2011/07/12 - 2011/07/26
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motogenさん
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その5の続きです。
レンタルバイクを借りて、中国村やら渓谷やら温泉と、むちゃくちゃ走り回りました。
小さな冒険となりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
バイクを借りに行く。
バスターミナルの通りに数軒のレンタルバイク屋が並んでいた。
長期滞在の欧米人の集まる町には、このようなバイク屋や私設両替所が必ずある。
料金もリーズナブルだし、両替のレートも銀行などより良い。
パイの町はまさにこれに当てはまる。
しかし短期の日本人観光客が増えてくると、レストランの食事代、バイタクなどの交通関係、宿泊代、マッサージ、これらすべての料金が大幅にアップするように思えるのだ。
私のような貧乏人は、日本人のあまり来ない田舎町を回るのが似合っている。
-
100ccバイクのレンタル代が24時間100バーツとなっている。
ラッキー。
さっそくパスポートを見せてレンタルした。
もちろんヘルメットが2つ付いてくる。
パスポートもコピーを取ったあと、返してくれた。 -
まずは西方にある中国村に行ってみようか。
一度行ったことがあるから、おおよその行き方は分かっている。
町を出るとすぐに田園地帯が広がる。
バイクは軽快に走っていく。
うん、この辺は覚えているぞ。
もう少し行くと赤くて大きい門があるはずだ。 -
大きな赤い門をくぐって西の丘に登って行くと、民家が立ち並んでいる。
ここが中国村で、華僑系の人たちが住んでいる村なんだろうか。
中国村についてはガイドブックで読んだ気もするが、実はよく理解できていない。
顔をのぞかす人々の顔は穏やかで、私たち侵入者を警戒する人はいない。 -
おおっ、漢字が出てきた。
何の意味?
この村についてもっとよく調べてくればよかったなぁ。
登り坂は奥へ奥へと続いている。 -
お店が現れたぞ。
坂道を振り返ると、見晴らしの良い場所では遠くにパイの町が見えそうだ。
バイクで走るだけで頭はすっきり。
プチ冒険気分だ。 -
観光施設らしき場所に到着した。
一見、小型のテーマパーク。
2年前よりも整備が進んでいるようだ。
しかし、場違いなものが作られているような気もしてならない。 -
赤土の壁に草ぶきの屋根の建物がたくさんある。
童話に出てくるようブーフーウーを思い出す。
遠くに民家が見える。
伝統ある中国村というイメージから離れた、現代のきれいな民家が混じっている。
-
とにかく入ってみる。
レストランがあった。
働いている人は見えず、当然客もいないが、メニュを見るとかなり高級な料理を提供するレストランのようだ。
近隣の町からやって来る富裕層や、観光客をターゲットにしているのだろうか。
ここはそんなリゾート施設なのだろうか。 -
施設はかなり広く、散歩するには絶好の場所だ。
バイクの運転でこり固まった足腰を伸ばし、腕や首をぐるぐる回してみる。 -
土の家はみやげ物の店だ。
民芸品、お茶、漢方に使うような植物・・・・
でも特に欲しいものはない。
時期や時間帯が悪いのか、客の姿もなし。
これでは赤字経営だ。
-
静まりかえったリゾート施設。
夜になればにぎわうのだろうか。
こんな場所にはもう少し人がいる方が、いいなぁ。
-
道の反対側にも広い建物があった。
遺跡のように見えるが、作りかけの施設のようで、ところどころで工事が進められていた。
分からないことだらけの中国村ではあるが、ここに来たと言うだけで今日は満足。
-
バイクを止めた道の脇に馬がいた。
小型で可愛い馬だ。
しかし触ろうとすると、首をふって噛みつくまねをする。 -
寄り道をしながら町に帰る途中、小型飛行機が超低空でやって来て、私たちのすぐ上を飛んでいった。
飛行機を追いかける。
しかし飛行機は同じところを何回も周回してばかりいる。
走っていくと滑走路があった。
飛行場は幹線道路のすぐ脇だ。 -
飛行場の中に入っていく。
小型機はまだ飛んでいて、タッチアンドゴーを繰り返している。
滑走路脇には消防車が控えていて、消防士が集まっていた。
その一員にたずねてみると、着陸の安全を確かめているのだという。
ついに小型機が着陸した。
降りてきた乗客が記念写真を撮ってもらっている。
どこからやって来たのだろう。 -
空港のロビーにもんなり入ることができた。
チケット売り場、搭乗口、待合用の椅子、トイレ、一応全部そろっている。
フライト表を見ると、飛行先はチェンライやチェンマイとなっていた。 -
町はずれで散髪屋を発見した。
髪が伸びてきていたので、カットしてもらうことにした。
退職してからは、タイの床屋さんで散髪してもらうことが多い。
どんな髪型になろうとも、多少失敗しようとも、もはや気にすることはない。
安ければ何でもいい。 -
この床屋さんは、思いのほか清潔できれいだった。
もっと田舎に行くと、今にも朽ち果てそうなおんぼろ小屋で、鏡もなく水道もなく、バリカンとはさみがあるだけの、露店のような床屋がある。
そこで30バーツほどで散髪してもらったこともあった。
ここでは一応、顔もそってくれた。
料金も安かった。 -
ゲストハウス近くの店でお昼の腹ごしらえをした。
こんな店では、決まってカオパット(焼き飯)を注文する。
野菜が苦手な私だが、タイに来るとわがままは極力控える。
そしておばちゃんの作ってくれる料理を、ありがたく頂く。 -
午後になって再び外出した。
国道を南に走る。
峠の頂点に『パイキャニオン』の看板があった。
町からおよそ10kmの地点だ。
-
2年前とは少し様子が違っている。
こんな立派な休憩所なんてあったかなぁ。
-
以前登った道とは言えない山道を、両手を使って登っていく。
すると途中で、石畳の遊歩道にぶつかった。
何だ、こんな道が完備していたのか。
こんな道があるのなら、はじめからこの道を通ったくればよかった。
嬉しいが、さびしい。
手つかずの自然スポットが、しだいに観光化されていく。 -
頂上付近から先客たちの声が聞こえてくる。
その声に励まされて登っていくと、あの韓国娘たちが飛び出してきた。
「あっ!」「あっ!」
こんな所で会えるとは思っていなく、互いにびっくりする。
娘たちは帰るところだったらしい。
「これから、どこ、行くの?」と聞いてみる。
「ジャパニーズ・ブリッジ・・、そしてエレファントキャンプに行く予定だよ。」
「それならブリッジからエレファントキャンプの間に、温泉があるけど、ここがパイの最高の場所だと思うよ。」
「ありがとう、じゃ、そこに行ってみることにするよ・・」
たどたどしい私の英語であるが、なんとか意味は通じたようだ。 -
東側は断崖になっていて、西側もこれほどではないが、険しい地形となっている。
ここから観る夕日が絶景なのだそうだが、私はまだ観たことがない。
断崖に近づくと私の足はがくがくと振るえ、腹の中から異様な寒気がしのびよる。
頭から血の気が引き、今にも倒れそうになってしまう。 -
女房に驚かされた。
両側が深い谷となった、幅わずか数十センチの尾根を、無邪気にトントンと渡っていく。
私は断崖のこっち側で、はらはらしながら見ているだけだ。
タイ人のカップルがやってきて、最初は躊躇していたが、彼らも恐る恐る渡り始めた。
なぜ自分だけできないのかともどかしいが、頑張ろうとしても足がすくんでしまい、どうしても一歩が出ない。
-
「温泉は、あのあたりだよ。」
東に広がる山すそを指し示すが、そのあたりの山すそには白い霧が移動していて、きっと雨が降っているのだろうと思えた。
その霧がしだいに近づいてきて、さらさらと目の下を通過していく。
冷たい風が吹いてきて、細かな雨の粒が足元から上に向かって飛来してきた。
この頂からは退散だ。 -
小雨のぱらつく遊歩道を降りていくと、バイクを止めた売店の前に韓国娘が一人で座っていた。
どうしたのとたずねると、友だちのバイクのキーがなくなってしまって、もう一台のバイクで合鍵をもらいに町に戻ったと言う。
その時、ガチャン!と音がした。
彼女が私たちに何かを見せようとかかんだすきに、ポケットから滑り出てきたスマートホンが、地面に落下してしまったのだ。
彼女は泣きそうな顔をしている。
大事にしているスマートホンの液晶に、蜘蛛の巣状にヒビが入り、無残な姿に変わっていた。
スイッチを入れると画像や文字は出てくるが、細かな文字は読みにくい。
タッチパネルの機能もおかしくなっている。
しばらく慰めていたが、町に出掛けた友だちはなかなか帰って来ない。
可哀相ではあったが私たちは、一足早く橋と温泉に向けて出発することにしてしまった。
「温泉で待っているからね・・」
そう言っておいたが、彼女たちとはこれが最期となってしまった。 -
キャニオンを超えてさらに南に下ると、大きな川にぶつかった。
立派な橋が架けられているが、その橋の隣にさびついた昔の橋が残っている。
『メモリアル・ブリッジ』とか『ジャパニーズ・ブリージ』と呼ばれているらしい。
長さ120mほどの橋で、太平洋戦争時代に日本軍が作ったものだ。 -
橋を渡って東側に出ると、小さな記念館があった。
当時の写真や説明が展示されている。
橋が完成して喜んでいる住民や、バレードをしている子供たちなどの写真がパネルになっていた。
タイと日本は友好的な関係だったことが分かる。 -
橋の東側近くにサムローが放置してあった。
まだ綺麗で立派なものだ。
後日分かったことだが、日本軍の作った橋は木造で、軍が撤退する時に焼き落としてしまったらしい。
この鉄の橋は70年代に作り直したものだ。
そういえば記念館の写真の橋は木造だ。
では、なぜこの橋がメモリアルブリッジとして残されているのだろうか。 -
橋から少し東に、北に入り込む路地がある。
その路地を一路北に突き進んでいくと、『Hot Spring』の案内板が見つかる。
パイ温泉の入り口だ。
案内板の矢印に従うと、料金所にぶつかる。
外国人200バーツ、タイ人は無料。
ここは国立公園のはずだから、料金を徴収している人は国の役人なんだろう。 -
最初にやって来た2年前、私が感動したのは自然の川が温泉になっていることだった。
自然そのものの手つかずの温泉に初めて出会ったからだ。
上流に地中から噴煙と共に温泉が湧き出ていていて、それが流れ落ちながら温度が下がり、ちょうど良い温度の所で入浴する。
入浴する場所は山の中だ。 -
たった2年の間に、パイの様子は変化している。
この温泉も同様だ。
お湯の流れる小川には人間の手は入っていなかったのに、今はコンクリートで固められていた。
歩く道も石畳になっていたり、舗装されていたりする。
使い易くはなったものの、魅力は薄れている。
残念だ。
温泉を訪れる客も増えたようで、岩で囲まれた絶好の湯溜まりには7〜8人の欧米人たちが水着姿で遊んでいた。
流れのあちこちに人の姿が見られ、近くを通りかかると「ハロー」の元気の良い声が飛んでくる。 -
上流の湧き出し口のある場所に女房を案内した。
あたりは湯気で白く曇っている。
地面の熱で気温も高い。
池のあちこちからブクブクと泡が出ていて、温泉特有のにおいが漂っていた。 -
これが源泉というものなのか・・
ここに来たのは2度目であるが、何度見ても心がさわぐ。
80℃と記してある。
直に手をいれればやけどする温度だ。
-
噴き出し口を見学したあと、私たちも適度な熱さになっている小川に入ってみた。
今回は準備万端、水着を着用してきている。
シャツを脱いで枝に架けると、適当な場所に浸かってみた。
女房も後に続いた。
日焼けした脚や腕がひりひりするが、少し浸かっていると平気になってきた。
バスタブに引き入れた温泉風呂ではなく、小川の露天風呂はなんといっても気持ちがいい。
片側のふちはコンクリで固められているが、底は石がごろごろしていて、やはり川だと思う。
思い切って泳いでみた。 -
湯治客の大半は欧米人だった。
みんな町からバイクに乗ってやって来ている。
通りかかると気軽に声をかけてくる。
私と言えば
「どこから来たの?」
「私たちは、日本・・」
で話は尽きてしまい、それ以上の言葉が出て来ない。
英語が堪能でないとどうしようもないことを嘆きたくなる。 -
温泉の流れのほかは何もない山の中だ。
欧米人たちは、何もなくても場の雰囲気を楽しんで、何時間でも居つづけることができる。
それらの欧米人を見習って、私たちも長い間湯に浸かったり出たりして、自由気ままに過ごしていた。
でも欧米人のようにはなれない。 -
英語がもう少し上手に話せれば、こんな素敵な人たちとも友だちになれるかも知れないな。
女房ともどもそんな気持ちになって、英会話でも習おうかと思ったりもする。 -
この人たちはオーストラリアから来ているようだ。
挨拶してくれるが、片言の英語しか口から出ない。 -
こちらはベトナム人。
同じアジア人かと思うと親しみを感じる。
この女性、初めは手や足先でばしゃばしゃしていたのに、しだいに大胆になってきて、ついに服のまま肩まで入ってしまった。 -
風をきって走るバイクは気持ちがいい。
濡れていた水着も急速に乾いてくる。
エレファントキャンプの近くには、象が歩いていた。
柵に入っていない象を至近距離で見るのは女房にとっては初めてのことで、目を丸くしている。
エレファントキャンプに立ち寄るとトレッキングを薦められたが、夕方近くだったので、明日また来ることにしてバイクにまたがった。 -
温泉からの帰り道、畑の広がる丘陵地帯にさしかかり、その美しさにバイクから降りてしばし立ち止まった。
昔、日本にもこんな風景があったような・・・
そんな気がしてきた。 -
もうじき日が暮れる。
パイの町はあのあたりだね。
遠く日本を離れ、こんな景色に見入っている幸せをひしひし感じる。
人生にこんなひと時があっていいと思う。
景色を楽しんでいると通りかかったバイクの欧米人が、
「写真、撮ろうか・・」とシャッターを押してくれた。
こんな一言も幸せを倍増させる。 -
美味しい店を見つけ、そのお店で夕食を食べる。
今夜はトムヤンにレッドカレー、カイチアウにフルーツシェイク。
二人で分け合っても、多すぎる量だ。
ご飯の盛りもたくさんある。 -
食事が終わるころには真っ暗くなってきて、パイの町は夜のモードになる。
町のあここちで欧米人好みの音楽が奏でられている。
普段ならうるさく感じるこの音楽も、ここに来ると心地よい。
日本から外に出ると、私は違う人間になっている。
その7につづきます
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この旅行記へのコメント (2)
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- trat baldさん 2015/10/30 09:48:00
- ジックリ見たよ〜!
- ご夫婦共に神様級!何よりセトレア友の会が嬉しい、LCCの発展が無いのは逆にビジネス客や豪華な観光で必要が生まれない(ioi)
最近はお出かけはしないの?もしくはカメラに縛られない旅かしら?
motogenさんレベルなら廉価でタイ湾に浮かぶ小島を堪能出来ますヨ!
Ps.フリーシムの続編です、空港で好きに変えたのにトラートでは査証をコピーされました、基本は日本以外の国は殆ど同一規格で主流は850Mzですが2100Mzに増強されつつあります。
速度比較のためにTureの出張店にシムを買いに行ったらナント無料でツーリスト用の一ヶ月限定シム(300B)の容量制限(1.5GB)を外してくれた!
店員の独断かも知れないけど??期間や容量は説明が無かった??
尚、通話専用シムでも一定額の支払いでNet専用に切り替えが利くそうです、プリペイド式ですから先払いで1週間1GBで79Bです。
- motogenさん からの返信 2015/11/01 13:07:41
- RE: ジックリ見たよ〜!
- コメント、ありがとうございます。
年に3回ほど、それぞれ2〜3週間ほど海外に出かけています。
これまで訪れた国は、タイ、ラオス、カンボジア、ネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールですが、報告できない旅も多く残念です。
一眼カメラのような大きくて重いカメラは苦手です。
スマホで撮影するのも苦手です。
一番撮り扱いやすいのがコンパクトデジカメですが、最近は手のひらの中に入り、カメラとは気がつかれない動画撮影機器も使っています。
でも画質では一眼カメラには遠く及びません。
シムですが、タイではDTACを愛用しています。
数年前までは有効期限が1年と長く、同じ電話番号を何年使えたからです。
最近は短くなりましたが、国際ローミングができる設定にしておくと、日本から有効期限を延ばす操作ができ、ありがたかったです。
しかし軍事政権になって、シムが登録制となり、しばらくタイに行かなかった間に使えなくなってしまいました。
タイではWifiのできるゲストハウスやホテルが多いので、ほとんどシムによるデータ通信はしませんが、バスの中や街中で地図を見たり、メールチェックをしたい時があります。
でも私の場合、2週間の滞在でも50MBもあれば充分で、DTACの30日75MBで99バーツとプランを活用しています。
他に何かよいプランがあればよいのですが。
4トラベルには、女房と一緒に行った旅行記を書き込んでいくつもりです。
タイ北部の次は、ラオス北部の旅、その次はカンチャナブリとアユタヤです。
よろしかったらご覧になってください。
今後はここに書き込みできる旅を多くしたいと思っています。
motogen
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