2011/07/12 - 2011/07/26
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motogenさん
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その1からの続きです。
チェンマイからのローカルバスに乗って、メーサリアンに向かいました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
夜行バスがチェンライに到着したのは午前5時半。
まだ暗い。
メーサリアン行きバスのチケット売り場も当然ながら開いていない。
冷えたベンチに座って待つことにする。 -
8時になって、やっとバスがやってきた。
右側が3列シート、左側が2列の狭っくるしい車内。
エアコンなし、窓の開閉は壊れている箇所あり。
そんなローカルバスだ。
でも私はこんなバスが大好き。
タイにやってきたという実感が味わえる。 -
チェンマイから3時間ほど南下したところでトイレ休憩。
ここから西に折れ曲がり、けわしい山越えをすることになる。
山道もおんぼろバスも慣れたものだが、女房にはすべてがカルチャーショックのようで、どことなく興奮している。
山岳民族のおばあさんが乗ってくると、それだけで嬉しいようだ。 -
エンジンがうなるがばかりでスピードがまったく上がらない上り坂が延々と続く。
窓下に川の流れが見え隠れする。
民家などはめったに現れない。
乗降口は開いたまま。
運転席のメータをのぞくと、すべて0を指していて動いていない。
そんなバスの旅が数時間続いた。 -
長い下り坂がつづき、急に明るくなった。
そこに現れたのはメーサリアンの町の入り口だった。 -
終点のバスターミナルは町の中心付近。
近くをユアム川が流れている。
少し歩くとその川に沿ってゲストハウスが数件並んでいる。
その中のひとつ、『リバーサイド・ゲストハウス』(画像)に泊まることにした。 -
入ってみると空いている部屋はあった。
エアコン、TVはもちろん、冷蔵庫までついていて400バーツ。
壁や天井やドアは物置小屋に毛の生えたようなものだが、洗濯をしたり洗濯物を干したりするテラスがあり、部屋から出入りできるようになっていて、女房はさっそく洗濯を始めた。 -
ゲストハウスの真下を流れるユアム川。
流れに沿って伸びる原野。
ぽつんぽつんと点在する民家。
幾層にも続く山々。
それらを眺めながらの洗濯も悪いものではない。
どこかでヤギの鳴き声がする。
声の出所を探してみると、反対側の川原の灌木の中に、迷子のような子ヤギが2匹、メーメーと鳴きながらさまよっていた。 -
町の入り口にきれいな建物がある。
ビルマ様式のワットを模した建物だそうで、数年前には造成中だったものが完成していた。 -
幾層にも重なったこの屋根の形がビルマ様式だとか。
よくはわかないけど、神秘的。
私にもっと建築様式の知識があったなら・・ -
建物の立つ高台に上ると涼しい風が吹いていて、思わずオープンホールに座り込んでしまった。 -
ホールには小ぎれいな服装をした二人の女性がござの上に座って仕事をしていた。
一人はコンピュータの画面を見つめ、もう一人は小さな土産物人形を作っている。
つたないタイ語で話しかけてみると、私たちが観光客であるとみて、水やお菓子をくれたり、世話をやいてくれた。
この建物がワットではなく、みやげ物屋を兼ねた博物館だということもわかってきた。
風が吹きわたるこの場所はとっても気持ちがよく、うつらうつらと昼寝をして過ごしてしまった。 -
博物館の反対側の高台に登ってみると大きなワットがあり、メーサリアンの町を見下ろしていた。
-
東方を見ると(画像)バスで越えてきた山々が連なっている。
西側にもさらに大きな山々がそびえ立ち、それを超えればミャンマーだ。
メーサリアンは山々に囲まれた小さな盆地に人々が集まり、交易でなりたっている町なのだろうと思った。 -
道路沿いに山岳民族の衣装を身にまとった人たちが、何かを待っている様子。
町で買った品々を持ち、帰りのトラックを待っているのだろうか。
話している言葉はタイ語ではなかった。 -
街中の一軒をのぞくと、子供たちが勉強をしていた。
塾なのかな?
それともここが学校?
いやいや学童保育? -
夕食を終えてゲストハウスに帰ってくると、すでに日が暮れていた。
この場末感がたまらなく良い。
どこかで見た映画のようだ。
-
昨夜は夜行バスで熟睡はしていない。
川のせせらぎを聞きながら早めに就寝。
明日はクンユアムだ。
-
翌朝、バスターミナルでメーホンソン行きのバスに乗る。
このバスに乗ってクンユアムの町で途中下車する予定。
-
バスはひたすら北に向かって走り続けた。
ほとんどが起伏に富んだ山道。
周囲は手つかずの森林。
すれちがう車もほとんどない。
-
メーサリアンから2時間半、クンユアムの町に到着。
数年前には何もしないで通過してしまった町で、今回初めて降りることとなる。
南北に走る道路沿いに、民家や商店が並ぶ小さな町だ。
バスターミナルは北の町外れ近くにあり、バスはここでトイレ休憩をしていく。
戦争中に日本の兵隊が現地人と協力して、このあたりの道路等を整備したという。
そのため今でも日本人に対して友好的な住民が多いと聞く。
戦争博物館や慰霊碑もあるらしい。
カンチャナブリーとは違った太平洋戦争の舞台がここにあったようだ。
そんなクンユアムに興味をわいてきて、途中下車したのだった。 -
バスから降りたち近くの店でたずねると、すぐ近くにゲストハウスが見つかった。
『バンファラン・GH』、400バーツ。
欧米人の家という意味なのだろうか。
なるほど欧米人が泊まっている。 -
中庭の奥に宿泊棟があった。
空きや部屋がたくさんあり、ほっとする。
さっそくチェックイン。
-
シングルベッドが3つもある広い部屋で、無線ランが可能だった。
エアコンはないが、クンユアムは高原の町なのでファンで充分。
朝晩は寒いくらいだ。
私は大満足だが、女房はほこり臭いという。
でも特に嫌がっている気配はなし。 -
まずは腹ごなし。
町を散策するとすぐに食堂を発見。
日本ではダイエットと称して食事制限をしている女房なのに、タイにやってきてからはそれを無視してもりもりと食べている。
タイのからい料理もへいちゃら。
衛生的でない・・とか、見た目が悪い・・などとぐちらないで、美味そうに食べる姿を見て私は胸をなでおろしている。 -
グリーンカレーを食べた。
「おいおい、いいのか、そんなにいっぱい口に入れちゃって。」
「平気。辛いけど、美味しい・・」
一口すすっただけで口の中がしびれてくる激辛だったのに、女房は平気な顔をしてモリモリ食べている。
私が半分も食べないうちに、全部食べてしまった。
そしてコーヒーを注文する。
店のおばさんは、私たちが日本から来たことに喜んでくれ、半分も意味が通じていないのに、話し相手になってくれた。
-
通りを歩いていると着飾ったトラックを発見。
結婚式なんだろうか?
それともお祭り?
聞いてみるが、私のタイ語はうまく通じない、というか相手のことばが聞き取れない。
修行不足を恥じる。 -
歩くことが私の旅。
町の端から端まで歩いてみる。
町は通りに面して南北数kmの長さのみ。
時折バイクやトラックは走っていくが、歩いているのは私たちくらいで静かな町だ。
-
『ビルマ戦慰霊碑建立入り口』と記した看板があった。
これぞ目指すものか。
さっそく中に入ってみる。
-
数棟のチュディーの立っているきれいなワットだ。
境内は人の気配はうすい。
大講堂をのぞいてみたが、がらんとしていて誰もいなかった。
-
道路に面した境内に、「ビルマ戦線将兵鎮魂」ときざまれた小さな慰霊碑が立っていた。
日本人が建てたものだろうか。
花や供物がそえられている。
-
戦争博物館が見つかった。
ゲストハウスからそんなに離れていないところにあった。
道路脇に大きな看板が出ているのに気がつかなかったのは、そこが工事中で、単なる資材置き場のように見えたからだ。 -
あっ、こんなところにあったんだ・・・
恐る恐る工事中の敷地に入り、作りかけの建物の内部をのぞいてみると、工事作業員に混じって一人の女性が立っていた。
「あっ、ここは、今工事中で、中には何にもないのよ。
来年の5月に完成予定だから・・・」
そんなことを言いながら、作りかけの内部を案内してくれたが、本当に何もなかった。
-
この博物館を目的に途中下車した町で、それが工事中とは少しショックで、残念なことは残念だったが、しかし色々な人々に親切にされ、途中下車して良かったと思った。
「完成したら、また来てね。」
そんな言葉に送られて去ることにした。 -
「あっ、かわいい!」
近づいて話しかける私たちを、不審者と警戒せずになついてくれる幼児だった。
お母さんもにこにこしている。
私たちが日本人と知ると、ますます笑顔を見せてくれた。
-
ゲストハウスの近くに学校があった。
通りかかるたびに校庭をのぞくと、体育の授業で蹴鞠のように手を使わないバレーボールの練習をしていたり、行進をしていたりと、子供たちの姿がたくさん見えた。 -
お昼頃には道路に面した食堂に集まって、給食を自分たちで配膳して食べている。
タイにも学校給食があるのかと疑問をもったが、みんなそろって挨拶をして食べるところを見ると、やはり給食なのだろう。
中にはみんながそろわないうちに、こっそりつまみ食いをするやんちゃな男の子や、それを注意する女の子もいて、面白かった。
学校の終了時には、全員が校舎近くの広場に集まり挨拶をした後、列になって集団下校をする。
タイらしくない光景だと驚いたが、集団下校は全員というわけではなく、お迎えにきたお母さんやお婆さんに連れられて帰る子もあり、お迎えを待つのか、長い間校庭で遊んでいる子もかなりいた。 -
そんな様子を樹木の下で眺めていると、5〜6人の女の子たちがもぞもぞと近づいて来た。
「私たちがバレーボールしてるの、見てたでしょ。」
「お昼ご飯、食べるのも、見てたよね。」
「もしかして、日本人なんですか?」
「どこに、泊まっているの?」
恥ずかしそうに、口々にたずねる。
「日本人だよ。
チェンマイから来て、メーサリアン、クンユアム、メーホンソンと回ってるんだ。」
そう答えると、先頭の女の子がパッと目を輝かせた。
「私のお父さん、日本人だよ。
名前はね、○○○○・・・
学校の先生をしてるんだよ。」
片言の日本語をまじえながら、にこにこしながら話し始める。
お母さんはタイ人で、まだ日本には行ったことはなく、お父さんもタイ語で話すから日本語はほんの少しわかるだけで・・・・ -
礼儀正しくて、素直で明るく、可愛い子供たちだった。
5年生と6年生だという。
女房はすっかりこの子供たちが気に入ってしまい、ほほがゆるみっぱなしだ。
ましてや、実際の歳よりも10歳以上も若く見られれば、最高の気分なのだろう。
子供たちの口真似をして、タイ語の勉強まで始めてしまった。
標高1500mのこの高原は、年間を通して過ごしやすく、人々の笑顏があたたかい。
ビルマ戦線から命からがら敗走してきた日本の兵隊の中には、病気や怪我でこの地で亡くなった人も多いのだそうだ。
日本兵の中には地元住民とうち解けて、帰国しないでこの地に根をおろした人もいると聞く。
子供たちに日本人のことを聞いてみると、ひいお爺さんあたりの年代に日本人がいたそうだが、その子孫がどうなっているのかはよく知らないという。
小一時間ちかく子供たちと遊んでいたが、やがて迎えのお母さんがやってきて、手をふって帰っていった。 -
夕日を浴びた公園に行くと、そこにはまだ学校帰りの子供たちが遊んでいた。
ブランコを思い切りゆすり上げ、そこから飛び下りたり、回転遊戯で遊んだり、芝生の上で横転をしたりして元気がいい。 -
見慣れぬ私たちに興味をしめし、恥ずかしげに近寄ってくる。
それがとっても可愛いものだから、女房までが回転遊戯に参加してしまい、嬌声をあげて走り回っていた。
子供を迎えにきているお母さんやお婆さんとも仲よくなり、日本では体験できない充実したひとときを過ごしたのだった。 -
翌朝目覚めるとお寺の方角からお経が響いてきていた。
この日は三宝節だという。
三宝節とはなんぞや・・と、お寺に向かってみる。
多くの家族連れが、車やバイクでお寺に集まっていた。 -
白い装束で着飾っている人がいる。
家で作って来たごちそうやら花飾り、線香を手に手に、仏様にお参りをしている。 -
通りかかったおばさんが、こっちにいらっしゃい・・と私たちを案内してくれた。
そこには仏像を祭った集会場のような建物が建っていて、日本語の石碑があった。
この境内にビルマから逃げてきた日本兵の病院があって、たくさんの日本人が亡くなったのだと教えてくれた。
こんな遠い地に、どのようにして日本兵はやって来たのだろう・・・
海を渡り、どこに上陸したのだろうか。
この内陸部まで、歩いてきたのだろうか。
それとも、日本兵を運ぶための軍用トラックでもあったのだろうか。
当時としては気の遠くなるような祖国から離れたこの地で、日本兵は何を考えたのだろう。
そんなことを思いながら、メーサリアンからやって来たバスに乗り込んで、メーホンソンに向かった。
その3 につづきます
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この旅行記へのコメント (2)
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- ないはん男前さん 2015/10/25 18:24:49
- クンユアムの戦争博物館
- motogenさん
クンユアムの戦争博物館、私が2102年の10月に行った時には、完成していました。メーホンソンから日帰りで行きましたが、ずっと行きたいと思っていた所なので、日本軍の遺品を個人的に収集していた元警察官の方には、会えませんでしたが、感慨もひとしおでした。
博物館の名称は、“タイ・日友好記念館”となっていました。
完成後の様子は、私の旅行記『メーホンソンに行ってきましたぁ。』にも掲載しています。
交通がやや不便なので、ここを訪れる日本人も、限られているようですが、
もっと多くの人に、訪れて欲しい場所です。
ないはん男前
- motogenさん からの返信 2015/10/25 22:29:57
- RE: クンユアムの戦争博物館
- ありがとうございます。
ないはん男前さんの『メーホンソンに行ってきましたぁ』を拝見させていただきました。
素晴らしい画像ですね。
参考になりました。
これからもよろしくお願いします。
motogen
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