2015/09/26 - 2015/10/09
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旅人のくまさんさん
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芭蕉最古の供養塔がある、鳴海の西山浄土宗のお寺、来迎山・誓願寺の紹介です。天正元年(1573年)の創建です。
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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南側から眺めた庚申坂の光景です。庚申坂の脇には、これから紹介する誓願寺と、圓道寺が並んでいました。かつての鳴海城があった場所ですから、この二寺以外にもお寺が多く残されています。
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『芭蕉最古の供養塔』のタイトルがあった、名古屋市教育委員会名での説明立看板です。芭蕉が没した翌月の忌日、当地の芭蕉門下がこの地で追悼機会を開いた時の慰霊の石碑と紹介されていました。松尾芭蕉(1644~1694年)は、元禄7年10月12日(1694年11月28日)に亡くなりました。江戸時代の貞享から元禄にかけて鳴海六俳仙と呼ばれる人達がいました。下里知足(造り酒屋で下里家二代目当主吉親)、寺島芙言(鳴海本陣当主伊右衛門、知足母の弟)、寺島安信(嘉右衛門、芙言の分家)、岡島自笑(佐助、刀鍛冶)、児玉垂辰(源右衛門、花井の問屋場の主人)、如風和尚(文英、如意寺六世住職)らは芭蕉を後援し、師弟の関係にあ利ました。
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『西山浄土宗・来迎山・誓願寺』の文字が刻まれた石標の光景です。石畳の参道の先に山門が見えていました。芭蕉と鳴海の関わりは、貞享2年(1685年)4月『野ざらし紀行』の旅の途中、熱田の俳人林桐葉の紹介で鳴海本陣を訪れたことによりはじまりました。鳴海の俳壇の中心人物であった下里知足は、大阪の西鶴や江戸の其角など芭蕉以外にも東西の有名な俳人や文人との交わりが多い名士で、知足宅が芭蕉の鳴海での宿になりました。芭蕉は生涯に四度鳴海を訪れました。
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歩道に建てられていた、茶色の道案内標識の光景です。左向きの矢印で『根古屋(ねこや)城跡』、右向きの矢印で『名鉄鳴海駅』が案内されていました。文字が途切れていましたが、下側には『名古屋・絞り』の文字がありました。有松絞りの案内でしょうか。根古屋城は、鳴海城のことです。室町時代の応永年間に足利義満の配下であった安原宗範によって築かれました。廃城になったのは1560年の桶狭間の戦いの後、天正年間(1573~1593年)の末期の頃のようです。
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イチオシ
『西山浄土宗・来迎山・誓願寺』の山門光景です。松尾芭蕉に所縁のあったお寺とされます。千代倉家から移築された山門で、一間高麗門で裏桟付板戸を肘壷でつり、四代元雄の時代に自宅の門を移したものとされます。千代倉家は、鳴海の豪族下郷(下里)家一族は宿村役人を勤めた家です。本家筋に当たる下郷次郎八家(千代倉)は江戸時代は造り酒屋で江戸へ船で出荷して財をなしました。
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門をくぐった後、内側から眺めた三門の光景です。先程、高麗門風と紹介した部分は、門とは直角で、内側に見える屋根付きの部分を指すようです。下郷次郎八家(千代倉)の二代目当主は吉親(俳名知足)、文人で芭蕉の門弟の鳴海六俳仙の一人で、リーダーでした。芭蕉は熱田の俳人林桐葉を介して知足と懇意になり、熱田に来たときは必ず鳴海の知足宅に足を延ばし、逗留して俳席をもったとされます。
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『来迎山・誓願寺』の掲示板の光景です。誓願寺バザーの案内と、その結果の報告とお礼文などでした。左下の写真入りポスターは、ネパール大地震の募金案内でした。
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立派な枝振りの松の庭木越しに眺めた本堂の光景です。右手からは、ソテツ(蘇鉄)の濃い緑の葉が伸びていました。
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檜皮か杉皮が使われた風流な和風の塀の光景です。その脇には、トクサ(木賊)の緑がありました。手水鉢の側面には、『漱水』の文字がありました。必要な時にだけ使われるのでしょうか、蛇口は閉めてありました。
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永井星渚作の漢文石碑のようです。永井星渚(せいしょ:1761~1818年)は、荷風の先祖です。徂徠派の儒学者として、尾張の野にあって活躍しました。南区の西来寺と道路を隔てて南側に屋敷跡があります。
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『南無阿弥陀仏』の文字が刻まれた丸い石碑の光景です。
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塀際にありましたから、芭蕉供養碑かと思いましたが、違っていました。『南無阿弥陀仏』の文字が刻まれた石碑でした。芭蕉慰霊碑は、改めて名古屋市教育委員会名の立札を読み直しましたら、『高さ60センチほどの青色の自然石』と紹介してありました。
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『来迎山・誓願寺』の本堂の大屋根の光景です。大棟に『来迎山』の文字がありました。
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イチオシ
ソテツ(蘇鉄)の大木の光景です。指定番号・緑の五番のソテツの文字がありました。名古屋市の保存樹でした。名古屋市の保存樹は850本ほど、その中でソテツはこの1株だけですから、名古屋一のソテツと呼んでもよさそうです。
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別の角度から眺めた、名古屋市保存樹のソテツの光景です。
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ソテツは複数カ所に植栽されていました。ソテツと並んだ石塔の光景です。立派な造りの宝篋印塔でした。
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イチオシ
『芭蕉堂』の建物光景です。芭蕉堂は、間口一間半の木像瓦葺きの土壁のお堂です。安政5年(1858年)冬に、俳諧竹内竹有の門人で荷風の曽祖父に当たる永井士前(1807~1888年)らによって建立されました。台座の下に、建立者の士前ら18人の名が書かれています。
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『芭蕉堂』の文字が記された扁額のズームアップ光景です。落款がありましたが、文字が薄れて読み取れませんでした。
(追記)瑞泉寺二十世呑舟和尚(?~ 1762)書とのネット情報がありました。 -
斜め前から眺めた、『芭蕉堂』の建物光景です。この芭蕉堂に収められている芭蕉像は、細根山(千代倉の別荘小山園)の芭蕉お手植えの杉の木を使ったとさtれます。宝暦3年(1753年)、または5年の台風で倒れた古木を、名古屋の仏師嘉右衛門が彫刻したものと伝えられます。高さ38センチの座像です。
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手水鉢の光景です。側面に『霖濁』らしい文字がありましたが、その意味が分かりませんでした。
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庭木越しに眺めた本堂の大屋根光景です。本堂は、間口七間、奥行七間半、寄棟造桟瓦葺で、前面に向拝が付きます。内陣廻り円柱その他は面取りの角柱で、外部には斗組を用いず客殿式の建物です。祀られている本尊は、木像阿弥陀如来像です。
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境内で撮影した堂宇の光景です。破風側から眺めた本堂の建物光景だったようです。
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『四国直伝弘法大師』の88か所巡り第二番の誓願寺の弘法堂のようです。地蔵堂と呼ばれているかも知れません。ガラス戸の蝋燭立などがありました。
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弘法堂か地蔵堂のようでしたが、お堂の表札が見当たりませんでした。『四国直伝弘法大師』の幟がありましたから、庚申坂に面する誓願寺が管轄するお堂であることは間違いないようです。
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庚申坂に面した、弘法堂の正面のズームアップ光景です。弘法大師・空海は、東国巡錫の途中に知多半島に上陸し、その時、知多の風景があまりにも四国に似ていることに驚き、『西浦や 東浦あり 日間賀島 篠島かけて 四国なるらん』という歌を詠んだとされ増す。
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『四国直伝弘法大師』の幟の中にあった、『聖観世音菩薩』の文字が刻まれた石標のズームアップ光景です。真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音としています。六観音は、六道輪廻の思想に基づいたものです。
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『四国直伝弘法大師』の幟のズームアップ光景です。『四国直伝弘法大師』とは、大正14年10月に、当時の四国八十八ヶ所霊場会長の善通寺誕生院貫主から拝領された『四国直伝証』に基づく、88か所巡りのことです。その1番から3番までが鳴海地区にあります。第一番・瑞泉寺、第二番・誓願寺と第三番・如意寺です。
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もう一度山門近くに戻りました。これで松尾芭蕉に縁が深い、『来迎山・誓願寺』の紹介はおしまいです。
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『来迎山・誓願寺』の南近くを通る旧東海道の街並み光景です。『鳴海宿』の東寄りが、現在の知立の『池鯉鮒宿』、西寄りが熱田神宮所縁の『宮宿』になります。宮宿から次の桑名宿までは、七里の渡しの海路になります。
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