2015/09/18 - 2015/09/22
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旅人のくまさんさん
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尾張徳川家の二代目藩主の徳川光友公に所縁が深い、日蓮宗のお寺、『七面山(しちめんざん)・妙善寺(みょうぜんじ)』の紹介です。通称、『橘町の七面さま』と呼ばれて親しまれています。
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イチオシ
『七面山・妙善寺』の山門光景です。名古屋市中区の橘1丁目に位置するお寺です。『尾張名所図会』には、『橘町の西側にある、日蓮宗、京都妙願寺直末、天和三年(1683)に日春という僧が建立した妙禅寺という廃寺が愛智郡岩作村(現在の長久手町)にありました。そこから寺号を移して妙善寺と名付けました。延宝の頃(1673~1680)より尾張藩主の信仰が厚く、今に至るまで繁昌している』と紹介されています。
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『南無妙法蓮華経』の文字が刻まれた、円筒形の石碑の光景です。『法』以外の6字の筆端をひげのように伸ばして書いた、『跳ね題目』と呼ばれる書法のようです。法の光を受けて、万物が真理の活動に入る姿を表したものと解釈されているようです。
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『七面宮鎮座』の文字が刻まれた石標の光景です。延宝8年(1680)5月、尾張藩二代目藩主の徳川光友は腫物のために苦しんでいました。豪商、茶屋長以は光友公の病気平癒を願い、七面女神像を全霊を込めて彫りました。光友公の病気は、七面女神像の加護のため、平癒したとされます。その七面女神像が祀られているのが妙善寺、七面宮です。
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『日蓮宗・妙善寺』の文字と寺紋が金色で認められた表札の光景です。日蓮宗の大本山、『身延山久遠寺』の寺紋は『井桁に橘紋』ですから、同じ紋が表示されているようでした。このお寺に縁が深い、尾張藩の第2代藩主・徳川光友公についての紹介の続きです。初代藩主・徳川義直の長男で、母は吉田甚兵衛の姉・歓喜院です。正室は徳川家光の娘・霊仙院(千代姫)でした。
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山門の前から眺めた、『日蓮宗・妙善寺』の参道光景です。光友公の紹介が続きます。慶安3年(1650年)、父の義直の死去により家督を継ぎ、翌年に父の菩提寺として建中寺を建立しました。また、寛文元年(1661年)には母の菩提寺として、現在の名古屋市守山区にある浄土宗の寺院、大森寺を建立しました。
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一輪だけ咲いていた、『ムクゲ(槿)』の花のズームアップ光景です。『フヨウ(芙蓉)』によく似ていますが、葉の形などが異なります。木槿の葉は、芙蓉より小さく先が尖っています。
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参道脇に置かれていた石灯篭の光景です。柱の部分に、『願中(ママ)講中一結』らしい文字がありました。改宗されたのか、火袋の部分が木製でした。第二代藩主の光友公の話題に戻ります。光友が藩主の座にあったのは、1650年~1696年の約45年ほどの間です。徳川幕府では、三代将軍の家光の武断政治から、文治政治に代わった4代将軍家綱、5代将軍綱吉の時代になります。殊に、三代将軍の家光の後を継いだ家綱は、僅か11歳でした。巷には武断政治で職を失った浪人が溢れていました。この時期に起きたのが、天草四郎の『島原の乱(1637~1638年)』や、由井正雪による『慶安の変(1651年)』でした。
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少しだけズームアップした、石灯篭の光景です。武断政治の影響が残る江戸時代の初期、世の中の動きを読んだ政治を行った名君達もいました、閑谷学校を開いた岡山藩の池田光政公、家光の異父弟で幼君の家綱を支えた会津の保科正之公、その正之公の娘を夫人とし、正之の後見のもとに藩政改革をスタートさせた加賀の前田綱紀公などです。尾張の第二代藩主の光友公も、名君の一人とされるようです。
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ここから紹介する石碑は、江戸時代の第八代尾張藩主の徳川宗春公の時代全盛を極めたとされる『橘座』に関連する遺物のようです。最初は『長夜台』らしい文字が刻まれた石碑の紹介です。右半分の文字は、『千鶴 たのみおく七字の外も茶のかをり』のようです。二句が記された句碑のようでした。
(追記)宗春時代に境内にあった芝居小屋は、『小野川千之助座』だったかも知れません。 -
『林家正三碑』の文字が刻まれて石碑の光景です。にがり側の小さな文字は読み取れませんでした。『林家正三(はやしや・しょうざ)』は、上方落語の名跡ですが、現在は空き名跡となっています。徳川光友公により建てられた橘座は、徳川宗春の時代に空前の賑わいを呈し、上方役者が毎月興行を行って大盛況となったようです。
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『家元・三世・冨士松魯中墓』の文字が刻まれた墓碑です。『富士松・魯中(ふじまつ・ろちゅう)』は、新内節の名跡です。今は名跡が途切れてしまっているようです。
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上部に『中山先生遺愛碑』らしい文字が刻まれた石碑の光景です。末尾の方に、嘉永4年の日付がありましたから、1851年の建立になります。
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イチオシ
被り物がある石像ですから、地蔵菩薩ではなく、観音菩薩像のようです。少し俯いて、瞑想するお姿です。白と黄色の生花の菊が供えられていました。
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『三代目中村翫雀』の墓碑です。『中村翫雀(なかむら・かんじゃく)』は、歌舞伎役者の名跡で、屋号は成駒屋です。三代目中村翫雀(1841~1881年)は、父は淀藩与力の飯田直次郎で、初代翫雀の養子でした。子孫は、中村雁治郎、中村玉緒、林与一などです。
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『新内・冨士松志喜教海』らしい文字が刻まれた石碑の光景です。『教海』の文字は読み間違えているかも知れません。推測になりますが、江戸時代から明治にかけての新内・富士松派の方に因む石碑のようです。
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『故陸軍歩兵軍曹・功七級勲七等・木全甚平碑』の文字が刻まれた石碑です。その下に、『愛知県氏族木全年輝次男・明治10年9月生まれ』からの略歴が記してありました。日露戦争の激戦地、南山の戦いがもとで、明治38年(1905年)に亡くなった人のようです。
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参道脇に置かれた狛犬の光景です。大きな口を開けた阿形の雄獅子の光景です。自然石のままのような、少し風変わりな台座でした。
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こちらは静かな姿の吽形の雌獅子の光景です。同じようにほとんど彫刻が施されていない自然石が台座になっていました。本体とは石質が違うようにも見受けました。
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『瑞龍公徳川光友発願・尾州徳川家御祈願所・七面山明善寺』の文字が記された表札の光景です。光友公の法名は『瑞龍院殿天蓮社順誉源正大居士』号は『源正公』です。光友公は、武芸や茶道、唐楽、書など諸芸に優れ、剣術は柳生厳包(柳生連也斎)より学び新陰流第6世を継承しました。書では、後西院、近衛信尋兄弟と共に三筆と称せられることがあります。
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『七面山・妙善寺』の本堂、七面宮の正面光景です。尾張の国の安全第一を祈祷する一寺として、愛知郡岩作村(現長久手町)の『千手山・妙禅寺』をこの地に移し、『七面山・妙善寺』と改名し、京都大本山妙顕寺第十八世中道院日春上人を迎えて開山としました。
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イチオシ
『七面山・妙善寺』の本堂正面に懸かる、『七面宮』の扁額の光景です。尾張徳川家の第二代藩主の徳川光友公(1625~1700年)自筆の額です。初名は徳川光義(みつよし)で、こちらを名乗った期間の方が長いとされます。『光義(みつよし)』の名前は、元服時に、従兄で将軍の徳川家光公、初代尾張藩主の父・義直公の諱から1字ずつ授かった名前です。
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『七面山・妙善寺』の本堂の『七面宮』と、その周りの光景です。焼け残った摩利支天堂を旧七面堂の跡に移し、裏側に内陣一棟を増築して現在の七面堂となりました。御本尊を明記したネット情報が見当たりませんでしたが、推測では、『七面大明神(しちめんだいみょうじん)』のように思われます。『七面天女』とも呼ばれ、日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神です。
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『七面山・妙善寺』の境内の周りの光景です。白い幟に記された文字は、『南無末法鎮守七面大天女』でした。子の幟の文字も、『七面山・妙善寺』の御本尊が、『七面大明神』を示しているようです。『七面大明神』は、『七面天女』とも呼ばれています。
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『七面山・妙善寺』の境内光景です。『七面山』が『身延山』とともに法華経信仰の聖地となったのは、文永11年(1274年)日蓮聖人が身延山に入山されて以来のこととされます。標高1982メートルの南アルプスの山です。
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境内の内側から眺めた、『七面山・妙善寺』の山門光景です。本瓦を葺いた、高麗様式の門のようです。
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門に記された七つ星の文様です。家紋のようです。細部は少し異なりますが、『七星(七曜)紋』の1種のようです。戦国武将では、九鬼氏が用いています。
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山門付近から振り返って眺めた本堂方面の光景です。敷石の参道がまっすぐに伸びていました。石碑などは、参道の右側に並んでいました。
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この季節の花、『ヒガンバナ(彼岸花)』の光景です。秋のお彼岸の季節を教えてくれるとともに、お寺にはよく似合う花です。
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第二次大戦時の名古屋空襲で全焼した『七面山・妙善寺』ですが、山門だけは被害を免れました。記録によれば、『七面様』を戦火から守ろうと、町内の人達が最後まで消火に頑張られたようです。
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『七面山・妙善寺』の近くで咲いていた、赤いゼラニュウムの花です。和名は、『天竺葵(てんじくあおい)』です。南アフリカ原産で、日本へは、江戸時代にオランダから渡来しました。
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