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名古屋市熱田区神戸町(ごうどちょう)にある西山浄土宗のお寺、蓬寿山・宝勝院の紹介です。熱田湊の常夜灯を、承応3年(1654年)から明治24年(1891年)まで管理してきたお寺とされます。

2015秋、宝勝院と弥勒院(16/19):蓬寿山・宝勝院:唐門風の山門、逆立獅子の鬼瓦

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2015/09/26 - 2015/10/09

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旅人のくまさん

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名古屋市熱田区神戸町(ごうどちょう)にある西山浄土宗のお寺、蓬寿山・宝勝院の紹介です。熱田湊の常夜灯を、承応3年(1654年)から明治24年(1891年)まで管理してきたお寺とされます。

交通手段
私鉄 徒歩
  • 名古屋市教育委員会名で立てられた『宝勝院』のタイトルがあった説明立看板の光景です。昭和27年(1952年)、近所にあった高仙寺と合併しましたが、その引っ越しの時に、木造阿弥陀如来木造の胎内から、摺仏や写経が多数見つかったと紹介されていました。同時に貞永元年(1232年)の奥書が見付かり、昭和58年(1983年)、本尊、納入物ともに国の重要文化財に指定されたことも紹介されていました。

    名古屋市教育委員会名で立てられた『宝勝院』のタイトルがあった説明立看板の光景です。昭和27年(1952年)、近所にあった高仙寺と合併しましたが、その引っ越しの時に、木造阿弥陀如来木造の胎内から、摺仏や写経が多数見つかったと紹介されていました。同時に貞永元年(1232年)の奥書が見付かり、昭和58年(1983年)、本尊、納入物ともに国の重要文化財に指定されたことも紹介されていました。

  • 唐風の屋根が付いた、『蓬寿山・宝勝院』の山門光景です。鎌倉時代に作られた国の重要文化財の木造阿弥陀如来立像を所有しています。元々は、合併した高仙寺の御本尊だった立像です。

    イチオシ

    唐風の屋根が付いた、『蓬寿山・宝勝院』の山門光景です。鎌倉時代に作られた国の重要文化財の木造阿弥陀如来立像を所有しています。元々は、合併した高仙寺の御本尊だった立像です。

  • 読み難くなっていた、『西山浄土宗・宝勝院』の文字が記された表札の光景です。西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)は、京都府長岡京市の光明寺(粟生光明寺)を総本山とする広義の浄土宗の一派とされます。阿弥陀如来をご本尊とし、浄土三部経を根本経典とします。浄土三部経は、『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』、『仏説阿弥陀経』の三経典を指します。法然を宗祖とする浄土宗、親鸞を宗祖とする浄土真宗に共通の根本経典とされます。

    読み難くなっていた、『西山浄土宗・宝勝院』の文字が記された表札の光景です。西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)は、京都府長岡京市の光明寺(粟生光明寺)を総本山とする広義の浄土宗の一派とされます。阿弥陀如来をご本尊とし、浄土三部経を根本経典とします。浄土三部経は、『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』、『仏説阿弥陀経』の三経典を指します。法然を宗祖とする浄土宗、親鸞を宗祖とする浄土真宗に共通の根本経典とされます。

  • 境内に立ち入ることが出来ませんでしたから、外からの撮影した写真だけでの紹介になります。正面近くから眺めた、逆立ち姿の獅子の鬼瓦の光景です。

    境内に立ち入ることが出来ませんでしたから、外からの撮影した写真だけでの紹介になります。正面近くから眺めた、逆立ち姿の獅子の鬼瓦の光景です。

  • 同じく、斜め前から眺めた、逆立ち姿の獅子の鬼瓦の光景です。何となく、お疲れさまと声を掛けたくなるようなポーズです。

    同じく、斜め前から眺めた、逆立ち姿の獅子の鬼瓦の光景です。何となく、お疲れさまと声を掛けたくなるようなポーズです。

  • 鉄筋コンクリート造りの近代ビルのように見えた、本堂の光景です。二階部分に、唐風の玄関屋根があり、その場所までは、右手から石段が伸びていました。

    イチオシ

    鉄筋コンクリート造りの近代ビルのように見えた、本堂の光景です。二階部分に、唐風の玄関屋根があり、その場所までは、右手から石段が伸びていました。

  • 正面からズームアップした、2階部分にあった唐風の玄関屋根の光景です。『蓬寿山』の扁額が懸かっていました。『第24世沙門秀宝書』らしい落款がありました。浄土宗の開祖法然上人の高弟である西山上人証空が、自らが唱える西山義の教えを広めたことに始まる西山浄土宗は、その後、分派と合併を繰り返しているようです。

    正面からズームアップした、2階部分にあった唐風の玄関屋根の光景です。『蓬寿山』の扁額が懸かっていました。『第24世沙門秀宝書』らしい落款がありました。浄土宗の開祖法然上人の高弟である西山上人証空が、自らが唱える西山義の教えを広めたことに始まる西山浄土宗は、その後、分派と合併を繰り返しているようです。

  • 蓬寿山・宝勝院の掲示板の光景です。西側のポスターは、『第769回・西山忌』の案内ポスターでした。その主催は、京都長岡京の総本山・光明寺でした。左のポスターには、『天高く月清し・人の心もかくありたい」と揮毫されていました。

    蓬寿山・宝勝院の掲示板の光景です。西側のポスターは、『第769回・西山忌』の案内ポスターでした。その主催は、京都長岡京の総本山・光明寺でした。左のポスターには、『天高く月清し・人の心もかくありたい」と揮毫されていました。

  • 塀の一部を窪ませて祀ってあった小さな社の光景です。赤い幟には、『うすさま明王』の文字がありました。烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう、うすしまみょうおう)とは、密教における明王の一尊です。『うすさま』は、『烏枢瑟摩』、『烏芻沙摩』、『烏瑟娑摩』、『烏枢沙摩』とも表記されます。

    塀の一部を窪ませて祀ってあった小さな社の光景です。赤い幟には、『うすさま明王』の文字がありました。烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう、うすしまみょうおう)とは、密教における明王の一尊です。『うすさま』は、『烏枢瑟摩』、『烏芻沙摩』、『烏瑟娑摩』、『烏枢沙摩』とも表記されます。

  • 正面から眺めた、『うすさま明王』の社光景です。真言宗、天台宗、禅宗、日蓮宗などの諸宗派で信仰されています。『大威力烏枢瑟摩明王経』などの密教経典(金剛乗経典)に説かれているようです。

    正面から眺めた、『うすさま明王』の社光景です。真言宗、天台宗、禅宗、日蓮宗などの諸宗派で信仰されています。『大威力烏枢瑟摩明王経』などの密教経典(金剛乗経典)に説かれているようです。

  • 『宝玉鳥烏枢沙摩明王』の文字が刻まれた石標の光景です。先に紹介した、『うすさま明王』の表記の一つでした。烏枢沙摩明王は、古代インド神話においての元の名を『ウッチュシュマ』、あるいは『アグニ』と呼ばれル、炎の神です。

    『宝玉鳥烏枢沙摩明王』の文字が刻まれた石標の光景です。先に紹介した、『うすさま明王』の表記の一つでした。烏枢沙摩明王は、古代インド神話においての元の名を『ウッチュシュマ』、あるいは『アグニ』と呼ばれル、炎の神です。

  • 併設されていた駐車場側から眺めた、三階建ての本堂の光景です。これで、『蓬寿山・宝勝院』の紹介はおしまいです。このお寺の山号も、熱田蓬莱伝説に因むようでしたが、詳しいことは確認できませんでした。

    併設されていた駐車場側から眺めた、三階建ての本堂の光景です。これで、『蓬寿山・宝勝院』の紹介はおしまいです。このお寺の山号も、熱田蓬莱伝説に因むようでしたが、詳しいことは確認できませんでした。

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