図上の緑色の部分です。

  • 直角に曲がった参道の西端に位置する鳥居の光景です。旧東海道からの入口になります。

    直角に曲がった参道の西端に位置する鳥居の光景です。旧東海道からの入口になります。

  • 『村社・式内・熊野三社』の文字が刻まれた石柱の光景です。西の鳥居の脇にありました。

    『村社・式内・熊野三社』の文字が刻まれた石柱の光景です。西の鳥居の脇にありました。

  • この通りが、次に紹介する地図に記された『山崎の坂』です。鎌倉街道とも交差する旧東海道の通りです。

    この通りが、次に紹介する地図に記された『山崎の坂』です。鎌倉街道とも交差する旧東海道の通りです。

  • 『東海道』の大きな文字が刻まれた、まだ新しい石碑です。熊野三社の入口の鳥居の傍にありました。『山崎の坂』付近に、10箇所の神社とお寺が記されていました。『宿駅制度制定四百年記念碑』でした。

    『東海道』の大きな文字が刻まれた、まだ新しい石碑です。熊野三社の入口の鳥居の傍にありました。『山崎の坂』付近に、10箇所の神社とお寺が記されていました。『宿駅制度制定四百年記念碑』でした。

  • 昔は、今よりももっと坂がきつかったと記されていた『山崎の坂』の光景です。少し下った場所から振り返って眺めた『熊野三社』方面の光景です。

    昔は、今よりももっと坂がきつかったと記されていた『山崎の坂』の光景です。少し下った場所から振り返って眺めた『熊野三社』方面の光景です。

  • 旧東海道を右に曲がって、北東方面に向かいました。既に平地になりました。前方に名古屋本線を走る名鉄電車の赤い車体が見えました。

    旧東海道を右に曲がって、北東方面に向かいました。既に平地になりました。前方に名古屋本線を走る名鉄電車の赤い車体が見えました。

  • 名古屋本線の踏切です。その左手に見えているのが、名鉄の呼続駅です。

    名古屋本線の踏切です。その左手に見えているのが、名鉄の呼続駅です。

  • 左右を安全確認しながら渡った踏切の左手方面の光景です。そのついでに撮影した、名鉄の呼続駅です。

    左右を安全確認しながら渡った踏切の左手方面の光景です。そのついでに撮影した、名鉄の呼続駅です。

  • 踏切を渡る時の右手方面の光景です。線路脇に見える左手の木立は、山崎城址の安泰寺、右奥に見えるのが、先ほど見学した熊野三社の鎮守の杜です。線路を横断する人道橋は、安泰寺の入口に向かう通りです。

    踏切を渡る時の右手方面の光景です。線路脇に見える左手の木立は、山崎城址の安泰寺、右奥に見えるのが、先ほど見学した熊野三社の鎮守の杜です。線路を横断する人道橋は、安泰寺の入口に向かう通りです。

  • 『熊野三社』の見学を終え、イオンモールに向かう途中、右手に見えていた杜の光景です。8月に見学した『安泰寺』がある『山崎城址』です。

    『熊野三社』の見学を終え、イオンモールに向かう途中、右手に見えていた杜の光景です。8月に見学した『安泰寺』がある『山崎城址』です。

  • 左の杜が今回見学した『熊野三社』、右の杜が8月に見学した『山崎城址』の『安泰寺』です。今晩の会食予定のイオンモールからの眺めです。

    左の杜が今回見学した『熊野三社』、右の杜が8月に見学した『山崎城址』の『安泰寺』です。今晩の会食予定のイオンモールからの眺めです。

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